早起きして蓮の花を見に行くのが
昨年から始まった筆者の夏の新しい趣味である。
今年は7月に入ってすぐに友人と1回、
台風の週末をはさんで2週間後に母と一回、
万博公園の蓮池を訪れた。
朝の空気の中で見る蓮は格別に美しいのだ。
朝日には特別な色があって、景色は、いわば「朝日フィルター」を
通して見ることになる。
このフィルターは、淡い朱鷺色の絵の具に薄い藤色の絵の具を少しだけ混ぜて、
色が無くなってしまう寸前まで水で薄めた色、といったところだが、
いくら朝でもゴミ出し場や通勤電車などに
「朝日のフィルターを通してみる美しさ」
を見出すことは難しいから、やはり蓮池とかそういう
ナチュラル率の高い空間に行くのが良い。
ところで畑に咲く蓮華草であるが、
本当に花の形が蓮にそっくりで、
「蓮華」と名付けたくなった昔人の気持ちが良くわかる、
と言いたいところだが、ここで疑問が湧いて出る。
「この花、蓮の華に似てるなあ!」
と思ったから蓮華草になったのであるとすると、
蓮と比べる前はなんという名前だったのだろうか。
あるいは蓮華草の方が蓮よりが遅れて日本に上陸したのだろうか、
というような疑問である。
どうでもいいことだから分かっても仕方がないが、分かりたい気もする。
このようにどうでもいいことしか考えないのが筆者の得意ワザなのだ。
さて、蓮池のほとりに立ち、蓮華を愛でながら、母に
「蓮華って、本当に蓮華草にそっくりやね。」
と言って大後悔をした。
「レンゲって、何かわからない。」
と来たのだ。
「今見てる、目の前にいっぱい咲いてるのがレンゲよ。」
と教えると、
「・・・・。」
まったくピンと来ていない。
それで、
「レンゲソウが分からない、って言ってるの?」
と聞くと、
「レンゲソウはよく知ってる。」
と言うので、そんなハズあるか、と思い
「畑に生えてる草花よ?」
と念を押すと、
「わかってる。」
というので、
「じゃあ、その花と目の前の蓮の花が似てると思わない?」
と聞いたら
「レンゲがわからない。」
というので、心中大混乱しながらも
「レンゲっていうのは、蓮の花のことよ。」
と噛んで含めたが、
母は蓮の花の大群を前に
「蓮の花が思い出せない。」
と、べらぼうに矛盾したことを言う。
娘 「蓮の花は、今見てる(
)、このたくさんある花のことやんか?」
母 「わかってる。」
娘 「それで、レンゲソウもよくわかってるの?」
母 「わかってるよ。」
娘 「そしたら、蓮の花とレンゲソウがよく似てるってわからない?」
母 「わからない。」
娘 「レンゲソウのこと、どんな花か思い出せてる?」
母 「よく思い出せてる。」
娘 「それが、この目の前の蓮の花と、大きさは違うけど、形が似てるでしょうが!?」
母 「・・・・・蓮の花が分からない。」
娘 「だから目の前にあるコレ全部蓮の花やんか!!!!」
母 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふーん、そうか。」
「ふーん、そうか。」
だと?!?!?!?!?!?
ふーんそうか、だと?!?!?!?!
アタマがボンヤリしている人を相手にイライラすることが
どんなに非生産的なことか、筆者にはよくわかっている。
よく分かっているのだが、母と娘の間柄では、
どうしても 「しかたない。」 で済まないのである。
これがヨソのバアサンならば筆者もイライラしたりしない。
たぶん
「ごめんなさいね、ややこしいことを言ってしまって。」
と、このように平均から平均以上に素晴らしい対応をする自信がある。
ところが、相手がウチのバアサンとなると途端にダメである。
誤動作を繰り返す故障機械に癇癪を起こした経験のある人は多かろう。
機械に怒ったって仕方がないのに、腹は立つ。
だが隣の家の機械の故障でイライラすることはない。
それと同じなのだ。
蓮池の真ん中にある東屋でしばし超イライラする筆者。
ただ、
「蓮の花ってレンゲソウに似てるね。」
と言ってしまっただけのことで美しい朝がこんなことに。
母相手に難しい話は一切通じないのはよく分かっているからこそ
選んだシンプルな話題のつもりであったのだが、甘かった。
この会話がこれ以上どこにも行けないのは明らかであるから
自分だけの力によってこのイライラをどうにかするしかない。
こういうときは、イライラの起こった状況から離れるに限る。
母の手を引いて池の周りを囲む小道を歩き始めたら、程なくして
気分が治った。
筆者は何にでもすぐ怒るという方ではないが、
この種の不条理に対してはものすごく許容量が小さい。
キャパ以上の処理にオーバーヒートした脳から
バネやらネジが音を立てて外れ飛び、煙がシューと出てきそうになる。
しかし、気分転換は早い。
この母の娘という立場にあって気分転換が下手なようでは
今頃筆者はここにはいない。
この数年で筆者の記憶力が飛躍的に悪くなっている一因は
面白くない出来事を早急に忘れる必要性の大きくなった
この生活なのかもしれないと思う。
本当は加藤剛かジム・カヴィーゼルにハグしてもらい、
背中をさすってもらったらスグすーっとすると思うが、
そんなことは望めないから物忘れを激しくするしかなかった、
というわけだ。
暫時イライラしたものの、最終的には蓮を存分に楽しんでの帰り道、
ロイヤルホストのモーニングセットをゆっくり食べて
家まで母を送り届けてもまだ10時半である。
まだ1日は始まったばかりなのだ。
蓮もすばらしいが、早起きってすばらしい!!
