ギックリ腰にさいなまれる筆者が
この数日間、自然と考えてしまうのは、やはり
ギックリ腰のことばかり。
この度のギックリ腰は、
椅子から立ったらなった。
というあまりにも理不尽なものであって、
ついつい神を呪ってしまうが、神の方が
呪われるだけのことをしていると思うので、
罰当たりともなんとも思わなかったわけである。
しかし、主にギックリ腰のことだけ考えて暮らしてみると
気づいたことがある。
椅子から立つとき、もし上肢を全く使わないとすれば、
人は何の力をもってして立ち上がっているか、
と問われれば、多くの人が
脚の筋肉
と答えるのではなかろうかと思う。
先週までの筆者がそうであったようにである。
ギックリ腰患者と化してはや4日の歴史を持つ筆者の
実体験にもとづく分析結果を述べよう。
人は、
脚の裏で大地を蹴ると共に臀部で腰掛を跳ね返し、
上半身に振りを付けて
その反動で立っているのである。
その際力点として重要な役割を果たしているのが
腰なのである。
ま、少なくとも筆者はそのようである。
つまり瞬発力と力の作用・反作用によって立っているのであって
筋力はきっかけとしてしか使っていない。
それがこの筆者の立ち方なのである。
これは、この4日間、上半身を振れず、腰を使えず、
従って手を補助として主に大腿筋のみで立つことを余儀なくされた結果、
筆者がいかに普段大腿筋を使わずに立ち上がっているかを
痛感したことによる分析である。
そして、大腿筋のみで立ち上がることが、
わりと大変であることをも思い知らされた。
もちろん立てるが、身体が沈むようなソファなどだと
スクワットと同じことになって、たぶん立ったり座ったり
あまりたくさん繰り返すことはできなかろう。
大腿筋ともあろう大型の筋肉で
自分を立ち上がらせることが今からちょっと大変とは
どういうことだ。
うちのバアサンが立ったり座ったりするのが
もうそれはそれはゆっくりでイライラさせられるのだが、
俄然納得である。
筆者の心のコーチにN氏という世界的筋肉王がいる。
この人が、常々大腿筋を強化することの重要性を
説いて下さってきたのだが、筆者は、それを決して軽視は
しないものの、日々の忙しさと生来地道な運動を好かぬ性格から
「心の隅で気にする程度」
にしか気にしていなかった。
しかし、これはいかん。
それに、当然ながら腰の辺の筋肉もゼンゼンなっていないに
違いない。
これは、いかん。
つまり、神のヤツばかり責めていたが、自分もちょっとは
悪いところがあったと思い当たったわけなのである。
あーゴメンゴメン神様、このアタシもちょっとは悪かったみたいだよ。
ここまでの呪いは半分に聞いといてくれなちゃーい。
ま、そんなん(神様を冒涜気味にしたとかいう話)はどうでもいいが、
筋肉のことは本当にどうにかせねばならぬ。
このことをようやく思い始めた筆者である。
とはいえ、どうしていいかまだ皆目見当もつかないが、
とにかく最初の気づきを得られたのが、今回の
ギックリの恩恵であったと言わねばなるまい。