いよいよ、知覧特攻平和会館前に到着。
その周辺には、特攻隊員の像や特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんの像もあった。
近くに女子大生らしき、博識っぽい二人組がいたので、これは写真のチャーンス!と言うことで、
バシっと撮っていただきました^^。
もう一度、歴史を語りましょう。
知覧とは、第二次世界大戦末期、鹿児島南端のこの地から、日本で一番多くの特攻隊員が特攻機にのり、
飛び立って行かれた。そんな土地です。
そうです、神風特攻隊は聞かれたことがあるでしょう。
なぜ? 日本を守るためです。
末期ですので、米軍が沖縄本土上陸せんとした時代だったからです。
この鹿児島南端から、沖縄の海へ飛び立っていかれたのです。
延べ、約1000名の特攻隊員の内、この知覧からが一番多かったという事実。
日本全国から、若く清い青年達が招集されここで訓練を受けられたのです。
その大半が10代後半~20代前半。

写真 開聞岳
出撃の朝、若き神風特攻隊員の皆様は、同士全員で清めの酒にて「乾杯」し、
皆、笑顔で征ったと言われています。
見送る知覧女学生達は皆涙し、花を最後まで振り続けたと言います。
若き特攻兵は、機上の人となるや、鹿児島南端の知覧から沖縄の海を目指し、
皆飛び立って行かれたのです。
さぞ、故郷、家族、両親が恋しかったことでしょう。
機上の彼らは、上昇後、急降下し翼を3回振り、最後のお別れをしたのだそうです。
鹿児島南端に位置する開聞岳を左手に見、通りすぎる際に「敬礼」をして、
飛び立って行かれたと言われています。
開聞岳への「敬礼」は、言うまでもなく、
愛する日本への本当の別れであったに違いありません。
つづく。