ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ここ数日で、

ぐっと冷え込んでまいりましたね。

 

朝の着替えの時の寒さが、

耐えがたく感じる今日この頃です(^^;

 

 

 

私が通勤で使っている駅前では、

まだ街の本屋さんが健在です。

天一書房さん感謝です!)

 

仕事帰り、早く帰宅できる日には、

そこでよく本を物色するのですが、

 

先日、

新潮文庫の棚を眺めていたら、

この本の背表紙のタイトルが目を引きました。

 

 

人間・この劇的なるもの

 

著者は、

評論家、翻訳家、劇作家でもある

福田恆存(ふくだつねあり)さん。

 

おそらく著作をちゃんと読んだことはなく、

いつか読んでみたいと

思っていたお方なのですが、

 

冒頭ちらっと立ち読みしたら、

こんなことが書かれていました。

 

 

愛は自然にまかせて

内側から生まれて

くるものではない。

 

ただそれだけではない。

 

愛もまた創造である。

 

意識して

つくられるものである。

 

女はそうおもう。

自分はいつでも

そうしてきた。

 

だが、

男にはそれがわからない。

 

かれは自然にまかせ、

自然のうちに埋没している。

 

愛はみずから

自分を完成するものだ、

そう思っている

 

だから、

男は手を貸そうとしない。

 

女は疲れてくる。

 

すべては

ひとりずもうだったとおもう。

 

もうこれ以上、

がまんはできない。

 

別れるときがきたのだ。

 

女はものうげに

別れ話をもちだす。

 

男にはまだわからない。

 

女は説明しようとする。

「完璧な瞬間」

というものについて、

 

その実現を用意する

「特権的状態」

について。

 

 

どきっ、

何だこれは!

 

男には、

わからない?

 

「完璧な瞬間」とは何ぞや?

「特権的状態」?

 

気になるので、

思わず購入して、

家に帰って読んでみたところ・・・

 

けっこう難解でした(^^;

 

 

「特権的状態」

というのは、

 

「完璧な瞬間」

を実現するのに

つごうのいい条件を具備した、

とくに恵まれた状況

のことである。

 

が、それは、

かならずしも

歓喜へと道を通じてはいない。

 

 

よくわからない感じですが(^^;

たとえば、

「死」の場面が、

「特権的状態」

のひとつであるといいます。

 

 

出生においては

たんなる物体にすぎず、

その端役さえ務められなかった

私たちも、

 

死にさいしては、

瞬間、主役になりうるのである。

 

芝居がかった人間なら、

深刻な、あるいは軽妙な

せりふの一つも

吐くことができよう。

 

そうでなくとも、

臨終のことばは、

周囲のひとびとによって、

意味ありげに受けとられ

がちなものだ。

 

それが意味ありげにひびく

土壌が用意されているからである。

 

その用意された土壌が、

女のいう

「特権的状態」

なのだ。

 

 

なるほど・・・

 

たとえば、

臨終の場面のような

「意味ありげにひびく土壌」

のことが

「特権的状態」

なんですね。

 

「意味」

を感じられること。

 

人生で、

臨終のような劇的な場面というのは、

限られていますが、

 

たとえば、

女性は一般的に男性よりも、

クリスマスやハロウィン、

誕生日といった、

年中行事や記念日、イベントなどを

重視する傾向があるように思います。

 

それも、

日々の暮らしに

「特権的状態」

すなわち「意味」を感じたいという

ことなのでしょうか(^^;

 

 

自然のままに生きるという。

 

だが、

これほど誤解されたことばもない。

 

もともと人間は

自然のままに生きることを

欲していないし、

それに耐えられもしないのである。

 

程度の差こそあれ、

だれでもが、

なにかの役割を演じたがっている。

また演じてもいる。

 

ただそれを

意識していないだけだ。

 

 

なるほど・・・

 

たしかに、

夫や妻、父親、母親、

会社員、主婦、学生・・・

 

人は何らかの役割を演じることで、

安定するというのはあると思います。

 

仮に役割が何もなければ、

その存在に耐えられないかもしれない。

 

 

舞台をつくるためには、

私たちは多少とも

自己を偽らなければ

ならぬのである。

 

