「007 死ぬのは奴らだ」(1973)

 

ロジャー・ムーア初登場の第8作目をAmazonプライムビデオでひさびさに観ました。

 

 

監督はガイ・ハミルトン。予告編はコチラ。荻昌弘の解説はコチラ

 

カリブ海に浮かぶ島国サン・モニークを調査する英国情報部員が次々と殺害されます。事件解決のためにそのへんの女性ベッドで寝ていたジェームズ・ボンド(ロジャー・ムーア)Mに呼び出されます。米国CIAのエージェントのフィリックス・ライター(デヴィッド・ヘディソン)の協力を得て、黒幕だと睨んでいるサン・モニークの首相カナンガ(ヤフェット・コットー)の捜査を開始。サン・モニークに上陸早々、ナビゲーターでカナンガのスパイである女性野外プレイを楽しむボンド。女性はカナンガにあっさり殺されます。カナンガはハーレムの大物Mr.ビッグの顔を持っていて、米国内のレストランチェーンを通じてヘロインを無料で大量配布。麻薬中毒患者を倍増させた後に、自国で生産したヘロインの値段を吊り上げて、暴利を貪ろうとしていました。

 

カナンガの傍らに常にいるのが、タロットカードで指示を与える謎の美女ソリテア(ジェーン・シーモア)カナンガはソリテアの占いを信じています。ボンドはソリテアの占い部屋に勝手に潜入して、タロットカードで『恋人』のカードを引き当てて、結ばれる運命にあると言って強引にベッドイン。ソリテアを奪い去ってサン・モニークから逃げ出します。ニューオリンズでカナンガに捕まって、サン・モニークに連れ戻されたボンドワニ園で殺されそうになった危機を回避。一方、一緒に拉致したソリテアはボンドにバージンを奪われて神通力を失っていたため、カナンガがブードゥー教の儀式で始末しようとしています。そこにボンドが現れてソリテアを救出カナンガとの最終対決となって・・・というのが大まかなあらすじ。

 

原題は「Live and Let Die」。"自分は生きて、相手を死なせろ"という意味のようです。ロジャー・ムーア初登場。意外にもイングランド人初の007。植民地支配思想とあからさまな女性蔑視を身にまとった前時代的ヒーローで、悪党はボンドを拉致しても絶対に殺さず、最終的にはボンドが敵の秘密基地で悪い奴らをほぼ皆殺し。一人生き残った残党が女とイチャイチャしているボンドに襲いかかるという007フォーマットを守った作り。非情さとキレのある眉毛で荒唐無稽さを成立させていたショーン・コネリーと違って、ユーモアセンスを含んだソフトな物腰が円滑剤となって、バカバカしいリアリティラインを渡り歩く余裕がロジャー・ムーアにはあります。そして、3人の美女と体を交わらせるタフさも完備。中でも、頭がカラッポながら、ビジュアルはピカイチのジェーン・シーモアの輝きは絶品です。

 

カナンガを演じたヤフェット・コットーは、007シリーズ初の黒人のラスボス。まだまだ黒人俳優の映画内ポジションが低かった時代なりに、攻めた起用をしているとはいえ、最後の殺され方の扱いはちょっと酷いかも。アクションはの様々なシチュエーションを凝らした内容で盛りだくさん。特に、サン・モニークから脱出するときのカーチェイスボートチェイスに見どころあり。ブードゥー教集団オカルトテイストや当時流行していたブラックプロイテーション映画の雰囲気も取り入れています。秘密兵器では、腕時計のガジェットがとても魅力的。もちろん、ポール・マッカートニーによるキャッチーな主題歌も印象的。世界興収は「エクソシスト」「スティング」「アメリカン・グラフィティ」に次いで、この年の第4位だったようです。