はなそうよ ~ Let's Talk -3ページ目

はなそうよ ~ Let's Talk

はなそう基金 = Let's Talk Foundation  古森 剛 のブログです。
「Komo's英語音読会」@陸前高田、その他関連する活動などを綴ります。


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当ブログの記事も全て公式Webサイトに移設しました。

今後は、公式Webサイトで報告させていただきます。

引き続きよろしくお願いいたします。





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先週末の土日の一泊二日の強行軍で、東北に行ってきました。

毎月の「Komo's英語音読会@陸前高田」の際には、あまり時間的余裕がありませんので、2~3ヶ月に1回くらいのペースで音読会とは別に東北に行きます。

今年初回は、震災一周年の3.11の日。その次は、連休前半の4月末。いずれも一人でしたが、今回は仲間が3人一緒でした!

はなそう基金の重要な活動のひとつである「復興対談シリーズ」のインタビューも、この不定期弾丸ツアーの中で行われます。
 
 
南三陸町「自然の家母ちゃんクラブ(SKC)」へ!

今回はまず、土曜日の午後一番に宮城県南三陸町へと向かいました。4月末の弾丸ツアーで初めて寄らせていただいた、志津川の「自然の家」にある仮設住宅へ。
  

  
そこに住む「母ちゃん」たちの編み物サークル、「自然の家母ちゃんクラブ(通称SKC)」の場に座らせていただき、しばしお茶っこタイム。。。

  
物資をお送りしていた頃の窓口、HさんもSKCのメンバー。このHさんに会いに来たのが4月の訪問目的でした。その際にSKCのことを知ったわけです。

SKCの作品は、デザイン、品質ともに非常に良いです。

 

「母ちゃん」たちの素晴らしい手仕事。ボランティア団体などの協力で、東京を含む各地のバザール等で売られているようです。

なんと、SKCのFacebookページもあります。Check it out! 
http://www.facebook.com/SKC48?ref=ts 

仲間たちもみなSKCの作品が気に入ってしまい、それぞれに何点か購入させていただきました。バザール向けに価格表があるようなので、その市価で購入。


ここに来て買っていく人は珍しいらしく、「押し売りじゃなくて、押しかけ購入だ!」などと、冗談交じりに楽しく時間を過ごしました。

こうした「母ちゃん」たちの素晴らしい手仕事、もっと多くの人に知っていただきたいと思います。はなそう基金としても、なにかお手伝いできないかと思案中・・・。
 
 
復興対談シリーズ取材~月山神社宮司夫人 荒木タキ子さん

その後、陸前高田に移動。15時半から、月山神社の宮司夫人、荒木タキ子さんとの「復興対談シリーズ」のインタビュー。1時間半ほど、みっちり濃いお話を伺うことができました。

荒木タキ子さんは、友人である荒木そう子さんのお母様・・・。

「光に向かって:  3.11で感じた神道のこころ」(川村 一代、晶文社)の巻頭にフィーチャーされていたのを拝読して、「この人にお会いしたい!」と思いました。

そう思っていた矢先、5月に「虹のライブラリ」に寄らせていただいた際に、幸運にもお会いできたのです。お話を伺っていて、「是非対談にご登場願いたい」と思っていました。

今回、それがついに実現!


月山神社とその研修所(兼ご自宅)は、発災当初からしばらくの間、避難所として活用されていました。その急場の生活の中で、色々なことが見えてきたといいます。

たいへん示唆深い、人間の本質を考えさせられる対談となりました。内容は、別途対談記事として編集し、できるだけ早めに公開させていただきます。

  

「ただいま~」 Oさん家で晩ご飯

夕方にかけて、仲間を被災エリアに案内。もうすぐ取り壊しになるので、来た以上は見ておいて欲しい。

何が起きたか。一年以上の月日がたとうとも、被災地の人々の心にどんな景色が焼き付いているのか。一緒に活動する人には、それを感じていて欲しい。。。
 


夜は、多くの人々に「陸前高田の母」と慕われているOさんの仮設住宅におじゃまして、一緒に晩ごはん。僕はいつも、「ただいま~」と言ってOさん家に入ります。

今回同行した3名の仲間は、いずれもこのあたりに来るのは初めてとのこと。色々とOさんに体験談などを話していただきました。
 
 
復興対談シリーズ取材~「佐藤たね屋」代表 佐藤貞一さん

日曜日。Oさん家で朝食をご一緒して、その後8時半から「復興対談シリーズ」のインタビュー。今度は、「佐藤たね屋」代表の佐藤貞一さん。


佐藤さんのことは、何度かこのブログでも触れさせていただいています。英文震災手記「The Seed of Hope in the Heart」の著者です。

ちょうど数日前に、その冊子の改訂第2版が仕上がってきたところです。第1版よりページ数が増え、写真の点数も増えました。

「希望の種」2袋とのセットで、佐藤たね屋さんの店頭で1,000円。郵送の場合は1,200円。これは本当に一読の価値ある手記です。

世界中の人に読んで頂きたいです。

佐藤さんの対談記事も、できるだけ早く編集・公開しようと思っています。津波で多くのものを失い、ご自身も本当に紙一重で生き延びて、そこからの奮起・・・。

外部者が頭で考える理屈ではなく、被災されたご本人が一人称で語る「復興」の本質とは・・・。重みとリアリティが違います。
 

 
 