耐えがたいことだ、

と青年はいう。

 

自己の自然のままにふるまい、

個性を伸長せしめること、

それが大事だという。

 

が、かれらは

めいめいの個性を

自然のままに生かしているの

だろうか。

 

かれらはたんに、

「青春の個性」という

ありきたりの役割を

演じているのではないか。

 

私にはそれだけのこととしか

おもえない。

 

 

舞台をつくるためには、

私たちは多少とも

自己を偽らなければならぬ、

 

そうですね・・・

 

たしかに、

日常生活において、

たとえば、私の場合は、

 

会社では中間管理職、

家庭では夫、

友人の前では同じく友人、

プライベートでは、

さえない中年のおっさん(^^;

 

といったように

舞台が変わるごとに、

様々な役割を演じているわけで、

 

いつも自然のまま、

個性的なままでいるわけには

いかない(^^;

 

 

ひとはよく

自由について語る。

 

そこでもひとびとは

まちがっている。

 

私たちが真に求めているものは

自由ではない。

 

私たちが欲するのは、

事が起こるべくして

起こっているということだ。

 

そして、

そのなかに登場して

一定の役割をつとめ、

 

なさねばならぬことを

しているという実感だ。

 

なにをしてもよく、

なんでもできる状態など、

私たちは欲してはいない。

 

ある役を演じなければならず、

その役を投げれば、

他に支障が生じ、

時間が停滞する―

 

ほしいのは、

そういう実感だ。

 

私たちが

自由を求めているという錯覚は、

自然のままに生きるという

リアリズムと無関係ではあるまい。

 

 

福田氏は、

そもそも「自由」に関しては懐疑的で、

 

自由を追求すると、

結局は欲にまみれ、

やがては権力闘争になってしまう。

 

欲に捉われ、のし上がろうとする

いわば「奴隷」

のようになってしまうといいます。

 

たしかに、それは、

古今東西、世界の歴史が

証明しているかもしれません。

 

 

他人に必要なのは、

そして舞台のうえで

快感を与えるのは、

 

個性でなく役割であり、

自由ではなくて

必然性であるのだから。

 

生きがいとは、

必然性のうちに

生きているという実感から生じる。

 

その必然性を味わうこと、

それが生きがいだ。

 

 

人生を舞台、

演劇に例えるとすれば、

 

たしかに、

大事なのは、

登場人物の「役割」であり、

ストーリーの「必然性」

であるといえますね。

 

「生きがいとは、

必然性のうちに生きているという

実感から生じる」

 

では、この

「必然性」というのは、

どう考えればいいのか・・・

 

次回に続きますね(^^;

 

 

 

**********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介・解説を続けます(^^;

 

 

 

**********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

もう2週間前ですが(^^;

神宮外苑のイチョウ並木。

 

 

 

イチョウのアーチ、

きれいでした!

 

 

 

毎年の恒例行事!

 

ラグビー早明戦を、

学生時代のサークル仲間と

国立競技場で観戦。

 

今回が記念すべき100回目。

母校は負けましたが、

とてもいい試合でした!

 

これもある意味、

「特権的状態」でしょうか(^^;

 

 

 

宮音(みやお)くん、

 

男の子ですが、

最近、妻にピンクのハートを

付けられています😸

 

 

 

おい、無防備すぎだろ(笑)

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

平野啓一郎さんの最新短編集、

 

富士山

 

 

を紹介しています。

 

今回が最終回です(^^;

 

私は、短編集の場合、

すべての作品を取り上げることは

あまりないのですが、

 

今回、5作品すべてが、

とても印象深かったこともあり、

ネタバレに注意しながらも

(ちょっとネタバレ気味ですが(^^;)

ひととおり紹介したいと思います。

 

で、今回は、

5作品のうちの、

後半2作品、

 

「手先が器用」

「ストレス・リレー」

 

 

「手先が器用」は、

ショートショートです。

 

子供のころ、

ある人に「手先が器用だね」

と言われたことが、

後の職業に繋がったという話。

 

 

「・・・ともちゃんは、

手先が器用だから。」

 

(中略)

 

実際に、わたしは特に、

「手先が器用」

な方でもなかったと思う。

 

