ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
今回は、
植松努さんの著書、
を紹介します。
植松努さん
(アメブロもされています)
は、私は最近まで存じ上げなかったのですが、
小さな町工場から、
自家製ロケットを打ち上げ、
宇宙開発の常識を逆転した!
という、すごい方です。
あるブログの記事をきっかけに、
というTEDのYouTube動画を拝見したのですが、
これが、とっても勇気が湧いてくる!
(クリックして一度ご覧あれ!)
動画でしたので、
興味をもって、本も読ませていただきました(^^)
動画でも述べられているのですが、
この本でも、
「どうせ無理」と戦う
ということが述べられています。
言葉を使って人の可能性を奪うことも、
人の命を脅かすことと変わりない、
恐ろしいことだと思っています。
そして人の可能性を奪おうとする、
象徴的な言葉が
「どうせ無理」
です。
簡単な言葉です。
すぐ楽ちんになれる恐ろしい言葉でもあります。
この言葉をつぶやくだけで、
なにもしなくて済んでしまうからです。
たしかに・・・
なにもしなくて済んでしまう。
いわゆる「ドリームキラー」というやつですね。
他人から言われることもあれば、
つい、自分自身につぶやいてしまうことも・・・
でもこの言葉こそが、
人に「努力なんて無駄だ」
と思わせる最悪の言葉です。
他人からこの言葉をくらうと、
人は大変なことになります。
なぜなら人の“自我”というもの、
つまり
「自分は自分だ」
という確信は、
とっても弱いものだからです。
私も、他人から否定的なことを言われると、
すぐに、ぐらっときて、落ち込んだり、
怒りの感情が湧いてきたりします・・・
自我というものは、
ただの思い込みです。
思い込みの「自分」を守りたいから、
自分はつねに
「変じゃないんだ」
「必要とされているんだ」
と思っていたい。
ところが、この
「どうせ無理」
という言葉をくらうと、
「きみをあてにしていないよ」
「きみなんていらないよ」
という意味を受け取ってしまいます。
う~ん、
たしかに、自分を否定されたように感じますね。
「きみなんていらないよ」
といわれた人が、
自信を持ち続けるとこはできません。
自信がなくなるとまずいです。
自信がなくなると、
なにをしていいのかが分からなくなります。
自分になにができるのかもわからなくなります。
(中略)
自信がないと不安になります。
不安だから友情とか愛情に
“証拠”を求めたりするようになります。
(中略)
LINEでメッセージを送った後
「既読マークがついているのに、返信してくれない」
と悲しむ人もいるようです。
でも友情や愛情の“証拠”は、
たいてい“束縛”です。
この束縛がさらにエスカレートしていくと、
「友だちなんだから、いうことを聞くのは当たり前だろう」
などと、
とんでもない思い違いを
生み出すこともあります。
そして、
“束縛”をするのは、
「自信がない人」たちです。
LINEなんてものはなかったのですが、
私の中高生時代を思い返すと、
たしかに、
「どうせ無理」
という形で、
束縛し合う関係性というものはあった気がします。
中高生特有の、
照れ臭さもあったと思いますが、
努力することや、向上心を持つことに、
お互いにブレーキをかけて束縛しあうという関係性。
たしかに、
お互い、自信がなかったからだと思います。
それは、「どうせ無理」
という同調圧力の中で育ったからかもしれません。
自信はとっても大切なものです。
自信をなくして「しまった人の中には、
自信がほしいから、
自信をお金で買ってしまう人がいます。
ある人は流行ばかり気にして、
自分の身を飾るようになります。
そしてお金をどんどんなくしていきます。
自慢をするようになる人もいます。
人を見下すようになる人もいます。
他の人ががんばったらこまるからと、
人の努力を邪魔するようになる人もいます。
「他の人ががんばったらこまるからと、
人の努力を邪魔する」
ありますね。
中高生時代だけでなく、
社会に出てからも。
私自身は、
行動には移していないつもりですが、
心の中には、
その気持ち、ないとはいえません。
これは、いじめの原因ではないですか。
こういう人たちが、
みなさんのまわりにもいるかもしれません。
いじめられる人もかわいそうですが、
いじめをしてしまう人も、
誰かに自信を取られてしまったかわいそうな人たちです。
そのかわいそうな人たちが、
自分の自信を守りたくて、
しょうがなく、他の人たちの自信を奪っているのです。
大人たちの、
「どうせ無理」という風潮が、
子どもたちの
「いじめ」
にもつながっている・・・
あるような気がします。
次回に続きます(^^;
今回もお読みくださって、
有り難うございました。