Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 ! -25ページ目

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

 

「ロックは時代を映す鏡だ」とTHE CLASHのジョー・ストラマーは言った――それを教えてくれたのはTHE MODSの森山達也である。だからと言って、新聞の見出しを切り張りしたような“NEWS PAPER ROCK”(そんな言葉はあるかわからないが、なんとなくニュアンスは伝わるだろう)では辟易してしまう。いま、まさに時代を映す鏡というべき作品があるとしたら、佐野元春が昨2022年にリリースしたいまのところの最新作『今、何処』ではないだろうか。喉元を過ぎればではないが、もう忘れてしまった方もいるかもしれない。私達はCOVID-19 のパンデミックという時代を生き抜いてきた。“クラスター”、“ソーシャルディスタンス”、“ロックダウン”、“三密”、“濃厚接触者”、 “緊急事態宣言”、“まん延防止等重点措置”、“STAY HOME”、“リモートワーク”、“人数制限”、“手指消毒”、“検温”、“配信ライブ”……など、聞き慣れない言葉が飛び交った。勿論、『今、何処』にはそんな言葉はない(はず)。

 

 

その日、9月3日(日)、「東京国際フォーラムホールA」で行われた佐野元春 & THE COYOTE BAND(ザ・コヨーテ・バンド)の「今、何処TOUR 2023」の東京公演。すべての席を埋め尽くした超満員の観客を前に佐野元春は、“みんな、いい感じ”と何度も告げた。それは、きっと偽らざる気持ちだろう。この日、入場制限も検温も手指消毒もマスク着用の規制もなく、観客の歓声や声出しも自由だった。いつものコンサートの日常が戻りつつある。自らも罹患して、いくつかの公演を延期にしただけに、その喜びはひとしおだろう。

 

セットリストなどは検索すれば出てくるが、ここでは敢えて掲載を留める。既に昨日、9月5日(火)神奈川「神奈川県民会館ホール 大ホール」(追加公演)のライブは終わり、あとは9月9日(土)沖縄「ミュージックタウン音市場」、9月19日(火)岡山「岡山市民会館」(振替公演)、10月10日(火)北海道「Zepp Sapporo」(追加公演)の公演を残すのみだが、マナーとして、その日を楽しみにしている方のために内緒にしておく(笑)。

 

 

一言で言うと、潔いライブだった。本編は昨年リリースされた『今、何処』と『ENTERTAINMENT!』を中心にそれらに共振し、増幅するかのように“COYOTE ALBUM”からのナンバーで埋め尽くされた。こんな佐野元春&THE COYOTE BANDのライブを見たかったという方も多かったのではないだろうか。

 

 

COYOTE達に初めて遭遇したのは、2006年4月2日の東京国際フォーラムで行われたTHE HOBO KING BANDとのツアー「佐野元春 & HKB コンサートツアー 2006『星の下 路の上』」のファイナル。彼達はアンコールにいきなり登場し、「星の下 路の上」を爆音で演奏して、去って行った。

 

あれから17 年が経った。同じ場所で18年目の佐野元春&THE COYOTE BANDはバンドとして成長した姿を見せてくれる。前述通り、『今、何処』、『ENTERTAINMENT!』を中心にCOYOTE ALBUMのナンバーで本編は構成される。自信の表れではないだろうか。観客はいまの彼らの歌と演奏に触れ、その音の渦に巻き込まれていく。文句なし。誰もが納得する、圧巻のライブである。

 

佐野元春は1980年にデビューしている。キャリア40年を超えるミュージシャンが最新作にして最高傑作と言われるアルバムを物にする。懐かしのヒットナンバーに寄りかからずともコンサートが成立する。稀有なことではないだろうか。佐野はこの困難な時代に動きを止めず、音を紡いできた。規制や制限の中、創意工夫と切磋琢磨と奮闘努力で音楽を止めなかった。それがどれだけ、私達を勇気付けたか。混乱と停滞の時代に2枚のアルバム(当初は2枚組という構想があった)を産み落とす。それらがどれだけ、私達の魂をぶち上げたか。改めて、この日、COYOTE達の爆音を浴び、体感することになる。本当にいい感じだ。

 

混乱と停滞の造物主たる“テクノ・スパイダー”に“COYOTE”達が咆哮を上げ、挑んでいく。“テクノ・スパイダー VS COYOTE”、まるでゴジラ対キングギドラだが、そんな構造も思い浮かぶ。世の中の不都合な真実や不合理な事実に意義申し立てしていく。そんなところは1980年も2023年も佐野のアティテュードに変わりはない。

 

その歌は、いまもストリートの理想主義者達へエールを贈る。希望と理想を掲げる。『今、何処』の「明日への誓い」には希望や理想を持ち続けることの意義を歌い、そこには私達の“約束”とでもいうべきメロディーがさり気なくリフレインされる。

 

 

ステージには正面、上手、下手に3つのスクリーンが設えられている。そこには『今、何処』のアルバムジャケットが投影されていた。アートワークは英国のデザイン・チーム 「StormStudios」によるもの。彼らとのコラのレーションは『BLOOD MOON』、『MANIJU』に続き、3作目である。同チームは、1970年代、ピンクフロイドやレッド・ツェッペリン、ジェネシス、10cc、アラン・パーソンズ・プロジェクト……などの革新的なアートワークを手掛けたデザイン集団「ヒプノシス」出身のストーム・トーガソンが立ち上げた。ジャケットに使用された印象的なピクトグラムのようなイラストもスクリーンに映し出される。

 

また、スクリーンに投影された歌詞は現代詩になり、壮大な風景や驚愕の光景はコンピュータグラフィックスやコンテンポラリーダンスなどとコラボレートしていく。本編の映像は今回のツアーのために制作されたものらしい。ツアーをしながらブラッシュアップされたものだという。その音と映像の共演、本編はまさにARTと言っていいだろう。

 

 

その印象的な映像、実は見覚えがあった。事務所に確認したところ、やはり2017年4月4日、東京・TSUTAYA O-Eastで行われた佐野元春 & 井上鑑ファウンデーションズによる『佐野元春スポークンワーズ・ライブ「In Motion 2017 -変容」』の映像をデイレクションしたken Hiramaだった。彼は同年4月28日にニューヨークで行われた「アート・イヴェント『Not Yet Free』」(佐野は同イベントの一環として現地ミュージシャンとコラボレーションしスポークンワーズを披露)にも引き続き参加。ニューヨーク生まれの映像作家、写真家である。実際に使用されたのは彼の作品だけではないらしいが、もう少し彼が関わることになったスポークンワーズのイベントについて付記しておく。

 

https://www.kenhirama.net/

 

 

 

同イベントの模様は当時、NHKBSドキュメント「佐野元春ニューヨーク旅 ‘Not Yet Free’ 何が俺たちを狂わせるのか」として放送された。

 

また、同イベントに同行した青澤隆明(彼は佐野が2001年、2003年に2回のスポークンワーズの単独ライブイベントを行った鎌倉芸術館のスタッフだった)が佐野に取材し、リポートしている。長いものだが、時間があればリンクに飛んで、読んで欲しい。

 

https://www.moto.co.jp/notyetfree/interview/

 

 

 

その中には佐野のこんな言葉が掲載されていた。

 

「世の中には、音楽や映画や詩なんていらないっていうひともいる。でも、音楽や映画や詩がなかったら、ひとはなんのために生きているのか、わからなくなるだろうと思います」

 

2006年と2023年が繋がる。彼は“BEAT”を継承しながらいまも昔も“MEANING OF THE LIFE”を追い求めているのだ。

 

本編をARTと表したが、単なる芸術と言う堅苦しいものではなく、勿論、優れたENTERTAINMENTでもある。そのENTERTAINMENTを強く意識させたのがアンコールである。アンコールでは長年、佐野元春を聞いてきたものなら誰もが聞きたいと言う曲を惜しげなく披露している。それがENTERTAINMENTというものだろう。単なる観客への感謝や奉仕などだけではない。演奏者と観客を繋ぐ橋を架ける。

 

佐野元春は、2回目のアンコールの前にこんなメッセージを観客へ投げかけた。SNSなどではうろ覚えのため、様々な表現がされたが、「東京国際フォーラムホールA」でのコンサートの直後、彼のOfficial Facebook Pageが更新され、そのメッセージが書き留められた。同ページから引用させてもらう(ミュージシャンの表記は原文まま)。

 