仮設住宅近隣の畑で談笑、その後花壇づくりへ
 
10時半頃に佐藤さんのお店を出て、某仮設住宅近隣の畑へ。顔見知りのおばちゃんたちと「お~い」「わぁ~」という感じで、立ち話など。

ここの仮設住宅は畑のおかげもあって、皆さんがとても元気!コミュニティも形成されているようです。ちなみに畑地は上述のOさんが無償で提供しておられます。
 
その後移動して、某お宅へ。一緒に花壇作りです。

草を刈り、土を耕して、花の苗(野菜の苗も少々)を一緒に植えました。3人の仲間もかなり頑張りました。たぶん筋肉痛になったことでしょう(笑)


丘の上でオニギリを食べながら・・・

雨の合間を縫って花壇作りを終え、昼過ぎにOさんのところに戻りました。そして、丘のようになった小高い場所から海の方角を眺めながら、一緒にオニギリを食べました。

実際に津波に流され、命を落としかけたOさん。そのときの模様を、「あそこまで波が来た」「私はここで何度も沈んだ」などと克明にお話しいただきました。

食事が終わる頃、折しも雨が強く降ってきました。

「さぁ、今日はおしまいね」という神様の合図かなと思い、帰り支度。Oさんに、「じゃ、行って来ます!」と挨拶して、竹駒町を後にしました。


「虹のライブラリー経由、産直はまなす」

陸前高田を出る前に、今泉の「虹のライブラリー」に寄らせていただき、荒木そう子さんとお話ししました。

そう子さんは、週末はここの管理人をしておられます。ここは、津波で流された今泉天満宮のあった場所。まもなく天満宮再興のための募金活動が始まるようです。


今泉にあった家々はほとんど全部流されて、皆さん大変な思いをされています。なにか、「よりどころ」になる場所が必要だと思います。

ほんとに陸前高田を出る直前、ちょっと45号を戻って米崎の「産直はまなす」へ。http://santyoku-hamanasu.jimdo.com/

仲間3人は、ここで「たかたのゆめちゃん」のキャラクターグッズなどを買い求めました。ゆめちゃんは、震災後に公募でデザインされた新キャラクター。http://aidtakata.org/2012/03/new_character/

かわいすぎます。たまらんです。


気仙沼で仲間をドロップ、あとは「みちのく一人旅」

45号線を下り、気仙沼へ。仲間3人に第18共徳丸を見せ、気仙沼復興商店街でコロッケを購入。その後、3人は一ノ関駅でドロップ。帰路は一人で歌を歌いながら帰りました。

片道550キロ、歌い続けるとかなり声が良くなります!僕の声が大きいのは、空手道部出身という理由だけではなく、長距離運転時の歌の影響もあるのです。

思えば、昨年9月に初めて陸前高田に来たときは、あまりの被害の甚大さに衝撃を受け、帰りの車中では涙が止まりませんでした。

その翌月、10月の往復の車中でも、やっぱり涙が止まりませんでした。その頃は独りで通っていたので、人目をはばからずに涙があふれるままにしていました。

その頃の感情は、今も一人で東北道を走るとわきあがってきます・・・。
そして、いつも祈ります。

「再起をかけて黙々と戦う人たちの努力が、どうか報われますように」
「震災以前からある色々な苦しみも、復興とともに癒されますように」
「災い転じて縁となり、世界中の人々と彼の地の絆が結ばれますように」

さて、次の訪問は、7月中旬の「Komo's英語音読会@陸前高田」です。
 
(End)
 

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はなそう基金の会員等の状況に関するアップデートをさせていただきます。

■□■□■□ 2012年6月30日現在の会員状況 □■□■□■
   
【活動会員】  23名
   
【賛助会員】  個人:39名、法人・団体等:4 
   
(個人内訳:活動会員兼員が16名、賛助会員のみの方が23名)
  
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
   
この場を借りまして、会員の皆さまのご支援、ご協力に心より御礼を申し上げます。本当にありがとうございます。
  
【活動会員】 (英名:Active Contributors)
   
