ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回、紹介させていただく本は、

独立研究者・著作家である、

山口周さんの最新刊、

 

人生の経営戦略

 

 

山口周さんの本は、

 

私にとって、

現代社会を深く考えたり、

また、

自分自身を見つめ直すにあたって、

大きな示唆を

与えてくれることが多いのですが、

 

この本もご多分に漏れずです(^^)

 

私は、本を読むときに、

印象深いページの上の角を

折る癖があります。

(ドッグイヤーというらしいですね)

 

それは、後で振り返って、

このブログを書く時に

とても重宝するのですが、

 

この本、

ページを折りまくったので、

上のほうだけ

かなり分厚くなってしまいました(^^;

 

それだけ、

「なるほど~」と思った箇所が

多かったということです。

 

山口周さんの本は、

冒頭に、結論や目的が

述べられていることが多いのですが、

 

本書ではこう述べられています。

 

 

本書の目的は、

 

経営戦略論をはじめとした

経営学のさまざまな知見を、

 

個人の

「人生というプロジェクト」

に活用するための

ガイドを提供する。

 

というものです。

 

 

山口周さんは、

一流外資系企業のコンサルとしても

活躍された方ですが、

 

そこで培った、

経営学の生きた知見を、

私たちの人生にも役立てられるように、

解説してくださっているのです。

 

 

もしかしたら、

このような提案に対して

 

「人生と経営を

結びつけるとは

なんとドライで冷徹なことか」

 

と苦笑される方も

おられるかもしれません。

 

確かに、一般に

「マネジメント」には

「計画」や「統制」や「管理」

といったニュアンスが

付きまといますから、

このような感想を持たれても

仕方がありません。

 

しかし

「経営=マネジメント」

という言葉の持つ

別の側面を知れば、

 

そこには

「人生」と結びつく

深いニュアンスがあることにも

気がつくでしょう。

 

というのも

「マネジメント」には、

 

「思い通りにならないものを、

とにかくなんとかする」

 

という意味もまたあるからです。

 

 

そうですね~、

 

そもそも、

人生はなかなか、

思い通りにはいかないわけであって(^^;

 

それでも、

私たちは、少しでもいい人生にすべく、

 

悪戦苦闘しながらも、

なんとか、

やりくりしているわけであって、

 

そういう意味では、

組織の「経営」も、

個人の「人生」も、

同じなのかもしれません。

 

 

予想もしなかったことが起き、

さまざまな障害が立ち現れ、

「計画」も「管理」も「統制」も

うまくいかないからこそ、

 

「とにかくなんとかする

=マネジメント」

が必要なのです。

 

 

山口周さんの他の本でも

述べられていますが、

(詳細は過去ブログで取り上げました。

よかったらご参照ください)

 

 

日本は、

1960年代の高度経済成長期以降、

低成長の時代が続いていますが、

 

これは、

決して悲観することではなく、

むしろ、

「登山の社会」から、

「高原の社会」へと

到達した証であるといいます。

 

ですので、それ自体は、

喜ばしいことでもあるのですが、

 

しかし、

問題点もあるといいます。

 

 

私が考える最大の問題は、

「低成長そのもの」

ではなく、

「無限の成長を前提としてる

社会の制度や規範」

と、

「ゼロ成長の均衡へと

軟着陸しつつある現実の社会」

とのあいだで

さまざまな歪みが

生まれており、

 

この歪みによって

私たちの人生が翻弄されている、

ということです。

 

 

う~ん、

これは鋭い指摘ですね。

 

 

この歪みは

 

「社会を再びかつてのような

高成長社会に戻す」か、

 

あるいは、

「ゼロ成長社会に合わせて

制度や仕組みを再構築する」かの

 

どちらでしか

調整できません。

 

60年以上にわたって

経済成長率が明確な

低下トレンドを示している以上、

 

私自身は

後者のアプローチ以外に

選択肢はないと

考えていますが、

 

どうも世の中は未だに

前者が可能だと考える人も

多いようで、

 

これから当分の間は、

この歪みは調整されることの

ないまま、

 

社会に混乱を

もたらし続けることに

なるでしょう。

 

 

私も、著者と同じく、

 

「ゼロ成長社会に合わせて

制度や仕組みを再構築する」

 

しか選択肢はないと考えますが、

 

たしかに、今の世の中、

どこか、

「やっぱり、かつての高成長時代を

目指すべきだ」

「それが、すべてを解決する」

 

というような風潮があるのは、

否めないと思います。

 

何か違和感を感じてしまう

私ですが・・・

 

 

現実の社会は

均衡のゼロ成長へと

軟着陸しようとしているのに、

 

制度や規範は

高成長への離陸を目指す

社会のまま、という

 

「つなぎ目の社会」

 

に私たちは生きているのです。

 

 

過渡期ともいえる、

「つなぎ目の社会」

に生きている私たち。

 

何とも難しい時代に

生きているわけですが、

 

しかし、

「高原社会」というのは、

経済成長は難しくとも、

 

個人の成長、変容という

意味でとらえると、

チャンスでもあるのです。

 

山口周さんは、

こう述べます。

 

 

現代の日本では、

何かあるとすぐに政府が悪い、

企業が悪いといった批判が

巻き起こりますが、

 

社会の衰退は何よりも

「個人の活力の喪失」

に起こるということを

絶対に忘れてはいけません。

 

 

う~ん、

耳の痛い話ですが、

たしかに、そうかも・・・

 

 

歴史家の

アーノルド・トインビーは、

彼の主著

「歴史の研究」において、

 