「僕らは今、大瀧詠一も、パンタも、キヨシローも、坂本龍一もいない時代に生きている。個人的には、なんだかポツンとしたかんじ。彼らの新しい音楽がもう聴けないのはすごく残念。でも僕はまだ、こうして続いてる。彼らが残してくれたものを忘れないように。これからも良い音楽をたくさん作っていきたいです」

 

そんな言葉とともに歌われた「サムディ」や「アンジェリーナ」は特別な意味を持つ。尊敬と感謝、そして継承と継続、さらに佐野元春の決意と覚悟を目の当たりにする。この日、東京国際フォーラムを埋めた満員の観客とともに私達は歴史の目撃者になったのではないだろうか。

 

実は、その数日前、9月1日(金)に渋谷「duo MUSIC EXCHANGE」で行われたPANTAのお別れ会「献花式・ライブ葬」へ出席したばかり。彼がPANTAの訃報に際して、Official Facebook Pageに言及したことは知っていたが、まさか、彼の口からPANTAの名前が出るとは思ってなかったので、驚いたと同時に嬉しかった。佐野元春と政治的で過激なイメージのある頭脳警察のPANTA。結びつかないと感じる方もいるかもしれないが、しかし、繋がっていたのだ。

 

 

同時にある男のことを思い出していた。吉原聖洋というライターである。私が関わった雑誌のエース的な存在で、佐野元春の最良の理解者にして、彼の音楽の最高の表現者だった。彼は佐野元春のアニバーサリーを飾る評伝を上梓するため、何度もの手術と度重なる入退院を繰り返しながらも執筆に取り組んでいたが、残念ながら2018年8月、志半ばで帰らぬ人となってしまった。

 

今、僕らは吉原聖洋、そして長谷川博一、さらに下村誠――ともに佐野元春とは何者かを知るライターである。彼らのいない時代を生きている。エディターとして、佐野元春の原稿に関わる重要なライター達がいなくなっている。そんな彼らに今の佐野元春を伝えるため、彼を見続け、それを引き継いでいかなければならない。地上組は地上組でできることをやるしかないだろう。また、私の関わっていた雑誌を熱心に読んでいたという方もSNSを通して、時々、出会っている。そういう人達のためにも今、自分ができることをしようと改めて心に刻む。覚悟と決意のライブにもなった。きっと、この日の佐野元春&THE COYOTE BANDの歌と演奏を聞いて、何か、心に秘めた方もいるのではないだろうか。この荒れ地を往くコヨーテ達から目が離せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影:渡邊一生(ライブ) 協力:FM COCOLO

 

 

 

1980年代後半から90年代前半にかけて巻き起こった“バンドブーム”を象徴する音楽雑誌が『バンドやろうぜ』である――と、断言して、同誌のことをどれだけの方がご存知かわからない。ただ、同誌に影響を受けて、バンドを始めたという方も少なくないはず。勿論、同誌の母体『宝島』(同誌の「バンドやろうぜ」特集の増刊号を出したことが月刊誌“バンドやろうぜ”創刊の契機になっている)の存在を抜きにしては語れないだろう。ある意味、当時の『宝島』が“仕掛けた”こともたくさんある。

 

 

『バンドやろうぜ』そのものは1988年に創刊され、2004年に休刊している。本2023年は休刊してなければ『バンドやろうぜ』35周年になる。それを記念して、と書くのはこじつけくさくなるが、内容そのものは“バンドやろうぜロックフェス”という名を冠するに相応しいラインナップとコンセプトでイベントが行われている。「大人のためのミュージックステーション」を標榜する東名阪のラジオ3局(ニッポン放送・TOKAI RADIO・FM COCOLO)がプロデュースし、“AOR(=Adult Oriented Radio) NETWORK” がオーガナイズするイベントが『バンドやろうぜ ROCK FESITIVAL THE BAND MUST GO ON!!』だ。

 

この8月12日(土)に大阪府 「Zepp Osaka Bayside」でZIGGY 、 JUN SKY WALKER(S) 、RESPECT UP-BEAT、8月19日(土)に愛知県「Zepp Nagoya」でGO-BANG'S 、JUN SKY WALKER(S) 、PERSONZ、9月2日(土)に東京都 「Zepp Haneda(TOKYO)」で岸谷香、筋肉少女帯、JUN SKY WALKER(S)という日程、出演者で行われる。既に大阪、名古屋の公演を終えているが、各地で大きな盛り上がりをみせている。

 

 

残りの公演は東京のみだが、大阪公演を見ているので、その雰囲気をお伝えしつつ、バンドブームとは何だったのかを少し考えてみたい。既に福岡発のビートミュージックの応援サイト「福岡BEAT革命」でリポートしているが、それらを引用(と言うか、流用)しつつ、より、パーソナルなことも書かせてもらう。実は、私自身、バンドブームという“渦”の中心ではないものの、端っこにはいた。勿論、バンドマンとしてではなく、あくまでもメディアという立ち位置である。バンドブームの総本山である「宝島」で、フリーランスながら音楽ページを手伝い、「バンドやろうぜ」創刊後は同誌にも原稿を書いているのだ。

 

 

このイベントに出演するZIGGY やJUN SKY WALKER(S)、 RESPECT UP-BEAT、GO-BANG'S 、PERSONZ、岸谷香、 筋肉少女帯など、7組のミュージシャンはバンドブームのサバイバーである。既にブームから30年以上が経ち、メンバーそのものも50代、60代になろうとしている。しかし、彼らは現役であり続ける。懐かしの昭和歌謡や平成シティポップブームに安易に便乗することなく、独自の地盤を築き、いまも多くの観客を集めている。

 

むしろ、かつてファンだった方たちは、そんな状況を知らず、忘却の彼方にあるのかもしれない。また、ライブハウスなど、このコロナ禍もあったが、オールスタンディングで2時間以上、立ちっぱなしという状況がかつてのファンをライブから遠ざけてもいた。それが今回、大阪、名古屋、東京の会場、ZEPPはすべての券種が指定で、席が用意されている。それだけでも臆することなく、久しぶりにライブへ行ってみたくなるというものだろう。かつて胸焦がし、心を熱くしたバンドたちとの再会。そんな機会がこのイベントである。

 

 

大阪公演は8月12日(土)に「Zepp Osaka Bayside」で、ZIGGY やJUN SKY WALKER(S)、 RESPECT UP-BEATが出演して、行われている。会場は大阪府大阪市此花区にあるライブ会場・コンサート会場。収容人数は、スタンディング時2,801人、椅子使用時1,198人だという。最寄り駅はJR ゆめ咲線「桜島」。同駅より徒歩4分である。駅名などを出してもどこか、わからない方も多いと思うが、隣駅は「ユニバーサルシティ」である。ワールドクラスのエンターテイメントを集めたテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」に隣接しているのだ。この日は同じく隣接する大阪・舞洲スポーツアイランド 特設会場で、ELLEGARDENのライブがあった。そのため、同バンドのTシャツを着たバンドキッズ達がたくさん来ていた。同会場へは桜島駅からシャトルバスが出ている。桜島はUSJとELLEGARDEN、「バンドやろうぜライブ」の観客でごった返していた。開場時間の午後5時を過ぎ、開演時間の6時に近づいても「Zepp Osaka Bayside」の入場口は長蛇の列ができ、途切れない。ラジオそのものは「radiko」などのお陰で聴取者が多少、増えたかもしれないが、既にSNSや衛星放送などに遅れを取って、ブームの先鞭をつけることはなくなっている。しかし、放送局でもやれることがある。地道な宣伝や告知が確実な集客や動員に繋がるのだ。これからも期待しつつ、応援すべきメディアだ。

 

会場に入ると、すべての席が観客で埋まる。年齢は総じて高いが、後追いで彼らのことを知ったと思しき若者もいた。いいものは世代や時代を超える、そんな実例ではないだろうか。

 

 

午後6時過ぎ、FM COCOLOのパーソナリティーで、この日のMCを務めるちわきまゆみがステージに登場。今回のイベントの趣旨を説明する。バンドブームを後押ししたのが『バンドやろうぜ』で、この日、会場限定の『バンドやろうぜ』特別編集版(32P)が配布されることを伝える。さらにこの日のタイムテーブルを案内し、最後にはスペシャルがあることを告げる。

 

JUN SKY WALKER(S)はいつも側にいる

 

最初にステージに登場したのは今回、大阪だけでなく、名古屋、東京と、全公演に出演するJUN SKY WALKER(S)だ。宮田和弥(Vo)、森純太(G)、小林雅之(Dr)のオリジナルメンバーにサポートとしてROCK'N'ROLL GYPSIES、POT SHOTの市川勝也(B)が加わる。

 

