知覧からの手紙 最終章 |  レッツアイ社長 “探検家” Blog.

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1%の探検家となり、あえて困難で険しい道を選び、探求を楽しむか?
選択は君次第だ。

知覧からの手紙 最終章。
レッツアイ社長の 『 起業道中膝栗毛 』 写真 特攻機

レッツアイ社長の 『 起業道中膝栗毛 』

写真 三角兵舎
レッツアイ社長の 『 起業道中膝栗毛 』
写真 三角兵舎外
レッツアイ社長の 『 起業道中膝栗毛 』
写真 三角兵舎中
レッツアイ社長の 『 起業道中膝栗毛 』
写真 知覧特攻平和会館


知覧特攻平和会館にて、僕が一番心を打たれたのは、なんといっても、若き特攻隊員達の「遺書」であった。


そこには、故郷、両親、家族、妻、子供、恋人、国を想う気持ちが痛いほどに伝わってくる。なんと達筆なことでしょうか。今の若者が書けるはずもない。本当に達筆な文章が実に多い。


僕が印象に残っているのは、いよいよ自身に特攻の命が下っている状況下で、それを誇りとし、家族、特に両親を思いやっている文章が圧倒的に多かったということです。


1036人の年若い特攻隊員の顔写真が壁一面に並んでいる。
17歳、18歳、19歳、20歳、、、。


国のため、そして、現在の日本のために彼らは命を投げ打ってまでも、

日本を守ってくれた。

写真の下には、遺書、遺品、辞世の句が展示されている。

圧倒的な写真と遺品に正面から問いかけられて、ただ涙が溢れる。
周囲にいる見学者の多くがハンカチを手に持っている。

今回生まれてはじめて、この建物を見学させてもらったが、

空気として、決して重さや悲壮感などはなく、幸福な雰囲気がなぜか漂っている。

とても不思議な温かい空気を感じることができたのである。

多くの人が展示物を見て涙を流している。

僕も、もうまわりを一切気にせず、泣きじゃくっていた。。

ハンカチは持っていたが、役目を果たさないほどに。


年若くして死んだ特攻隊員に対して心から冥福を祈り、感謝の念を抱いている。
本当にありがとうございました。


64年の年を隔てて、見学者と隊員は、たしかに会話をしている。

遺書を心の中で声に出して僕は読んだが、その声が隊員の声とかぶってくるような

気がして、また涙が止まらなかった。


なんという崇高な精神を持っていたのだろうか。彼らは。

そして、彼らの存在を永遠に忘れないために、町には石灯籠が並び、毎年慰霊祭が催される。

特攻は悲劇だ。


1036枚の若者の写真と絶筆の言葉は、圧倒的だ。
僕が知覧にて書き写したその一部をご紹介して、知覧からの手紙を一旦、終了とすることにする。



「母様、今何も言ふことはありません。

最後の又、最初の孝行に笑って征いきます。

泣かずによくやったと仏前にだんごでも具えてください。

人形は藤夫と思ってください。

近所の皆様にも宜しくお伝えください。

母様、藤夫は笑って征いきます。

お元気で、左様なら。」


「お優しい、日本一の御母様。

今日、トランプの占いをしたならば、御母さんが一番よくて、

将来、最も幸福な日を送ることが出来るそうです。」


「お母さんお元気で でっかい奴を沈めます」



「お母さん お母さん 今俺は征く 母を呼べば母は山を越えてでも雲の彼方からでも馳せ来る 母はいい 母ほど有難いものはない 母!母!」



「我が家なつかしい思い出の 読んだやさしい母の声」



「いよいよ此の世とお別れです。お母さん必ず立派に体当り致します。昭和二十年五二十五日八時。これが空母に突入する時です。では、お母さん、私は笑って元気で征きます。お母さんお体大切に。私は最後にお母さんが何時も言われる御念佛を唱えながら空母に突入します。」


少しでも何か感じていただければ、これほど嬉しいことはありません。


最後に、年のために言っておくと僕は右でも左でもありません。そして、戦争の善や悪をジャッジしようということもありません。いかなる団体にも属していません^^;


ただ、私人として、個人として。当たり前に。

そう、日本人として。


あの戦争で日本を守るために、命を張って頂いた英霊の皆様に感謝するだけです。

そう、永遠の平和を祈りつつ。