社会衰退の

最大の要因として

「自己決定能力の喪失」

というテーマを

論じています。

 

最近の日本では

テクノロジー人材の不足や

イノベーションの停滞

といったことが

国力低下の要因のように

語られることがありますが、

 

トインビーに言わせれば、

そのような理由で衰退した

国家・文明は

歴史上にひとつもありません。

 

私たちはまさに

 

「自分で考え、自分で決める」

 

という気概を失い、

トインビーの言葉を借りれば

 

「自らのうちの虚ろなもの」

 

にからめとられることによって

滅びるのです。

 

 

そうですね・・・

 

社会は、あくまで、

個人の集合体なわけですから。

 

「自分で考え、自分で決める」

 

たしかに、これが、

今の私たちに、

いちばん欠けていることなのかも

しれません。

 

で、本書はこの、

「自分で考え、自分で決める」

ために、

 

「経営戦略のコンセプトや

フレームワークを使うと、

役立つかもしれませんよ」

 

と提案している本なのです(^^)

 

それらの提案は、

どれも実践的かつ、

本質を突いているので、

唸らされるのですが、

 

次回、そのひとつ、

「二極化する人生論・キャリア論」

の箇所を紹介させていただきますね・・・

 

 

 

*********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本を紹介します(^^;

 

 

 

*********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

宮ケ瀬湖畔から、

高畑山まで山歩き(^^)

 

 

 

途中、山の神様の祠でお参りして、

 

 

岩場を越えて、

 

 

宮ケ瀬湖と、

相州アルプスが見えました!

 

 

着きました!

 

 

マイナーな山なので、

山頂独り占め(^^)

 

弁当食べて下山、

 

 

宮ケ瀬湖近づいてきました。

 

 

宮ケ瀬湖着きました。

この吊り橋、渡ります!

 

 

 

つり橋から、

 

 

静かで、美しい湖・・・

 

 

 

帰り道、金剛寺立ち寄り、

 

 

石仏がたくさん

いっらっしゃいました。

 

 

少し歩くと、

甘い香りが・・・

 

ローバイ、咲いてました!

 

 

飯山観音(長谷寺)。

 

 

きれいなお寺です!

 

 

 

鎌倉や奈良の長谷寺もそうですが、

見晴らしがいいですね!

 

天気もよく、

おかげさまで、

気持ちいのいい休日を過ごせました😊

 

 

 

 

宮音(みやお)、

 

最近は、

みいちゃんと呼ぶことが多いです(^^;

 

 

 

寝顔アップ!

いい夢見てるかな・・・😸

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

D・カーネギーさんの

世界的ロングセラー、

 

人を動かす

 

 

を紹介しています。

 

今回で最終回です(^^;

 

今回は、私がこの本を読んで、

有益だと思った箇所を、

ランダムに紹介・解説

させていただきますね。

 

まずは、

 

 

「笑顔を忘れない」

 

 

という章から引用します。

 

「笑顔を忘れない」

とはいっても、

とても笑顔など見せる気にならない

ときって、

ありますよね(^^;

 

そんなときどうすればいいか。

 

 

むりにでも

笑ってみることだ。

 

ひとりでいろときなら、

口笛を吹いたり

鼻うたをうたったり

してみる。

 

幸福でたまらないように

ふるまうのである。

 

 

これは、たしか、

フランスの哲学者アランも、

 

「幸福だから笑うのではない、

笑うから幸福なのだ」

 

と述べていますね。

 

本書では、

ウィリアム・ジェームスの説が

紹介されています。

 

 

「動作は感情にしたがって

起こるように見えるが、

 

実際は、

動作と感情は

並行するものなのである。

 

動作のほうは

意志によって直接に

統制することができるが、

感情はそうではない。

 

ところが、感情は、

動作を調整することによって、

間接に調整することができる。

 

したがって、

快活さを失った場合、

それを取りもどす

最善の方法は、

 

いかにも

快活そうにふるまい、

快活そうにしゃべることだ。

 

 

意志によって、

動作は、統制できるが、

感情は、統制できない。

 

ただし、

動作と感情は、

連動している(平行している)ので、

 

感情を変えたければ、

動作を変えればいい!

 

ということですね。

 

たしかに、

これは、一理あると思います。

 

もちろん、

つねに快活そうにふるまうのは、

不自然ですし、

それはそれで疲れます(^^;

 

時には、

負の感情を感じることも必要です。

 

しかし、

負の感情にどっぷり浸りきって、

それが続いてしまうと、

 

生活のクオリティが

下がってしまうことにも

なりかねません。

 

何より自分が損します(^^;

 

そんな時には、

無理にでも、笑ってみる。

 

ちょっとずつでいいので、

快活にふるまってみる。

 

それが、

少しでも有意義な人生の時間を

増やすための

智恵なのかと思います😊

 

 

次は、

 

「議論を避ける」

 

の章から。

 

 

リンカーンはあるとき、

同僚とけんかばかり

している青年将校を

たしなめたことがある。

 

「自己の向上を

心がけているものは、

けんかなどするひまが

ないはずだ。

 

おまけに、

けんかの結果、

不機嫌になったり

自制心を失ったり

することを思えば、

いよいよけんかは

できなくなる。

 

こちらに

五分の理しかない場合には、

どんなに重大なことでも、

相手にゆずるべきだ。

 

百パーセントこちらが正しいと

思われる場合でも、

小さいことなら

ゆずったほうがいい。

 

 

