Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 ! -11ページ目

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

タクシーの運転手さんに「上福岡」と伝えても何故か、「上大岡」に連れて行かれる。“タクシーあるある”かもしれないが、上福岡市はふじみ野市になったので、いまはどうだろか。

 

久しぶりに「上福岡のらろば」という名前を聞いた。某「ROCK STEADY」で都内近郊のライブハウスのスケジュールを掲載した際に何度もその名前を書いている。「上福岡」へも「のらろば」にも行ったことはないが、何故か、その地名と店名に親しみを感じていた。そんな「上福岡のらろば」との偶然の再会である。

 

スターダスト・レビューが11月27日(水)・28日(木)・29日(金)と、3夜連続で、東京・六本木「EX THEATER ROPPONG」にて開催した“スタ☆レビ対バンライブ”。27 日の第一夜 は「かかってきなさい」(出演:鶴 / ウルトラ寿司ふぁいやー / スターダスト☆レビュー)、28日の第二夜は「おてやわらかに」(出演:子供ばんど/スターダスト☆レビュー)、29日の第三夜は「俺たち、がんばってます」(出演:UGUISS/スターダスト☆レビュー)が出演した。世代も音楽性もばらばらのバンドが“野合”するごちゃまぜのイベントである。ところがその中心にスタレビを置くと、すんなりと嵌る。音楽業界でも独自の立ち位置を長年、維持しつつ、日を増すにつれ、その存在感を増す彼ららしい。

 

 

私は京都・宮津「MIYAZU SEASIDE BOUND MUSIC LIVE Vol.2」の“流れ”もあり、うじきつよし率いる子供ばんどが出演する第二夜を見る。そこで遭遇したのが、「上福岡のらろば」だった。

 

最初に登場するのは子供ばんどだが、その前に根本要が前説をする。そして子供ばんどが演奏、彼らの演奏が終わると、また、根本が出てきてうじきと前説(というか、掛け合い漫才!?)を始める。その後、スタレビの演奏、最後は全員総出のアンコールで大団円になるのだが、前説や演奏を聞いていて、この奇妙な共演の意味と意義がだんだんと、わかってきた。自分がとんでもない現場に居合わせた僥倖に身震いもするのだ。

 

意外な組み合わせだが、根本やうじきから出た「上福岡のらろば」や「アレレのレ」、「ウシャコダ」などの言葉を聞くと、1980年前後の記憶と熱気が蘇る。

 

のらろばは前述通り、埼玉県上福岡市(神奈川県上大岡市ではない。現在はふじみ野市)にあった小さなライブハウスで、細長く、小さい店だったらしい。民家のようなところの3階にあり、「ロック・ライブ小屋」と言っていた。音が大きいとパトカーがやって来たという。そこの常連バンドがアレレのレと子供ばんどだった。アレレのレはスタレビの前身である(根本は足袋の街として有名な埼玉県行田市出身)。うじきは東京出身ながら当時はメンバーともども上福岡に住んでいたという。ウシャコダは千葉県松戸のバンドで、1978年にYAMAHA主催のバンドコンテスト「EastWest」に出場。シャネルズらと競い、最優秀グランプリを獲得している。子供ばんどは翌79年に「EastWest」に出場。同年はアナーキーも出場していたが、子供ばんどがグランプリを受賞している。

 

いわば同じ時代を生き、同じ釜の飯を食った“仲間”でもある。同時にロックがいまほど、市民権を得ていない時代でもあった。そんな中、ウシャコダは1979年にアルバム『土一揆』、子供ばんどは1980年にアルバム『WE LOVE 子供ばんど』、スタレビは1981年にアルバム『STARDUST REVUE』、シングル「シュガーはお年頃」で、彼らはプロとしてデビューする。スタレビ(当時はアレレのレ)は1979年の「ヤマハ第18回ポピュラーソングコンテスト」本選会に出場。優秀曲賞を受賞したことがデビューのきっかけだといわれているが、根本は前説で、スタレビがデビューできたのは子供ばんどのお陰だという。あるイベントに出場することになるのだが、それは当初、アレレのレではなく、子供ばんどが出演予定されていた。ところが、子供ばんどがツアーのため、出場できなくなってしまう。その代役を務めたのはアレレのレ。スタレビが代わりに出場することになった。根本は“あの日、子供ばんどが、あのイベントを断っていなかったら、いまのスタレビはなかったかもしれない”と語る。真偽や関連は不確かだが、いずれにしろ、根本が子供ばんどに深い恩義と敬愛を抱いていることに間違いはないだろう。

 