祖母がわたしを観察していて、

本当にそう思っていたのか、

ただ、何の気なしに言ったのか、

さびしそうなわたしの自尊心を

満たそうとしてくれたのかは、

わからない。

 

ともかく、

私は祖母にとって

「手先が器用」

な子なのであり、

それからは、

針仕事で針穴に糸を通したり、

一緒にこよりを作ったりと、

祖母をよく手伝うようになった。

 

わたしは、

自分でもいつの間にか、

祖母の言葉を信じていた。

 

学校でも、

「手先が器用」

なことを求められる作業には、

率先して手を挙げた。

 

図工が楽しくなり、

クラスメイトからも、

「手先が器用」

と言われるようになった。

 

わたしが活発な性格になったのは、

その頃からのことだった。

 

今、アパレル企業で

パタンナーという仕事を

しているのも、

元を正せば、

この祖母の一言が

あったからだろう。

 

 

私事ですが、

小学生のころ、

学級新聞か何かに、

担任の先生が、

 

「れっつごうくんは、

物知り博士です」

 

と書いてくれたので、

 

その期待に応えようと、

ちょっと背伸びをして

子供向け百科事典の丸写しに

励んだ記憶がありますが(^^;

 

子供のころ、

大人から、

いいところを見出してもらえる体験は、

意外とその後の人生に

影響を及ぼすのかもしれません。

 

たとえ、何気ない、

ちょっとしたひと言だとしても(^^)

 

このショートショートでは、

そのプラスの連鎖が

代々引き継がれていくことになるのですが、

 

最後の作品、

「ストレス・リレー」はその逆。

 

負の連鎖が、

リレーのように引き継がれていくのです(^^;

 

その様が、

とてもリアリティに溢れていて

私は思わず、

「そりゃキレるわな!」

「これは私もやってしまうな~」

と自分の事のように感じたのですが、

 

ストレス・リレーは、

シアトルの空港から始まります。

 

 

大柄の白人の女性が、

彼を押しのけるように、

無言で割り込んできた。

 

突然のことに面喰って、

「すみません、並んでたんです。」

と後ろから声をかけた。

 

女は振り返らなかった。

 

もう一度、言ってみたが、

やはり無視された。

 

腹が立ったが、

ひょっとすると、

耳が不自由なのだろうかと、

前に回り込んで、

 

「すみません、

僕が並んでたんです。」

と身振りを交えて言った。

 

更に一つ前の男性が、

驚いて振り返ったが、

しかし、彼女は、

目を合わそうともしなかった。

 

こうなると、

成す術がなかった。

 

・・・

 

 

・・・これは、

頭にきますよね~

 

何とかその場は耐えた男性ですが、

この日は、ツイてない日だったらしく、

その後も、理不尽な目に何度か逢い、

ついにキレてしまいます!

 

そして、キレられた相手、

すなわち、ストレスをリレーされた相手は、

他の人にストレスをぶつけ、

その、ぶつけられた人も、

さらに他の人に・・・

 

まさに、ストレスの負の連鎖が

延々と続くような感じになってしまうのですが、

(ここの描写が、

さもありなんといった感じで面白いです)

 

これって、

コロナが感染していくのにも似ていますよね。

 

今の不機嫌が蔓延する時代を

象徴しているともいえるかもしれませんが(^^;

 

しかし、このストレス・リレーにも、

ついに終止符が打たれます。

 

アンカーが登場するのです!

 

 

ルーシーはアンカーであり、

小島和久が、

うっかりシアトルから持ち帰った

あのストレスは、

ようやく彼女の中で

死滅したのだった。

 

ルーシーは、だから、

さり気なくも、

社会を守った英雄である。

 

しかし、

彼女はそのことに気づいておらず、

周りの誰もそう思っていない。

 

つまり、彼女は、

文学の対象であり、

小説の主人公の資格を

立派に備えているのである。

 

 

作者の平野啓一郎さんは、

ユーモアを込めて

「英雄」と言っている

感じがしますが(^^;

 

でも、たしかに、

ある意味、英雄ですよね。

 

延々と続くストレスの連鎖を、

ストップさせたのですから、

 

世の中に対する

多大なる貢献をしたルーシー。

 

いったい、

実際どんな人物だったのか?

