カエル関連事象 Flog-Related Events | zuzu's room ズーズーズルーム

zuzu's room ズーズーズルーム

翻訳者が書く英語・日本語ブログ English/Japanese Blog
ごくたまに英会話レッスン! With Free English Lessons (Rarely)
                    


お有難くも怒涛のように仕事が押し寄せ

ブログさぼりまくりである。



ところで筆者って、どうも世間からカエル好きと思われているらしい。

この10年ぐらいに起こっていることなのだが、理由は自分ではほとんど分からない。

カエルものを集めているわけでもないし、カエルをみたら騒ぐわけでもない。

ましてや 「カエルが好きです。」 とか言ったこともない。

しかるに、まったく別のところで個々の人々からカエルものをもらったり

カエル好き限定情報を教えてもらったりしてしまう。



それがこの頃、度合いを急速に増している。

その一つとして先月、10数年ぶりに会った友人から

「カエル、好きでしょう?」

と、こんなのをもらった:




なにでできているかというと、生八つ橋なのだあ!




生八つ橋のふにゃふにゃ感によってカエルの感触が絶妙に再現されており、

かわいさ激ヤバである。

どこから食べてもかわいそうだからしばらく食べられなかったが、

かわいそうといっても、ベトナム料理屋に行けばカエルの唐揚げを

むさぼり喰らう筆者だ。

かわいそー、など、偽善である。

固くなったらタイヘンだし、いい加減にしておけつの方から食べた。

ニッキの風味が爽やかなお馴染みの美味しさであった。



それから、5月の町内一斉掃除会のときも、

道であったら仲良く話すが、さりとて特に付き合いのない

町内の幼馴染の主婦に

「○○ちゃん、カエル好きでしょう?」

と、”ズバリ、そういうことなんでしょう?”

みたいな確信の表情にて、疑問文のナリをした断言をされてしまった。

筆者のおけつから垂れ下がるケイタイのストラップについているカエルを

見ての発言らしいが、たったそれだけのことでこんなに自信満々に

断言するってことがあるだろうか。

やはり日常の観察結果を踏まえての発言だったのだろうか。

「分かる~? そうやねん! カエルが好きで好きで、もう大好きやねん!!」

という返答を期待していた幼馴染は、筆者の

「いや、まあ、うーん、好き…かな。」

という煮え切らない発言にガッカリした表情を見せていた。



さらに、一昨日も友人と雑貨屋で「見てるだけ」をやっているとき、

「あ!ホレホレ!!カエルやで!!」

(こんなんダイスキなんやろ?)みたいな感じでカエルものを見せられた。



本人に「カエル好き」意識がゼンゼンなくても、

 1.始終会っている

 2.10数年会っていなかった

 3.幼馴染

の3カテゴリーの人間からこんな短期間に次々指摘されるようでは

少なくとも客観的にはカエル好きとしか思えぬものを持っていることは間違いなかろう。

これは筆者の方もそろそろ分かった方が良いかもしれぬ。

「カエル好き」

という新しい私として生きていく―。

そう、それも悪くないかもしれない。



そういえば先月、カエルと筆者の生死にかかわる壮絶な事件もあったのだ。



2週間ぐらい前の夜、ウォーキング兼買い物から帰って来たら、

玄関の前の通路の手すりのところに真ミドリのものが乗っているので

驚いて良く見たらアマガエルである:




筆者のアパート周辺には水場がなく、カエルを見たこともないし、

声を聞いたこともない。一体全体ここで何をしているのだ。

一旦部屋に入って荷物をおろし、出てきたらまだいたから

とりあえず撮影をしたけど、微動だにしない。

やはりこんなところに迷い込んで、戸惑いのあまり固まっている様子だ。

ここで会ったのも何かの縁。

筆者が助けてやらなければ。

歩いて2分の実家に行けば小川があるからそこへ連れて行くことにする。



そおっと片手で捕まえたら、さすがにジタバタし始めた。

脱出しようとする力が意外なほど強くて負けそうだったから

両手のひらで作った空隙に入れて運ぶことにした。

ときどき「キュウ!!」という音を発しつつ手の中でビョンビョンするヤツを持って

実家の庭から崖下に続く階段を降り、

小川の堤防にたどり着く。

堤防の上は川原に沿って幅40㎝ぐらいで延びる細い空間が

ツタに覆われて緑の通路になっている。

その上に立ってしばらく考え、

川へ下りる階段の中ほどに放そうと決めて川側へ体の向きを変え、

階段の方向に10cmほど左足を出した。

そしたらな。



そこにはもう堤防も、まだ階段もなかった。



ツタに覆われた堤防上の通路の続きだと筆者が信じたものは、

堤防の側面の石垣から空中を上へ伸びた草だったのだ。

筆者の左足は草を虚しくかすって空を踏み、バランスを失った筆者の体は

3m下の川原へ落下する物理の力に直ちに屈服し始めた。

もうほぼ死に体である。

筆者がモノだったら落ちる運命は避けられなかったが、

筆者がモノと決定的に違うところは、

「死にたくないッ!!!!!」

と思うところである。

体幹の筋肉を総動員して上半身をひねり、堤防の上に亡父がこしらえた

植込みのブロックを片手でムンズと掴むと落下は止まった。

脇腹が悲鳴を上げたが、命は助かった。

と思ってふと気づくと、3m下まで落ちていくしかないと思っていた

筆者の左足の下に地面がある。



暗闇で探ってみたら、川原へ下りる階段の1段目であった。

つまり、筆者は堤防から階段の1段目までの15cmほどを落下しただけなのであった。

さっき全身全霊で思いっきり思った

「死にたくないッ!!!!」

も、だからその15cmを落ち始めたたった0.1秒ほどの間

思っただけなのだ。

どう考えても1秒はあったような気がするから、生命の危機に直面して

時間の感覚が普段の10倍高まっていたのに違いない。

筆者にブロックを掴ませたのは、筆者の野生が起動させた

このディフェンス・メカニズムである。

いくら15cm下に地面があったって、ブロックを掴んでいなければ

バランスを崩した態勢のまま、やはり階段を転げ落ちていたかも知れぬ。

驚くべきはそのために分泌されたアドレナリンの分泌反応の速さである。

さらに言うと、このときできた左足首のまあまあの擦過傷に

数時間後まで気づかなかったのも、アドレナリンの効果であろう。



生物の神秘礼讃はこのへんにして、

た、助かった。ハアハア。

―しかし。



なんだっけ。

なにか、「助かった」とは正反対のスゴクいけない印象が残っている。

そうだ・・・・。

さっきブロックを掴んだ手の中には、カエルが入っていたのではなかったか。

この筆者の手はカエルごとブロックを掴んでしまったのではなかったか。

いや、違う。

あの0.1秒のそのまた前半の0.05秒、頭の中ですら考えを言葉にし得ないほどの短時間に

筆者はカエルを抑える手を緩めた気が、少なくとも「緩めなければ」と思った気がする。

だが、それは間にあっただろうか。

手の中にカエルをちょっとぎゅっとしてしまった瞬間の感触が残っている。

おそるおそる手の平とブロック周辺を目で探ったが、カエルの姿はどこにもない。

手の平にもカエルを握りつぶした跡はない。

一瞬握られたけど、ケガをする前に脱出したのか、

とにかくは逃げ出したが、逃げた先で死んでしまったのか、

どう思い悩んでも結論が出るはずもないから、

あの0.05秒の間にカエルもど根性で筆者の手から脱出してくれたのだ・・・

そう信じることにした筆者である。

後味は悪いが仕方がない。

仕方がないが後味は悪い。



ま、これなども、カエルが好きだから起こってしまった出来事

といえるのかもしれないな。

カエルが玄関の前にいたら

「キャー、キモチわるい!!」

で終わらせる人も多かろう。

それに引き換え筆者があのまま崖から落ちて死んでいたら

「そこまでしてカエルを・・・・!!」

とかいう話になってカエル好き伝説が語り継がれてしまっていたかも知れぬ。



ヤハリ筆者はカエル好き。