フォーク再訪!? 『フォークソングが教えてくれた』と『URCレコード読本』 | Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

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Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

TBS火曜ドラマ『私の家政夫ナギサさん』の大森南朋と多部未華子のやりとりにほっこりし、エンディングのあいみょんの「裸の心」にしんみりする。こんなことを書くと、“おじキュン”を勘違いし、セクハラしそうなオヤジの戯言にみたいで、気恥ずかしい限りだが、“わたナギ”は毎週火曜の夜を郷愁と多幸感に包まれたものにしてくれたのだ。

 

フォークな佇まいというのだろうか。これまで強面の役者というイメージがある大森が純朴、優しさを纏い、そしてあいみょんの歌と相まって、フォークな香りが漂う。

 

勿論、“フォーキー”であるものの、そこには二重三重の仕掛がある。単なる通りいっぺんのフォークではないだろう。改めてフォークとは何かを考えることになった。

 

パンク、ニューウェイブ育ちながらいまやシティポップの貴公子と言われる(嘘!)私だが、多少なりともフォークはかじっている。吉田拓郎の「旅の宿」や井上陽水の「心もよう」をYAMAHA-FG180(記憶が曖昧、モーリスF-15 かもしれない)でつま弾いてもいた。泉谷しげるの『春夏秋冬』は愛聴盤で、1973年6月25日に日比谷野外大音楽堂で開催された泉谷しげると南沙織のジョイント・コンサート(つのだひろとスペースバンドも出演していた)も見に行っている。それ以外にも遠藤賢司や斉藤哲夫、あがた森魚もよく聞いていた。ラジオ番組『あおい君と佐藤クン』(パーソナリティーはあおい輝彦、佐藤“ケメ”公彦)も毎週ではないものの、比較的、欠かさず聞いていた。しかし、いつの間にか、フォークがニューミュージックといわれるようになってからか、それ以前かもしれないが、何か、格好悪いもののような気がして、遠ざかっていった。

 

そんなことを考えていたら小川真一が『フォークソングが教えてくれた』(マイナビ新書)という本を出した。著者の小川は私も信頼を寄せる音楽評論家。彼が書いたものに間違いはない。同書には高石友也からあいみょんまで、50年以上に渡る大河のようなフォークのドラマが横たわり、それを一気に読ませてくれる。新書サイズで読みやすく、アッという間に読み終えることができる。勿論、文章の巧みさもあるが、偏見や独断を熱血気味に振りかざすことなく、極めて落ち着いた筆致で、さらりと書かれている。反戦フォークやカレッジフォーク、関西フォークから四畳半フォーク、ニューミュージックまで、清濁併せ吞むではないが、懇切丁寧に説明される。同時に現在、50代、60代のオールドフォーク世代の郷愁をくすぐりもする。いきなり高石友也や岡林信康など、コアなものではなく、吉田拓郎やかぐや姫など、ポピュラーなものから始まるというのもとっつきやすくしている。勿論、あいみょんや折坂悠太などへの目配せも忘れていない。基本的なことを網羅しながら真相や深層にも触れつつ、今日的である。非常にバランス感覚に優れている。サブタイトルには“人生をフォークソングとともに過ごした人に”とある。私自身はそれほどではないが、ちょっと、手元に置いておきたくなる。小川真一のいい仕事だ。

 

 

フォークのことなど、あまり考えることはなかったが、随分前に日本のポップスやロックを語る上で、フォークを抜きにしては語れないと、牧村憲一に言われたことがあった。“渋谷系”の造物主のような方からの言葉は意外な感じもしたが、加藤和彦やはっぴいえんどなどの出自を考えると、それも納得である。伊藤銀次にかつて長い取材をした際にもフォークとの関りは「春一番」の話とともにたくさん聞かされてもいた。

 

いわゆる日本のインディーズの走りと言えるのが「URCレコード」ではないだろうか。小川の本にも同レーベルについて触れられていたが、URCレコードを深堀したのが『URCレコード読本』(シンコーミュージック・エンタテイメント)である。ちなみにサブタイトル(!?)は「アーティストの証言で綴る“日本初のインディ・レーベル”の軌跡」である(長い!)。

 