こちらが、

半分くらい正しいと思うことは、

相手にゆずる。

 

人は、自分が常に正しいと

思いがちな生き物ですので、

これくらいが、

ちょうどいいのかもしれません。

 

ただ・・・

 

小さいことなら、

こちらが100%正しいと思うことまで

ゆずったほうがいいとは、

 

ちょっと受け入れがたい

気もしますが(^^;

 

 

細道で犬に出あったら、

権利を主張して

かみつかれるよりも、

犬に道をゆずったほうが賢明だ。

 

たとえ犬を殺したとて、

かまれた傷はなおらない。

 

 

なるほど・・・

 

「小事に拘わりて大事を忘るな」

ですね。

 

小さなことにこだわり続けると、

けっきょくは自分が損をすることに

なりかねない。

 

そう考えると、

たとえこちらが100%正しいことでも、

小さなことであれば、

へんに主張せずに流してしまうのが

大人の対応かもしれませんね。

 

・・・とはいっても、

 

小事ではないとき、

特に仕事の場合などで、

相手が明らかにまちがっている際には、

正さなければならない時もある。

 

そんな時はどうすればいいのか?

 

 

「実は、そんなふうには

考えていなかったのですが―

 

おそらくわたしの

まちがいでしょう。

 

わたしはよくまちがいます。

ひとつ事実をよく

考えてみましょう」。

 

 

なるほど・・・

 

まずは、

「わたしはよくまちがう」

とワンクッションおいたうえで、

相手を否定したり、攻撃したりはせず、

「事実を考えてみましょう」

と伝える。

 

私たちは、つい、

こちらがあきらかに正しいときには、

鬼の首をとったかのような

態度を取りがちですが、

 

相手が間違っているときこそ、

謙虚になる。

相手の顔をつぶさないように伝える。

 

大事なことですね(^^;

 

 

次は、

 

「命令しない」

 

という章から。

 

だれに対しても、

決して命令的なことは

いわなかった人の話です。

 

 

命令ではなく、

暗示を与えるのだ。

 

「あれをせよ」

「そうしてはいけない」

などとは決していわなかった。

 

「こう考えたらどうだろう」

「これでうまく行くだろうか」

などといったぐあいに

相手の意見を求めた。

 

手紙を口述して書かせたあと、

彼は「これでどう思うかね」

とたずねていた。

 

彼の部下が書いた手紙に

目を通して

「ここのところは、

こういういい方をすれば、

もっとよくなるかも知れないが、

どうだろう」

ということもよくあった。

 

彼はいつも

自主的に仕事をやらせる

機会を与えたのだ。

 

決して命令はせず、

自主的にやらせる。

 

そして、

失敗によって学ばせた。

 

 

特に部下に対して、

何かを伝える時には、

 

立場を利用して、

決めつけ口調で命令をするのではなく、

 

「どうだろう」

「どう思う」

と、あくまで

相手の意志を尊重する姿勢を忘れない。

 

これは、

皆から慕われるリーダーは、

自然とやっていることかもしれません。

 

・・・で、わたしは?

 

こんなにスマートには

とてもいえませんが(^^;

 

なるべく意識はするようには

心がけています。

 

 

こういうやり方をすると、

相手は自分のあやまちが

直しやすくなる。

 

また、

相手の自尊心を傷つけず、

重要感を与えてやることにもなり、

 

反感のかわりに

協力の気持ちを起こさせる。

 

 

そうですね~。

 

「相手の自尊心を傷つけず、
重要感を与える」

 

というものが、

ポイントになりますね。

 

カーネギーさんの話は、

単なるテクニックというよりも、

 

根底には、

相手を「尊重しよう」

という姿勢が

流れているように感じます。

 

そして、相手も、

自分と同じように、

 

間違うこともあるし、

自尊心もある。

 

人から認められたいし、

何より、

愛されたいと願っている人間なんだ。

 

「この人も私と同じだ・・・」

 

そんな気持ちが根底にあると

人間関係はうまくいくのかも

しれませんね😊

 

 

 

*********************************

 

 

以上、

3回にわたって、

D・カーネギーさんの

自己啓発の古典的名著

 

人を動かす

 

 

から、

私の印象に残った箇所を

紹介・解説してきました。

 

カーネギーさんは、

アメリカ人なので、

 

日本人としては、

「欧米か!」

とツッコミたくなるような、

ちょっと歯の浮くような

セリフもあります(^^;

 

「実際はなかなか言えないよな~」

と思うものもありますが、

 

しかし、

根底に流れているものは、

「人間愛」

なのではないかと感じます(^^)

 

だからこそ、

長く読み継がれているのではないかと。

 

紹介したもの以外にも、

 

「名前を覚える」

「美しい心情に呼びかける」

「遠回しに注意を与える」

「口やかましくいわない」

 

など、有益な知恵が満載です。

 

もちろん仕事だけでなく、

家庭やプライベートでも役立つと思います。

 

おすすめします😊

 

 

 

***********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介する予定です。

 

 

***********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

最近、天気の良い休日が多いので、

つい、山歩きに気持ちが傾きます。

 

今回は、富士山を見に箱根へ!

 

 

矢倉沢峠方面から、

明神ヶ岳を目指します!

 

モクモク・・・

大涌谷が見えてます。

 

 

ふり返ると・・・

金時山の向こうに富士山

 

 

ようし、もう少し、

 

 

小さな祠に、

感謝のお参りをして、

 

 

 

頂上、着きました!

 

 

 

おお、今日は雲ひとつない快晴!

