昨夕、まったく理由なく唐突に、亡父についての新事実に気が付いたので、
ここに記しておこうと思う。
筆者は生まれた時から一人っ子であり、
一人で暮らして7日中5日は一人で仕事をし、
そして最近おばはん時代に突入した人間だ。
このような条件が揃ったところには、
「独り言の多いヤツ」
が出来上がることは無理もないのだが、
筆者が完全にそうである。
今は人がいないときしか独り言を言わないからいいようなものの、
そのうち独り言を言いながら買い物したり電車に乗ったりする
バアサンになるのではないかと思うと、今からやめる努力をした方が
よくはないかと思わないでもない。
聞かれてはならぬような重大事を口からダダ漏れに出している
わけではないし、そもそも筆者の人生には「重大事」などないので、
どんな個人情報を漏らしたところで実害があるとも思えぬが、
何があるかわからないのが人生だ。
もし昨年末に買ってまだ当選確認をしていないジャンボ宝くじが
一等当選していたりとかして、突然大金持ちになった筆者が電車の中で、
「そういうたら、昨日銀行からおろしてきた1億円、どこにやったかいな。
あ、そやそや、ここに持ってるがなそのまんま!しもた、仏壇の部屋の押入れの
中のバーキンの中にカルティエのダイヤモンドの腕輪と一緒に
隠しとこと思たのに、忘れてここに持ってきてもーとるがな!!
道理でなんや重いと思たわ、アホやな私!!」
とかそういうことをベラベラしゃべってしまったら、いろんな悪人が付いてきて、
強盗されたり泥棒されたりすることになりかねないから、
やっぱり独り言は言わないようにした方がいいかもしれない。
しかし、本日は独り言に関する反省はあっちへ置いておく。
つまり、筆者は昨夕、近所の温泉に行った帰り道、車をコロがしつつ、
何か忘れたが、独り言を言ったことから話が始まったと言いたいだけなのだ。
その際、おのれの口調が亡き父にイヤに似ていたことにハッとしたために、
そこから父のことをものの20秒ぐらい考えただけで、
なんの脈絡もなく忘れきっていた父のある行動を思い出し、
何十年も考えたこともなかったその行動の意味を
突如として知ることになったのだ。
それは今より40数年をさかのぼる、昭和40年代のある夏のことである。
その日、父・T雄は家族を連れて日本海のある海水浴場を訪れていた。
スポーツやアウトドアに興味を示さぬ妻をビーチに残し、
近年ようやく泳ぎを覚えた娘である、幼き日の筆者とともに沖へ泳ぎ出でる。
足が届かなくなっても平気で泳ぎ続けられるほどには娘は成長しておらぬから、
間もなく岸に取って返すのだが、T雄はまっすぐ妻の待つ地点には戻らない。
目測を誤ってか、流されてか、はたまた意図してか、T雄はピチピチの女のコ二名が
寝そべるレジャーシート付近に上陸し、
様子を見ることも、ためらうこともなくズケズケと
「キミたち、せっかく海に来たのにずっと寝てるの!」
などと声をかける。
ここは兵庫県だが、品川生まれの父はバリバリの標準語である。
彼女たちのルックスは覚えていないが、昭和40年代ごろの「女のコ」というものは
子供っぽいかわいさを女の武器とは考えていないから、大人で色っぽく、
頽廃のニオイさえまとっていたりする。
それに言葉遣いが違う。
「じゃね?」とか「チョー」とか言わないのだ。
そんなのはまだ発明もされていない。
さて、女のコたちは一瞬の間をおいて、
「だあって、クラゲとかいるでしょ?」
と返事した。
ナンパである。
T雄は妻を100mほど向こうに残したまま、娘を連れてナンパ中なのだ。
「ぜーんぜん!!クラゲなんていないよ!ほら、この子見て!ケロッとしてるでしょ?」
「この子」というのは、筆者である。
T雄は幼い娘を連れていることで、彼女らの警戒心が解かれ、
その垣根が易々と超えられることを承知で娘を連れてきたのだ。