どのバンドも最高のセットリストを揃えてきたと、ちわきまゆみが言っていたが、まさにその言葉通り、いきなり1988年に「TOY'S FACTORY」からリリースされた彼らのファーストシングル「すてきな夜空」(1988年リリースされたアルバム『全部このまま』に収録)を演奏。そして、メジャーデビュー前、1987年に宝島社のインディーズレーベル「CAPTAIN」からリリースされたアルバム『J(S)W』に収録された「MY GENERATION」を畳みかける。自らの世代を歌ったアンセムのようなナンバー達だ。2曲とも彼らにとっては原点ともいうべきもので、出し惜しみすることなく、名曲を披露している――そんな気概のようなものも感じさせる。基本的に一バンド、持ち時間は40分と決まっている。直球勝負のステージになると言っていいだろう。

 

 

その後も「風見鶏」(1989年『歩いていこう』収録)、「声がなくなるまで」(1988年『ひとつ抱きしめて』収録)など、初期の名曲を惜しげもなく披露する。当時、“ビートパンク”と言われた彼らだが、性急な曲だけでなく、ちゃんとミディアムスローのナンバーも用意している。高齢者にも優しい。それがジュンスカらしさだ。

 

そんな中、デビュー35周年シングル「そばにいるから」、そして同曲にカップリングされた数々の名曲のフレーズを散りばめ、セルフオマージュする新曲「もう一度、歩いていこう」(いうまでもなく、彼らには「歩いていこう」と言う名曲がある)も披露される。単なる懐古的なライブにせず、35周年に相応しいライブにしていこうと言う拘りでもある。新旧の曲を違和感なく、聞かせると同時にこれまで応援していたファンへ感謝を告げる。彼らはファンに寄り添う。こんな曲が生まれるのは、彼らが現役である証拠だ。これからもともに歩んでいこうと呼びかける。当たり前のことながら、そんな姿勢は昔からで、いい意味で変わらないのが彼ららしいところ。

 

また、最後は「START」(1991年『START』 収録)、「全部このままで」(『全部このまま』収録)という、誰もが知る名曲で締める。ファン思いのジュンスカは彼らが何を求めているかを知っている。

 

宮田和弥はMCでオールスタンディングではなく、ちゃんと席があることは嬉しいと告げる。年齢を重ねたファンにとって、椅子があることがいかにありがたいか、いうまでもないだろう。ところが、座ることを躊躇わせるような曲ばかり(笑)。結局、椅子がありながらもオールスタンディング状態。同調圧力ではなく、思わず、立ってしまいたくなる、それは自然の摂理というものだ。

 

既にそのキャリも35年になるものの、常に色褪せず、かつ、同色に染まらない、新鮮であろうとしている。そんな基本精神は、自主性を重んじ、「自労自治」の精神を掲げる、彼らが通った「自由学園」の校訓も影響もあるかもしれない。

 

また、オリジナルメンバーは還暦直前、それにも関わらず、スリムな体形を維持しつつ革ジャンとサングラスが似合うというのも羨ましいというか、おなかの出っ張りが気になる貴兄には、いい目標になるのではないだろうか。この機会に改めて、現在進行中の彼らの35周年ツアーに参加したいと思った方も多いはず。そのための最高のショーケースとなったのではないだろうか。

 

 

実はジュンスカのことはデビュー前、“ホコ天”で話題になっている頃から見ている。「宝島」は「CAPTAIN」レーベルというインディーズレーベルを運営していて、数多のレコードやカセットブック、ビデオマガジンなどをリリースしていた。世間では“インディーズを商業主義に変えた戦犯”という評価(!?)もあるが、同レーベルがバンドブームに与えた影響は決して少なくないだろう。「CAPTAIN」がなければ知られなかった、デビューする機会もなかったバンドもいたはずだ。そのレーベルの担当者とともに彼らの渋谷「La.mama」でのライブを見に行っている。「MY GENERATION」と「BAD MORNING」が心に突き刺さった。その担当者へ「CAPTAIN」からリリースすることを強く進言した。勿論、そのお陰で彼らがデビューできたというわけではないが、何かが始まる、スタートの時に居合わせたのは僥倖とでもいうべきものだった。

 

UP-BEATの名曲達を一気に聴かせるRESPECT UP-BEAT

 

 

二番目に登場するのはRESPECT-UP-BEATである。オリジナルメンバーは広石武彦(Vo)のみだが、このバンドはUP-BEATの同窓会的な再結成ではなく、自らの楽曲をいかにブラッシュアップし、現時点での最適解を目指し、アップグレードしていくために結成された。広石武彦を吉田遊介(G)、LEZYNA(G)、篠田達也(B)、大石“RALF”尚徳(Dr)という腕に覚えありのメンバーが支える。LEZYENAとRALFは大阪出身のバンド、JUSTY-NASTYのメンバー。大阪だから彼らにしたとMCで語る。

 

改めて彼らのキャリアを振り返ると、UP-BEATは1986年にシングル「Kiss...いきなり天国」でデビューしている。バンドそのものは1981年に福岡県北九州市でUP-BEATの前身バンド、UP-BEAT UNDERGUROUNDが結成されている。同バンドは広石の同級生で、後に映画監督になる青山慎治(昨2022年3月21日に亡くなっている。享年57。合掌)がいた。1984年にUP-BEATと名前に変えている。ジュンスカが1988年、ZIGGYが1987年にメジャーデビューと、年齢的には同年代ながらキャリア的には先輩になる。ロック年表的にはイカ天・ホコ天以降のバンドブームに先駆け、BOØWYやレベッカ、ザ・ブルーハーツ、RED WARRIORSなどとともにロックバンドのメジャー化に貢献したバンド群に捉えられる。GLAYが彼らの影響を公言していることは有名だ。

 

 

それにしてもこの日のセットリストは圧巻だった。名曲達をメンバー紹介以外はMCもなく、一気に聞かせるのだ。この日、演奏されたのは「kiss...いきなり天国」(1986年『IMAGE』収録)、「Dear Venus」(1988年『HERMIT COMPLEX』)、「Rainy Valentine」(1990年にリリースされたベストアルバム『HAMMER MUSIC』収録。同年2月にシングルとしてリリースされている)、「Blind Age」(『HERMIT COMPLEX』)、「no side action」(1987年『inner ocean』収録)、「Time Bomb」(『inner ocean』)、「Kiss In The Moonlight」(『inner ocean』)……最初から最後まで、まるでシングルのA面コレクション(当時、レコードは若干あるものの、基本はCDリリースだった)の趣きだ。1曲目に「Kiss...いきなり天国」を持ってきたのはデビューシングルというのもあるが、大袈裟な表現になるが、バンドブームの正体を自ら暴いてみせるかのようだ。同曲は彼らのオリジナルではなく、作詞は柴山俊之、作曲は大沢誉志幸(当時の表記)である。いわゆる“売れ線”を狙ったもの。バンドブームに当て込み、一発あててやろうという事務所やレコード会社の魂胆が見え隠れする。広石自身も事務所やレコード会社が予め、シングルとして曲を用意していたことに不満と不審を抱いたという。同時に広石を始め、バンドメンバーのルックスを生かした、まるでアイドルの売り出しのようなプロモーションにも違和感があったそうだ。彼からは“この顔に傷をつけてもかまわない”という過激な発言も飛び出していた。

 

バンドブームの初期には、シングルA面は職業作家に依頼し、B面はバンドのオリジナル、もしくは外国曲のカバーというGS的な発想を持った製作者も少なくなかった。幸か、不幸か、彼らが初期に所属した事務所がフォーク、芸能界系のロックセクションだったこととも無縁ではないだろう。最初に所属したのは佐野元春が所属したことで知られる「HEARTLAND」だった。そんな縁もあり、1987年8月22日から23日にかけて、熊本県阿蘇郡久木野村(現・南阿蘇村)の熊本県野外劇場「アスペクタ」で7万に集め、豪雨の中、開催されたオールナイトコンサート「ビートチャイルド(BEAT CHILD)」にBOØWYやTHE STREET SLIDERS、HOUND DOG、THE BLUE HEARTS、RED WARRIORS、佐野元春、尾崎豊、岡村靖幸、白井貴子、渡辺美里……などとともに出演している。昭和の音楽史に残るイベントだが、同ドキュメンタリー映画『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987』(監督・佐藤輝)はTHE HEART、UP-BEAT、小松康伸はオープニングアクトとして出演しているものの、そのステージは収録されていない。同映画は2013年10月26日に公開され、同年12月31日に一日限定で再上映された。

 

 