 

 

 

弁当を食べながら、

しばし見とれてました・・・

 

 

 

下山、

富士山に向っていく感じ、

 

 

何だか、

富士山に吸い込まれそう(^^;

 

 

余りにも天気がいいので、

欲張って、

右の金時山にも登ってみよう!

 

 

おお、こちらからも絶景!

 

 

う~ん、ダイナミック🗻

 

 

 

この後、公時神社にお参り後、

日帰り温泉に入って帰宅。

 

最高の登山日和でした。

お天道様に感謝です!

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

D・カーネギーさんの古典的名著、

 

人を動かす

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています。

 

この本では、

「人を動かす三原則」は、

 

 

1 盗人にも五分の理を認める

 

2 重要感を持たせる

 

3 人の立場に身を置く

 

 

だと述べられているのですが、

今回は、

 

 

2 重要感を持たせる

 

 

を紹介・解説させていただきます。

 

個人的には、

3つの中で、

これが最も大切なのではないかと

考えます。

 

 

人を動かす秘訣は、

まちがいなく、

ひとつしかないのである。

 

すなわち、

みずから動きたくなる気持ちを

起こさせること—

 

 

「みずから動きたくなる

気持ちを起こさせる」

 

そうですね。

無理矢理にやらせたとしても、

それは短絡的ですし、

いずれ反動がきたりしますので(^^;

 

 

人を動かすには、

相手のほしがっているものを

与えるのが、

唯一の方法である。

 

人は、

何を欲しがっているか?

 

 

欲しがっているものとは何か?

 

・・・それが、

「自己重要感」だといいます。

 

 

「自己の重要感」

がそれで、

 

フロイトのいう

「偉くなりたいという願望」

であり、

デューイの

「重要人物たらんという欲求」

である。

 

 

「自己重要感」

 

これは、

マズローの欲求5段階説でいえば、

 

「承認欲求」ともいえますね。

 

「承認欲求」は

精神的欲求ではありますが、

欠乏欲求であり、

 

成長欲求である、

「自己実現欲求」

に比べると、

低次元の欲求ではありますが(^^;

 

たしかに、

衣食住がある程度満たされた場合の

現代社会においては、

 

この、

「承認欲求」

すなわち

「自己重要感」

が、最も求められるものかもしれません。

 

(一般的には、

それがある程度満たされてから、

自己実現への道を歩むのだと思います)

 

ちなみに、

私自身は・・・

 

若い頃に比べると

薄まってはきましたが、

 

やっぱり、今でも、

「自己重要感」を求める欲求は、

あるわけで(^^;

 

たとえば、

丁寧な接客をされれば

単純に嬉しいですし、

 

たまには、グリーン車に乗りたいと

思いますし(^^;

(これは単に快適さがほしいだけ?)

 

「自己重要感」

は偉くなったり、

VIP待遇を受けたりすることでも

満たされますが、

 

やはり、身近なところでは、

「ほめられる」

ことで得られると思います。

 

ただし、

「ほめる」ことは、

「お世辞」とは違うと

本書は戒めています。

 

 

結局のところ、

お世辞というものは、

利益よりもむしろ

害をもたらすものだ。

 

お世辞は、

偽物である。

 

偽金と同様、

通用させようとすると、

いずれは、

やっかいな目にあわされる。

 

 

そうですね。

「お世辞」こそが、

まさに「操作主義」。

 

人をコントロールして動かそう

ということになるのかもしれません。

 

だいいち、

「お世辞」をいわれると、

何となく感覚で分かりますよね。

 

「こいつ、何か下心があるに違いない」

と(^^;

 

 

(中略)

 

深い思いやりから出る

感謝のことばを

ふりまきながら

日々をすごす—

 

これが、

友をつくり、

人を動かす秘訣である。

 

 

「ほめる」

ということの根底には、

「感謝」の気持ちがないと、

操作主義的になってしまうのかも

しれませんね。

 

こんなふうにも、

述べられています。

 

 

他人の長所を

考えてみることにしては

どうだろう。

 

他人の長所がわかれば、

見えすいた

安っぽいお世辞などは

使わなくても

すむようになるはずだ。

 

 

そうですね。

 

「美点凝視」などともいいますが、

相手の優れた部分や長所を

意識的に見つけて、

それを魅力として伝えること。

 

長所って、意識すると

けっこう見つかるものです(^^)

 

逆にいえば、

意識しないと、

なかなか見つからない。

 

相手の欠点のほうが

見えてしまうという人間の性(^^;

 

「具体性を持ってほめる」

ことも大切だといいます。

 

 

だれでも

ほめてもらうことはうれしい。

 

だが、

そのことばが

具体性を持っていて

はじめて誠意のこもったことば、

 

つまり、

ただ相手を喜ばせるための

口先だけのものではないことば、

として

相手の気持ちを

じかにゆさぶるのである。

 

 

「具体的にほめる」

ためには、

相手をよく

「観察」していなければ

できませんし、

 

何より

「あなたのことを気にかけている」

ということが

伝わるのかもしれませんね。

 

 

われわれには、

他人から評価され、

認められたい願望があり、

 

そのためには

どんなことでもする。

 

だが、

心のこもらない

うわべだけのお世辞には、

反発を覚える。

 

重ねていう。

本書の原則は、

それが心の底から

出る場合にかぎって

効果をあげる。

 

小手先の社交術を

説いているのではない。

 

新しい人生のあり方を

述べているのである。

 

 

「心の底から出る」

ここがポイントですね。

 

小手先の社交術ではなく、

「人生のあり方」であると。

 