 

何故、ストップさせることが、

できたのでしょうか?

 

・・・それは読んでみての

お楽しみということで(^^;

 

ちなみに、私は、

ストレスをリレーさせないためには、

 

人を決めつけないこと、

不機嫌な人には、

何かもっともな事情があるのかもしれないと

留保すること、

 

この人も、他人から、

ひどいストレスをうつされたのではないかと、

推察してみること、

 

それから、やっぱり、

一人でゆったりとした時間を持つこと、

 

そんなことが大切ではないかと。

 

もらったストレスは決してリレーせずに

自分で終わらせる!

 

・・・といっても、

実際は、

なかなか難しいですが(^^;

 

 

 

***********************************

 

 

以上、

3回にわたって、

 

平野啓一郎さんの最新短編集、

 

富士山

 

 

を紹介・解説させていただきました。

 

現実として、

人生は、偶然に左右されることが多いと

実感させられると同時に、

 

一方で、

人生、捨てたもんじゃない、

ちょっとしたことで

変えることもできる!

 

読了後、

そんな気持ちにさせてくれる

短編集でした(^^)

 

ご一読をおすすめします!

 

 

 

************************************

 


今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介する予定です。

 

 

***********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

スカイツリーの近く、

 

 

 

職場で防災の担当になったので、

講習を受けに行きました。

 

 

 

昼休みに亀戸天神に。

 

 

 

太鼓橋から!

 

 

 

スカイツリーをバックに。

 

 

 

夕方、間近まで行きましたが、

やはり大迫力!

 

色が変化してキレイでした(^^)

 

 

 

吾妻橋から、

スカイツリーとう〇こビル。

 

 

 

浅草寺まで歩きました。

 

 

 

ライトアップされて美しかった!

 

 

 

平日の夜なのにすごい人!

インバウンド多し。

 

 

 

夜の浅草寺も

なかなかいいもんですね(^^)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

平野啓一郎さんの最新短編集、

 

富士山

 

 

を紹介しています。

 

この短編集のテーマは、

「あり得たかもしれない人生の中で、
なぜ、この人生だったのか」

という、いわゆる、

「たられば」の話です。

 

前回は、

表題作の「富士山」

を取り上げましたが、

他の作品もとても魅力的ですので、

今回は、

 

「息吹」

「鏡と自画像」

 

という2つの作品から引用しながら、

私の感じたことを

述べさせていただきます(^^;

 

まず、

「息吹」

 

中年男性の斎藤息吹は、

猛暑の中、息子を迎えに行った際に、

たまたま、かき氷屋の席が満員だったため、

マクドナルドで、

アイスコーヒーを飲みました。

 

そこで、たまたま、

大腸内視鏡検査の世間話を耳にして、

その後、検査を受けたところ、

ガンの早期発見ができて命拾いする、

はずなのですが・・・

 

息吹と妻の会話です。

 

 

「怖いよ。だって、

検査を受けたのは、

本当にたまたまだったんだから。

 

悠馬を迎えに行って、

最初のかき氷屋が満席で、

マックに行く羽目に

なっていなかったら、

検査の話だって

耳にしてなかったし。

 

―ていうか、

そもそも、

あの日は間違えて早く迎えに

行っちゃったんだよ。

 

だけど、

それのお陰で

ガンが見つかって。」

 

「運が良かったね。」

 

「運っていうか、

・・・運なのかな、これって?」

 

「運じゃない?

ラッキーよ、とにかく。」

 

「まあ、そうだけど、

・・・あの日、

検査の話を

小耳に挟まなかったら、

絶対、あと数年は

大腸内視鏡検査なんて

受けなかったよ。

 

そしたら、

もう手遅れだったと思う。

 

かき氷屋が満席だったか

どうかで、

生きるか死ぬかが決まる人生って、

何なんだろう?

 

そういうものなんだろうか?

 

人の一生って、

そういう偶然の積み重ねなの?」

 

(中略)

 

「偶然だけじゃないでしょ、

それは?

