2匹と母と私 The Two, Mother and I | zuzu's room ズーズーズルーム

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ウチのバアサンだが、本当にもうなかなか笑わない。

おかしなもので愛想笑いはできるのだが、

愛想笑いというのは他人にすることであるので、

筆者に対しては決してしない。

家にいた頃はヘルパーさん方が度々


「〇〇さんは笑顔がステキ。」


のようなことを言ってくれ、そのたびに筆者は

(バアサンの笑顔?!…ってどんなん??)

と困惑したり、

(他人にばっかりアイソしやがって。)

と憤ったりしたものだ。



バアサンを本気で笑わせることは、筆者には稀にしかできない。

最近、たまに筆者の訪問を喜んで、満面の笑み~ウスラ笑いの範囲で

笑顔を見せてくれることもあるが、

ちょっとそんなことがあったからといって

「今日も笑って迎えてくれるかな?」

などと期待して行った日には必ずや裏切られてちょっと悲しくなるから、

決していい気になってはいけない。



喜ぶに決まっているはずのことをしてやっても期待通りに笑ったりはせず、

大体は一人相撲に終わる。 いや、筆者が努力すればするほど

その努力に反比例してバアサンの笑う確率は下がるようにすら思える。

ときどき何かで笑っても、


(今ののどこがそんなにうれしかったのか・・・?)


というように笑った理由は神秘のヴェールに包まれて、

傾向は全く把握できないし、


(・・・今のはなぜ分かったのか?)


というように理解されないことを前提にしゃべったことで笑ったりする。

どういうのが理解できてどういうのができないのか、

それともある日にはどれもわかるし、またある日はどれもわからないのか、

ゼンゼン分からない。



だんだんと、自分で意図的にバアサンを笑わせるのは諦めた。

間違いなく微笑ますことができるのは、筆者ではなく

友人Y子にもらって気の毒にもバアサン専用介護犬に

させられてしまった 「わんたろ」 と 「テンちゃん」 である:


(近影)




大の方がわんたろで、小の方がテンちゃんである。

わんたろはY子が何年か前の筆者の誕生日にくれたもので、

テンちゃんはバアサンに付き添って施設に入所したわんたろの補佐として

Y子のところにいたのが派遣されてきたのである。





激カワ。






背景のオシャレ空間はTULLY'Sだ。

バアサンをTULLY'Sに連れて行くときのお供として2匹を連れて行くのであるが、

バアサンとは話が2分と続かないので、手持無沙汰から犬撮影を始めてしまう筆者だ。

店では

(バアサンがおかしいのは分かるとして、オバハンの方は一体どうなっとるのか?)

と思っていることだろう。



筆者は、人形遣いになれるのではないか、

と半分本気で思ったこともあるほどのぬいぐるみ遣いっぷりなので

その特殊能力を発揮してこれらの犬を操り、

筆者自身には天地がひっくり返っても言えないカワイイことを言ったり

筆者の素のキャラからは逆さに振っても出てこない愛らしいマネをしたりして

バアサンを喜ばす。

(TULLY'Sでおっぱじめるほど非常識ではない。)



筆者はバアサンに孫を作ってやらなかったので、コレでちょっと罪滅ぼしを

しているつもりであるが、なかなかウマイこといっており、

これらの犬に対してバアサンは自分を 「おばあちゃん」 と呼ぶ。 

しめしめである。



不思議なことに、ひとたびぬいぐるみを持つと、自分が自分ではなくなって、

自分なら思いもつけないはずのことを言ったり考えたりし始める。

ぬいぐるみの発言に自分で驚くこともあり、

意表をついたユーモアに笑わされることもある。

あまつさえ、人生の真理や生きるヒントが、ぬいぐるみを操る自分自身から

知らされることすらある。

いわば憑依であり、神がかりなのだ。



何年か前、まだ高校生か大学に入りたてぐらいの従兄のムスコに

「それでその病気はいつから始まったん?」

と訊かれたことがある。



なるほどそう考えたことはなかったが、確かにある種の病気かも知れぬ。

2、3歳で発症したところから察すると先天性の病であろう。

しかし、50年を経て磨き抜かれたその技が、今、老母の慰めとなっているのだから、

良性の疾患といえよう。

筆者自身の将来の独居老人生活をも明るく照らしてくれることだろう。

よって、治す気はない。