 

他人の長所を

考えようではないか。

 

そうすれば、

お世辞などは

まったく無用になる。

 

うそでない

心からの賞賛を与えよう。

 

「心から賛成し、

惜しみなく賛辞を与え」

よう。

 

相手は、

それを、心の奥深くしまいこんで、

終生忘れないだろう—

 

与えた本人が忘れても、

受けた相手は、

いつまでも忘れないで

いつくしむだろう。

 

 

たしかに、

そうですね。

 

私たちは、

子どもの頃に、

自分の長所を見出してもらい

ほめられたことって、

 

ささいなことでも、

意外と忘れていないものです。

 

それが自信につながったりもします。

 

ちなみに、私自身、

子どもの頃から

度の強いメガネをかけていて、

時には、からかわれたりもしましたが、

 

ちょっとしたことで、

小学校の先生から、

「物知り博士ですね~」

とほめられて、

その気になったことを

今でも覚えています(^^)

 

いや、

子供だけでなく、

大人も同じですよね。

老若男女問わず。

 

私は、それほど、

人をほめることが

得意なほうではないのですが(^^;

 

相手の長所や

いいところを見出す、

自己重要感を与えられる人に

なりたいです😊

 

 

 

********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続ける予定です。

 

 

********************************

 

 

追伸

 

いきつけの散髪屋のオヤジさん、

何故か、若者に人気の音楽や映画に詳しいので、

(お嬢さんの影響か?)

よくおすすめの作品を教えてもらうのですが、

 

 

アマゾンプライムで無料で観れるというので、

さっそく観てみたら、とてもよかったです。

 

「ルックバック」

1時間くらいのアニメ映画、

心を揺さぶられますよ!

 

 

 

 

遅ればせながら、

今年もよろしくお願いします😸

(by宮音)

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今年も皆さまにとって、

素晴らしい年でありますように、

心より願っています😊

 

で、新年一発目に紹介させていただく本は、

D・カーネギーさんの古典的名著、

 

人を動かす

 

(これは旧版です。

今は文庫や新装改訂版が出ています!)

 

「人を動かす」

というと、

何だか、上から目線で

人をテクニックで操るといった

操作主義的な香りが

プンプンしますが、

 

いやいや、内容的には、

そんなことはなく(^^;

 

久しぶりに読み返してみても、

けっこう人情の機微に

通じているといいますか、

 

「知識」というよりも

「智恵」が語られており、

 

心理学的見地からも

本質を突いている内容だと思います。

 

この本がさまざまな自己啓発書の

元ネタになっているというのも、

うなずけます。

 

タイトルは、

内容を表すという意味では、

「よりより人間関係を築くための原則」

というほうがしっくりくるかもしれません。

(そして、その結果、

人が自ら動くようになるということです)

 

本書は、

人間関係をよりよくするための、

いくつかの原則が

紹介されているのですが、

 

はじめに紹介されている、

「人を動かす三原則」は、

 

 

1 盗人にも五分の理を認める

 

2 重要感を持たせる

 

3 人の立場に身を置く

 

 

なるほどと思いますが、

トップに、

「盗人にも五分の理を認める」

がくるのがちょっと意外な気がします。

 

「盗人にも五分の理を認める」

とは、

いったいどういうことなのか?

 

暗黒街の王者アル・カポネ

などの例のあとに、

著者はこう述べます。

 

 

わたしは、

シンシン刑務所から

興味のある話を聞かされた。

 

およそ受刑者で

自分自身のことを

悪人だと考えているものは、

ほとんどいないそうだ。

 

自分は一般の善良な市民と

少しも変わらないと

思っており、

 

あくまで自分の行為を

正しいと信じている。

 

なぜ金庫破りを

しなければならなかったのか、

あるいは、

ピストルの引き金を

引かねばならなかったのか、

 

そのわけを

実にうまく説明する。

 

犯罪者は、たいてい、

自分の悪事に

もっともらしい理屈をつけて

正当化し、

 

刑務所に入れられているのは

不当だと思い込んでいる

ものなのである。

 

 

なるほど・・・

 

この本で紹介されている

エピソードは、

戦前のアメリカが舞台のものが

多いのですが、

 

アメリカに限らず、古今東西、

これが現実なのかもしれません。

 

もちろん、

犯罪者は、罪を犯したわけであって、

法の裁きをうけなければならないのは

いうまでもありませんが、

 

自己正当化したくなる気持ちは

わからなくもない気がします。

 

 

極悪人たちでさえも、

自分が正しいと

思い込んでいるとすれば、

 

彼らほどの悪人でない

一般の人間は、

 

自分のことを、

いったいどう

思っているのだろうか。

 

(中略)

 

私は、残念ながら、

四十歳近くなってやっと、

 

人間はたとえ

自分がどんなに間違っていても

 

決して自分が悪いとは

思いたがらないものだと

いうことが、

わかりかけてきた。

 

 

「自分がどんなに

間違っていても

決して自分が悪いとは

思いたがらないもの」

 

たしかに、

それが人間というものですね(^^;

 

私は五十歳を過ぎてから、

ようやく分かりかけてきましたが、

 

妻とケンカをしたあとには、

強くそう思います(^^;

 

妻は、

決して自分が悪いとは

認めませんので・・・

 

・・・あっ、

 

お互いさまか?(笑)

 

 

他人のあら探しは、

なんの役にも立たない。

 

相手は、

すぐさま防御態勢をしいて、

なんとか自分を正当化しようと

するだろう。

 