 

わたしたちの生活も、

別に偶然のお陰じゃなくて、

一生懸命働いて

手に入れたんだから。

 

ただ、

偶然もあるってだけじゃない、

人生には?」

 

「けど、偶然の比重が

大きすぎるよ、

いくら何でも。

 

あの日、かき氷屋に

たった一つ空席があっただけで、

俺は死んでたかも

しれないんだよ。」

 

 

・・・考えて見ると、

たしかに、人生は、

偶然の比重が大きいような気がします。

 

もちろん、

目標を持って

それを目指して努力するということは、

生きていくうえで

とても大切なことですし、

 

人生というのは、

自分の意志で

創り上げていくものだと思います。

 

しかし、

自分自身を振り返って見ても、

人生の分岐点は、

「ちょっとしたこと」

「たまたま」

に左右されていることが意外と多い。

 

私の場合、妻と交際するきっかけも

そうでしたし(^^;

 

現実的には、

「たまたま」に左右されることの多い人生。

 

だからこそ、

「たまたま」うまくいっている時には、

謙虚さを忘れないようにしたいし、

 

「たまたま」うまくいっていない時には、

あまり自分を責めないようにしたい。

 

「たまたま」うまくいっていない人のことも、

自業自得だと責めるようなことはしない。

 

平野啓一郎さんは、

自己責任論に反対の立場を取られていますが、

 

私も、この短編集を読むと、

そんな気持ちが強くなってきました。

 

で、話は戻りますが、

この「息吹」という短編は、

その後、映画マトリックスのような

感じになって・・・

 

・・・っと

ネタバレになりますので、

その後は読んでみての

お楽しみということで(^^;

 

 

次の作品、

「鏡と自画像」は、

冒頭にこんな文章が

引用されています。

 

 

凶悪事件を起こした

犯人に注目し、

その家庭環境、職歴、

友人関係、経済状態などの

分析を通じて、

どうすれば止められたのかを

議論するよりも、

 

実際に犯行に

及ぶことがなかった人たちに、

なぜ踏み止まることが出来たのかを

聞き取り調査する方が、

犯罪抑止の観点からは

有意義ではないかと、

 

 

たしかに、そうですね。

実際に踏みとどまれている訳ですから。

 

この、

「なぜ踏み止まれたか」

が説得力を持って語られているのが、

この短篇「鏡と自画像」なのですが、

 

その理由は、

やはり、ちょっとした出来事、

たまたま、見たり、

声をかけられたりしたことなんですね。

 

具体的には、

本編をお読みいただければと思いますが、

 

実際に私たちが、

気が付かないだけで、

「たまたま」

「ちょっとしたこと」が

大きなものから小さなものまで

犯罪の抑止力になっていることは、

多いと思います。

 

世知辛く、

先の見えない世の中ではありますが、

 

そんな時代だからこそ、

人にささやかな関心を持つことだったり、

ちょっとした思いやりを示すことだったり、

 

そんな小さなことの積み重ねが、

世の中を円滑に回す力になっているし、

 

意外と大切なんだと思います(^^)

 

 

 

***********************************

 

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

***********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

 

山歩きの帰り道・・・

癒されます😊

 

 

 

寝るネコは育つ😸

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

何だか急に、

冬の寒さになりましたね(^^;

 

皆さま暖かくしてお過ごしください。

 

で、今回紹介する本は、

平野啓一郎さんの最新短編集、

 

富士山

 

 

「また山岳小説?」

と思われる方が

いらっしゃるかもしれませんが、

 

まったくそうではなく(^^;

 

5つの短編のうちのひとつの作品に、

富士山がちょっと

登場するだけなのですが、

 

その登場の仕方が面白いです!

 

 

下りの

東海道新幹線の座席は、

大体、進行方向に向かって、

右手窓際の

E席から埋まるのだという。

 

富士山が見えるからだった。

 

 

そうなんです!

 

下りだと右手になりますが、

窓際のE席からは、

晴れていると、

富士山がばっちり見えるんです(^^)

 

私もよく出張で、

東海道新幹線を利用しますが、

(昨日も大阪に行きました。

日帰りですが(^^;)

 

席は必ずE席を予約します!

 

晴れていて富士山がドーンと見えると、

何だかテンションが上がります!