はなそう基金の使命・設立目的にご賛同いただき、その活動の実行、実務面で力を貸していただける個人および団体で構成されます。2012年6月30日時点で活動会員としてご登録いただいているのは、以下の方々です。 (リスト上での敬称は略させていただきますので、何卒ご了承ください)
  
1. 「Komo's英語音読会」のボランティア講師陣:
  
■ 伊勢 修 (東京都) 
■ 奥田 裕子 (東京都)
■ 柴田 明恭 (大阪府)
■ 白木 俊之 (東京都)
■ 田中 大策 (東京都)
■ 茂木 崇史 (東京都)
■ 門馬 真理子 (東京都)
■ 山崎 朗 (東京都)
■ 山崎 暢子 (東京都)
■ 吉沢 康弘 (神奈川県)
■ 李 潤天 (東京都)

☆★☆★☆ 新規会員 ☆★☆★☆ 
■ 朝倉 志穂 (東京都)
■ 藤本 こみち (東京都)
■ 横倉 正人 (神奈川県)
■ 涌嶋 隆 (U.K. ロンドン)
■ Keiko Best (東京都)
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 
  
ボランティア講師の方々は、交通費や宿泊費も自己負担(含、割り勘)で来ていただいています。その分を賛助金とみなして、同時に賛助会員にも登録させていただきます。この他にも、今後の音読会に講師として参加予定の方々が数名いらっしゃいます。音読会参加後に、順次活動会員として登録させていただくことといたします。
  
なお、Keiko Bestさんは、下記「賛助会員」の項の末尾に書きましたアメリカン・サマーキャンプの「SCOA」(http://www.scoacamp.com/)のディレクターでいらっしゃいます。
  
横倉さんと涌嶋さんは、バルセロナのESADEに留学中から震災被災地支援の活動に加わり、今回はじめて「Komo's英語音読会@陸前高田」にボランティア講師として参加いただいたものです。その後涌嶋さんは、すぐにロンドンへと赴任されました。
  
藤本さん、朝倉さんは、いずれも今後継続的にボランティア講師としての参加を表明いただいています。本当に有難うございます。 
    
2. 翻訳その他、各種運営面でご活躍いただいている皆さま:
■ 川原 亜希 (東京都)
■ 下野 友実 (インドネシア ジャカルタ)
■ 永田 亜美 (フランス リヨン)
■ 宮田 丈裕 (埼玉県)
  
☆★☆★☆ 新規会員 ☆★☆★☆ 
■ 中尾 仁 (東京都)
■ 大森 義輝 (神奈川県)
■ 谷口 佳久 (東京都)
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
  
初期から活動会員になられた宮田さんは、最近では「Komo's英語音読会」(以前から東京で実施してきたもの)の居酒屋セッションを企画いただくなど、活動のさらなる充実にご尽力いただいています。
  
中尾さんは、「佐藤たね屋」の佐藤貞一さんによる震災手記「The Seed of Hope in the Heart」の作成過程で、印刷原稿作成及び印刷会社とのやりとりをサポートいただきました。
   
大森さんと谷口さんには、はなそう基金のウェブページ制作に関して各種アドバイスをいただいています。当初より懸案であったウェブサイトづくりが、ついに前進しそうです! 
  
  
【賛助会員】 (英名:Financial Contributors)
  
はなそう基金の使命・設立目的にご賛同いただき、その活動に関して金銭的ご支援を提供いただける個人および法人・団体等で構成されます。賛助会員としてのご支援は、3,000円からとさせていただいております。一口からでも結構です。ありがたく活用させていただきます。
  
2012年6月30日時点で賛助会員として登録が完了しているのは、以下の方々です。お申し出いただいて送金処理中の方々等は、次のアップデートで掲載させていただきます。
   
なお、活動会員の項で記載の方々につきましては、別途賛助金を拠出いただいた場合以外は下記に重複掲載はしておりません。 (リスト上での敬称は略させていただきますので、何卒ご了承ください)
   
(個人)
■ 市川 薫 (東京都) 
■ 入江 崇志 (福岡県)
■ 小笠原 尚史 (ンガポール)
■ 奥田 裕子 (東京都) 
■ 貴島 恭子 (東京都)  
■ 北野 佳子 (京都府)
■ 肥塚 祐一 (東京都)
■ 坂本 真由美 (アメリカ カリフォルニア)
■ 佐藤 清子 (東京都) 
■ 佐藤 徳之 (東京都) 
■ 澤原 健吾 (東京都)
■ 下野 航平 (インドネシア ジャカルタ)
■ 瀬上 真理 (愛知県)
■ 谷本 憲彦 (大阪府)
■ 西田 政之 (東京都)
■ 林田 明 (鹿児島県)
■ 室井 和磨 (東京都)
   
