ミスターNは、定年退職ののちジム通いをするうちに
ベンチプレスの魅力に目覚め、誰もが目を見張るスピ―ドで
その道の階段を駆け上り、圧倒的な勢いをもって日本の頂点を極め、
ついには世界第2の超人となった男である。
元から日本人には珍しいほどの体格に恵まれていたことは事実ながら、
ミスターNの成功の礎となったのは、その真摯にして謙虚な努力の精神と向上心であり、
さらには多くの支援者をひきつける人徳が自らを今の高みに導く支えとなったことは、
間違いない。
そして、ここに筆者の知る今一つの秘密がある。
すなわち、ミスターNは、筆者の知る限り、ほとんど肉だけ食べて生きている人間なのだ。
彼の強靭な肉は肉でできているのである。
考えてみれば、肉で肉を作る方が米や野菜で肉を作るより
効率いいに決まっているという気もしてくるし、何より彼自身が
肉、中でも牛肉を食べることで効率的に筋肉が増強されることを
実感されているという。、
—―しかし!!
野菜は、野菜は食べなくていいのか??
大昔、営業の帰りにお供した焼き肉店、おごって頂いた会社近くのカニ食べ放題店、
そして最近よく行くステーキハウス――。
それらの店で、筆者が肉1に対し2.5以上の割合でししとうやら野菜セットやら
野菜炒めを注文するのに対し、ミスターNは終始ほぼ動物性タンパク質しか食べない。
こうした彼の嗜好を憂慮し、以前の筆者は、しばしば小姑のように
無理やり野菜を勧めたものだ。
ここに至って、世の中には野菜を食べずして高齢者となっても健康体を保てる人間が
いることの、いや、それどころか超人的肉体すら持ち得る人間がいることを、
そしてミスターNこそがその生きた証なのだということを
筆者は知ることになったのである。
ミスターNを見ていると、
「ビタミンって、なんの役に立ってるんだっけ?」
とか
「食物繊維って、ホントに要るのかな~??」
というような、栄養学を根本から問い直すほどの疑問がフッと浮かぶ。
毎日モズク食べるのやめちゃおっかな、と思いそうにもなるが、
しかし、これは非常に大きな個体差であって、
筆者が明日から突然ミスターNのような食生活をして
同様の健康体を手に入れることはおそらくできまい。
なぜなら筆者はそれほどの肉を消化できない。
赤身なら大丈夫だが、脂身は、味はキライではないが、
ほんとうにほんの少ししか食べられない。
ミスターNは、優れた消化酵素分泌力と、ナゾのビタミンメカニズム、
そして食物繊維を必要とせぬ活発な腸活動などを兼ね備えた
すばらしい消化器の持ち主でもあるらしい。
消化器がすばらしいと、やはり肉体全体も丈夫になるということ
のように思う、と勝手ながら分析する次第だ。
さて、最近筆者は、そんなミスターNについてもう一つ、特筆すべき点を
発見した。
ある夜、彼と差し向かいで、ある肉料理店にて
食事をしていたときのことである。
その店は不潔なところなど全くなく、これまで何度食事をしてもそういうことは
なかったのであるが、その夜は不幸にしてある事件が起こってしまった。
G事件である。
何か忘れたが、熱心にお話し中のミスターNが突然言葉を切り、
小さく 「あ」 と言われたので、その視線の先を見ると、
筆者の右側の壁に、それがいて、ササササ、と壁を伝って床に下りた。
筆者は、アレが、死ぬ、ほど、ダメ、なので、
普段ならギヤアアと叫んでいるところだが、公共の場であり、
店側にも気の毒であることを鑑みて辛うじてボリュームを抑えることに
成功したものの、席を飛び立った。
「ヒッ!!」
しばし目で追ったが、店内は暗く、床とそれの色が似ていたために、
それは間もなく姿をくらました。
その一瞬は動揺したが、どこかに行ってしまったのだからどこかに行ってしまったものと思い、
また話を再開した。
これが家なら、筆者は話を再開したりしない。できない。絶対にだ。
しかし、それが自分の家でないこと、そして土足の地であることは、
筆者にとっては大きな違いなので、しばらくするとアレのことはほぼ忘れた。
そして、15分か20分が経ったころ、
ミスターNが話しながら自分の左ひじをチラと見たと思うや、
右手で割りばしを掴んで左ひじの置かれたあたりのテーブルの上をガッと突いた。
「!?」
正面から一部始終を見ていたが、筆者にはそれは見えなかった。
見えなかったが、もちろん一瞬ですべてが察せられた。
話を中断もせず、声の調子すらまったく変えることなく、
ミスターNが割りばしの一突きで刺し貫いたのは、さきほどのGの胴体である。
――ススス・・・スゴイ・・・!
そして超絶キモチ悪い。
だが、だが、ミスターNのこの見事なG刺しの技はどうだ。この見事なG刺しのワザは!!
筆者にはできまい。仮にGをおそれていなくても、そして
後始末のキモチ悪さを考えに入れないとしても、である。
それは、金魚すくいがまあまあ上手な筆者であるから、
しばらく練習すれば、あるいは、と思わぬでもない(関係ないか?)。
しかし、このように唐突に成功させることはなかなかできまい。
だって、Gは小さい。そして速い。
そしてその場は暗いし、いくらミスターNだって老眼でないはずないではないか。
それなのに、たった一突きで。
実は、ベンチプレス選手としてのミスターNは、筆者は目の当たりに見たことがない。
それゆえ、その偉業を臨場的に実感したことはないのだが、
今、目と鼻の先で繰り広げられたコレにはその場で絶句のち畏敬の念満開である。
カンフー映画か剣豪の伝説を観ているようであった。
筋力のみならず動体視力も瞬発力も優れたミスターNの
逸話として後世に語り継ぎたいものである。
本題は以上であるが、実はこの夜、筆者は、
(・・・マダムも、スゴイ。)
と思ったのだ。
ミスターNが普通にしゃべりながらGを串刺しにするやいなや、
どこから見ていたのか、さすがとしか言えぬが、店のマダムが
スッとやってきて 「ごめんね~」 といいつつ割りばしとGを
サッとおしぼりに包んでサッと裏へ消えていき、
このようにして初動処理をほぼ一瞬で終えたのである。
その後マダムが再び出てきて、謝りつつ、その辺をもう一度清め、
筆者ら二人には新しいおしぼりをくれたのであるが、
ミスターNはさきほどGがサワサワした左肘をどうにかしようとも
されないので、筆者がゴシゴシ拭いた。
自分ならGとナマ接触すればスグ風呂に入るか
せめてアルコール消毒したくなるところを
彼は意に介していないようであった。
一人暮らしの筆者であるから、ひとたびGが出れば、もちろん戦うし、
勝つまでやめない。
しかし、その勝利は、戦いに勝ってスピリットではボロ負け、というような
情けないものである。
この方たちのように、自分ももう少し対G戦において勇猛になりたいものだが、
そうはなるまいとの思いにわが身が情けなくなった。