お疲れ様です。
本日は最近筆者が「ありえん」と思ったこと3連発を書きたい。
その1
昨日ダイエーの本屋に行って 「おにぎらず」 の存在を認知した。
ありえん。
結びのあまいフワっとしたおにぎりもキライな筆者の理想とする
おむすびは満身の力を込めて米がギチギチに圧縮された
「握り」飯。
コンビニおにぎりもまず包装の上から自分で握ってから開ける。
なのに「おにぎらず」だなんて。
とはいえ、もし売ってたらとりあえず買うが。
その2
叔父が死んだのに伴い、イトコたちが2か月半かけて借家の整理を完遂した。
「捨てるもの惜しいが全然いらんものの中からなんかいるものあったら持って行け」
の会が催されたので行って来たところ、
「捨てるのも惜しい」品々の中に赤い布製の棒を曲げて輪にしたナゾの物が
あった。
一瞥しただけで世にも要らないものの感じがしたのだが、
ナゾは解きたかったので、これは何かと従姉に尋ねたところ、
ムエタイのはちまきであるとのことであった。
なるほど、そう言われれば俄然納得である。
だが、海外などほとんど行ったこともなかった叔父の遺品に、
なぜそんなものがあるのだ。
その点さらにたずねると、
「これ私がタイで買ってん。」
とのことである。この返答に、筆者と従姉の義妹が異口同音に
「買ったア?!?!」
と大呆れの声を出したのだが、他人の非難などにひるむタマでない
従姉は、自信満々に
「ええやん、これ!こうやってかぶったらカッコいいでしょう?ムエタイ見に行ったらカッコよくて―」
と説明しかけたところで、すかさず義妹が
「買ってしまったんですか?」
とブチ込んだ。
国立大出の秀才にして医師であるこの義妹は、常にクール、
ムダな笑顔などイチイチ作ったりしない人物なのだが、
この人の口からほほえみのクッションもなしにこう突っ込まれると、
”ムエタイと縁もゆかりもない生活を送るおばはんがタイでうっかりムエタイはちまき購入”
という行為が世にもバカげて聞こえてくるので、さすがの従姉も
「・・・うん、そう。」
とごく若干ではあるが勢いを弱めさせられたのであった。
その後この鉢巻は「捨てるもん」コーナーに移されたようである。
その3
その3を始める前にまず明確にしておきたいことは、
これは文句ではない、ということである。
ゼンゼンいいのだ。また実害があるわけでもない。
ただ意味がわからんというだけである。
ウチには10名を超えるヘルパーさんがたちが
とっかえひっかえ老母の世話をしに来てくれる。
彼女たちの助力がなければウチの家は終わりである。
筆者が一人でやっていた日には、間違いなく心身ともに病気になって
数年前には筆者はお先に死んでいたか、少なくとも
使い物にならなくなっていたことだろう。
命の恩人と呼んでも呼びすぎでない、本当にありがたい人々なのだ。
しかし、このように多くの人が出入りするようになって痛感することもある。
非常に単純な家事においてすら、個々人で驚くほど違う方法や考え方が
存在するということだ。
筆者が常識だと考えていたことが、いかに全く常識と
みなされていないか、それを知って愕然とすることがしばしばあるのである。
例を列挙すれば限りないが、さすがにコレは筆者のが常識なのではないか
と思わざるを得ない例をひとつご紹介したい。
老母は毎朝即席カップスープを飲む。
さまざまな種類を用意しておき、ヘルパーさんがその日の老母の
気分に合わせて作ってくれる。
母が特に好きなのはJALのビーフコンソメである。
こうした即席コンソメスープの一番普通の作り方とは、
どのようなものなのだろうか?
筆者は筆者のやり方が最も常識的な方法だと思っている。
すなわち、目分量でお湯を注いで、飲んで塩辛ければ湯を足す。
たまに始めから薄すぎになってしまうこともあるが、所詮カップという限られた
容積の範囲で作るものである。飲めないほど薄くなることはまずない。
食用に適さないような失敗に至ることはないのだ。
しかるに、老母がコンソメスープを所望した日のヘルパーさんの連絡帳に
「スープが辛すぎて飲めないとのことでした。」
と書き残されていることがしばしばあるのである。
ならばもっと湯を入れれば良いのではないか?
と思うのは、筆者独自の考え方なのだろうか?
この、「スープが辛すぎて飲めないとのことでした。」
と書くのは決まってAさんであるが、Bさんというのもいて、
この人は、
「スープが辛すぎるため、半分だけ使いました。」
と書き、残り半分は口を折ってスープコーナーに置いてくれる。
だから、もっと湯を入れれば良いのでは??
つか、紅茶茶碗じゃなくて、マグカップを使ってはどうか??
と思ってしまうのは、常識ではなく、筆者特有のユニークな
思い付きなのだろうか?
そんなことない気がする。
また、筆者が作っておいていた味噌汁を老母が
辛すぎると訴えたので薄めてくれたのはCさんである。
味噌汁が減らないのを不審に思った筆者が老母に事情を
尋ねたところ、
「薄めてと頼んだら、薄まりすぎて飲めなくなった。」
とのことであったため、フタを開けて覗いてみたら、
量が元の倍以上になってなみなみと鍋の中に
満たされたその味噌汁は、味噌汁にあるまじき
透明感を醸し出しており、一目見るなり
食用に適さない雰囲気がありありと漂っているのであった。
いきなりの2倍希釈にてみそ汁透明化とは、いささか大胆不敵すぎないだろうか?
と思うのは、筆者だけなのか?
ちなみにこのCさんは雨戸を閉めた後、必ず重ねて
網戸も締めてくれる。
雨戸を閉めたら網戸のみ閉まっている場合以上に虫は入ってこれないので
網戸はもういいのだが。
ある日、筆者が実家にいるときにCさんが新人を伴ってやって来て、
実地訓練をしていたことがあったのだが、その際Cさんが新人に、
「雨戸を閉めた上から必ず網戸も閉める」
旨を教え込んでいたので、筆者はおずおずと、
「あのう、雨戸を閉めたら網戸は閉めなくてもいいですよ。」
と言ってみたのだが、聞き入れられず、
その後も網戸オーバーザ雨戸の術は続けられている。
なぜだろう。
以上、一生考えても筆者にはわからないことシリーズ
一巻の終わりである。