それに、

自尊心を傷付けられた相手は、

結局、反抗心を

おこすことになり、

まことに危険である。

 

 

そうですね。

どんな人にも

「自尊心」がありますので、

 

それを傷付けられれば、

たとえ、理詰めで説得したり、

権力で抑えつけたとしても、

 

それは面従腹背にすぎず、

見えないところで

反発するような気がします。

 

 

リンカーンのエピソードが

紹介されています。

(この本はリンカーンがよく登場します)

 

南北戦争で、

ある将軍に攻撃命令をしたのですが、

その将軍は何故か命令を拒否して、

好機を逸してしまったのですね。

 

怒り狂ったリンカーンは、

将軍宛てに、

一筆書きました。

 

言葉は柔らかいですが、

どこか詰問するような、

責める内容の手紙です。

 

これを読んだ将軍は・・・

 

いや、

実は読んでないんですね。

 

なぜなら、

その手紙は、

リンカーンの死後、

彼の書類の間から

発見されたからです(^^;

 

リンカーンは、

なぜ投函しなかったのか?

 

カーネギーはこう推測します。

 

 

「待てよ、これは、

あまり急がないほうが

いいかも知れない。

 

こうして、

静かなホワイト・ハウスの

奥にすわったまま、

ミード将軍に

攻撃命令をくだすことは、

いともたやすいが、

 

もしもわたしが

ゲティズバーグの戦線にいて、

この一週間

ミード将軍が見ただけの

流血を目のあたりに

見ていたとしたら、

(中略)

たぶん、わたしも、

攻撃を続行する気が

しなくなったことだろう。

 

もしわたしが、

ミードのように

生まれつき

気が小さかったとしたら、

 

おそらく、

わたしも、

彼と同じことを

やったにちがいない。

 

それに、

もう万事手遅れだ。

 

なるほど、

この手紙を出せば、

わたしの気持ちは

おさまるかもしれない。

 

だが、ミードは、

どうするだろうか?

 

自分を正当化して、

逆にこちらを恨むだろう。

 

そして、

私に対する反感から、

今後は司令官としても

役に立たなくなり、

 

結局は、

軍を去らねば

ならなくなるだろう。」

 

 

もっとも、リンカーンも、

若い頃は、

手厳しい非難や詰問を、

バンバンおこなっていた

ようですが(^^;

 

いくつかの手痛い経験をすることで、

自ら学んだようです。

 

そこがただものではない、

偉大なところですね(^^)

 

「手紙」のエピソードを紹介しましたが、

今の時代だと、メールでしょうか。

 

相手に非があると思ったときには、

メールで伝えたくなりますよね。

 

面と向かって言うのは角が立つし、

文章にしたほうが

正確に伝わるような気もするし・・・

 

ただ、

このメールというのが曲者なんです(^^;

 

言葉を柔らかくしたつもりでも、

結局は相手を責めるような調子に

なってしまいがちです。

 

文章だと微妙なニュアンスや

本意が伝わらないこともある。

 

リンカーンのいうように、

自分の気持ちはおさまるかもしれませんが、

 

はたして、

受け取った相手はどう思うだろう・・・

 

したがって、

私は、メールで、

相手を非難するようなことは

なるべく、しないようにしています。

 

もし、書いたとしても・・・

 

リンカーンを見習って、

そのまま眠らせてしまうか、

 

少なくとも、

すぐに送信せずに、

何日か寝かしてみて見直しをするのが、

いいような気がします(^^)

 

あっこれは、

ラブレターも

一緒かもしれませんが(^^;

 

 

人を非難するかわりに、

相手を理解するように

努めようではないか。

 

どういうわけで、

相手がそんなことを

しでかすに至ったか、

よく考えてみようではないか。

 

そのほうがよほど

得策でもあり、

また、おもしろくもある。

 

そうすれば、

同情、寛容、好意も、

おのずと生まれ出てくる。

 

 

相手を理解するということは、

なかなか大変なことですが、

 

何でそんなことをしたのか、

ちょっとでもいいから、

相手の身になって考えてみる。

 

それだけでも違いますし、

もしかしたら

責める気持ちが収まってくるかも

しれません。

 

そうすることが、何より、

自分にとって「有益」ですから😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は、

2 重要感を持たせる

を紹介、解説させていただきます(^^;

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

新年、初山歩きは、

相模湖近くの石老山。

 

 

途中にある、顕鏡寺。

途中に巨石や巨木があります!

 

 

 

巨石の上に、

木が生えています😲

 

 

 

石老山、

山頂着きました!

 

 

 

おお、

富士山も少し見えました!

 

 

 

相模湖を見下ろしながら・・・

 

下山後、

「さがみ湖温泉うるり」

に寄りました。

 

ほっこり♨

 

明日から仕事です。

 

9連休後なので、

エンジンがちゃんとかかるか

心配ですが(^^;

 

頑張ります!