と、話が飛んだが、彼らが事務所やレコード会社に好き勝手されることなく、何から何まで自分達がやりたいことができるには、もう少し時間が必要だった。同曲以降は自らが考えるロックを志向し、それを実現させることができている。特に「Kiss In The Moonlight」は同じ、“Kiss”絡みでも彼らが考える音楽性と大衆性の均衡が取れたもので、テレビドラマの主題歌という“タイアップ”もあって、大ヒットを記録している。他の曲も確固たるメッセージを込めながらも音楽的にも整合性を取りつつ、革新的な音作りがされている。やはり、佐久間正英というプロデューサーの存在が後押ししていたのだろう。佐久間を始め、ホッピー神山、是永巧一、岡野ハジメ、笹路正徳……など、バンドブームの陰には名プロデューサーありだ。

 

 

広石によると、MCをほとんどしなかったのは“僕達の曲は長いから、MCを入れたら、全部、演奏できない。とにかく、歌い切った”という。その分、喉を休ませる時間がなく、大変だったと笑う。

 

それにしても広石の強い意志とグラマラスな佇まいは往時と変わらない。彼らは決して、ファンを失望させない。それを改めて確認できたのではないだろうか。ファンにとっては記憶に残るステージだろう。2023年の“UP-BEAT”は颯爽とステージを去って行った。

 

 

実は、UP-BEATが1988年にリリースしたサードアルバム『HERMIT COMPLEX』のライナーノートを書いている。「ソニーマガジンズ」(当時は「CBS・ソニー出版」)の音楽雑誌『ギターブックGB』(『宝島』だけでなく、ソニマガの『PATi PATi』などもバンドブームに貢献していたはず)で同作の制作に密着、アルバムの録音から発売まで、その制作過程を毎号、連載という形で執筆していたのだ。その関係で同作のライナーノートを書くことになった。

 

同ライナーノートでは“完全なコンセプトアルバムであり、そこには一つの世界観が提示されている”と断言している。改めて読み返すと、チェルノブイリの原発事故が契機になっていることが書かれていた(と、表記するのも変な話だが……)。後にネットなどでは“深読み過ぎのライナーノート(笑)”とプチバズったものだ。

 

「宝島」では、同誌は1987年1月号から誌面がA5判から変形B5判へと大判化しているが、同時期、UP-BEAT、THE SHAKES、BE-MODERNの3バンドを集め、撮影スタジオで集合写真を撮影し、各バンドのインタビューを掲載している。“BEAT GOES ON!ビートは継続していかなければならない”なんて、書いたかもしれない。

 

UP-BEAT解散後には、1997年にテイチクからリリースされたマーク・ボラン&Tレックスの世界初のオフィシャルトリビュートアルバム『Boogie With The Wizard/A Tribute to MARC BOLAN & T.REX』にアキマ&ネオス、THE YELLOW MONKEY、ザ・ウィラード、 頭脳警察、デミセミクエーバー、野宮真貴+サエキけんぞう、ちわきまゆみ sing with PEALOUT、暴力温泉芸者、マルコシアス・ヴァンプ、山本精一、本田泰章、ROLLY、高木完、今井裕……などともに参加してもらった。彼は「ティーンエイジ・ドリーム」をカバーし、また、オールスターキャストによるボランズ・チルドレンとして「T.レックス・トリビュート・メドレー」も歌っている。

 

彼とは昔も今も音楽の話ができる。それも洋楽に精通し、古今東西の音楽を浴びるように聞いてきている。バンドブームの中、バンドであるにも関わらず、音楽の話ができないというのも変な話だが、BOØWYやTHE BLUE HEARTSは聞くけど、ストーンズやザ・フー、ビートルズは聞いていないというバンドがたくさんいた。単なる憧れだけで、バンドを組むものも多かった。ある種、音楽的な引出しの少なさや底の浅さがバンドブームの終焉に繋がる。広石武彦は福岡県出身、それも北九州市出身だ。福岡からはサンハウスやシーナ&ロケッツ、THE MODS、TH eROCKERS、THE ROOSTERS、ARB……など、数多のバンドがデビューしている。鮎川や大江などには地元の先輩として、直接、薫陶も受けているという。英米のロックやブルース、パンク、ニューウエイブなど、その博識ぶりは、その音を聞けばわかるというもの。彼がサバイバルできるのは、そんな音楽に対する深い愛情と広い知識があるからだろう。

 

国民的ヒット曲を持つバッドボーイズロッカー、ZIGGY

 

 

そして三番目はZIGGYである。現在は森重樹一を中心にするプロジェクトで、長渕剛の全国ツアーに帯同するCHARGEEEEEE…(Ds)、ビジュアル系のFemme FataleのメンバーだったToshi(B)、BEAT CRUSADERSの元メンバーでトーキョーキラーのメンバーとして活躍するバンマスのカトウタロウ(G)がサポートしている。いずれも2010年代から森重をサポートしている気心の知れたメンバーだ。

 

彼らが登場して最初に披露したのは「GLORIA」(1988年にリリースしたZIGGYの2枚目のシングル。1989年にテレビドラマの主題歌に起用され、2度目のシングルカット。約30万枚を売り上げ、オリコン3位を記録)である。いきなり、バンドブームも超えた国民的ヒット曲を持ってくるなど、反則である(笑)。当然、観客は総立ち、熱狂の渦に巻き込まれる。大ヒット曲の魔力というべき強みが発揮される。続けて「それゆけ! R&R BAND」(1987年にインディーズの「VICEレコード」からリリースした初のアルバムのタイトルトラック)。同曲もファンにお馴染みのナンバーだ。演奏を終えると、森重はこのライブに出演できたことを感謝する。JUN SKY WALKER(S)、RESPECT UP-BEATと一緒にステージに立てる喜びを語りつつ、“ジュンスカは変わらないね。少年のようだけど、中身はおじさん。広石くん、男前。だけど、おじさんなんだ”とギャグを入れ込む。その後も延々とMCが続く。ZIGGYを1984年に結成して、来年は40年になるという。いい意味で月日が人を変えていくのか。まさかの長尺のMCに驚く。実は後で、歌い続けるのはきついので、声と身体を休ませていたことがわかる(笑)。

 

「STAY GOLD」(1994年にシングルとしてリリース。日本テレビのプロ野球中継のイメージソングとして使用され、30万枚を売り上げている。同年にリリースされたアルバム『BLOND 007』収録)、「翳りゆく夏に」(ZIGGYはSNAKE HIP SHAKES名義で2000年から2002年まで活動。同バンドとして2001年にリリースしたアルバム『NEVER SAY DIE』へ収録)と、ミディアムスローの名曲で緩急をつけながら聞くものを虜にしていく。心の奥底にすんなり入って来る。改めて、彼らの楽曲の自然なポピュラリティー、大衆性に脱帽せざるを得ない。バッドボーイズロックの強面なイメージばかりが先走るが、ソングライターとしての確かな力量を評価すべき。会場にいる観客も悩み多き青春時代を思い出し、懐かしさとともに忘れていたものを思い出したのではないだろうか。

 

「ONE NIGHT STAND」(1989年にリリースしたシングル。オリコン12位にチャートインしている)、「SING MY SONG(I JUST I WANT TO SING MY SONG)」(1988年にシングルとしてリリース。翌89年にリリースされたアルバム『NICE & EASY』ではアルバムヴァージョンとして録り直しされている)、「I'M GETTIN' BLUE」(オリジナル盤は1988年5月に「GLORIA」と同時発売。翌89年7月に「GLORIA」が再発売され、同年11月には「I'M GETTIN' BLUE」も再発売されている。テレビ朝日系のヴァラエティ番組のエンディングテーマに使用され、オリコン15位にチャートイン)など、名曲が惜し気もなく披露され、最後は「DON'T STOP BELIEVING」(1990年にリリースしたアルバム『KOOL KIZZ』収録。同アルバムは初のオリコンチャート1位を記録している。同曲は映画の主題歌として使用され、数多くの歌番組で披露された)で締める。それらの曲間でも森重のMCは延々と続いたが、特に心に残ったものを書き留めておく。くだけた口調の中にも大事な言葉があった。“バンドブームで、デビューしなくてもいいようなバンドもいたけど、ちゃんとしたバンドはいまも残っている”、“このところ、たくさんのミュージシャンが亡くなっている。けど、そんな奴らの思いを伝えていきたい”、“そのためなら、なんでもしてやる。そんな気概のあるやつは俺が手助けする。勿論、簡単に譲らないからな”ということを語っていた。うろ覚えで、正確な引用ではないので、音源や映像が公開される際にでも確認いただきたいが、おそらく、森重のそんな思いはここにいた多くの観客に届いたことだろう。