 

もっとも、

きれいに富士山が見える完全な晴れの日は、

50%くらいの確率なのですが、

 

それでも、

混んでいて取れない時を除いて、

私にはE席以外の選択肢はありません。

 

同じ金額なら、

E席から席が埋まっていくのは頷けます。

 

 

彼女は、

その説明を聞いて、

ぽかんとなった。

 

仕事で関西出張も

少なからずあったが、

彼女にとって、

東海道新幹線は、

単なる移動の手段でしかなく、

 

大抵は眩しく、

日焼けをしたくないので、

カーテンをおろしてしまう。

 

外の景色を熱心に見たのも、

冬に、関ケ原の辺りで

酷く雪が積もっていた時

くらいだった。

 

 

女性は、こういう方も、

多いかもしれないですね。

 

東海道新幹線に乗って、

富士山を見ようとしないのは、

何てもったいない!

と思うのですが(^^;

 

 

そんなことに、

もうじき四十歳に

なろうかという自分が、

今まで一度も

気がつかなかったことに、

まず呆れた。

 

そして、

自分の忙し過ぎる

生活を思った。

 

出世して給料も上がり、

生活にはゆとりがあるが、

ずっと結婚したいと

思っているのに未婚で、

何となくいつも疲れている。

 

それは、

彼女がサマライズする

自身の生活の現状だった。

 

 

こんな女性、

都会の総合職にいかにもいそうな

印象がありますが(^^;

 

で、この、

「富士山」という短編、

富士山は、

直接的にはテーマに関係ないのですが、

 

では、

どんな話かというと・・・

 

マッチングアプリで知り合った

男女の物語です。

 

結婚も意識する2人は、

新幹線で浜名湖観光に行こうとします。

 

そこで、彼は、

窓側E席にこだわるんですね。

 

そんな彼に、

幼稚さや面倒な印象を持つ

彼女なのですが、

 

その道中で、

ある事件が・・・

 

・・・これ以上はネタバレになるので、

ストーリーの紹介は控えますが、

 

ちょっとだけ(^^;

 

 

加奈は、この時、

津山のことを

少し変わっていると感じたが、

 

あれから2年が経って、

もう彼と会うこともない彼女は

「普通の人」の感覚に

より近かったのは、

津山の方なのだと

思っている。

 

現に、座席は

E席から埋まっていくのであり、

みんな富士山を見たいのだった。

 

しかし今、

世間で津山のことを

「普通の人」と思う人は、

彼女以外、

まずいないだろう。

 

彼はまったく、

例外的な人物として

知られていた。

 

 

彼はまったく例外的な人物・・・

 

いったいどんな人物なのでしょう?

 

ちなみに、

物語の中盤くらいから、

大どんでん返しが

待ち受けているのですが、

 

それは読んでみての

お楽しみということで・・・

 

 

この短編集の大きなテーマは、

帯にも謳われているように、

 

「あり得たかもしれない

人生の中で、なぜ、

この人生だったのか?」

です。

 

この「富士山」という短編の中にも、

ある事件がありましたが、

 

その事件後の加奈の選択によって、

2人の人生は、

大きく変わった可能性があります。

 

2人の人生だけでなく、

他の人の人生までも・・・

 

加奈は、その事件に接した時の

津山の対応を見て、

彼の人間性を判断しました。

 

確かに、

その判断は間違っていなかったようにも

思われたのですが、

実際は・・・

 

よく人は、

いざという時に

「本音」「本性」が出る、

といいます。

 

たしかに、

その傾向はあるとは思いますが、

果たしてそうと言い切れるのか。

 

たとえば、

いざという時に、

 

たまたま、

体調が悪かったり、

誰かとケンカした後だったり(^^;

 

実はその時、

何かで頭がいっぱいだったり、

深刻な問題を抱えていたり・・・

 

それは、他人が傍から見ても、

なかなか分からないですよね。

 

つまり、

どんな人格者でも、

時と場合、その時の状態によって、

対応が変わるかもしれないし、

 

逆もしかり、

どんな悪人でも・・・

 

そんな、

時と場合によって変化する私が、

選択する人生。

 

私自身、

「もしあの時、違った選択をしたら、

どうなっただろう」

 