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

評論家、翻訳家、劇作家でもある

福田恆存(ふくだつねあり)さんの著作、

 

人間・この劇的なるもの

 

 

を読んでみて、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

この本の冒頭で、

 

 

愛もまた創造である。

意識してつくられるものである。

 

 

という印象深い文章があります。

 

今回は、この

「愛もまた創造である」

という言葉を

掘り下げていきたいと思います(^^;

 

 

「神との対話」シリーズに、

"Tommorow's God"(明日の神

という本があります。

 

「神との対話」というと、

ちょっと怪しげな感じがしますが(^^;

 

内容は正統派スピリチュアル

といった感じの本質的なもので、

自己啓発書としても有益な本だと思います。

 

過去ブログでも紹介しました。

 

(よかったらご参照ください)

 

私の敬愛する心理学博士、

カウンセラーの古宮昇先生が

"Tommorow's God"(明日の神

から翻訳された

人間関係についてのメッセージがあります。

 

 

自分がどういう人になるか、

どういう人でいるか、

それを決めるのが人生です。

 

そして、

前の自分よりも

さらに大きな自分になること、

 

さらに進化した自分になること、

 

そこに肉体をもって

生まれてきた目的があります。

 

 

そうですね。

 

私も、生まれてきた目的というのは

「どういう人であるか」

を決めて、

「魂が成長するため」

ではないかと考えています。

 

 

そしてあなたがたが、

 

どういう人になるか、

どういう人でいるか、

 

を決めるには

人間関係が必要です。

 

他の人が存在しなければ、

あなたという人は

意味ある存在では

なくなってしまいます。

 

 

たしかに、

他人がいてはじめて、

 

その人に対して、

どういう人になるか、

どういう人でいるか、

 

自分の振る舞い方を、

決めることができるわけです。

 

 

だから、

すべての人間関係は

聖なる関係性です。

 

あなたが

「良い」とか「ポジティブ」だと

レッテルを貼っている

人間関係も、

「悪い」とか「ネガティブ」だと

レッテルを貼っている

人間関係も、

 

すべて、あなたが

どういう人になるか、

どういう人でいるか、

それを決めるために

欠かせないものであり、

 

それゆえ同じだけ

聖なる関係性なのです。

 

 

そうですね・・・

 

人間関係の「良い」「悪い」

というのは、

 

ある意味、

私たちが勝手に決めつけている

「レッテル」であって、

 

見る角度や立場によって

変わってくるものですが、

(渦中にいると、

なかなかそうは思えませんが(^^;)

 

たとえ、

「悪い」と思える人間関係の中でも、

 

その中で、

自分がどういう人でいるかは、

自分で決めることができるわけです。

 

ある意味、

チャンスともいえる。

 

 

多くの人たちが、

恋愛や結婚によって

幸せを「探し」、

幸せを「見つけよう」とします。

 

しかし

恋愛や結婚の真の目的は

「見つける」ことではありません。

 

その真の目的は

幸せを「創る」ことです。

 

「見つけること・探すこと」と

「創ること」

の違いは大きいです。

 

 

恋愛や結婚の目的は、

幸せを

「探し」「見つける」ことではなく、

「創ること」である・・・

 

 

見つけよう、探そう、

とするとき、

 

あなたはそれが

自分にはないと信じています。

 

だからその

信念通りの結果になり、

幸せではなくなります。

 

それに対して

「創ろう」とするとき、

 

あなたは

自分のもっているものを

その関係性に持ち込もうとします。

 

つまり

自分にすでにあるものを

使おうとしているのです。

 

 

なるほど、

ここはポイントですね。

 

元々、幸せの元になるものは、

「自分にはない」から、

「見つけよう」「探そう」

とする。

 

一方で、

「創ろう」ということは、

元々、幸せの元になるものは、

「自分の中にある」から、

 

そのあるものを使って、

人間関係で、

幸せを「創り出す」。

 

 

また、別の本になりますが、

遠藤周作氏の小説

 

女の一生 2部 サチ子の場合

 

 

の一節を想起します。

 

 

「ここに愛がないのなら・・・」

 

と神父は

かすれた声で言った。

 

「我々が愛をつくらねば」

 

 

「我々が愛をつくらねば・・・」

 

これは、小説に登場する、

「コルベ神父」

に遠藤周作さんが語らせた言葉です。

 

この小説(の2部)は、

第二次大戦下の長崎が

中心に描かれているのですが、

 

並行する形で、

アウシュビッツ強制収容所も、

描かれています。

 

アウシュビッツは、

言わずもがな、

大量虐殺の場。

 

人間はこうも

非人道的な行為ができるのかと、

戦慄を覚えるほどですが、

 

そういう意味で、

アウシュビッツは、

最も愛が欠如した場所と、

いえるかもしれません。

 

愛を探しても、

どこにも見つからない世界。

 

その中で、

コルベ神父は、実際に、

「愛を創造」した。

(史実です)

 

有名な話なので、

ご存知の方も多いと思います。

 

今回はネタバレになるので

あえて割愛しますが、

 

過去ブログには掲載しました(^^;

 

(かなり初期のブログです)

 

この小説で印象的なのは、

コルベ神父が実践した、

「愛の創造」が、

影響の輪を広げていく場面です。

 

 

西のほうの地平線が

今日も薔薇色にそまった。

 

「作業終了」

の笛があちこちで鳴り、

 

囚人たちは

自分たちの掘った穴から這いあがり、

点呼を受けるため整列した。

 

彼等の前面には燃え上がる空と、

夕日を受けた城のような

雲が拡がっていた。

 

囚人たちが番号を叫んでいる間、

うるんだ硝子玉のような夕陽が

少しずつ落ちていった。

 

「ああ・・・」

 

と一人の囚人がつぶやいた。

 

「なんて、この世界は

・・・美しいんだ」

 

みんな黙っていた。

ああ、

なんてこの世界は美しいのだろう。

 

昨日までこの世界は

愛もなく喜びもなかった。

 

ただ恐怖と悲惨と拷問と

死しかない世界だった。

 

それが今日、

この世界はなんて美しいのだろう。

 