☆★☆★☆ 新規会員 ☆★☆★☆ 
■ 小木曽 研 (東京都)
■ 嘉門 佳顕 (東京都)
■ 高橋 祥 (岩手県)
■ 千葉 修司 (東京都)
■ 寺田 和紀 (大阪府)
■ 野村 有司 (東京都)
■ Scott Gilbert (U.S.A.)
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
   
(法人・団体等)
■ 株式会社アセットケア (埼玉県) 
 ※活動会員である宮田丈裕さんの会社です
■ 関西ひだまりの会 (大阪府) 
■ シンガポール地域人事の会 参加者ご一同 </p>

☆★☆★☆ 新規会員 ☆★☆★☆ 
■ S.K.Y. and Partners LLC(東京都) ※賛助会員の小木曽さん、嘉門さん、千葉さんの会社です
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆  
   
高橋さんは、震災前は北海道で医師をしておられました。震災を機に陸前高田の県立高田病院に身を投じられ、以来今日まで地域医療の核となる活動をしておられます。某仮設住宅の方々が近隣の畑を借りて毎日顔をあわせ、会話を交わす中で元気になっているのを見て、それをもっと広めようと決意。その名も「畑にはまらっせんプロジェクト」。時間を捻出しては地主さんを足しげくまわり、仮設住宅近隣の畑を工面しておられます。病院で治療することにとどまらず、「地域の人々が元気になる」ことを目的関数にして活動しておられる真の医師でいらっしゃいます。「Komo's英語音読会@陸前高田」の参加者であるとともに、今般、はなそう基金の賛助会員としてお申し出をいただきました。
  
小木曽さん、嘉門さん、千葉さんの3名は、今回法人としても賛助会員になってくださった「S.K.Y. and Partners LLC」(http://www.oishiiokomenoosusowake.com/)の皆さんです。農家の方が丹精こめてつくった本当においしいお米を厳選して調達し、消費者につないでいく取り組みを続けておられます。千葉さんのご実家は、宮城県栗原市栗駒の米農家。震災後、千葉さんはすぐに被災地に入り、医療現場の惨状なども目の当たりにされました。震災を経て、より一層日本の地方に眠る価値の高い農産物を世に届ける活動に精を出しておられます。
   
寺田さんと野村さんは、以前から賛助会員へのお申し出をいただいていましたが、当方の事務的事情によりしばらくタイムラグが出来てしまいました。なお、野村さんからは毎月継続的に賛助いただけるとのお申し出をいただいております。大変心強く感じております。他にも、既に賛助会員になっておられる方々から、定期的に賛助金をお送りいただいているケースがございます。その都度個別に御礼を申し上げるべきところ、まずはこの場を借りまして心より感謝の意をお伝えしたいと思います。「Komo's英語音読会@陸前高田」は最低でも10年間続けますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
  
お送りいただいた賛助金は、「Komo's英語音読会@陸前高田」参加者の皆さんへの教材等の支援、その他活動諸費、及び、はなそう基金全般の運営に有効に使わせていただきます。
  
また、今夏は「Komo's英語音読会@陸前高田」に参加している小学生2名と中学生1名を、SCOA(http://www.scoacamp.com/)の英語サマーキャンプに派遣することにしました。その旅費や参加費も、はなそう基金から支援します。参加する子たちの人生の中で、 きっと意味のある経験になることと思います。はなそう基金の基盤をより堅固にしていくことで、このような機会をもっと多くの人々に提供したいと思います。
  
【コラボレーション・パートナー】
  
それぞれのお立場で被災地支援・貢献をされながら、はなそう基金の活動にご助力をいただいたり、協働させていただいているパートナーの個人・法人・団体の皆さまです。
(リスト上での敬称は略させていただきますので、何卒ご了承ください)
   
[前回より変化ありません]
■ 内閣府認定特定非営利活動法人ロッツ(LOTS) http://lots-ss.jp/
■ フードニスタ 浜田 峰子 http://ameblo.jp/hamada-mineko/
■ スペイン・バルセロナのCasa Asia、IESE、ESADEを中心にした有志の皆さん 
  
以上です。

今後ともご支援・ご助力のほど、よろしくお願い申し上げます。
  
  
一般社団法人はなそう基金
代表理事 古森 剛


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毎月一回開催している「Komo's英語音読会@陸前高田」。2012年6月は、6/9(土)~10(日)の日程で開催。今回は、日曜日に初の試みとなる懇親バーベキューの企画も。
   
