「沓掛時次郎」(1961)

 

市川雷蔵主演の股旅時代劇を観ました。初見。

 

 

監督は池廣一夫。予告編はコチラ

 

溜田の助五郎一家に草鞋を脱いでいた沓掛の時次郎(市川雷蔵)。一宿一飯の恩義で、会ったことのない六ツ田の三蔵(島田竜三)を斬ることになり、1対1の勝負となります。一撃を加えて深傷を負わせて、これで助五郎への渡世の義理は返せたと言って、三蔵を逃がしますが、子分を引き連れた助五郎(須賀不二男)が逃げる三蔵を追い詰めて容赦なく殺害。三蔵の女房を横取りしたいがための襲撃であったことを知って、死ぬ直前の三蔵から「女房と子供を頼む」と託された時次郎は、女房のおきぬを拉致しようとする助五郎一味を斬りつけて追っ払います。夫の三蔵を殺したのは時次郎だと誤解して襲いかかったおきぬ(新珠三千代)をなだめつつ、三蔵の一人息子太郎吉も連れて、追っ手から逃れながら熊谷の宿場にたどり着いた時次郎。

 

病いに倒れたおきぬを医者に診てもらうと、身重であることが分かります。宿の女将おろく(杉村春子)の世話を受けながら、門付けをして日銭を稼ぐ時次郎。三味線を弾いて手伝うおきぬも、夫への義理だけで親身になってくれる時次郎に次第に想いを寄せるようになっていきます。しかし、熊谷には助五郎の兄弟分である聖天の権蔵(稲葉義男)がいて、時次郎の命を狙っていました。太郎吉を人質に奪われた窮地を救ったのは、地元親分の八丁畷の徳兵衛(志村喬)。これによって、時次郎をかばう徳兵衛陣営と助五郎側に立つ権蔵陣営との縄張り争いも激化。やがて、時次郎の居場所を知った助五郎も熊谷にやって来ます。おきぬが再び病いに倒れたため、治療代が必要となった時次郎は徳兵衛の助っ人を買って出て、権蔵一味と相まみえる決戦の場に向かうのだが・・・というのが大まかなあらすじ。

 

劇場公開は1961年6月14日。同時上映は、山本富士子主演のメロドラマ「夜はいじわる」。これまで何度も映画化されている長谷川伸原作の戯曲「沓掛時次郎」の大映版。時次郎に三蔵を殺させず、三蔵の女房を奪うことが目的の助五郎にトドメを刺させたこと、おきぬがただの病気でなく、妊娠していること等のアレンジを加えています。夫を殺した男を好きになってしまうおきぬという設定じゃなくなっていて、時次郎も妊娠中の女に想いを告げるわけにもいかず、単に義理堅い男となっている点が一風変わっていて、許されぬ恋という要素が薄まっているかも。終盤の展開は、権蔵一味との果し合いの後に助五郎一味との戦いも待ち受ける二段構えになっていました。時次郎が敵を一人ずつ始末していく仕掛けは妙に凝ってます。志村喬と稲葉義男の「七人の侍」の生き残りコンビが縄張りを奪い合う中、最大の悪党である須賀不二男はラストで右腕をぶった斬られてご臨終。

 

お互いの想いをストレートに通わせないまま、悲しい最期を迎えてしまう時次郎とおきぬ。ずっと「おきぬさん」と呼んでいた時次郎が、最後は「おきぬ」と呼び、ずっと時次郎を「おじちゃん」と呼んでいた太郎吉が、最後は「おとっちゃん」と呼ぶところで、ようやく本当の気持ちを吐露する奥ゆかしい人たちでした。雷蔵の相手役に東宝の新珠三千代を迎えた組み合わせは華があります。後ろ姿も艶っぽい新珠三千代。雷蔵にはチビッ子たちと戯れるシーンあり。当時大映映画でも活躍していた人気アイドルの橋幸夫が同名主題歌を担当。誰もが覚えるくらいに沓掛時次郎を連呼する歌が良いアクセントになっています。宮川一夫の撮影は遠景が美しかったです。チャンバラの見せ場もちゃんとあって、メリハリの利いた大衆演劇を観た気にさせられるプログラムピクチャーでした。