そんな両者の共演。オープニングを務めるのは子供ばんど。メンバーはうじきつよし(Vo、G)を始め、病気を克服した谷平こういち(G)、山戸ゆう(Dr)というオリジナルメンバーにゲストとしてハピネス徳永(B、Sax)、Dr.kyOn(Kb)が加わる。オープニングナンバーは「55」。同曲はうじき齢55、結成40周年の記念すべき2013年5月5日に25年ぶりにリリースしたアルバム『CAN DRIVE 55』の1曲目。これは早過ぎたFOREVER YOUNG宣言か。あれから10年以上経っても彼らは若いまま。まだまだ、子供だよ――と言われたい年頃。しかし、この馬力はどうだろう。始まるやいなや、全力疾走。一気にボルテージを上げ、ゴールへ向けてまっしぐらだ。自らに鞭打つかのように「頑張れ子供ばんど」や「Never Stop Rock ‘n’Roll」、「東京ダイナマイト」、「ロックンロールトゥナイト」を一気呵成に披露していく。勿論、「自由」や「Black Birdがないた時」など、大事なメッセージも忘れない。現在進行形の子供ばんどをこれでもかというぐらいに見せてくれる。

 

新旧のお馴染みの曲だけではなく、最後は吉田拓郎がザ・モップスに書いて、子供ばんどもカヴァーした「たどりついたらいつも雨ふり」を聞かせてくれる(宮津でも急遽、演奏された!)など、サービスをしつつ、いまの子供ばんどの絶好調ぶり思う存分にアピール。ゲストのハピネスが卓越した技術でビートを支える。彼は先日、11月にBS朝日で放送された音楽番組『シティポップ・スタジオ』に出演。池田聡や伊藤銀次、杉真理、EPO、小比類巻かほる、土岐麻子、松尾一彦、佐藤竹善……など支えるハウスバンドのメンバーとして出演するなど、その音楽性は幅広い。彼のサポートも子供ばんどを活性化させている要因だろう。さらにDr.kyOnが子供ばんどの音に華やかさを添える。彼らは子供の日のライブでもサポートしているが、子供ばんどが思い切り弾けてロックできるのは彼らの存在なくしては考えられないだろう。まさに鉄壁の布陣か。久しぶりに子供ばんどをライブハウスではなく、大きな小屋で見たが、大型アリーナや野外フェスなどが似合うバンドであることを再確認する。

 

約1時間ほどの演奏だったが、多分、こんな子供ばんどをみんなは見たかったのではないだろうか。まさに胸のすく思い。もっともっと、見たくなる。彼らの後、スタレビが始まるのだが、二人の掛け合い漫才というか、古の深夜放送の乗りか。かつて放送された深夜放送での二人の掛け合いをいきなり会場に流すという大技も繰り出してきた。こんな自由さがライブハウス育ち、コンテスト育ちの由縁だろう。

 

子供ばんどの次はスタレビだが、根本が演奏を始める前に“今日は前座がトリを務めます”と一言添えた。こんな発言が根本らしい。うじきもこんなことを言われたら、きっとほくそ笑むはずだ。

 

スタレビは残念ながらほとんど聞いたことがない。聞く機会を逸していた。むしろ根本要というと、スタレビではなく、スピンオフ四人囃子の印象が強いのだ。真摯に四人囃子に向き合い、愛情と尊敬溢れる演奏が心に残っている。そんな生真面目さも根本の魅力だろう。面白いだけが彼の得意技ではない。この日はアン・ルイスのではなく、スタレビの「グッドバイ・マイ・ラブ」、幻ではないデビュー曲「シュガーはお年頃」、うじきも絶賛したという「夢伝説」、最後を締めるバラード「めぐり逢えてよかった」などを切々、じわじわと聞かせる。途中、ハンドベルでクリスマスソングを披露するなど、ジミヘンのギター燃やしのような究極の業、禁じ手を披露しつつ、楽しく、1時間を一気に聞かせる。ポップスやフォークからプログレ、ハードロックまで幅広い音楽性と人々の気持ちを捉えて離さない娯楽性に感心させられる。

 

最後は両バンド、揃っての合奏である。その前に客席から怒髪天の増子直純とギターの上原子友康が呼び出される。仕込みではなく、急に呼び出されたらしく、段取り無し。増子は眼鏡をしたままだし、弾けもしないギターを持たされ、どぎまぎしていた。そんな状況にも関わらず、「サマータイム・ブルース」が始まれば、みんなが乗り乗りになる。増子のエアーギター(!?)も見事だ。会場が一気に興奮状態になる。そんな興奮状態を更なるオーバーヒートをさせるのがお馴染みRCサクセションの「雨上がりの夜空に」という劇薬がである。まさに取り扱い注意、危険な劇薬が会場に投下される。これは乘るしかない。反則技だが、まさにグランドフィナーレとはこういうものだろう。掉尾を飾るに相応しい。