【8日(金)】
     
いつものように朝6時に新宿駅でボランティア講師一同をピックアップ。古森+5名で一路東北へ!途中、仙台の先で渋滞して時間をロスしたが、なんとか1時過ぎには気仙沼に到着。
   
毎度おなじみの気仙沼復興商店街へ。「喫茶マンボ」でラーメンを食べたあと、「揚げたてコロッケ屋さん」に寄り、チームは満腹。
   
陸前高田に入り、初めてここに来るメンバーのために被災エリアを案内。このチームで協働する仲間には、できるだけ直接、その場で、「何が起きたか」を感じてほしい・・・。
   
大石沖の「佐藤たね屋」さんへ。佐藤貞一さんにご挨拶。苗や種を物色した後、バルセロナの子供たちから贈られた寄せ書き集を拝見。
   
震災一周年の際に、バルセロナで佐藤さんの震災手記「The Seed of Hope in the Heart」をもとにした紙芝居のようなものが行われた。
   
それを見た現地在住の子供たちからの寄せ書きが、先週手渡しで届けられた。メッセージだけでなく、絵画もたくさん書かれている。目頭が熱くなった。
      

      
教室としてお借りしている竹駒の「とうごう薬局」「あらやリハビリステーション」の一室。ちょうどこの日、「Komo's英語音読会@陸前高田」の看板が掲げられた。
   


     
地元で目に見える存在になっていくのが嬉しく、そしてまた身が引きしまる思い。そうこうするうちに、Oさんに呼ばれて裏手の畑へ。
  
Oさんが無償で仮設住宅の方々に貸し出している畑。この畑の存在で元気になっている人が多い。先日はこの畑を軸にした番組がNHK(全国)で放映された。
     
畑に来ていた顔見知りのお姉さま方と、色々お話しした。「テレビで見たよ~」などと。皆で恒例の記念撮影。
   


   
鈴木旅館にチェックインして、Oさんの仮設住宅へ。皆で一緒に晩御飯をいただいた。
  
【9日(土)】

朝一番に「佐藤たね屋」の佐藤貞一さんが来られた。いつも、朝一番。ご自身で執筆された英文の震災手記「The Seed of Hope in the Heart」を使って音読。
  

    
午前中はわりあい静かだったが、午後になってフル稼働状態になった。
   


     
取調べ中・・・では、ありませんよ(笑) 僕の髪が短いだけです。
   

   
岩手日報の記者さんが、取材に来られた。熱心に様子を観察され、何名か直接話を聞いておられた。
   

   
夜は再び、Oさんの仮設住宅へ。色々と現地事情なども含め情報交換、意見交換などさせていただいた。
   
【10日(日)】   

朝一番。音読会参加者のおひとり、Kさんが来られた。「出てたわよ~」と、岩手日報を頂いた。たしかに、記事になっていた。
   


   
今回は、日曜日の昼前後に懇親バーベキューを開催するせいもあってか、日曜日の参加者がいつになく多かった。
  
講師陣一同、午前中の枠はフル稼働状態。
   

   
11時頃から、懇親バーベキュー開始!Oさんを始め、地元の方々に事前準備~当日運営まで本当に色々とお世話になった。心より感謝!
   


    
途中、地元の祭囃子にあわせて皆で輪舞するサプライズ企画があった。
   


   
これが、なかなか難しい・・・。  
   


    
宴の終盤にIさんがマシュマロを持って登場!Oさん家の手積みレンガ・コンロで焼いた。このコンロ、ほんとうに良かった。自作したいが、意外にこの精度のものは難しい。
    


   
13時半頃、散会へ。雨模様で30名来るか来ないか・・・と思っていたが、ふたを開けてみれば天気はギリギリ大丈夫で、人数も50名以上となった。
   
料理も出し物も素晴らしかったが、やはり地元の皆さんの間でコミュニケーションの輪が広がったというのが最高に意義深いと思う。「はなそう!」のコンセプトそのもの。
   
その輪の中に、音読会のボランティア講師も入っている。それがまた、嬉しい!
     


サプライズで用意されていた寄せ書き。そして、佐藤たね屋さんからのプレゼント(よかった菜)など、嬉しいことが盛りだくさん。
   
帰り際に、講師陣一同で記念撮影。左から、山崎さん、伊勢さん、古森、Keiko Bestさん、奥田さん。そして右端は、急遽入った用件で昼前に帰京した吉沢さん。
  

  
   
ちなみに次回のこの手のイベントは、Oさんの鶴の一声で9月が候補にあがっている。古森が陸前高田に来はじめて一周年になる9月に、何かやろうとのこと。
   
そのときに、今回うまく踊れなかった陸前高田の祭囃子の踊りをテストされそうな予感・・・。頑張って覚えないと!
   
それでは、また来月。10年間通い続けます!