 

 

ZIGGYを形容する際に使用される“バッドボーイズロック”なるキャッチフレーズ。実は、そんな形容詞の誕生に少なからず、関わっている。おそらく、“バッドボーイズロック”という言葉が初めてメディアに登場したのは1987年に宝島で特集された「バッドボーイズロック JOHNNY BE BAD!(ロックよ、悪<ワル>になれ!!)」なる企画だろう。その特集で“バッドボーイズロック”(もしくは“バッドボーイズロックンロール”なる言葉を使用して、ZIGGYやGDフリッカーズ、シェイディ―ドールズなどを紹介している。ワーナーミュージックのディレクターで当時、ガンズ・アンド・ローゼスを担当していた方と企み、ガンズやモトリー・クルー、ハノイロックスなどとともに日本のZIGGYやGDフリッカーズ、ジュンスカ、マルコシアス・ヴァンプ、ティラノザウルスなどをリンクさせ、その総称として「バッドボーイズロック」と名付けた。ロックが品行方正なものになりつつある中、ロック本来の不良性やグラマラスな魅力を際立たせるためだが、HIPHOPなどで使用されていたB-BOYのロック的展開である。翌88年5月に発売された宝島のビデオマガジン『VOS ヴスッ!』の第3号」でも特集されている。ZIGGYに同名称で形容されることについて、改めて聞いたことはないが、未だにバンド紹介の際、同名称が引用されているので、そんな反感はないはずと、勝手に思っている。ただ、ジュンスカはZIGGYと共演していたり、たまたま、グラマラスにメイクした写真(宝島の特集で公開している)があったりしただけで、その仲間入りは不本意だったかもしれない。また、ソウルフラワーユニオンのライブで中川敬がギターの高木克を紹介する際、彼が参加していたシェイディドールズのことを“バッドボーイズロック”と必ず、囃し立てることがいつも気になっている。少し心が痛む。申し訳ない。

 

 

 

ZIGGYがステージを去ってからもアンコールを求める拍手や歓声はやまない。ほどなくして、ZIGGYとともに宮田和弥、広石武彦が登場する。ただの“アンコール”ではなく、タイムテーブルにある“スペシャル”だ。演奏に入る前に何故か、昔話に花が咲く。3人の掛け合い漫才(!?)は延々と続いていくのだ。広石も思わず、“森重さんはこんな人じゃなかった。MCが長いよー”と、突っ込みを入れる。立ちっぱなしでほっておかれた観客のため、宮田は“座ったままクラップユアハンズしよう”と提案する。そして森重が演奏したのはZIGGYのデビュー前からの初期のナンバーで、インディーズからリリースされた初のアルバム『それゆけ! R&R BAND』に収録された「Feelin' Satisfied」。座ったままで拍手というシュールな光景ながら大人になったバンドマンと大人になったキッズ達の魂の交感が行われる。誰もが笑顔で満足気である。生きていればいろいろなことがある。楽しいことも辛いこともある。いつか、君の中のつらいことを忘れさせてあげるという約束は、この日も果たされた。

 

 

大阪「Zepp Osaka Bayside」で行われた『バンドやろうぜ ROCK FESTIVAL』。JUN SKY  WALKER(S) 、RESPECT UP-BEAT、ZIGGYの時を経ても色褪せない、時代を超える名曲たちを堪能することができたのではないだろうか。バンドブームを超え、楽しみながらロックし続けることを選んだ――彼らの歌や演奏からはそんな決意と覚悟が伝わる。それにしても三者三様、自分達のロックへの拘りを感じさせる。ブームを突き抜け、いま自らが考えるロックが出来ている。同時に多くの人達に愛されるヒット曲の魅力も目の当たりにする。現象のみが語られることが多いが、その作品も改めて評価すべきだろう。いずれも人懐っこく、自然と心と身体に迫って来る。青春の応援歌(気恥ずかしい!?)というものも多いはず。また、当時はバンド同士がお互いに緊張関係にあったはずだが、いまは“旧友再会”の和みと親しみがある。いずれにしろ、ロックとともにいい大人になった。このバンドブーム再評価におごる事なく、しっかりと足元を見つめ、活動をしていこうとしている。50、60を超えてからが、ロックにやられたバンドブームサバイバーの真骨頂なのかもしれない。

 

 

 

“バンドやろうぜライブ”は、既に大阪と名古屋の公演は終わったが、9月2日(土)に東京都 Zepp Haneda(TOKYO)で岸谷香、筋肉少女帯、JUN SKY WALKER(S)が出演する東京公演がある。バンドは変わるが、是非、見ておくべきだだろう。繰り返しになるが、会場で配布される“バンドやろうぜ”の復刻版は貴重。いまのインタビューとアーカイブが収録される。当時のスタッフが制作に関わっている。そこにもロックし続けるものがいる。バンドブームから生まれたロッカー達はいまも健在。そんな彼らのいまがわかる。

 

 

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実は大阪公演の終演後、広石武彦に短時間だが、楽屋で話を聞くことが出来た。まず、語ったのは各バンドとの関係性が変わったこと。

 

「出ている人達が憑き物も落ちていて、全員がフラットだった。バンドブームの時にイベントでいっぱい一緒になったけど、あの当時は“俺達が一番”と思って、張り合っていた。その空気が、打ち上げ会場で一緒になっても、どこか、抜けないところがあったから、お互いに親しくはなれなかった。今日は友達と会ったという感覚。何か、アホみたいに仲良くなったよ(笑)。全員、ロックアホだから」

 

この日、満員の観客を見て、広石がとても嬉しそうにしていたのも印象的だった。ZIGGY、 JUN SKY WALKER(S)、RESPECT UP-BEATの3バンドで、これだけ観客が入ったことで、確信のようなものを掴んだのかもしれない。

 

 

「僕達だけでなく、周りを含め、盛り上がってきているから嬉しいね。こういったイベントを10月にRED WARRIORSがオーガナイズドする」

 

同イベント、タイトルは「RED ROCK」、コンセプトは「1980年代のロックシーンを熱く盛り上げた RED WARRIORSが、再び「80’s ROCKを盛り上げよう!と、遂にフェスをオーガナイズ!」で、埼玉県大宮市のコンサートホール「大宮ソニックシティ」のオープン35周年と埼玉のFM局「FM NACK5」の開局35周年を記念して10月28日(土)、29日(日)に埼玉「大宮ソニックシティ」にて行われ、RED WARRIORSとともに斉藤和義、ZIGGY、GLIM SPANKY、THE PRIVATES、PERSONZ、RESPECT UP-BEAT、The Lady Sheltersなどが出演する。バンドブーム時代の広告代理店やテレビ局などが仕掛けたイベントとは、まったく異質のものである。自分達で自分達のことをやろうとしているのだ。

 

 

「そっち(自主独立のイベント)が育ってきてほしいです。僕達は広告代理店がなんだとか、シングルを作らなければいけないとか、さんざん、やってきたんですよ。でも今の僕は楽しいことが一番。お客様もそれを見て、楽しんでくれているから。すごくストレートでいて、正しい形だと思うんです。だから、こっち側が大きくなっていくのを期待したいですね」

 

 

いわゆるバンドバブルにいまだに浮かれ、その気分のまま、2023年に活動するのではなく、もっと、地に足のついた、確かなところからロックしようとしている。このところ、実績のあるバンドでもアマチュア時代やデビュー当時のようにメンバーと「ハイエース」や「デリカ」などに器材を詰め込み、日本中をツアーすると言うバンドも増えている。ただ、ライブをするのではなく、オルタナティブな拠点を巡り、新たなネットワークを築いている。

 

「この間、5月に下北沢の『CLUB Que』で2DAYSをしたら、次の日、5月5日 が子供ばんどのライブで、前日に器材搬入とかで来ていて、久しぶりにうじきつよしさんに会ったんです。その時、話したけど、うじきさんが初めて小倉に来た時、『IN&OUT』というライブハウスだけど、僕、見に行っているんですよ。そのころからうじきさんは車で全国を回っていて、いま、また同じことやっていると言っていた。やっぱり、それが正しいといえば正しんですよ。ただ、いまは車で回るにしてもガソリン代が滅茶苦茶、高くなっている。ホテル代もそうだし、いろいろ悩ましい状況があるから、簡単にツアーは組めないけど、でも何とか、します。小倉へも行きたいし、いずれツアーもします。バンドを続けていきたから、いろいろ、考えますよ。バンドブームの頃はバンドだけでなく、業界もバブルだった。本当、贅沢三昧だから。それは感謝しているけども、いまの自分達でやろうとしていることは、どこからも毒されず、育ってくれていったらいいと思っています」

