今日、思うこと | zuzu's room ズーズーズルーム

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私はJ-POPをほぼまったく聴かない。

ピアノ教師の母とクラシックファンの父の間に生まれて、

生まれる前から始まって、生まれてから10年ほどは音楽と言えばクラシックしかしらず、

ピンクレディーの台頭でほんの3年間ほど歌謡曲を愛したこともあったが、

ティーンエージャーになるとすぐブリティッシュロックにはまって

青春をダークでアンニュイな音楽で彩って過ごした。

歳とともに聴くものの種類は増えに増えて、もし今音楽の好みは何かと

聞かれても答えに窮する程になってもなお、邦楽は天童よしみを少し聴くにとどまる。

理由は知らない。




だから小室哲哉のこともほとんど知らない。

しかし、今日は1日中彼のことを考えて暮らした。

知らない人のことだが、心が締め付けられる。



高次脳機能障害を患うまだ若い妻を介護しながらアーティストとして

創作活動を続け、プレッシャーとストレスでボロボロになりつつある人間が、

そばにいた看護師に心の安らぎを求めたことなど、

どんな人間にも裁く資格はない。



私も母の介護には心身ともに粉々になる一歩手前まで打ちのめされたから

言うが、脳機能が落ちて徐々に退行し、別人のようになっていく家族の介護というものは、

やった者でなければ絶対にわからない、壮絶な苦しみと深い悲しみの連続なのだ。

どんなに優しい友も、どんなに親しい仲間も、どんなに聡明な知人も、

経験がなければ絶対に本当の理解者になってくれることはない。

だから、一人で苦しむしかない場合がほとんどなのだ。

しかも、私がそうであったように、その自分自身すらも全面的には自分の味方に

なってくれない。息ができないほどの状況に追い込まれた自分を、まだ自分が責めてくる。

最後の最後の選択として自分を優先できなければ、自滅するしかないのである。



そういう状況下で、幸運にもそばですべてを見聞きしてわかってくれている人がいたら、

それが異性であろうと看護師だろうと、その肩にしばし頭をもたせかけて泣き、

安らぎを得てはいけないなどと、誰が言えるのか。

そうすることで辛くも正気を保ち、また身を削って妻の介護と仕事を続けていこうとする人から、

それを取り上げる権利が誰にあるのか。



彼にとって今一番必要なものは休養だから、活動をやめるのも休止するのも

結局は彼のためになるだろうと思う。

知ってか知らずか、彼自身が心からそれを望んでいるのだろうと思う。
しかし、そのこととは別に、文芸春秋というものの成り下がりぶりが

私は理解できない。

文人・菊池寛が文芸の振興のために創業した会社の中に、どうしてこういう部門があるの

だろうか。

私は金輪際、この紙の寄せ集めは買わないし、消火器を振り回して編集部で

暴れまわってやってもいいと思う。

名だたる作家たちがこの駄誌で連載を持っているが、やめてはどうかと思う。



言論の自由という主張にも辟易する。

言論の自由とは、性善説を前提としてあるものであって、

品性下劣な文集を作るクズ書きの集まりが主張すべきものではない。

放送禁止用語が存在するように、出版すべきでない記事もあるはずだ。

出版業界がそのぐらいの自己規制をしないのは恥ずべきことだ