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この週末は、月に一回の「Komo's英語音読会@陸前高田」。
  
今回は、ボランティア講師の仲間5名とともに。3月以来2ヶ月ぶりのTさん。仕事の同僚&もと同僚のAさんとFさん。そして、昨年11月にバルセロナで縁の出来たYさんとWさん。
  
往路は、いつものように気仙沼経由で陸前高田へ。5名中4名は初めてこちらのほうに来るので、気仙沼~陸前高田の被災地を案内して、文脈を共有。
   
気仙沼では、これまたいつものように復興商店街の「喫茶マンボ」と「揚げたてコロッケ屋」へ。それから、刃物屋さんに寄って草刈の鎌を買った。いいものがあった。
  


     
震災からちょうど1年と2ヶ月。被災エリアのあちこちで、亡き人々に花を手向ける姿があった。毎月11日になると、色々なところで祈りが捧げられている。
  
多くの方々がなくなった陸前高田の市民体育館。入り口の献花台に花を置いて、独りで体育館の中や周囲を歩き回る40歳前後の男性を見かけた。
 
ふと、その方はお子さんをなくされたのではないか・・・と感じた。なぜか分からないが、そう感じた。雨が降っていた。
    
教室は、いつものように土曜日終日~日曜日の午前中まで。
  
土曜日は、朝一番に「佐藤たね屋」の佐藤さんが来られた。英文で綴った震災手記、「The Seed of Hope in the Heart」は、最初に作った300部がほぼ完売状態。
  
さらに購入希望者がいらっしゃるので、増刷することになった。これを機に、佐藤さんは内容面でも若干の改訂・追加を予定。その内容の趣旨確認や添削をさせていただいた。
  
教室は、その後すぐに忙しくなった。
  

  
今回は、好きな英語の歌の歌詞を音読教材に選んだ方がおられた。カーペンターズの「Yesterday Once More」。

歌詞を音読しつつ、語彙を確認。そして発音の補正。L, TH, F/V など日本人が典型的に苦手な音に的を絞って練習。そして、一緒に何度も歌った!教室に歌声♪
   


  
小6の終わり頃から英語の絵本を音読に使っている中1のYちゃんは、ここ数ヶ月で大きく進歩。文法よりもまず音読+語彙充実で自信がついてきたかな。
 
他にも、ハリーポッターやダレン・シャンの洋書を少しづつ読み進めている小学生たちがいる。
  
数ヶ月かかって1~2ページ進むようなペースであっても、自分で語彙を調べながら音読を続けていけば、きっと何かが変わる。
 
少なくとも、日本の小学校高学年の英語に対する関心や自信の平均値をすでに超えているのは間違いない。
  
被災地の現実は厳しいが、勉強で前進しているこの子達の将来はきっと明るい。また、そうなるように、僕らは「種まき」に微力を尽くす必要がある。
 
全般的に、子供たちは進歩が目覚しい。月に一回の音読会だが、やはり継続することで日ごろの学習にも少しづつ好影響が出ているのではないかと思う。
 
お昼には、とうごう薬局脇の通称「ママハウス」でOさんと合流してランチをご一緒させていただいた。おりしも、この週末が母の日。

多くの人々から「陸前高田の母」として慕われているOさんに、3月のボランティア講師チームとパートナーの浜田さんから、それぞれ蝋梅の苗、木瓜の苗をサプライズで贈呈。
  

  
いずれの苗も、Oさんの敷地内に植樹された。
  
午後も引き続き忙しかった。13時からは、NIKKEI WEEKLYの記事を活用した音読コース。やっていることは音読→語彙確認→発音補正→音読で変わらないが、内容はやや大人向け。  
   


  
中高生は、おもに教科書や問題集など、日ごろ使っているものを材料にして
音読→語彙確認→発音補正→音読を実施。 
  
それを基本パターンにしつつ、人によって個別に課題は違うため、柔軟に対応させていただいている。
  
音読会の場ではなく、「日頃どういう勉強をしたほうが良いか」などについても、適宜アドバイスを提供。まあ、その通りやっていただけるかどうかは、ご本人次第だけど・・・。 
   

    
夜は、ボランティア講師一同でOさんの仮設住宅に集合して、食事をご一緒させていただいた。毎月の恒例だが、Oさんとの交流を楽しみにしているボランティア講師は多い。
 
急遽、東京から奥田さんも駆けつけて、夜が更けるまで皆で色々な話をした。
 
日曜日の朝。ご家族3人で教室に来られる方のアポイントメントは10時~なので、ボランティア講師3名を連れて早朝に大船渡へ。沿岸部を案内して、加茂神社にお参りした。
  
三陸銘菓「かもめの玉子」の「さいとう製菓」さんの被災社屋。
     

    
先日対談をお願いした齊藤専務さんが、この建物を「津波博物館」のような形で保存し、後世に津波の恐ろしさを伝える計画のことを話しておられた。
   
(ご参考:「復興対談シリーズ~Talk for Recovery~(第1回)」 http://ameblo.jp/let-us-talk-foundation/entry-11240456092.html)  
   