 

3時間に近い、怒涛の対バンライブ。こんな対バンなら何度でも見たい。子供ばんどもスタレビともにコミックバンドと言われたこともあったが、それは決して悪いことではない。何か、笑いの力みたいなものが溢れ出している。それを再確認する。1980年前後はパンク、ニューウエイブ真っ盛りだが、それは怒りや叫びだけではない。どこか、世の憂さを晴らし、笑い飛ばす力もあった。彼らの歌にはリアルなメッセージをウェットやユーモアに包み、笑い飛ばして見せる“POWER”があった。改めて同時代のバンドを振り返ると、そんなバンドが雪崩を打って登場してきた。LIZARDは「浅草六区」で、遠藤賢司は「東京ワッショイ」で、それを試している。それは単なるブームではなく、バブルに浮かれつつもどこかで息苦しく、笑いを欲っしていたのではないだろうか。漫才ブームやひょうきん族などとも被る。彼らは年齢や世代、時代を超えて、私達に憂鬱な時代に立ち向かう勇気をくれる――。何か、そんなことを改めて噛みしめる。

 

うじきも根本も古希まであと数年だという。往時と変わらない勢いをもって時代を超えてみせる。彼らの魅力を再確認。同期生の物語は続いているのだ。

 

流行語大賞を“ふてほど”が受賞した。それに異議を唱える方も多い(辻元清美議員は早速、石破茂首相への代表質問で“ふてほど”を使用していた!)。私自身、同ドラマを見ていたし、話題にもなっていたけど、流石、“流行語大賞”ほどではないだろうと思う。毎年、野球関連ばかりということに忖度したのかもしれないが、やはり“50-50”が相応しい。そんなこんなの年の瀬だが、“ふてほど”に関連して、数か月前にFBに以下の記事を上げている。アメブロなどでは紹介してなかったので、“ふてほど”の流行語大賞受賞記念として、改めてここに掲載しておく。さらっと読んでいただければ幸いだ。

 

 

 

 

 

かつて、お手伝いしていた雑誌でご一緒した敏腕・美人編集者(不適切な表現で申し訳ありません)からご紹介いただき、FBなどでも度々、紹介している遠州・新居(静岡県湖西市新居町)のバンド、the 南海オークス(南海キャンディーズではない!)。随分前に新たなプロモーションビデオを制作したことをお知らせいただいたが、紹介する機会を逸していた。

 

ところが、今朝(10月25日のこと)、「アサいち」に宮藤官九郎が出演して、その際、“ふてほど”こと、『不適切にもほどがある!』の1シーンが流れている。1月期のTBS系ドラマにも関わらず、同ドラマのシーンが「アサいち」に使用されるのは3回目だという。既にネットにはこんな記事も出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

「東スポWEB」というのがいかにもで笑ってしまう。そんな記事を見て、思い出したのが、the南海オークスの新曲「大人の出番」だった。彼らのビデオを見た時に浮かんだのは“ふてほど”である。私自身、同ドラマの評価を決めかねるところもあり、紹介を躊躇っていたのだ。

 

同バンドのリーダー、松山智次郎は同曲について、こんなコメントを出している。

「ニッポンはいつからこんなに弱っちい国になっちまったんだ。ニッポンはなんでこんなに薄っぺらい国になっちまったんだ。ちゃぶ台ひっくり返すオヤジはどこいった? 還暦過ぎても人を殴っちまうそんなオヤジはどこいった? ハマコー、シド・ヴィシャスに上田馬之助、勝新、江夏にダーティーハリー、こんなふやけた世の中にゃ、あんた方、おっかないオヤジの出番だぜ! 行こうぜニッポンのオヤジ!」

 

行き過ぎた気遣いや忖度への拒否感から同曲が生まれたらしい。そんな言葉に頷きつつも、変わるべきところは変わらなければならないし、配慮すべきところは配慮しなければならない。どこかで曲を楽しみながら、そんなアンビバレンツな感情を抱く。きっと、“ふてほど”を見た方もそんな感情がこみ上げたはず。

 

と、言いつつ、楽しんでいる自分もいるわけで、私自身も松山のいい意味での悪声(だみ声)、ジョーディーやAC/DCのブライアン・ジョンソンを彷彿させる。それは耳に優しくないが、聞くと癖になる。また、大人なりの屈折や諧謔を盛り込みながら毒を振りまくところはRCサクセションにも通じるところもある。誰にでもお勧めとは言いにくいが、こっそり、ひっそりと聞くことをお勧めする。