 

逆説的な物言いになるが、バンドブーマーがしぶといのは、“贅沢を知っている”からだと思っている。バブルのお陰でレコーディングやプロモーションなど、潤沢な予算がかけられた。今と昔では制作状況は違うが、同時代に海外での録音、世界的なエンジニアやトップクラスのプロデューサーの起用、憧れの有名ミュージシャンとの共演など、日本経済にゆとりがあったから出来たことかもしれない。彼らは本物や真実を知る。それは彼らの武器になるのだ。バンドブーマーにとって、還暦など、隠居の入り口ではなく、新しいこと始める起点になる。特に“80年代”や“90年代”に拘る必要はないが、その時代を生き抜いてきたバンド達が懐古や郷愁の先に何を見せてくれるか、楽しみでしかない。

 

 

 

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『バンドやろうぜ ROCK FESTIVAL THE BAND MUST GO ON !!』

 

 

2023年8月12日(土)大阪府 Zepp Osaka Bayside

<出演者>

ZIGGY / JUN SKY WALKER(S) / RESPECT UP-BEAT

 

2023年8月19日(土)愛知県 Zepp Nagoya

<出演者>

GO-BANG'S / JUN SKY WALKER(S) / PERSONZ

 

2023年9月2日(土)東京都 Zepp Haneda(TOKYO)

<出演者>

岸谷香 / 筋肉少女帯 / JUN SKY WALKER(S)

 

 

「バンドやろうぜ ROCK FESTIVAL THE BAND MUST GO ON !!」公式サイト

https://banyarofes.jp/

 

 

 

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『大宮ソニックシティ設立35周年記念 RED WARRIORS PRESENTS「RED ROCKS」』

 

2023年10月28日(土)

埼玉 大宮ソニックシティ 大ホール

OPEN 15:00 / START 16:00

GLIM SPANKY / THE PRIVATES / 斉藤和義/ RED WARRIORS

 

10月29日(日)

埼玉 大宮ソニックシティ 大ホール

OPEN 13:00 / START 14:00

THE LADY SHELTERS / ZIGGY/ PERSONZ / RESPECT UP-BEAT/ RED WARRIORS

 

「RED ROCKS」特設サイト

redrocksfes.com

 

 

 

以前、長野で気になるフェスがあるとSNS(ツイッターか、Facebookかは忘れた)で書いた。残念ながら予定が合わず、行くことは叶わなかったが、配信で見ることが出来た。それが、この8月5日(土)に長野県飯山市の飯山市文化交流館なちゅら 大ホールで開催された「NONA REEVES 信州いいやまノーナ・フェス2023」。NONA REEVESの他、堀込泰行、堂島孝平が出演する。第1回が2019年8月3日に開催され、毎年開催を目指していたが、新型コロナウイルス感染症の拡大により3年間、開催できなかった。今回、4年ぶりに開催されることになった。

 

何故、飯山か。同所はNONA REEVESのドラマー、小松シゲルの出身地である。そういえば、2014年11月3日(月・祝)に佐野元春&THE COYOTE BANDが「2014年秋ツアー」の一環として長野のライブハウス「CLUB JUNK BOX」でライブを行った際、佐野元春がメンバー紹介で、“そして最後に、そして最後に”というアナウンスとともに、小松シゲルを紹介している。THE HEARTLANDならば、ダディ柴田の“位置”や“順番”だ。当然、彼が地元、長野県飯山市の出身であることも伝えている。一際、大きな拍手と歓声が上がったことを覚えている。故郷は常に優しい、そんなことを思ったものだ。

 

配信なので、会場の全景や風景、屋外の状況はわからないが、その分はSNSで情報を補足しつつ、見ることにした。飯山は高原なので、上田より山は深いが緑と青は変わらなかった。残念ながら飯山に行ったことはないが、音楽フェス“斑尾ジャズ”(今年は諸事情で開催されなかった)で有名なところなので一回くらい行っていると思ったが、行ったことはなかった。

 

“信州いいやまノーナ・フェス”、やはり行けるのであれば行くべきフェスだった。大阪府大阪市に生まれ、茨城県取手市で育った堂島孝平は喉の不調のため、歌は完全ではなく、曲数は削られ、その分、トークが長くなったが、彼の楽しさが伝わってくる。彼こそ、杉真理二世と勝手に評価しているが、楽しさ、面白さが伝わってくる。つまらないダジャレを含め、エンターティンナーである。最後はマイク片手に会場を駆け回る。後ろでシールドがこんがらがらないように捌き、操るスタッフも大変そうだったが、後先、考えない、そんな一生懸命なところが彼らしい。まずは、掴みはオッケーという感じだろう。

 

エンターティナー、堂島の後は、埼玉県坂戸市出身でサバービアな魅力を放つ大人のポップスを作り続けるKIRINJIの元メンバー堀込泰行。やはり、彼の歌や演奏は和む。変に格好つけずともスタイリッシュ。堂島、堀込と盛り上がってきたところで、ノーナ・リーヴスへ引き継ぐ。

 

ノーナ・リーヴスのヴォーカルの西寺郷太は東京都生まれ、京都府育ち。ギターの奥田健介は福岡県生まれ、滋賀県大津市育ち。ドラムスの小松シゲルは前述通り、地元・長野県飯山市出身である。バンド結成は1992年、早稲田大学の音楽サークルで上京してきた西寺郷太と小松シゲルが出会ったことがきっかけ。一学年下の奥田健介が同サークルに参加。1996年2月、下北沢「CLUB Que」で奥田健介が加入した初ライブが行われている。当時の模様は西寺郷太の自伝的小説『90's ナインティーズ』(文藝春秋)に詳しく書かれている。私的には同小説を読んでから彼らの存在がより身近に感じ、関心も深まった。そんなところで、“いいやまノーナ・フェス”という長野で自らの名前を冠したフェスがある。小松シゲルの故郷ということもあるが、18の夏に斑尾ジャズフェスを見に行って、小松の実家に泊まったことが飯山との縁の始まりらしい。その後、2017年に8月26日(土)と27日(日)に長野県飯山市のとんだいらゲレンデで開催された「飯山さわごさ 2017」に出演(ノーナは8月26日に出ている)したことも大きかったという。当時、制作していたアルバム(『MISSION』)に収録される「Glory Sunset」を飯山の自然の中、歌詞にぴったり合うシチエーションで初披露したことも印象に残ったそうだ。小松シゲルを中心として、この街との繋がりが出来たことを感じたという。そんな経緯もあり、いいやまとノーナ・リーヴスとフェスが結びつき、その交流が始まったという。

 

そんな彼らを飯山は優しく受け止める。何か、故郷に錦を飾る、凱旋公演の趣きもある。暖かい空気に包まれる。彼らの洗練された音が田舎の空気を心地良く纏う。ご当地限定か、小松シゲルの“ヒゲダンス”も披露される。また、飯山市長も登場、最後は万歳三唱で締めるのも飯山流か。“フェス”であり、“祭り”でもある。ちなみにアンコールには、その「Glory Sunset」も披露された。配信のため、景色は見えなかったが、山間に太陽が沈み、山を照らす。気分は夕焼け番長である。聞けば飯山は長野では一番、他県からの移住者が多いところらしい。ライブを配信で見ただけだが、なんとなく、そんなことも頷ける。

 

明日、8月12日(土)までアーカイブ配信されている。機会があれば以下にアクセスし、西寺郷太が嬉しそうに“ハロー配信ピーポー、ハローアーカイブピーポー”という言葉を聞いて欲しい。信州飯山に行った気になれる。“Glory Sunset”も見えるはずだ。

 

『信州いいやまノーナ・フェス 2023』

https://eplus.jp/sf/detail/0019320004-P0030151P021001?P1=1221

 

http://www.nonareeves.com/live-event.html

 

 

 

 

 

と、前振り(!?)が長くなったが。この5月に長野の上田と茨城の水戸を訪れている。当然、ライブ絡み。既にリポートを以下に掲載している。

 

 

長野は“音楽の村”になる!――「Sunny "音楽の村"」信州国際音楽村パノラマステージひびき(Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !)