「こっちにおいでよ!!」
というわけで、T雄と色っぽお姉さんたちと娘は泳いだりビーチボールを突いたりして
しばし一緒に遊ぶのだった。
残念ながら、筆者はそこから先はよく覚えていない。
しかし、おそらく翌年にも違う海水浴場で父が似たようなマネを
したことを、筆者は思い出した。
やはり、そこには母の姿はなく、女のコ2人組がビーチに張ったテントに
父と入り込んで、女のコから冷やしたトマトかなんかをもらって
食べたことを覚えているのである。
さらに、おそらくその翌年には、やはり母がいない貸しボートに、
父と女のコ二名と筆者の4人で乗ったことを、芋づる式に筆者は思い出した。
そしてさらに、これはもっと古い話だと思うが、
父がいないはずがないのに、まだ泳げぬ筆者が母と二人きりでタイドプールに遊んだ
ことがあることをも思い出した。
あの時、父は単身ナンパしていたのかもしれぬ。
父は妻を愛していたので、本格的に悪いことをしたわけではないと思う。
ただ他のカワイコちゃんたちが水着を着て色とりどりに砂浜に陳列されているのに
遠目に見るだけなんてのはもったいな過ぎるから、束の間楽しい時を過ごしただけであろう。
そうそう、この「カワイコちゃん」という言葉を、父がよく口にしていたことも
今思い出した。
ついでにいうと、筆者もよくこの言葉を使うが、父から伝来したもので
あったのだと、これも今認識した次第である。
父はこれらのナンパの所業を母に隠してもいなかった。
娘の口からバレることの深刻性を鑑みると、自己申告する方が良いと判断したのか
知れぬが、
「今日はあそこの岸壁でベラが3匹釣れちゃってサ。」
ぐらいの気軽な手柄顔にて
「今日釣った女のコたちはね・・・」
みたいな話をしながら民宿のごはんを食べたような気がするのだ。
そして、父がバカではないというのが、話のそこかしこに、
「でも○子ちゃん(母の名前)ほどキレイじゃなかったけどね。」
というようなフレーズをはさんで小賢しく免責するのである。
母はおもしろいようなおもしろくないような顔をして相槌を打っていた。
彼女は自分のことを世界で一番美しいとか思って勝ち誇っていたので、たぶん
父をそのへんの女のコに数時間貸し出しても格別どうってことないというような
スタンスであったのではなかろうかと思う。
子供のころはよく家族で海水浴に行ったなあ、
というようになんとなく思ってきたが、このたび筆者の断片的な記憶のすべてが
ある一つのことを意味していることに気付くに至り、
なぜ父が海水浴場をあのように家族旅行の地として選んだかを悟り、
いかに巧妙にこの身がその目的に利用されていたかを認識したものである。
これは、筆者があっちに行ったら、ヤツとちょっと話をしなければならぬ。
一方で、判明したこれらの事実は筆者を安堵させもした。
父は筆者が大学の頃に難病を発症し、長い闘病生活の末、
がんを患ってたったの69歳で死んでしまった。
筆者は父とあまりうまく行っていず、父を喪うかもしれないことについては
実のところ、それほど強い想いを持てずにいたのだが、客観的に見て、
ほんとうにもう、こんなにも気の毒な目に遭わなければいけないほど
悪いことをしたわけでもなんでもないのに、とかわいそうでならず、
亡くなったときには、父の苦しみがやっと終わったことを
父のために良かったとも思った。
それほどまでに父は身も心もボロボロにさいなまれ尽くして死んだのだ。
そんなわけで、筆者は大人になってから父が死ぬまで、
父が幸せそうにしているのをほとんど見た記憶がなく、
いつの間にか父は生涯を通じて幸せでない人であったような、
そんな気がしていた。
だから、こんな父のノビノビとやんちゃな姿をありありと思い出して
ホッとした。
とはいうものの、筆者をナンパに利用したことについては、
やはり一度は話をせねばならぬ。