BEAT GOES ON――NAKED SONGS vol.5 | Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

また、使ってしまった、いささか、手垢にまみれた“BEAT GOES ON”を――。逆にいえば、文字通り、ビートが継続している証拠でもある。


1950年代のアメリカに登場したアレン・ギンズバーグやジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズなどが牽引した詩と小説の運動「ビート・ジェネレーション」は、いままで、何度となく、立ち現われてきている。

最近もジャック・ケルアックの歴史的名作にして、ビート文学の最高傑作『ON THE ROAD』が、ゲバラの伝記映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を監督したウォルター・サレスによって、映画化されたばかりだ。

そんなビートの洗礼を受けた“若者”が主催するのが「NAKED SONGS」である。主にポエトリー・リーディングとアコーステック・ライブで、その精神をいまに伝えている。

今回で5回目になるという「NAKED SONGS」は、921日、東京・下北沢のラグーナで、行われた。出演者はオープニングアクト(リーディング )として大島健夫、そして、元THE BREAKERS、現THE BRICK'S TONEの篠原太郎、お馴染みの小山卓治、元VOODOO、現the LEATHERSCROSS Acoustic Unit というラインナップ。



元々、同イベントは佐野元春などの音楽評論で有名だった音楽ライター&シンガー・ソングライターの故・下村誠が80年代~90年代に行っていたイベントの意志を継ぐものらしく、ビート・ジェネレーションに影響を受けたアーティストや詩人をリスペクトしたもののようだ。




下村誠といえば、私自身も原稿を何度も依頼したことがあるし、ライブも何度か見させていただいたことがある。どこか、ヒッピー気質の抜けきらない自由人という印象だった。ビート絡みでいえば、彼とは、辻仁成や佐野元春などとともに、80年代の半ばに諏訪優のワークショップなどへ行ったことが記憶に残っている。同所には、まだ、無名だった詩人の園田恵子もいたはず。


私は小山卓治の詩集の紹介やライブ・リポートを書いた縁で、同イベントのご案内を貰ったのだが、思いもかけない広がりと同時に、過去と現在が繋がる感覚が不思議でもある。ここは偶然を必然と、言いくるめてしまおう。私のような音楽の歴史を研究するものの悪い癖かもしれないが、お許しいただきたい。



さて、薄れた記憶ながら、当日を振り返るとしよう(勿論、You Tubeでの復習はさせていただいた)。まずはオープニングを務めた大島健夫のリーディング。いろいろと仕掛けのある時限爆弾的な不可思議な構成ながら、現代という時代を感じさせつつ、なんとなく、ほんわかとしてくる。会場も充分に温まってくる。



そんな空気の中、篠原太郎が登場。THE BREAKERSで活動を始め、バンド解散後は88年にソロ・デビューもしている。その後、THE BRICK'S TONEで活動。同バンドのことは覚えている。ブリティシュ・ビート系のモッズ・バンドだったと記憶している。ユニコーン、ARBEBIとデュオも結成している。



「チョコレートの兵士」と「路地裏からのアングル」を歌詞の原詩をリーディングしたものと、弾き語りしたものを交互に披露。



詩が歌を生み、歌が詩を生む。ともに独立した作品として成立しながら、分離しても成立する。


刺すような詩ではあるが、曲が乗ると、甘い香りを放つ。THE BREAKERSTHE BRICK'S TONEともに、ビート・バンドでありながら、ポップな佇まいを持っていたことを思い出す。ビートニクとモッズの関係を改めて、考えてみる。米国産のビートの種子は英国に上陸し、モッズに紛れて、日本へ持ち込まれたか――。


ディランやバーズでお馴染みの「ミスター・タンブリンマン」のカバー、そして“魂だけになっても 魂だけになっても”と繰り返されるフレーズが印象的な「魂の行先」で締めくくる。


そして、小山卓治である。先日、詩集を発表したばかり、そこから選りすぐりの詩をまず語り下ろすかと思いきや、いきなり「真夜中のボードビル」、「路傍のロック」と、生々しい裸の歌を聞かせてくれる。



小山はケルアックやギンズバーグだけでなく、ブコウスキーの影響を口にしていたが、彼の生々しさはそんなところからくるのかもしれない(私的にはトゥルーマン・カポーティ的な精緻さも感じたりするが)。歌詞としてだけでなく、散文詩として書かれたものも披露される。「eyes」や「ピエロとミモザ」、「春だね」など、生々しさだけでなく、“軽み”みたいなものもあった。特にピーターパンとシンデレラのアンビバレンツな恋のエピソードには、思わず、にやりとさせられる。彼の詩人としての奥行みたいなものを改めて感じさせた。小山は、篠原太郎と「種の歌」を共演。こんな“相互乗入”が可能なのは、同じ影響や背景があるからだろうか。思いを共有する、お約束事ではない。小山は“天国のドアノブに手をかける”という歌詞を持つ「天国のドアノブ」を淡々としながらも情感たっぷりに呟くように叫ぶ。




篠原、小山に続いて、CROSS Acoustic Unitが登場。勉強不足ゆえ、CROSSのことはまったく知らなかったが、まず、その面構えと佇まいがすこぶるいい。中条きよし、横内“TAKE”健亨系の優男で、椿鬼奴(本来であれば、トム・ウェイツやロッド・スチュワートといいたいところだが、最近は彼女の印象が強い。失礼!)のような酒やけした声。何か、只者ではない雰囲気を醸し出しているのだ。

“ブルーにこんがらがった世界”なんていう印象的なフレーズのある「世界時計のブルース」から始まり、ディランの「追憶のハイウェイ61 」と「風に吹かれて」のカバー、オリジナルの「ウェザー・マン」のリーディング&シンギング、そして、トム・ウェイツの「TOM TRAUBERT'S BLUES」のカバーを歌う。その掠れ具合が実に耳へ心地良く、心を震わす。



オリジナルの「彼女はバレエダンスを昔、踊っていた」、篠原太郎と共演(相互乗入!)した「Mr.カイトとチェンのバラッド」、「R&R CAPSULE 」など、どの歌詞も曲もビートが効いている。少しおどけたようなMCを含め、ビート・エンターテイナーという感じで、レニー・ブルースを彷彿させるところもある。



アンコールは、篠原、小山、CROSS3人がステージに上がり、この「NAKED SONGS 」のためにCROSSが書いたという「BEAT GOES ON」を歌い、演奏する。元々、「ビートジェネレーションチャイルド」 というタイトルだったらしいが、イベントのためにテーマソングが作られるなど、それだけ、同イベントが愛されている証拠だろう。三者三様のビートがあり、そしてビートは継続している――そんなことを改めて、何度目かの確認をしたイベントだ。



この「NAKED SONGS」はイベンターやレコード会社、プロダクションが仕掛けたものではない。若松政美というビートに刺激を受けた“ビートジェネレーションチャイルド”の純然たる個人の熱意で成立したものである。何かをなす時、一人でも動き出すべきだろう。動き出せば、そこに仲間が集まり、自然とムーブメントが生まれていく。

まだ、細やかで慎ましいものだが、それでも回を重ね、今回で5回になる。継続は力なりではないが、彼らのビートの種子は、小さなライブハウスから飛び出し、大きな世界へ蒔かれようとしている。僕らは無力だが、この思いをシェアすることで、拡散できるのだ。



藤原紀香も懸念する、かの悪法がなんも逡巡されることなく、すんなりと通ってしまう、こんな世界だからこそ、ビートが必要だ。ストリートの理想主義者たちの反逆の狼煙は、今、静かに上がる。



イベント「NAKED SONGS blog


http://ameblo.jp/naked-songs/