正月には雑煮に加えて茶碗蒸しをするのが母の習慣であった。
冷静には茶碗蒸しは正月料理ではないと思うが、そういういわけで、
筆者も正月は茶碗蒸しだ、と思い込んでいる。
ゆえに母が料理をしなくなってからは、筆者が茶碗蒸しを行なってきた。
ところが、今年は母が施設に入っているから、連れて来たり
連れて帰ったりややこしくしているうちに、茶碗蒸しの出る幕がないまま
三が日が終わった。
しかし正月に茶碗蒸しをしない、というのはなんとなく縁起が悪い気がする、
というほどにまで、正月と茶碗蒸しがセットになっている筆者の精神なので、
やはり松の内の間に一度やることにした。
作り始めて気が付いた。
2人前作っていた時は、ちょうど卵1つで2碗分の卵液ができた。
卵を1つ割って半分使って置いておくのは気持ち悪いから、
卵が残らないようにしようと思うと、今日も2人前できることになる。
茶碗蒸しの2碗や3碗は苦も無く腹に収める自信があるが、
二つの碗を前に、黙々とお一人様で平らげていく、というのがなんとなくイヤである。
考えて茶碗蒸しの茶碗は片付け、二人前分をシリアルボール一つにこしらえたら、
思ったよりお腹が一杯になった。
この正月は、23:59が0:00になる瞬間を一人で迎えた。
去年まで母と連れだっての習わしであった元旦開始直後の夜中の初詣も
一人で行った。
境内で焚かれるどんど焼きにも一人であたった。
そして茶碗蒸しも一人で食べた。
三が日は毎日母を連れて帰ってきたから、お節料理もお屠蘇も
母と一緒に頂いたが、やはり、なんとなくだんだんと母がいなくなっていく感じである。
元気だった家族が突然死んで、ある年から唐突に一人きりの正月になるより、
こうしてだんだん家族の存在感がなくなっていく方がいいだろうか、そうでもないだろうか、
それとも同じことだろうか、とぼんやり考える今年の正月であった。