 

素顔の松山智次郎は、「遠州・新居の手筒花火」という祭りにも関わっている。かつてテレビでも紹介されているが、豪快で豪壮で痛快である。その男っぷりに驚く。なかなかの艶姿である。火花舞い散る中、手筒花火を持ちながら乱舞する。思わず、ときめく方も多いはず。腕っぷしも強そうなので、悪口は控えめにしておこう(笑)。

1984年にリリースされたムーンライダーズの名盤『AMATEUR ACADEMY 』(アマチュア・アカデミー)。同作の発売40周年を記念する再現ライブ『AMATEUR ACADEMY and more 2024』が11月1日(金)に「東京国際フォーラム ホールC」で開催された。残念ながら見ることはできなかったが、後日、同会場で発売されたアマチュア・アカデミー・パンフレット「AMATEUR ACADEMY 40th Anniversary:Archive book」を編集をされたライターの方からいただいた。特に何かをしたわけではないが、昔、「MUSIC STEADY」に掲載したライブ写真のクレジットの確認をしたくらい。現物を見た記憶はあるか、誰が撮影したか、思い出せなかった。結局、当時、宣伝を担当された方(同パンフレットに宣伝を担当されたお二人の宣伝マンの対談も掲載されている)からレコード会社でお借りしたオフィシャル写真ということに落ち着いた(結局、誰も撮影した方は思い出せず!)。

 

小さなパンフレットだが過去の記事や写真が満載。同時にこのために新たなインタビューやコメントもいっぱいあった。その中にRVC/DEAR HEART(ディア・ハート)が出した広告も転載されていた。その中には「MUSIC STEADY」の1984年9月号の表4に出稿された広告もあった。同社とステディの“蜜月時代”の証のようだ(笑)。同号を倉庫から出し、改めて見返したらMUSICIAN FILE『ムーライダーズ徹底研究Ⅱ」が特集されていた。“Ⅱ”なので、“Ⅰ”ほど、長大で詳細なものではないが、それでも当時では珍しい大特集だろう。多分、同記事はアストロ・チンプスこと、吉原聖洋さんと菅岳彦さんが何回か、掲載したステディのムーンライダーズ徹底研究シリーズをまとめた単行本『フライト・レコーダー』(1990年「宝島社」)に再録されているのではないかと思うが、「MUSIC STEADY」の1984年9月号のムーンライダーズ徹底研究を読むと、懐かしさと同時にいまも変わらぬムーンライダーズがいて、誌面を見ていると嬉しくなる。

 

 

 

特に掲載の許可などをとっていないので、ちょっとだけ引用する(と言っても要約止まり!)に留めるが、かなり痛快である。

 

『アマチュア・アカデミー』は同タイトルに決まるまで、複数候補があった。『グランド・アマチュア』、『アマチュア三等兵』(みんなで10分間、笑っていたらしい!)、『アンダーステイトメント』(これはヒッチコックの映画の根本になる理念である)……どれもムーンライダーズらしいものではないだろうか。

 

また、同作リリース前後に鈴木慶一は結婚。1984年1月29日に東京タワー展望台で披露宴を行っている。結婚についての発言が最高だった。

 

“結婚に踏み切った理由は簡単、結婚したい人がいたからだ”という。結婚は彼の人生を変えたらしい。“これまでムーンライダーズに重きを置いた”人生だったが、その“大事なものの順位が変わって来る”と語っている。なかなか、痺れる発言である。

 

宮田茂樹という“外部”のプロデューサーとの共同作業など、新しい環境でのムーンライダーズ。そんな中でも“らしさ”を失わない。そういえば1984年7月の渋谷公会堂のライブを見ているが、廃墟と廃物、そんな中でのムーンライダーズは輝いていた。

 

また、同年9月の10日の「MIDI」設立の記者会見にも行っている。記者会見に出席しつつ、実際にはMIDIからリリースをしていないというのも痛快(!?)だ。

 

しかし、40年後に完全再現ライブが行われるなど、当時は誰も想像できないことだったのではないだろうか。5年後(小刻みにするのが肝要!)に45周年を記念する『AMATEUR ACADEMY 』の完全再現ライブがあれば、今度は見てみたいもの。

ちなみに「アマチュア・アカデミー・パンフレット」は以下で購入可能。一度、お手に取ってもらいたい。

 

https://preservationsociety.stores.jp/