 

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12807142598.html

 

 

 

 

地元でライ部が水戸で実現した“夢の一夜”!--花田裕之 流れ premium meets SION 〜水戸の片隅から〜」花田裕之+SION(福岡BEAT革命)

 

https://www.fukuokabeatrevolution.com/post/%E5%9C%B0%E5%85%83%E3%81%A7%E3%83%A9%E3%82%A4%E9%83%A8%E3%81%8C%E6%B0%B4%E6%88%B8%E3%81%A7%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E3%81%97%E3%81%9F-%E5%A4%A2%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%A4%9C-%EF%BC%81%EF%BC%8D%EF%BC%8D%E8%8A%B1%E7%94%B0%E8%A3%95%E4%B9%8B-%E6%B5%81%E3%82%8C-premium-meets-sion-%E3%80%9C%E6%B0%B4%E6%88%B8%E3%81%AE%E7%89%87%E9%9A%85%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%9C%E3%80%8D%E8%8A%B1%E7%94%B0%E8%A3%95%E4%B9%8B-sion

 

 

 

5月27日(土)に長野県上田市信州国際音楽村 パノラマステージ ひびきで開催されたOs OssosやAnaiogfishなどが出演する野外フェス「Sunny“音楽の村”」、5月28日(日)に茨城県水戸市のクラブ「VIBES」で開催された花田裕之とSIONの共演「花田裕之 流れ premium meets SION ~水戸の片隅から~」を見ているのだ。それらは単体ではなく、2カ所(実際は3カ所)を結んだ小さな旅でもあった。泊まった宿や食事、景色などを忘備録的に書き留めておく。勿論、その土地に拘るには理由がある。私の中の衛星都市構想(!?)の一環でもある。次の旅が間近なので、少し端折るが、大らかな気持ちで“モーターサイクルダイアリーズ”を読んでいただければ幸いだ。

 

「Sunny“音楽の村”」は27日(土)の午後0時(12時)に始まり、午後6時(18時)前には終わる。電車でも日帰りができると謳われていた。車利用なので、東京から上田への日帰り旅行はできないことはないが、折角の長野行き、少しは上田を味わいたく、前乗り、開催日前日に現地入りすることにした。上田へは20年ほど前だが、同所へ行き、居心地のいいところという印象があった。街なども古いものと新しいものがいい意味で混在し、城下町ならではの昔の風情を残しつつ、若者がその再生に一役買う、そんな印象があった。

 

その時は鹿教湯温泉へ立ち寄ったが、どうせなら他の温泉に前泊することを考えた。会場からもそう離れていない、別所温泉にした。信州最古の温泉で美人の湯として有名である。直前だが、手ごろな温泉旅館がみつかる。部屋自体はお任せだが、朝食付きで10000円ほど、当然、源泉かけ流しの温泉は入り放題だから文句はない。

 

5月26日(金)の午前10時頃に東京を出る。関越と上信越の分岐の藤岡ジャンクションまでは順調に進むが、軽井沢手前からは思わぬ工事渋滞で、なかなか、進まない。上田で蕎麦を食するつもりが、ランチタイムに間に合わない可能性も出て来て、焦る。途中、東部湯の丸SAで上田の蕎麦マップを手に入れ、お目当ての店に電話をしてみると、ランチタイムは午後3時30分まではやっているという。あまりネットなどで下調べをせず、SAやPAで無料配布されている観光案内で当たりをつけ、地元の方に聞くなど、出たとこ勝負の現地の口コミに頼るのが私流。上田菅平ICを降り、「信州蕎麦の草笛」を目指す。胡桃蕎麦が名物らしい。ICを降りてから15分ほどで到着。大きな店だが、ランチタイムをとうに過ぎたので、空いていて、順番を待つことなく、席に着くことができる。地のものの天ぷらなどもあったが、ここはシンプルに胡桃蕎麦の一択。運ばれてきた蕎麦は思いのほか、量も多く、店の方も胡桃蕎麦で充分ですというのも納得である。あれやこれや、薦められるより、居心地がいい。擦った胡桃汁にそば汁を入れ、蕎麦を食す。甘さと辛さがまじり、つゆのなかで、いい意味で歯ごたえのある蕎麦が絡み、食が進んでいく。薬味なども多くはないが、それだけで不足はない。いいものを食べた気がする。いろいろ、他の店もはしごしたいところだが、生憎、行きたい店は既に休憩時間に入っている。上田から別所温泉は車で30分ほどだが、折角だから上田城(上田城跡公園)を見ておく。城内に入ると、真田幸村がお出向かい。名刺までもらった。当然の如く、観光用のコスプレだが、記念写真を撮る方も多かった。大河ドラマ『真田丸』の人気以前に戦国ゲームでの人気もあるだろう。ディスプレイのイラストがまるでゲームもどきで、ちょっと萌えな感じの絵柄が目を引く。上田の街自体はいい感じで田舎で、いい感じで都会である。以前、駅前にあった大型スーパーは見かけなくなったが、錆びれたという感じはない。大型店やフランチャイズの飲食店などは主要国道周辺に移動しているようだ。モーターリゼーションである。

 

▲上田「草笛」の胡桃蕎麦

 

「信州蕎麦の草笛」

https://www.kusabue.co.jp/index.html

 

 

▼上田城址公園。中央が真田幸村(!?)

▲真田幸村から貰った名刺と真田神社からの景色

 

 

「信州上田観光情報」

https://www.city.ueda.nagano.jp/site/kankojoho/

 

 

 

 

上田駅から別所温泉へは車で30分ほど。山を分け入るというより、上田の奥座敷、隠れ家的な感じのところ。温泉場の禍々しさはなく、落ちつき払い、静けさが勝る。勿論、活気がないわけではない。旅館以外にスナックなどもあるものの、蕎麦屋や居酒屋などもちんまりと営まれる。むしろ、静謐な寺社などがこの温泉街に気品を与えていると言っていいだろう。別所温泉のHPを見ると、その由来に日本武尊の東征や清少納言の「枕草子」、木曽義仲、源頼朝、塩田北条氏なども出てくるのだ。

 

宿は「上松や」というところだが、こじんまりとしていて、番頭さんや中居さんもきびきびしている。フロントロビーにはオーガニックなウエルカムドリンクなどもあった。部屋自体はお任せ(かつ、訳ありプラン)なので、眺望や広さは望むべくもないが、一人で過ごすには充分である。夕食はつかないので、フロントに紹介してもらった食べ呑みどころ「桂」へ行くことがする。その土地の名物を食べないと気が済まないタイプであり、同所の名物である馬肉うどんや美味(びみではなく、おいと読む)たれをつけた焼き鳥が出ると言う。他の店は生憎、昼までの営業。結局、一択である。馬肉の美味さと甘さが汁に染み、うどんそのものも普通(讃岐でも博多うどんでもない、極端に硬くも柔くもなかった)だった。また、美味たれをつけ、せせりを焼いた焼き鳥は絶品。独特の甘さがありつつも適度な切れがある。刻んだにんにくもたっぷり入っている。美味たれは翌日、駅の土産物店で買ってしまった。

 

宿に戻り、温泉三昧する。六種類の湯殿、大浴場も露天も檜風呂も陶器風呂も制覇する。美人度が一気にあがる(!?)。長時間の運転も柔らかい湯で解されたような感じだ。布団に入ると、すぐ寝てしまった。

 

翌朝、食事処で朝食をいただく。サラダやご飯、みそ汁などはブユッフェ形式で取り放題だが、盆に並ぶ、食事が見事だった。馬肉や蕎麦、銀鮭、信州白鳥など、地のものが並ぶ。おざなりの朝食ではなく、その土地の名物、旬のものをこしらえ、出してくれる。いきなり別所温泉の名物を食せるのは嬉しい限り。どれも美味しいので、ご飯も進む。この日のライブ会場は飲食物の販売がなく、どこかで買って持参しなければならないが、昼を食べなくて大丈夫なように腹拵えをしておく。宿を出て、会場を目指すが、別所温泉の駅前にスーパーがあり、おはぎがあったので、おやつとして買っておいた。結局、おはぎが昼食になる。

 

▼別所温泉の食べ呑みどころ「桂」の馬肉うどんと美味たれを

つけた焼き鳥

 

 

▼別所温泉の粋な小径と「上松や」の朝食とお品書き

▲別所温泉駅と駅前にある「おはぎ本舗」。絶品でした

 

「別所温泉」

https://www.bessho-spa.jp/

 

ライブの模様は既にリポート済なので、特に書かないが、この時期の信州のドライブは気持ちがいい。暑からず、寒からず、とても空気が澄んでいるのだ。また、山と森の緑と空の青、雲の白が眩い光を浴び、鮮烈である。丁度、同時期に放送されていたNHKのプレミアムドラマ『グレースの履歴』(出演:滝藤賢一・尾野真知子・伊藤英明・宇崎竜童・広末涼子)の主人公になった気分になり、車を走らせていた(勿論、マニュアルではなく、オートマ。当然、由来や由緒のある車ではない)。

