寛解生活(急性骨髄性白血病闘病記) -6ページ目

寛解生活(急性骨髄性白血病闘病記)

原題:「入院生活」
2011年7月、急性骨髄性白血病で入院。寛解導入療法、3回の地固め療法を受け、2012年2月に退院。2012年4月に職場復帰。通院にて維持療法継続中。
治療や入院生活、退院後の生活のことなどを書いています。
Twitter: @RickPennyroyal

少し前の話ですが、職場に復帰しました。

初日の朝、久しぶりのネクタイと革靴を窮屈に感じつつ、満員電車に体を押し込んだところで、早くもいっぱいいっぱい。マスクの中で息を整えつつなんとか職場近くの駅に到着したものの、今度は鮨詰めの電車からホームに吐き出された人の波に圧倒されました。病気の前はどれも当たり前のことだったんですけどね。

職場が近づいてくると、どんな顔して現れたらいいんだろう、どんな反応されるのかなと考えて、なんだか緊張しました。実際には、自分の部署では暖かく迎えてもらい、案ずるより産むが易しでした。その後は、やがて適度に放置され、一人で自分の机周りの整理などをしたり、お見舞いに来てくれた同僚や上司に挨拶に行ったりして、難なく最初の一日を終えました。

入院生活は辛く長い闘いでしたが、戦い抜いたら戻る場所があるということは、最大の心の支えであったといっても過言でありません。働くだけ人生ではないのでしょうけれど、立身出世を目指した昔ながらの教育を受け、仕事を生き甲斐にしてきた人間としては、働けるのであれば働かなければ、半分死んだも同然なのです。

厚生労働省研究班によると、がんになった労働者の30%が依願退職し、4%が解雇されたと報告されています。これは本当に過酷な現実だと思います。退院したら戻ることができる職場があること、外来で治療しながら働くことができる仕事があることは、がん患者、がんサバイバーおよびその家族にとって、がんと闘い、がんと向き合って生活する上で、精神的にも経済的にも不可欠といっても過言ではありませんから。がん患者に対する理解が広がり、一人でも多くの患者・サバイバーが、その時の状態・条件に応じて、出来る範囲で能力を発揮し、社会に貢献できる場が与えられることを願います。雇用主側(特に中小事業者にとっては)も経営上容易なことではないことは分かりますが、2人に1人が一生のうちにがんになるのですから、すべての人が人ごとではなく、お互い困った時は助け合いだという視点で取り組んでいただきたいものです。

ちょっと熱くなってしまいました。職場復帰の日の話に戻ります。

久しぶりの職場ですが、そもそもたまにしか会わない相手だと10ヶ月もいなかったことに気付いていない人もいるもので、そんな人から「おっ、久しぶり!あれ、その頭どうしたの?」なんて屈託なく話しかけらると、苦笑いするしかありませんでした。(そっか、知らない人には坊主頭以外変わりないように見えるのか。)

病気になるまでは、よく深夜や土日もよく働いたものですが、今は、配慮してもらって、平日の日中だけです。(それに応じた減収は痛いですが。)

やはり体力が落ち、まだ慣れないため、平日は、毎日、職場へ行き、目の前の仕事だけに集中し、帰宅して明日の準備をするだけで精一杯です。早く慣れて、ちょうどいいペースをつかみたいところです。
退院から二ヶ月余り経ちました。最近、足腰がしっかりしてきて、体を支える筋肉の痛みもなくなりました。

体力が回復するにつれ、いろいろな人に会ったり、集まりに顔を出すようになってきています。

一旦死にかけて長い間入院して、ひょっこり娑婆に帰ってくると、最初の頃は、どんな顔して会って、闘病生活をどこまでどのように話していいか戸惑いました。

少なくとも今の状況はなるべく伝えるようにしています。私が説明しない限り、相手には私の状況は分かりませんし、それが分からないと相手の方こそ私にどう接していいのか分からないからです。