1969年に設立されたURCレコードは“フォークブームの牽引役となった日本初のインディ・レーベル”とある。最近では、このコロナ禍の中、URCに所属していた加川良の「教訓Ⅰ」を女優の杏がカヴァーしたことも話題になった。昨2019年が丁度、50周年だった。現在、同レーベルの権利を持つポニーキャニオンが「URC50周年記念プロジェクト」を立ち上げ、この2月から歴史的名盤を続々とリリースしている。同書はそれに併せ、出版されたものだが、7月に発売されている。本来はもう少し早めの発売を考え、準備をしてきたという。50年前の話を編纂する、それだけでもいろいろな困難があったことは想像に難くないが、それにこの新型コロナウイルスである。漸く、出版にこぎつけたわけだが、その評判は上々で、SNSでも多くの方が取り上げ、話題になっている。同レーベルの中には、遠藤賢司『niyago』やはっぴいえんど『風街ろまん』、早川義夫『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』、斉藤哲夫『悩み多き者よ』、岡林信康『見るまえに跳べ/岡林信康アルバム第2集』、なぎらけんいち『葛飾にバッタを見た』…など、聞き馴染んだアルバムも少なくない。

 

 

URC=アングラ・レコード・クラブという名称が物語る通り、アンダ―グランドでインディペンデントなレーベルの存在がなければ世に出なかった、もしくは出たとしても随分、デビューが遅くなったアーティストもいたのではないだろうか。当時のメジャーなレコード会社の尺度では出せない、自分たちが聞きたいから出すという、パンク、ニューウェイブ期のインディーズそのまままである。その元祖のようなところだろう。

 

そんなURCの歴史を当時、実際に同社へ勤務し、ディレクターとして、はっぴいえんどをデビューをさせた、現在、音楽評論家の小倉エージが綴る。当時を知るものは彼だけでなく、高石ともやや中川五郎、中川イサト、休みの国、金延幸子、斎藤哲夫、大塚まさじ、三上寛、なぎら健壱、古川豪などが登場し、その時代を語る。いわゆるオーラルヒストリーである。取材対象者そのものが既に高齢、勘違いや物忘れ、与太などがあるかもしれないが、取材者が冷静に対応し、飛ばしはさせない。取材対象への深い愛が溢れるものの、それに絡め取られていない。また、彼らの言葉の中に新しい発見や歴史の修正、新時代への提言もある。きわめて驚くべきことではないだろうか。

 

また、いまも新たなファンを生み続ける金延幸子のインタビューも貴重だろう。海外でのカルト的な人気を含め、再評価著しい『み空』の制作過程が明かされる。吉田美奈子を美奈子ちゃんと呼べる人はそういないはず。

 

失礼な言い方になるかもしれないが、登場されている方も高齢である。本来であれば、他にも聞きたい方もいたはずだが、既に鬼籍に入られた方もいただろう。私も日本のロックの歴史をまとめている時にあの人に聞きたかったと思うことも少なくない。何故、時間取ってもらって、話を聞かなかったんだろうと後悔することも多々、ある。そういう意味でもこれだけの生の声が収録されている同書は本当に貴重である。それだけでも歴史的な価値があると言っていいだろう。伝聞や伝説などではなく、当事者だけが知るリアルをオーラルヒストリーとして残し、同時に検証をしていく――そのことの必要性を改めて、感じている。これはフォークに限らず、比較的に最近と思われた80年代でも40年が経つ。いろいろ手を付けなければならないだろう。

 

さらに、Soggy Cheerios(鈴木惣一朗+直枝政広)やハンバートハンバート、前野健太などをフィーチャーし、過去の遺物としてではなく、現在進行形の音楽として語ろうという視点や方向があることも特筆すべきだろう。ある意味、過去の名盤も最近の名盤も時差なく、享受されるようになったいま、それは重要なことではないだろうか。。いまだにURCは生々しいのだ。まずは同書を読んで、勉強してから、改めてURCの音楽に接してするのもいいだろう。その佇まいに“おじキュン”すること間違いない。

 

そういえば、本の奥付を見ていたら協力に「両国フォークロアセンター」の名前が出ていた。同所へはかの吉原聖洋に誘われ、ビート詩人、アレン・ギンズバーグの『吠える』などの翻訳で知られる諏訪優のポエトリーリーディングを見に行っている。丁度、理由があって、『MUSIC STEADY』をやめたばかり、暫く名画座や図書館に通いつつ、家業を手伝っていた隠遁時期になる。同所での邂逅を契機に辻仁成や下村誠、佐野元春などとも再会。新たな一歩を踏み出すことになった。“フォークロアセンター”という名前を聞いただけで、たまらなく、懐かしさが込み上げる。切っ掛けを与えてくれた。そして自らが動く。動き出せば何かが始まる。こんな時代だけど、やれることはあるはずだ。

 

 

 

 

 

 

50 th Anniversary URC

https://urc.ponycanyon.co.jp/