  
多くの被災地で、被災建物を「モニュメントとして後世に残すべき」という意見と、「現地の心情に照らして撤去すべき」という意見の両方がある。
  
その両方に一理あるし、理解できる。これはよそ者が決める話ではなく、現地の意思決定だ。ちなみに、大船渡の賀茂神社にそびえる「津波警報塔」の台座には、こんな碑文がある。
  

   
災害の記憶を後世に伝え、後世の人々が常時対応行動をとれる状態に維持していくというのは、難しいことだ。
 
人は、「忘れることができる」から生きていけるような面がある。一方、「忘れる」から後世の人には十分に伝わらず、歴史が繰り返すという面もある。 
  
では、東京はどうなのか。我が身のことに置き換えて考えてみる。やっぱり、関東大震災の教訓が僕の日々の暮らしの中に生きているとは言いがたいことに気づく。 
   
加茂神社で参拝を終えて、なお7時を少しまわったところだったので、碁石海岸のほうに車をまわした。
  
末崎~碁石のあたりは、これまで車で通ったことは何度かあるが、車をとめて海を見下ろしたことはなかった。
  
名勝、碁石海岸。ビジターセンターの下の展望台から、海を臨む。切り立った崖から見下ろす海は透明度が高く、そして深い。
    
  
  
忙しい音読会とは別日程で来て、半日くらいここで海を眺めていたい・・・。
    
陸前高田~大船渡近辺に行く方は、是非一度!一見の価値あり!
    
急ぎ足で碁石海岸を後にして、小友のほうからアップルロードを通って陸前高田へ。予定した8時キッカリに到着。そのうち、このあたりの観光ガイドになれるのでは?(笑)
    
と、今朝参加予定のご家族が急用で来れなくなった・・・という知らせ。あらら、仕方がない。ともあれ、Oさんと一緒に朝食をいただき、帰り支度。
   
帰路につく前に、竹駒のとうごう薬局前で記念撮影。
  


  
「Komo's英語音読会」は、被災地に「物資」ではなく「講師」を運ぶ活動。ボランティア講師には、英語力は当然として、人間性が求められる。
  
毎回、良い縁に恵まれて充実した講師チームが組めていることに心から感謝!
  
とうごう薬局周辺は、Oさんやボランティアの方々がこれまでに植えた花がたくさん咲いている。ここ数週間は菜の花とチューリップが綺麗だ。
  


  
とうごう薬局裏手の畑は、Oさんが付近の仮設住宅の方々に無償で提供している。多くの人々の趣味と実益を兼ねた団欒の場になっている。
  
ここに畑があることで、多くの人々の生活に潤いや前向きさが生まれていると感じる。素晴らしいなぁ。
  


  
畑に来られる方々の中にも、だんだん顔見知りが多くなってきた。こうして縁が広がっていくことが、ただ純粋に嬉しい。
  
音読会に参加されているYさん家にちょっとお声をかけたら、なんと手製のチーズケーキをいただいた。嬉しいなぁ。
  
11時頃に竹駒を後にして帰路についた。アップルロードのマイヤでお土産物などを買い、今泉の「にじのライブラリー」へ。被災した今泉天満宮の境内。
  

  
友人の荒木さんにちょっと声をかけて・・・と思って寄ったのだが、「ちょっと」じゃなくて「しばらく」おじゃますることになってしまった(笑)
  
先日読んで感銘を受けた、「光に向かって 3.11で感じた神道のこころ」(川村一代、晶文社)の第1章で大きくとりあげられている、月山神社・今泉天満宮の荒木タキ子宮司夫人。
  
僕の友人の荒木そう子さんのお母様だ。本を読んで以来、「お会いしたいなぁ」と思っていたところ、今日ライブラリーでお会いすることが出来た。
  
この方のお話には、心を動かされるものが多い。今度あらためてお話を伺いに行くつもりだ。この人の話は、多くの人に伝えなければならないと思う。
  
そして、「ケアリングクラウン」として活動しておられる、「トンちゃん」こと石井裕子さんご一行にもお会いした。すごいご縁だ。 
  
素敵な写真本「トンちゃん一座がゆく」を購入させていただき、サインを書いていただいた。宛名は、「古森さんへ」じゃなくて「つよしくんへ」。いやぁ、子供の心に戻りました。。。
     

