本日の空 | zuzu's room ズーズーズルーム

zuzu's room ズーズーズルーム

翻訳者が書く英語・日本語ブログ English/Japanese Blog
ごくたまに英会話レッスン! With Free English Lessons (Rarely)
                    

 

お疲れ様です。



先日、気分転換にダイニングテーブルで仕事をしていて、

ふと目を上げたら、ブラインドの外が真っ赤になっている。



夕焼けだろうとは思ったが、それにしてもあまりに真っ赤なので、

これは見逃せぬ、と、急いで西側の窓から外を見たら、

空は目に刺激を感じるほどの赤、そしてベランダの手すりも赤だ。

一人でヒーハー言いながら激写開始である。









仕事場が自宅であるゆえに見ることのできた赤い空だ。

これだから会社勤めには戻れないというのだ。

何を隠そう筆者ほど会社勤めを苦痛に思う人間も少ないのではないかと言うほど

筆者は会社勤めが性に合わない。



そういえば幼稚園も学校も嫌いだった。

行けばそれなりに楽しいこともあるどころか、ものすごく楽しいことまで

あったりもするのだが、どんなに楽しい時でも、不思議なほどに

自分が本来そこに属してはいないという感じがあった。

 


筆者は小学校の1、2年ごろに一部のアホどもから不定期に

いじめられたことがあって、その頃は毎日学校に行きたくなくて、

体調も悪く、夏休みが終わるのも本当にイヤだった。

しかし、不思議なのが、いじめられなくなってもほとんど同じく夏休みが終わるのが

死ぬほどイヤなのである。

子供心にも、世の子供がみんなこうだろうとは思えぬほどイヤなのが不思議だったが、

この年になってやっと分かってきた。



筆者が会社がキライなのも結婚しないのも、そして学校がキライだったのも、

全て理由は同じなのだ。

組織の一員になることが、自分にとって自然ではないのである。

多くの人が組織において持てるはずの連帯感や所属感というものを

筆者は持つことができない。

また、ほんの少しでも統制されることに対する許容心がゼロなので、

ルールに従うことが求められる時点で、そこに属すことはできないのである。



ルールに従えない、という意味ではない。

筆者は責任ある社会の構成員として、社会のルールは尊重する。

いや、従わずにはいられないぐらい従う真面目な人間だ。

つまり、ユニバーサルに必要性が認められるルールにはきちんと従うのであるが、

学校内だけ有効、とか、根拠も必要性もないがなんとなくでき上ってしまった、

というようなのに従うことを潔しとしないのだ。



パーマ禁止とか靴下は白黒紺茶、とかそういう中高の規則については

バカバカしすぎて取り上げる価値もないので、ここでは語らないが、

勤め人に課されたルール、すなわち

パンツスーツの下にパンストを履かずにパンプスを履いただけでも、

客先どころか社内でも許されない、などの慣習の重要性がまったく理解できない。

パンストを履いていないときちんとした人間だと思ってもらえないらしいが、

そんな論理は理解できない。

理解できなくても仕方がないから従いましょう、とも思えない。

もちろん不承不承従って立派にOLを務めたこともあるが、

その筆者の「不承不承」の度合いが半端ではなく、2社でOLであった10年ほどの間、

筆者のデスクの引き出しには胃薬が入れっぱなし、肌は荒れっぱなし、

年間数回も風邪を引くし、生理痛もひどいし、非常に不愉快な体調であった。

しかも、これは完全に自分の勝手だが、ストレスと戦うために喫煙までしていたので、

鼻毛は伸びるし歯にヤニはつくし、最悪である。

そんなにまでして会社勤めを続けなくても良いようなものだが、やめられない理由があった。

父である。


筆者の父は、筆者が会社員以外の何になることも許さず、

筆者が一つ目の会社を辞めた時には烈火のごとく怒り、再就職までのたった3ヶ月ほどの間すら、

筆者は家にいて針の筵に座っているような思いをさせられた。

二つ目に就職してやっと少し機嫌が直ったが、娘が会社勤めを嫌がっているらしいと思ったか、

今度は結婚を強要するようになった。

——会社を辞めたら、結婚させられる!!!

筆者にとって、結婚はもしかすると会社よりダメなので、それだけは避けねばならぬ。

ゆえに会社を辞められなかったのであるが、

そうこうしているうちに父が死んだので、筆者は会社を辞め、

翻訳の勉強をしたり、派遣社員として働いたり、挙句の果てに今こうやって家にいながら

働くようになったのである。

 


もしあのまま会社勤めを続けていたら、

筆者はもう胃がんか何かで死んでいるのではないかと思う。



夏休み明けに子供の自殺が増えると聞いて、考えた。

いじめに遭っているような場合はもちろん死にたくもなるだろうだが、

筆者のように、組織に属せない性分であるために、学校では自分が自分でいられないと

感じている子供もいるのではないだろうか。

義務教育と言ったって、実際には不登校続きで終わる子供も

いるのだし、苦手科目については何も習得せずに卒業することもある。

つまり、いくら中学の卒業証書を持っていたって、

勉強という点から意味をなしていない場合も多いのだから、カリキュラムの消化にばかり

重きを置かない、また、「学校は勉強だけしに行くところではないのだから行かなければならない」

という概念もフレキシブルに曲げられる、多様な教育制度を設ける必要があるのではないだろうか。



あったら行きたかった、と筆者が思う学校は、週に3日ほどしかない学校だ。

筆者の場合は社会性がある程度はあるので、毎日でなければ学校生活は楽しめると思う。

筆者の時代は週6日制だったから、あとの3日は何かを作ったり楽器を触ったりして、

可能性を発掘し、勉強して大学に行って企業に就職するコース以外の道を模索するのだ。

筆者は、もし人生をやり直せたら、大学など行かず、何かの職人になる修行をして

何かの職人になりたかったと思っている。そのためには勉強はそこそこで良かろう。

それなら週に6日も学校に行く必要もない。

実際には、違和感を抱えながらも、とりあえず学校生活を送れることは送れてしまったために、

大学→会社員コース以外の可能性を思い付くチャンスがなかったのである。

(実は他にもっとややこしい要素もあったのだが、それはまたの機会に書くかもしれない。)

とにかく、もし、あの違和感を受け止める多様な教育制度が存在していたら、

筆者は今頃職人になっていたかもしれぬ。



それから、学校がキライなのであって、勉強が嫌いでない子供もいるだろう。

そういう子には、2、3人ぐらいの小さな単位で学校ではない場所で授業をするのはどうだろう。

いじめられがちな子供もこのスタイルで勉強させ、さらにはいじめられにくい態度を

学ばせ、リハビリをはさんで、可能ならば普通教育に戻しても良い。



勉強も嫌いなら、潔く勉強は諦め、とっとと手に職を付けさせる。

そのかたわら、本を読ませたり、何でもいいから観察記録を書かせたりということを

してもいいかもしれない。



しかし、どの場合でも大切なのが、社会のルールを尊重させ、ある程度のマナーを

身に着けさせ、きちんとした日本語を話させることだ。

低学歴であっても言葉とマナーと社会人としての心構えがきちんとしていれば、

まともな人間からは侮られることがないからである。

この項目は、とっとと中学のカリキュラムにも入れるべきだと思う。


 

はあ、久しぶりに一生懸命考えを述べたら疲れた。

今日は仕事が一杯あるから空の写真を載せてラクをしようと思っていたのに、

どうしてこういうことになったのだろう。