空のノコギリザメなど Sawshark in the Sky and Others | zuzu's room ズーズーズルーム

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すぐ近くにある商業施設の屋上駐車場は

なかなか空がいいのだ。



こないだも買い物を済ませて車に乗ろうとしたら

こんなヘンな雲が出現していた。(下の横に長い方)




その時はノコギリザメのノコギリのようだと

すごく思ったが、今見たらそうでもない。

しかし変わった形には違いない。

ふと気づくと、少し離れたところに停めたクルマの人も

空をぼーっと見ていた。


 「あんさんも、ノコギリサメに似てると思いまっしゃろ?!」


と話しかけに行きたかったが、やめておいてよかった。

こんなにもそれほど似ていないのに、同意が得られるはずがなかった。



それから、10時の方角も美しかった。




その翌々日、買い物帰りの、一部だけまだらに夕焼けしている雲↓。

こういうのはあまり見たことがない。




さらにそのまた翌日の黄昏時がまたこんなにも美しくて

ベランダで激写である。↓




美しい空を眺める気持ちは、すばらしい絵画を見ているのと

よく似ているが、しかし絵画にはここまで

すばらしいのはないような気がする。

それはカンバスの大きさの絶対的な違いによるところが

大きかろう。

それから、空は一期一会具合が絵画とは比べ物にならない。

ただの1秒も完全に同じ絵を見続けることは叶わないのだ。

特に夕刻は、どんどん色が濃くなって、どんどん輝きを増して、

容赦のない速度で暗くなって、それで終わってしまったら、

未来永劫、二度と同じ光景が繰り返されることはない。

そこから切ない感動が生まれるのだが、筆者はそこのところは

好きではない。

切ないのはイヤである。

だから、その気持ちはなるべく味わわないようにして

「キレイキレイ!」 

という気持ちだけで見ることに努める。



筆者はまだ中年だからいいが、何十年か未来に母の歳になったら

空の方の一期一会具合に自分の残り少なさが加わって、

大きくなった切なさが無視できなくなって、

空を見るのがしんどくなるかもしれないと思う。



そういえば、ショパンが大好きだった筆者の父が、

死の床で、始めの幾日かは聴いていたショパンのノクターン集が

だんだんと聴けなくなり、とうとう 「もうしんどいからいい。」 と聞くのをやめたのが

筆者の忘れられない思い出になっている。



あんなに好きだった音楽が、しかも曲調の静かなノクターンが

しんどくて聴けなくなるなんてことがあるのだろうか、と

まだ20代だった筆者はよくわからなかったが、

今はもうすっかり分かるようになった。

さもあろう。

あんなに心を揺さぶってくるものを

弱った心で聴くのは無理である。



感動と言うのはしんどいのだ。

少なくとも筆者と父のDNAにはそう書いてある。

しかし、この二名の同じ感受性は非常に違った発現の仕方をするのである。



往年の父は、音楽を聴いて泣き、音楽を聴いて泣いたことを報告してくる、

という家族受けの悪いことをするめんどくさい男であったが、

泣くほどしんどい思いをしている状態がスキ、というわけであるから、

いわばマゾヒスティックな所業であると言えよう。

Sな筆者は、たとえば、しんどいから感動映画とか決して見ない。

それでなくても心乱されることが日々絶えないというのに、

感動目的で作られた話に感動してしんどい思いをさせられるのは

真っ平御免である。



だが、筆者も空ぐらいならまだ大丈夫である。

それに、どれだけ見たってタダであるのもよいのだ。