脱Facebookした Adios to Facebook | zuzu's room ズーズーズルーム

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筆者はSNSが向いていない。徹底的にだ。

SNSの存在理由が真実全く理解できないほどに、根元的に向いていない。

こんなに世界中にまたたく間に広がって、こんなに多くの人が

生活の一部として活用しているものが、自分にとってここまでわからないものである

というのが不思議だが、筆者は他にもものすごく多くのことでマイノリティである

ので、驚くことでもないかも知れぬ。



そんな偏屈者の分際で、筆者は7年程前にFacebookアカウントを持ってしまった。

なぜかというと、当時、筆者はネット店を持っており、

知人の経営コンサルタントから:


”いやしくもネットビジネスをする者が

Facebookを無視することは絶対にできない。”


と言われたためである。

それで、SNSをほとんど理解しないまま、Facebookアカウントを作ってしまった。

そうしないとその人に悪いかな、と配慮したことは、悔やんでも悔やみ切れぬ

筆者の思慮の浅さとポリシーの弱さの所産であった。



アカウント開設してほとんどすぐに、絶対に自分のいるところではない、

という直感があって血の気が引いて泣きそうになったが、

腹をくくってやっていこうと考え直した。

しかし、ものの3日ほどで筆者が筆者である限りムリであることが

どうしようもなくハッキリとわかってしまった。

どう頑張っても筆者がシャーリーズ・セロンになれる日がこないのと同じぐらい、

どう頑張っても筆者はFacebookユーザーにはなれないのだ。

それは、その後何年経とうとも同じであった。



故に筆者はFacebookアカウントを持った数日後から幽霊アカウントホルダーとなり、

代わりにここでブログを始めた。



このコンサルタントは「儲かるまで面倒みるから。」と言い放ったきり、

Facebookアカウントだけを置き土産に音沙汰なくなった。

よく見たらこんなビジネス儲かるようになるワケないわ、と思ってイチ抜けたものだろう。

そういう人のアドバイスによって作ったものは早々に消し去るべきであったと

今書いていて気が付いた。



そこから1年ぐらい経った時に一度アカウントを削除しようとしたら、

たまたまその話をした相手に、


「そんなに簡単に勝手にはやめられませんよ! みんなに

『これこれこういうわけでやめさしてもらいます。申し訳ありません。』

と挨拶して謝ってからやめないとダメです!」


と、なぜか厳しく叱責されてしまったので、

やめるのもそんなに大変なのか、と衝撃を受け、やめるのをやめた。

ここでやめるのをやめたことも大分後悔しているが、

少なくともあの時やめていたら、彼女にケンカを売ることになっていたのは間違いなく、

それを避けたいと思ってしまったことも仕方あるまい。

だが、どうして彼女がそんなに怒ったのかは、その時もその後も分からなかった。

Facebookユーザーを否定したつもりはないが、彼女はそう感じたのかもしれないし、

筆者の方でそう聞こえる言い方をしてしまったかもしれぬと、

これも今書いているうちに気が付いた。

もっと早くこれに気付けるほどよく考えていれば、

少なくとも彼女に対してほとぼりが冷めた頃にはやめていたろう。

これもやはり自分の思慮の不足が問題を増長させていたわけである。



とにかくそういうわけで一旦削除はやめたが、幽霊であることに変わりはなく、

寄せられた友だち申請を半年放っておくなど、アカウントを持っているだけで

とっくに十分人々に失礼を働いていた。



やはりやめればよい気がする、

とずっと思っていたのに、やめると障りがあるかもしれない、とずっと思ってきた。

どれ程自分が救いようなく愚かであったか、こう書いているとあまりにも明らかで情けない。



それが先日、ついにこうした筆者の物思いを

唐突に消し去る出来事が起こった。



その話の前に背景説明が必要なのだが、あまり詳しく書くと焦点がズレるから、

あまり詳しくないように書くが、コトがコトだからちょっと長くなる:

小学校の同級生だった男がFacebookで筆者を見つけ、このブログにたどり着き、

連絡してきたのに端を発して、筆者はこいつにストーカーまがいの

迷惑を被り続けてきたのである。

連絡手段は、メール、いいね、コメント、ブログメッセージなど、

あらゆるチャンネルである。

当初スカイプとLINEもやろうよ、と言われたが、その頃は筆者の方にどちらの環境も

なかったので、それらはまぬがれた。



ストーカー「まがい」と書いたが、警察沙汰にするには今少し度合いが足りないこと以外、

警察によるストーカーの定義にはきっちり適合している。

何度、どう手厳しい言葉で拒絶しても、

「もう絶対連絡しないから、元気でね。」

「二度と連絡しないから嫌いにならないで。」

といった数日後にまた連絡してくるということを繰り返すのだ。

嫌いになるもクソもあるものか。

この相手とは40年会っていず、まず好きになっていないのである。



気持ちはおろか日本語が通じない。

筆者に残された手段は完全無視であった。

どう勝手をほざいて来ても、どれだけ気持ち悪くとも、一言も返さない姿勢を貫いた。

しかしその完全無視が何年に及んでも定期的に連絡してくるし、

このブログには毎日「いいね」をしてきた。

記事をアップした日もしていない日もだ。

ブログも見に来るな、と拒絶されたのに、である。

黙って見に来ればいいものを、見に来ているんだよ、と嫌がる相手にわからせることで

自分を慰撫する社会病質者である。おそらく内容は見ていまい。



他にもいろいろあって、とにかく筆者はブログが嫌になり、1年休止したのであるが、

1年たってブログを再開したら、再開したその日に「いいね」が来た。

メールも来た。

”「いいね」を受け付ける”にしていれば、おそらくまた毎日してくるのだ。

”明確な拒否があった上での毎日のいいね”で警察沙汰にできる可能性はある。

しかし目の前の気持ち悪さを一刻も早く消し去りたい気持ちが勝ったので 

”「いいね」を受け付けない” にした。

メッセージは受け取り拒否、コメントは承認してから公開とした。

メールはサーバー側で削除して、向こうで送信しても筆者のところには届かないようにした。

コイツがどう粘着していつまで連絡してこようとも、

筆者の方でその事実を知ることができなければこちらは忘れられる

と思ったからである。



そのようにして、しばらく音沙汰なく、ちょっと安心していたある日、

いつものように長らく忘れきっていたFacebookを開いたら

このクソ野郎からメッセージが来ていた。



カッシャン。

筆者の頭の中で、何かが遮断され、同時に何かのスイッチが入った。

この男からのメールもメッセージも一切読んでやるつもりはないし、

「既読」にすることすらいやなので、メッセージの通知を見るなりFacebookを閉じ、

新しいタブで 

「Facebookのアカウントを永久に削除する方法」 

と打ち込んで検索して一直線に突き進み、筆者がFacebookユーザーでなくるのに

10分かからなかった。



しばらくして我にかえり、後悔しているかどうか自問してみたが、

自答の結果はNOだった。

いや、もっともっと早くこうすべきであったのに。



長引かせた分だけ、働いた失礼の数が増えたに過ぎぬばかりか、

気色の悪いストーカーに見つけられる結果ともなった。

さらに、「何もしていない」ということ自体が重荷となって心にあり続けていたFacebook。

人生とは、ただでさえ、頼みもしない苦労や面倒が隊列を組んで向かってくる中を

ぶつかったりよけたり、ケガしたり治ったり、治ったところにまたケガをしながら

進んで行かねばならぬ激流遡上のようなものなのに、

まだその上、手に余るSNSまで入れる余裕など、

筆者の人生には初めからなかった。



アディオス、Facebookよ、SNSよ。

精神が、軽くなった。