入院中の闘病生活については、相手と場によって考えざるをえません。しかし、あまり話さなくて、後で水臭かったかなと思うこともあれば、詳しく語ったのに反応があっさりしてて、人は他人のことはそんなに気にしてないんだなと思うこと(必ずしも相手が冷たいということではなく、そう分かると気が楽になるということもあります。)もあり、なかなか簡単ではありません。

しかし、時間が経ち、いろいろな人に会ううちに、だんだん病気のことを話すのに慣れてきました。また、話す必要のある場面も減ってきて、最初の頃ほどこのことで戸惑うことは減ってきています。

退院してからしばらくは、「白血病患者(寛解維持中)」と書いた名札をぶら下げてるような気持ちでしたが、ようやく最近、それは自分がそう思っているに過ぎない、そんなレッテルは剥ぎ取ってしまえ、とふっきれて、堂々と普通にしていらてるようになりました。

未だにいろいろ大変ですが、どのことも時間の経過が変化をもたらしてくれているような気がします。こういうのを諸行無常というのでしょうか。つらくても、同じ悩みはずっと続くもにではない、というのは本当ですね。引き続き、焦らずにやっていこうと思います。


iPhoneからの投稿
退院したので、タイトルを「入院生活」から改めました。

さて、退院してから一ヶ月余りが立ちました。

家事と育児に追われるうちに、体力は着実に回復しています。もう日常生活にほとんど支障ありません。ただ、足腰がまだ弱く、外を歩き回ると相変わらず腰や股関節辺りなど体幹の筋肉が痛くなりますし、走るのは少しでもつらいです。また、寝たきりで足を伸ばしたまました名残りか、かかとがすぐに痛くなります。

病院の方は、外来での維持療法が始まりました。Atra(ベサノイド)の一回目は無事に終了し、今後、近いうちに、飲み薬の抗がん剤の一回目が始まります。まだ骨髄がふらふらしているのか、白血球数などがまだ安定せず、正常範囲の下限近くまで下がることもありますが、ともかくも病院の外で生活できるレベルは維持しています。また、これまでの血液検査では、よからぬ兆候は出ずに経過しています。

仕事はまだ休んでいます。もちろん、いつかは仕事に戻らなければなりませんが、いつどのように復帰するかは、なかなか難しい問題です。

体調が良いときは元通り働くことができる気がして、早く仕事に復帰したいと焦ることもあります。退院直後は特にそうでした。その頃は、心身とも回復曲線が急な時期で、また病院の外に解き放たれてある種の興奮状態にあったためでしょうか。しかし、家の片付けをしたり、出かけたりすると、実際には体力は元通りに回復していないことに気付かされます。確かに、問題なく日常生活を過ごすことができるレベルにはなりつつありますが、仕事をするとなると、どこまでできるか、やってみないと分かりません。また、維持療法のサイクルを一回やり終えないと、どの薬で自分の体がどうなるか分からないので不安です。そういう訳で、ここ最近は、回復する、自信が付く、焦る、疲れる、自信がなくなる、冷静になる、やる気がなくなる、休む、また回復する、などの繰り返しです。

また、問題は体調だけではありません。気力の充実も課題です。もちろん、やる気はあるつもりですし、あれだけの治療を乗り切ったのですから精神力はむしろ強くなったと思います。しかし、体調がまだ不安定なことや、再発を恐れながら暮らしていること、長期間のブランクがあることから、うまく表現できませんが、体力とともに、仕事に取り組む気力もまだ足りていないような気がするのです。これは、さあ頑張るぞと家で自分にいい聞かせているだけで取り戻せるものではなく、仕事を再開させないと元通りにはならないのかもしれませんが。

職場の方は、復帰は焦らなくてよい、復帰後もしばらくは元通りのペースで働かなくて良いよう配慮するといってくれています。有難いことですが、厳しい上司から優しくされると、改めて自分が病人であることを気付かされる訳で、複雑な心境です。

何事もすぐに元通りにはいかないのは当然でしょうから、こんなことを悩むことができるステージまで進めたことに感謝しつつ、あせらずに心身を整えていきたいと思います。