「ランボー」(1982)

 

スタローンの代表作の1本をひっさびさにU-NEXTで観ました。

 

 

監督はテッド・コッチェフ。予告編はコチラ

 

ベトナム帰還兵のジョン・J・ランボー(シルベスター・スタローン)アメリカ北西部の田舎町にアポなしで戦友を訪問。戦地で共に戦って以来の再会に心弾むランボーですが、当の戦友はおらず、からベトナムの後遺症によるガンで死んでしまったと聞いて愕然とします。唯一の生き残りである戦友も死んでしまったと落ち込みながらトボトボ歩いて辿り着いたのが、ホープという田舎町。ミリタリールックで無精ヒゲのランボーを不審人物と決めつけた地元保安官のティーズル(ブライアン・デネヒー)はさっそく職務質問。半ば強制的に町境まで車で連れて行ってランボーを見送ったものの、踵を返して町に戻ってくるランボー

 

コケにされたと逆上したティーズル保安官は浮浪罪などでランボーを不当逮捕、部下たちは取り調べと称して執拗な嫌がらせを敢行。狭い取調室でベトナム戦地での捕虜生活がフラッシュバックしたランボーは反射的に警官たちに暴力で抵抗した挙句、盗んだバイク山中に逃げ込みます。痛めつけられた州警察はランボー狩りを開始。しかし、サバイバル戦術に長ける元グリーン・ベレーのランボーに敵うはずもなく、返り討ちにされます。すると、州警察は州兵を動員。念のため、ペンタゴンからランボーの元上司であるトラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)を呼び出します。ランボーには勝てないよという大佐の忠告を無視して、ランボーが身を潜める廃坑を爆破して生き埋めにした州兵たちはランボーの死を確信。これで一件落着と山を引き上げたご一行ですが、生き延びていたランボーは反撃のため、街に戻ってきて・・・というのが大まかなあらすじ。

 

ランボーの笑顔で映画が始まるところが、その後の激しい人生を考えると感慨深いものがあります。ちなみに、最初に観たのはレーザーディスクでした。捕虜時代に胸をナイフで斬りつけられる場面、ベトナム兵の顔、負傷した右腕を縫う場面、警察のホースで水責めされる場面、からジャンプする場面などは初見時に大きな印象を残しました。ランボーは戦争という名のフランケンシュタインが生み出した怪物だという指摘をスタローン自身もしてるようですが、上手く言い得ています。虐げられたランボーが本来の戦闘能力を発揮して、公権力に立ち向かう爽快さ以上に、お国のために戦ったのに帰国後は社会から疎外され続ける苦しみが際立つ、ニューシネマテイストもある切ないお話。血の通った1人の人間として扱われない絶望と引き換えに、続編以降は哀しい超人へと変貌していきます。「ロッキー」にビル・コンティが奏でた音楽があるように、「ランボー」シリーズにもジェリー・ゴールドスミスの音楽が大いに貢献していることを改めて実感。曲調を変えることで豪快な曲としても、もの悲しい曲としても心に響く万能ぶり。なお、遅まきながら、別エンディング映像があることを今回知りました。

 

IMDBトリビアによると、映画化権がコロンビア、ワーナーからカロルコに移っていく過程で、ランボー役にクリント・イーストウッド、ジェームズ・ガーナー、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、スティーブ・マックイーン、ニック・ノルティ、ジョン・トラボルタ、クリス・クリストファーソン、ブラッド・デイビス等が、トラウトマン大佐役も(クランクイン直前で降板した)カーク・ダグラス、ロック・ハドソン、リー・マーヴィン、監督もマーティン・リット、シドニー・ポラック、マイク・ニコルズ、ジョージ・ミラー、ジョン・フランケンハイマーあたりが候補として挙がっていったようです。結果的には、ハッタリと火薬の量と制作費がエスカレートしていくカロルコ・ピクチャーズの体質と、自己の肉体と同化させながら妄想がエスカレートしていくスタローンの資質がピタッとハマりました。その後、両者ともハデな大作を発表して、少しのホームランと多くの空振り三振を繰り返す日々が1990年代中盤まで続きます。