ちょっと涼しくなったから、夏もう終わりかい!と
夏を惜しむ気持ちをあらわにしたりしてしまったが、
ここ数日暑さが盛り返したため、
不用意なことは言えぬものだと反省している筆者である。
筆者の望みは、もうちっとだけ涼しくなって、
その状態が次の春までキープされることである。
冬とかはもういいから、そういうことで頼みたい。
さて、この暑いのに先日筆者はすっぽん鍋を食べたのだ。
すっぽん料理って、筆者はこれまで2度ほど
コースとか会席料理の食材の一部で食べたことのあるのみで、
料理法をほとんど想像できず、ただ
「すっぽん食いに行かへん?」
という誘いに
コラーゲン→美肌・骨密度向上→ゼッタイはずせない。
という短絡発想をしたのみで会に臨んだのである。
そしたら夏のさなか鍋の用意が繰り広げられたため、
ちょっとたじろいだのである。
しかし、そんなところでたじろいでおる場合ではなかった。
まったく、それどころではなかったのだ。
店に入ると、入り口のすぐ脇に置かれたアルマイトの鍋の中に
生きたすっぽんが泳いでいたのだが、
これを屠って、生き血を絞り、精肉するという一連の調理プロセスを
目の当たりにすることができる、という付加価値が筆者たちを待っていたのである。
「夏に鍋」 ぐらいでたじろいでいる場合ではなかったというのはここのところなのだ。
遅れていた最後のメンバーが到着し、
女板前が 「では、すっぽん、始めましょうか。」
と宣言するとともに、厨房前のカウンターに座っていた常連客達が
一斉に立ち、その場を筆者らに譲ってくれたところで、
筆者は自分らの置かれた立場をようやく理解した。
見ておけ。
というわけである。
筆者は、血が怖い、とか、生き物の命を人間が食料にすることに疑問を抱いている、
とかいうことはないのだが、やはり屠殺シーンは見たくないのだ。
偽善であり、矛盾であることは百も承知だから絶対に口にはしないが、
アレである。やはり、どうしても理屈抜きに 「かわいそう」 だと思ってしまうのだ。
なにしろ筆者は、ゴキブリを殺しても罪の意識を感じるし、
草抜きをしても、「必要な草」 と 「不必要な草」 をこちらの都合で決めてしまう
エゴについての葛藤と戦い通しで作業するタチだ。
であるから、
ゼンゼン見たくない。
だが、結局はゴキブリを殺し、要らぬ草を抜き、肉や魚を食べる筆者である。
見ないで通すことにはより深い罪があるように思う。
というわけで、ところどころ見ないようにしながら大体を見せてもらった。
そして、その場の雰囲気に助けられ、女板前の根性に畏敬の念を感じたりして
「かわいそう」 を大部分封じ込めることができ、待つこと30分で出てきた
すっぽん鍋のナリを目にしたとき、筆者の念頭に真っ先に浮かんだ言葉は
「かわいそう!!!!!」
であった。
だってな。
元の形に戻してあるんだもん、である。
これはしないでもいいのではないか、と筆者は思うのである。
「かわいそうではあるが、食べる。」
という気持ちぐらい持ってもまんざらバチは当たらない、
と、もし言えるとすれば、このレイアウトはバチ当たりである。
だが、出てきてしまったものは仕方がないから、筆者の意見などはさておき、
とりあえずジャマであるとして一旦甲羅が取り出されたことにより、
見た目が段違いにマシになったところで、まずは配られたダシを啜る・・・・・
これは、ウマイ!!!!!
淡泊だがコクがある、という、筆者が”イチバンいいヤツ”と思っているヤツである。
そして、一同で肉をつつき始めると、雰囲気が、
「すっぽんを殺してぶつ切りにして煮たやつ」 から
「鍋料理」 へと変わってゆき、
筆者の 「かわいそう」 は終わるのだった。
まず、足だか手だかを食べる。
生きていた時のままに小さな爪がならんだゴジラの手のようなその
足だか手だかは食べにくかったが、コラーゲンと良質なタンパク質のカタマリであることが
明らかな食感である。
体幹はまた異なる肉質で、こちらの方がコラーゲンが少なく、肉らしい。
筆者は四肢より体幹の方が好みであったが、
筆者の隣で忙しく箸を動かしていた K のお気に入りは甲羅のようであった。
骨と一体になって非常に食べにくいその甲羅のアチコチを齧っては
諦め、齧っては諦め、最後まで甲羅に執着を残していたが、
結局は断念したらしかった。
その隣の K松 は頭部にかじりついて頭蓋骨を詳細に観察していた。
筆者も向かいから観察した。
動物の骨はいつ見ても素晴らしいと思う。
誰が設計したわけでも、何で計算したわけでもないのに、
自然にこんなに複雑で繊細な構造ができるというのは、
本当に不思議だ。
筆者は、このことを葬式の後のお骨上げのときにもよく思う。
このすっぽんの前でいうと、伯父のホネでそう思ったものである。
あんな、ボーっとしたじいさんでも中にはこんなにちゃんとしたホネが
あったんだなあ、と感心したのである。
自分のレントゲン写真でも、思う。
形成に自分が全く関与していないような気がするのに、自分の中に骨がある。
誰の、何のおかげと考えればよいのだろう。 オカンか・・・・??
だが、オカンとて、妊娠したからにはホネを作らんとね、とか言って
ホネの形成に関与したつもりがあるはずがないのだ。
どう考えても不思議千万である。
さて、すっぽんの肉は食べても明らかであるように、コラーゲン質が非常に強くて、
口の中が にかわ でネチャネチャするのを酒で洗い流し、喰い、また飲み、
鍋に隙間ができると野菜や豆腐を入れてまた喰らい、
雑炊で〆めてお腹一杯になった。
生きているところから鍋になるまでを見せられると、
食べ物というのは、絶対にムダにしてはいけないのだ、という観念が
初めて強い根拠を伴ってできたから、いつもより神妙な心持ちで頂いた。
冷凍庫に入れて忘却し、結局は捨ててしまったこの間の鮭のことや
買ってから外食が続いて結局は捨ててしまった先日の牛のことを思い、
心の底から反省している次第である。