彼らはその世界を

かえてくれたものがわかっていた。

 

愛のない世界に

愛を作ったものを・・・。

 

それから長い間――、

 

収容所のなかで

ヘンリックの記憶の底から、

 

あのこわれた丸い眼鏡をかけた

コルベ神父の顔が

たびたび浮かび上がった。

 

 

ヘンリック(創作上の人物)は、

自分だけは何とか生き延びようとする

エゴの塊のような人間

なのですが、

(こんな状況化では無理もないですが)

 

やがて、

ヘンリックは・・・

 

 

・・・

そんな頃、

彼と寝台を共にしている男が

目立って衰えてきた。

 

顔に白い粉のようなものが

吹き出て、

 

皮膚がカサカサになり、

腹だけが奇妙にふくらんでくる。

 

栄養失調で

死ぬ一歩手前であることは、

もうヘンリックたちに

わかっていた。

 

・・・

 

(あの男に、

君のパンをやってくれないか)

 

この時、突然、

彼の耳に思いがけぬ

ひとつの声がきこえた。

 

ひくい囁くようなその声は

聞きおぼえがあった。

 

コルベ神父の声だった。

 

(あの男は死ぬかもしれん。

君のパンをやってくれないか)

 

ヘンリックは首を振った。

今日あてがわれた

たった一つのパンを他人にやれば、

倒れるのは自分だった。

 

(俺はいやだ)

 

(あの男は死ぬかもしれぬ。

だから死ぬ前にあの男が

せめて愛を知って

死んでほしいのだ)

 

哀願するような

コルベ神父の声。

 

ヘンリックはその時、

八月の夕暮、

身代わりになるために

列外にのろのろと進み出た

神父の猫背を思い出した。

 

ヘンリックはパンを

その男にやった。

 

男は眼にいっぱい泪をためて

「ああ、信じられない」

とつぶやいた。

 

ヘンリックができた愛の行為は

これだけだった。

 

それでもヘンリックは

愛を行った。

 

 

コルベ神父が

「愛を創造」したことが、

ヘンリックに影響を及ぼし、

 

ヘンリックの中に

眠っていた愛を呼び起こして、

 

彼は、ちょっとした愛を実践、

(この状況下では

すごいことだと思いますが)

すなわち、

「愛を創り出した」のですね。

 

愛とは、

元々、私たちの中に

備わっているものだと考えます。

 

ただ、それは、

普段は眠っていて、

 

具体的に表現しないと、

なかなか表面には現れない。

 

もともとあるものを、

体現化すること。

 

それが、

「愛を創造する」

ということなのかと思います。

 

もっとも、

コルベ神父の愛の創造は、

究極の愛の行為であり、

 

私には到底できるレベルでは

ありませんが(^^;

 

まずは、

ヘンリックの愛の創造を目標に、

人生を歩んでいきたいと思っています。

 

 

ちなみに・・・

「愛」について

いろいろと考察されたい方には、

 

飯田史彦氏の、

愛の論理

 

 

という本があります。

 

この本は、

スピリチュアルというよりも、

さまざまな「愛」が

論理的かつレベル別に

紹介されており、

 

自分のレベルに応じて、

目指すべき「愛」がわかるという

大変有益な本です(^^)

 

いつかこのブログでも

紹介させていただこうと思いますが、

よかったらお読みください。

 

 

 

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以上、

福田恆存(ふくだつねあり)さんの著作、

 

人間・この劇的なるもの

 

 

からは、

かなり脱線してしまいましたが(^^;

 

今回は、

「愛もまた創造である」

という言葉をテーマに

考察をさせていただきました。

 

自分のできるレベルに応じて、

まずは、身近なところで、

「愛を創造」していきたいものですね😊

 

 

 

追伸

この本を読んで、

浮かんできた曲がありましたので、

紹介します(^^)

 

尾崎豊さんの

「町の風景」

 

 

(CDアルバムの「街の風景」とは、

アレンジと歌詞の一部が違いますが、

これはこれで素敵なバージョンです)

 

「~人生は時を演じる舞台さ♪」

 

高校生の時に創った曲だそうです。

やっぱり彼は天才ですね!

 

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

また、今年一年間、

大変お世話になりました。

 

何とかブログを続けることが

できているもの、

読んでくださる皆さまのおかげです。

 

有り難うございます。

感謝申し上げます。

 

来年も皆さまにとって、

素晴らしい年でありますように😊

 

よいお年をお迎えください!

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

丹沢の三ノ塔に登りました!

 

 

ヤマトタケルの足跡を越えて・・・

 

 

 

おお、今日は富士山ばっちりか!

 

二ノ塔を越えて、

 

 

 

この上が三ノ塔・・・

 

 

 

着きました!

富士山絶景・・・

 

 

 

こっちは、大山。

 

 

 

江ノ島が見えますね!

 

 

 

もう少し先まで行きます。

 

 

 

秦野、小田原方面をのぞむ。

 

 

 

行者岳。

 

日が短いので、

今日はここで折り返します。

 

 

 

吸い込まれそうな景色・・・

 

 

 

三ノ塔に戻りました。

 

 

 

富士山アップ!

ああ、美しい・・・

(これ年賀状の写真にしました)

 

 

 

下山します。

 

 

 

蓑毛大日堂に立ち寄り。

 

 

 

平安時代の素朴な仏像が、

安置されています。

(隙間から覗けます)

 

 

 

隣の寳蓮寺、

まだ紅葉がきれいでした!

 

では、

皆さま、よいお年をお迎えください😊