 

 

イベントを終えると、信州音楽村から上田市内に戻る。翌日の差し入れのために土産物屋などを物色。結局、地酒セットにした。リンゴや胡桃のお菓子では彼らのイメージに合わない。夕食も上田でと思ったが、早めに移動を考え、上田菅平ICから信越高速に乗る。一度、東京へ戻ってから、水戸へ行ってもいいが、距離を短縮するため、つくばを目指す。同所に秘密基地がある(!?)。上信越から関越へ。つくばまで持ちそうもないので、上里SAでとりあえず、遅めの夕食にする。一応、埼玉名物、つけ汁(肉)地粉うどんを食する。実はこの辺は通い慣れたところ。埼玉県本庄市出身で現在も在住しているバンド、GLIDERについて度々、書いている。東京の衛星都市を中心とした郊外型ロックの広がりについて、考察をするため、同所には何度も足を運んでいる。それ以前に深谷や岡部などは東京近郊の新鮮野菜を仕入れるため、車を駆って産直や道の駅めぐりもしている。そのGLIDERがライブで共演していたバンドが先日、メジャーデビューしたGOOD BYE APRILである。同バンドのヴォーカリスト、倉品翔が長野県佐久市の出身であり、彼がイオンモール佐久平など、地元のショッピングセンターなどで積極的にライブ活動していることを知った。勝手な思い込みだが、東京と埼玉と長野が繋がった。同時に関越や東北道など、縦の高速だけでなく、圏央道や北関東道など、横の高速が拡張されたことで、その距離感も縮まってきている。何か、ネットワークみたいなものがやがて形成されていくのを感じている。実際、GLIDERの同郷のhuenicaも群馬出身&在住のバンドをプロデュースし、同所でのライブもサポートしている。実際、Os OssosとGLIDERにいまのところ何の関連もないが、今回の長野行きは地勢的な距離を確認したいというのもあった。

 

車は鶴ヶ島ジャンクションから圏央道に入り、つくばを目指す。夜も遅いので、渋滞もない。1時間ほどでつくばに着く。同所に隠れ家がある。実際はつくばではなく、土浦だが、駅はつくばが土浦より圧倒的に近い。東京の際と埼玉の際の争いみたいだが、つくばへ行くことが多いので、つくばとさせてもらう。数年前、実家の周りの区画整理、大規模な再開発のため、家が取り壊され、大型ビルが建つことになった。そのため、実家に預けていた大量の音源や資料、書籍、雑誌などを移動させなかればならなくなった。10数年前にも実家の改築で資料を移動させなければならず、その際もつくばに資料室として、小さな部屋を借りた。改築が終わり、実家へ資料を戻したと思ったら、また、資料を動かさなければならなくなった。既にコロナ禍と言うこともあり、リモートワークなども考え、移住まではいかないが、南房総など、サーフィンが出来そうなところも鑑み、いくつか、物件を見たが、海の近くでも草ぼうぼうで、虫が多く、東京と南房総を往復するには距離があり、時間がかかるので諦めた。以前、借りたことのあるつくばにした。つくばとは縁も所縁もない。敬愛する白竜が同所で「29BAR」というライブハウスをしていたこと、ミニコミ時代の友人がつくば大学で映像関係の学部を出たことくらいか。最初につくばに資料を持って行ったのは、たまたま、産直や道の駅巡りをしていた時に美味しいイタリアンや質の高いベーカリー、絶品のラーメン店などがあることが決め手で、同所にしたが、今回もやっぱりつくばになった。改めて、面白い書店や珈琲店なども知った。今回は前回より広めの部屋で、多少、生活できるスペースも確保していた。リモートや移住ではないが、先のネットワークの布石みたいな気持ちもあった。もっとも、資料を移動するだけで精一杯、ちゃんと整理も出来ていない。ワークステーションにするには、まだまだ、準備不足である。とりあえず、同所はガスも水道も電気も使用可能にしているので、風呂に入って、すぐ布団に入って寝てしまった。前回は資料がいっぱいで生活するどころではなかったが、今回は居住性が多少、増したようだ。

 

翌朝、5月28日(日)は、早起きしてお気に入りのベーカリーでフルーツサンドやデニッシュなどを買い出しする。つくばの焙煎所で買った珈琲を入れ、朝食とする。殺風景な部屋だが、一瞬だけ、優雅な風が吹き抜ける(笑)。

 

 

「ル パン グリグリ(Le Pain Gris*Gris)」

https://www.instagram.com/le_pain_gris_gris/

 

 

 

福岡のビートミュージックの応援サイト「福岡BEAT革命」をともに運営しているデザイナーとつくばで待ち合わせし、水戸を目指す。まだ、時間は12時と早いが行くところがあった。水戸と言えば納豆や梅だろうが、他にも美味しいものに事欠かない。その中でも出色なのはうなぎである。水戸の老舗で、水戸で鰻と言えば「ぬりや 泉町 大通り」である。実は数年前、同所のうなぎ重をお土産でいただき、いたく、感動したものだ。いつか、「ぬりや」で食べてみたいと思っていた。お値段もお時間もそれなりにかかるところだが、折角、水戸に来たからには食べずにはいられない。

 

幸い、店は混んでなく、順番待ちはなかったが、出てくるまで50分ほどかかる。まずはうな重ではなく、白焼きから行く。うな重ではなく、白焼き。老舗で、まずは白焼き、何か、大人になった気分である。ふかふかでいて、山葵との相性が良く、さっぱりとしている。いい意味で対象の妙を楽しむための順序である。暫くして、うな重が運ばれる。気持ち奮発して、特上にする。勿論、肝吸いや奈良漬け、お新香もついてくる。鰻の味はずしりと重たい。だからと言って、胃にもたれることなく、いい按配でたれを包み焼かれた鰻が身体に入って来る。嬉しくなって、全身全霊で受け止める感じだ。気づけば、あっという間に食べてしまったが、水戸まで足を運んだ甲斐があったと、納得の鰻だった。少し早めの土用の丑の日を体験する。ライブまでは、まだ、時間がある。水戸駅周辺を散策すると、雰囲気のあるカフェやクラブ、レコードショップなどがある。いずれも居心地の良さそうなところだった。

 

▼「ぬりや」の白焼きとうな重

 

「ぬりや 泉町大通り」

https://tabelog.com/ibaraki/A0801/A080101/8001191/

 

 

 

 

 

水戸駅から5分ほどで、徳川家康公を祀る神社として創建された水戸東照宮がある。その東照宮の下には「宮下銀座」と呼ばれる昔ながらのアーケード商店街があり、ディープでレトロな店が立ち並ぶ。ちょっと、いい意味でまわりから浮いている空間があった。流石、一杯やってからとは行かず、その時は散策するに留める。

 

▲宮下銀座商店会のもつ焼きや「高嶺」のもつ煮や焼き鳥、

もつ炒め、サラダなど

 

「宮下銀座商店会」

https://miyagin.fun/

 

 

 

花田とSIONの共演は、まさにこの水戸だから実現した奇跡のような一夜だった。もし、機会があれば、この組み合わせ、どこかで見るべきだろう。二人がともに嬉しそうに笑顔を浮かべ、演奏していたのが印象的。お二人ともご機嫌だった。東京からではなく、つくばからなので、水戸へはあまり時間もかからず、着くことができた。勿論、東京からでも車なら高速利用で2時間ほど。何か、この地もネットワークで繋がる、そんな感じがしている。

 

ライブ後、時間も時間なのでやっている店も少ないが、予め下調べした「宮下商店街」へ行くと、何軒か、やっていた。軽く夕食と言う感じで、「もつ焼 高嶺」へ入る。デザイナーはもつ焼きともつ煮を頼み、生ビールも注文する。運転する気なしであることを知るが、私は笑顔でやり過ごす。当然、ソフトドリンクを注文する。安価な割に味は良く、ボリュームもある。水戸の底力を感じる。店自体はレトロな雰囲気だが、注文はQRコードをスキャンして、スマートフォンからというハイテクな対応。古いいいものと新しいいいものが共存する。新しい町の在り方を感じさせるのだ。

 

 

 

東京へは車で2時間ほどだが、休み休みの運転だったので、思いのほか、時間がかかる。時計は5月29日(月)の午前2時を指していた。5月26日(金)から28日(日)まで、2泊3日の旅だったが、東京、上田、つくば、水戸が身近に感じた。そして飯山。私達は繋がっている。