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寛解生活(急性骨髄性白血病闘病記)

原題:「入院生活」
2011年7月、急性骨髄性白血病で入院。寛解導入療法、3回の地固め療法を受け、2012年2月に退院。2012年4月に職場復帰。通院にて維持療法継続中。
治療や入院生活、退院後の生活のことなどを書いています。
Twitter: @RickPennyroyal

自分も病気になる前は白血病のことを全く知らなかったのですが、実際になってみてこういうところが普通の病気のイメージと違うなと思ったところを書いてみます。白血病にもいろいろなタイプがあり、同じタイプでもつらいと感じるところは人それぞれだと思うので、あくまで私の場合ですが。

まず、入院というと、最初が重篤でだんだん良くなって退院というのが普通のイメージだと思います。
しかし、白血病の化学療法の場合、入院当初は自覚症状がなく元気なことも多いのですが、その後に退院するまで、抗がん剤や薬の副作用など、また、治療に伴ういろんな痛みで苦しい日々が待っています。

抗がん剤による化学療法は、「抗がん剤を入れて白血病細胞を攻撃し(同時に、正常な造血細胞もやられてしまいます)、副作用や感染症・合併症を治しながら血液が正常に造られるようになるのを待つ」ということを繰り返します。

この間ずっとつらいかというと実はそうではなく、各セットの終わりのころは、けっこう元気なこともあります。私も第一セットの後に一時退院したとき、実はかなり動けるようになっていたのですが、家族がものすごい重病人のように丁重に扱ってくれたので、動き回るのが決まりが悪くなってしまい、実際の体調より病人ぽくしてなくてはならず、なんだかなぁと思って過ごしていました。

逆の誤解もあります。面会もこの時期に許されるので、たぶん面会した人はなーんだ、と安心してしまうかもしれないのですが、その後また抗がん剤が始まるとつらい日々があるわけで、最初の山を越えたからあとは良くなるだけというわけではありません。

(続く)

ICU(集中治療室)には2週間ほどお世話になり、この間はずっと寝たきりでした。

最初は、呼吸器(酸素)がないと息ができず、尿道にも管が差し込まれ、しきりに血の混じった痰が出て、しょっちゅうコップとたらいをもってきてもらってうがいをしていました。全く何も食べられない日も何日かありました。

やがて尿道の管が抜かれ、久しぶりに自分の意思でできるようになったことは大きなステップでした。生命維持に基本的なことが自分でできることが人間の尊厳にとっていかに大切さを思い知りました。

それから、ずっと寝たきりだと、驚くほど足腰が弱まります。初めて、ベッド脇に持ってきてもらった簡易便器に行こうとしたとき、全く足腰に力が入らず、まるで無重力の宇宙から地上に生還したばかりの宇宙飛行士のようでした。

看護師さんに支えられて無事簡易便器に移ってもさらに困難は続きました。貧血のため、少しいきむと頭がくらくらし、すぐに息もあがってきて酸素が足りなくなり、うんちするのも正に命懸けでした。ようやくベッドに戻った後はもうぐったり。

最後に、この頃は何から何まで人に頼って命をつないでいたのですが、その間、いやな顔しないどころか、いつも快く看護してくださった看護師さんたち(ICUの看護師さんに限らず、その後お世話になっている病棟の看護師さんたちも)には本当に感謝です。

富士山や北海道の大雪山系旭岳で初冠雪が観測されたとのこと。病院の中は気温も一定で季節の変化は感じられないのですが、季節は着実に進んでいるのですね。入院していて何もできないうちに季節が一つずつ終わり次の季節に進んでいく。なんだか外の世界から置いてけぼりをくっているようで少し寂しいですね。

ここのところ体調もよいこともあってか、入院してる時間も有意義に使わなくてはみたいな焦りが出てきて、一生懸命に本を読んだり、パソコンに向かっていたのですが、昨日くらいまでに、なんだか疲れてしまいました。結局、やれることは限られるし、何をやっても中途半端なんですね。なんせ病人なんですから。

病気になった以上は、病人らしく病人になりきって暮らすのが正しい道なんですね。その他のことで焦っても仕方ない。

改めてそう気付くと、気持ちが楽になり、かえって前向きな気持ちが沸いてきました。