そんなことを思ったり、

 

さらに、

「ひとつの出来事によって、

その人がどんな人かは決めつけられない」

 

「その人を理解するには、

やはり長い時間が必要だ・・・」

 

そんなことを考えさせられた、

短篇小説でした。

 

 

以上、

短篇富士山を読んでみての

私の雑感でしたが、

 

この短編集、

他の作品も、

とても内容が濃く、示唆に富んでいます。

 

次回、

他の作品も紹介させていただきますね(^^;

 

 

 

************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回に続きます(^^;

 

 

************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

大阪出張、新幹線窓側E席、

今回、富士山は残念ながら雲隠れでしたが、

 

浜松あたりから晴れてきて・・・

 

 

関ケ原の先の、

「伊吹山」は、ばっちり!

 

その後、

琵琶湖方面をぼんやり眺めていると・・・

 

 

おおっ、

不意に大きなレインボー🌈

 

皆さまにも、

いいことが起こりますように!

 

 

 

 

これは1月の富士山です(^^;

(富士川鉄橋から)

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

10月から異動したこともあり、

何だかバタバタしております。

 

ちょっとブログの更新が滞り気味ですが(^^;

 

前回から、

新田次郎さんの有名な山岳小説、

孤高の人

 

 

を紹介しております(^^)

(写真の表紙は下巻)

 

私は、北アルプスの冬山に登れるレベルでは

全然ないのですが、

この小説を読むと、

何だか憧れの気持ちが湧いてきます!

 

2月厳冬の槍ヶ岳、

(槍ヶ岳はこの表紙の山ですね)

「朝日に輝く一瞬」の描写です。

 

引用します。

 

 

まだ夜の表情を

そのままに残している空に向かって

突き出した白い槍の尖峰に、

 

なにかひとかけらの、

光る物体が衝突したような

異常な輝きをみとめた。

 

次の瞬間、

その先端は

バラ色に燃え始めていたのである。

 

輝きの、

すみやかな変化と、

なにものにも

比較することのできない、

清らかなルージュに染められた

槍の穂先に向って、

加藤が声をかけようとしたとき、

 

ふわりと

山霧の衣がかけられたのである。

 

 

・・・うう、

 

清らかなルージュに染められた

槍の穂先・・・

 

ふわりと山霧の衣が

かけられた・・・

 

この光景、

私も、是非この目、

肉眼で見てみたいです!

 

主人公の加藤文太郎は、

冬山に魅せられ、

単独行の数々の記録を打ち立てますが、

 

故郷で、縁のある女性と結ばれ、

結婚します。

 

人づきあいが苦手で、

職場でも不愛想だった彼ですが、

結婚を機に変わるんですね。

 

 

いままで、

いつも怒ったような顔で

仕事ばっかりしていた彼が、

同僚と無駄口をきくようになった。

 

以前は廊下で人と会っても

めったなことで

言葉を交わすことはなかったが、

 

結婚してからは他人に

寒い暑いの時候の挨拶を

するようになった。

おはようをいうようになった。

 

「たいへんな変わりようだな」

 

同僚たちは、

加藤の変わり方は

結婚によるものであり、

 

彼の新妻の花子の

感化によるものだと

思っていた。

 

 

孤独だった彼にも、

幸せが訪れたんですね(^^)

 

やがて、

子宝にも恵まれた加藤文太郎は、

それをきっかけに、

危険な冬山登山は、

やめようと考えるのですが、

 

後輩の宮村健からの、

同行の強い誘いに、

気持ちが揺らぎます。

 

 

加藤は山は信じたが、

山において

人は信じなかった。

 

それが加藤文太郎の

信条であった。

 

山においては、

結局は自分以外に

たよるものはないという信念が、

加藤を偉大なる登山家に

仕立てあげた。

 

加藤の長い山歴において、

部分的には、

他人と同行したことはあったが、

完全に山行を共にしたことは

一度もなかった。

 

まして、

ザイルを組もうなどと

いわれたことは、

はじめてであった。

 

おそらく

独身時代の加藤だったならば、

その場で宮村健の申出を

拒絶したであろう。

 

