知覧からの手紙 その弐 |  レッツアイ社長 “探検家” Blog.

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☆99%の準備だけの人で人生を終えるか。
1%の探検家となり、あえて困難で険しい道を選び、探求を楽しむか?
選択は君次第だ。

いよいよ、知覧特攻平和会館前に到着。

その周辺には、特攻隊員の像や特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんの像もあった。

レッツアイ社長の 『 起業道中膝栗毛 』

近くに女子大生らしき、博識っぽい二人組がいたので、これは写真のチャーンス!と言うことで、

バシっと撮っていただきました^^。


もう一度、歴史を語りましょう。


知覧とは、第二次世界大戦末期、鹿児島南端のこの地から、日本で一番多くの特攻隊員が特攻機にのり、

飛び立って行かれた。そんな土地です。

そうです、神風特攻隊は聞かれたことがあるでしょう。


なぜ? 日本を守るためです。

末期ですので、米軍が沖縄本土上陸せんとした時代だったからです。

この鹿児島南端から、沖縄の海へ飛び立っていかれたのです。


延べ、約1000名の特攻隊員の内、この知覧からが一番多かったという事実。


日本全国から、若く清い青年達が招集されここで訓練を受けられたのです。

その大半が10代後半~20代前半。


レッツアイ社長の 『 起業道中膝栗毛 』

写真  開聞岳


出撃の朝、若き神風特攻隊員の皆様は、同士全員で清めの酒にて「乾杯」し、

皆、笑顔で征ったと言われています。


見送る知覧女学生達は皆涙し、花を最後まで振り続けたと言います。


若き特攻兵は、機上の人となるや、鹿児島南端の知覧から沖縄の海を目指し、

皆飛び立って行かれたのです。


さぞ、故郷、家族、両親が恋しかったことでしょう。

機上の彼らは、上昇後、急降下し翼を3回振り、最後のお別れをしたのだそうです。


鹿児島南端に位置する開聞岳を左手に見、通りすぎる際に「敬礼」をして、

飛び立って行かれたと言われています。


開聞岳への「敬礼」は、言うまでもなく、

愛する日本への本当の別れであったに違いありません。


つづく。