だが加藤は

それをことわらなかったのは、

加藤が花子という

すばらしい女性と

家庭を持っていたからであった。

 

加藤は花子を通じて、

愛情というものを知った。

 

人間は、

ひとりでいるよりも

複数でいるほうが

より自然であり、

より合理的であることを知った。

 

彼の結婚生活と山とは

比較すべきことではなかったが、

 

加藤は、山においても、

友情をもって結ばれるならば、

ひとりでない方が

いいのではないかというような

気になりかけていた。

 

 

ひとりよりも、

複数の方がいい・・・

 

結婚を通じて、

そんな心境になっていた加藤文太郎氏。

 

影があるから、光を感じる。

苦しみがあるから、喜びを感じる。

孤独があるから、人の愛を感じる。

 

この世は相対性の世界。

 

いつも、

光や喜びや愛に満たされていれば、

もし、対極という存在がなければ、

それらを感じることができないわけであって、

 

今まで孤独だった分、

文太郎が人の愛に触れた喜び、

ひとしおだったと思います(^^)

 

しかし、

運命は皮肉なものでして・・・

 

厳冬の槍ヶ岳に、

宮村健と同行することを決めたものの、

その決断が結果的に仇となるのです。

 

ちょっとネタバレ気味になりますが、

終わりに近いシーン、

ちょっとだけ引用します。

 

 

・・・新雪であったが、

湯俣まで行こうとして

行けないことはなかった。

 

行けば自分は助かるに

ちがいない。

 

だが加藤には

その決心がつかなかった。

 

いまや宮村に

一分の奇蹟を求めることも

できなかった。

 

が、彼はまだ生きていた。

 

死んだも同然であっても、

彼はまだ生きているのである。

 

生きている友を棄てて

自分だけ生きようとは

思わなかった。

 

 

ここ、思わず、

「頼むから一人で行ってくれ!」

と懇願したくなるような

シーンなのですが・・・

 

孤高の人でありながらも、

最後には、愛を知ることのできた

加藤文太郎氏。

 

短い一生でしたが、

とても密度の濃い

人生だったのだと思います。

 

そして、彼の存在は、

後世に語り継がれます・・・

 

 

 

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以上、

新田次郎さんの山岳小説、

孤高の人

 

 

を2回にわたって

紹介させていただきました。

 

実際に、加藤文太郎氏になりきって

冬山の登山をしているような、

スリリングな感覚を味わえる

山岳小説ですが、

 

登山以外にも、

関東大震災後の戦争に向かう不安な世相や、

組織における人間関係の葛藤、

(嫌な上司が登場します(^^;)

そして、

男女の切なくも残酷な関係・・・

などが描かれていて、

物語の世界にグイグイ引き込まれます。

 

山が好きな人はもちろん、

そうでもない人にも、

文学作品としておすすめします😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回は別の本を紹介する予定です!

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

たとえ忙しくても、

今の時期の晴れた休日は、

万難排して山歩き(^^)

 

丹沢山地最高峰、

蛭(ヒル)ヶ岳にチャレンジ!

 

 

 

道の駅で車中泊。

よし、出発!

 

 

 

まず、目指すは丹沢山!

 

 

 

やっと着きましたが・・・

 

 

 

頂上はガスってました(^^;

(雲の中)

富士山はまったく見えず・・・

 

 

 

遊び心いいですね!

 

 

 

標高が下がると霧が晴れていますが・・・

 

 

 

このあたりも・・・

 

 

 

鬼が岩の間から、

蛭ヶ岳が見えます!

 

 

 

ようし、もう一息・・・

 

 

 

着きました!

・・・が、

 

 

 

頂上はやはり、雲の中・・・

何も見えず😢

 

 

 

下山、

やっぱり、

下に行くと雲がありません。

 

 

 

美しい林。

 

 

 

紅葉している木も。

 

 

 

巨石が落ちそう・・・

流されてきたのでしょうか。

 

 

 

頂上はガスっていましたが、

丹沢山&蛭ヶ岳登山、

おかげさまで堪能できました!

 

ただ、

8時間の長めの登山だったので、

その後3日間くらいずっと筋肉痛・・・

 

歩き方がおじいちゃんでした(^^;