   
この石井さんのお顔を見たとき、「あぁ、ここに神様が来ておられる」と感じた。偶像的な神という意味ではなく、内面に暖かく清らかな何かを持って活動されている人、ということ。
  

  
荒木さんといい、石井さんといい、「ああ、日本にはまだこんな人がおられたのか・・・」と、ハッとさせられる何かをお持ちの方々。よくもまあ、こんな一瞬でお会いできたものだ。
   
この人たちに比べると、僕の心はまだ小さい。似た方向には動いていると思うけど、まだまだ小さいし、練れていない。
  
こういう人たちにお会いできるというのは、ほんとに幸せだなぁ。なんて運がいいんだろう。
    
昨年から今に至る、陸前高田という土地と自分の縁、そして音読会を軸にして出会った方々との縁のことなどを思いながら、峠を越えて一関へ向かった。
  
新緑がまぶしく、何か別世界に入り込んだような気がした。いや、僕はすでに昔の自分とは別の世界に来ているのかもしれないなぁ・・・。 
  
   .



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こんにちは。はなそう基金の会員等の状況に関するアップデートをさせていただきます。落ち着いてきたら四半期に一回程度のペースにする予定ですが、現在は設立後満二ヶ月ですので、月例でアップデートさせていただきます。

2012年5月6日現在で、活動会員は15名です。賛助会員は、個人:21名、法人・団体等:3となっております。この場を借りまして、会員の皆さまのご支援、ご協力に心より御礼を申し上げます。本当にありがとうございます。
 
  
【活動会員】 (英名:Active Contributors)
 
はなそう基金の使命・設立目的にご賛同いただき、誠実さを旨として、その活動の実行、実務面で力を貸していただける個人および団体で構成されます。2012年5月6日時点で活動会員として登録いただいているのは、以下の方々です。 (リスト上での敬称は略させていただきますので、何卒ご了承ください)
   
1. 「Komo's英語音読会」のボランティア講師としてご活躍いただいている活動会員の皆さま:
■ 伊勢 修 (東京都) 
■ 奥田 裕子 (東京都)
■ 柴田 明恭 (大阪府)
■ 田中 大策 (東京都)
■ 茂木 崇史 (東京都)
■ 山崎 朗 (東京都)
■ 吉沢 康弘 (神奈川県)
[以下、前回アップデート以降に新規参加の方々]
■ 白木 俊之 (東京都)
■ 門馬 真理子 (東京都)
■ 山崎 暢子 (東京都)
■ 李 潤天 (東京都) 
 
   
ボランティア講師の方々は、交通費や宿泊費も自己負担(含、割り勘)で来ていただくのが現状での原則になっておりますので、同時に賛助会員です。法人設立後の「Komo's英語音読会」への参加時より、順次賛助会員にも登録させていただいております。
また、この他にも今後の会に参加予定の方々が数名いらっしゃいます。参加後に、順次活動会員として登録させていただくことといたします。
 
  
2. 「Komo's英語音読会」の教材作成、及び、はなそう基金の運営面でご活躍いただいている活動会員の皆さま: 
[前回より変化ありません] 
■ 川原 亜希 (東京都) 
■ 下野 友実 (インドネシア ジャカルタ) 
■ 永田 亜美 (フランス リヨン) 
■ 宮田 丈裕 (埼玉県) 
   
川原さんと下野さんのご尽力で、はなそう基金のブログ「はなそうよ~Let's Talk」の記事の英訳版が徐々にアップされています。
http://ameblo.jp/let-us-talk-foundation-e/  英語圏のお知り合いの方々に、是非ご紹介ください。
宮田さんと取り組んできた医学論文の翻訳作業は一段落。リヨンの永田さんには、毎月継続的にNIKKEI WEEKLYの記事の解説教材作成をサポートいただいています。  
  
【賛助会員】 (英名:Financial Contributors)
   
はなそう基金の使命・設立目的にご賛同いただき、その活動に関して金銭的ご支援を提供いただける個人および法人・団体等で構成されます。賛助会員としてのご支援は、3,000円からとさせていただいております。一口からでも結構です。ありがたく活用させていただきます。
   
2012年5月6日時点で賛助会員として登録が完了しているのは、以下の方々です。お申し出いただいて送金処理中の方々は、次のアップデートで掲載させていただきます。なお、活動会員の項で記載の方々につきましては、別途賛助金を拠出いただいた場合以外は下記に重複掲載はしておりません。 (リスト上での敬称は略させていただきますので、何卒ご了承ください)
  
(個人)
■ 市川 薫 (東京都) 
■ 小笠原 尚史 (シンガポール)
■ 奥田 裕子 (東京都) 
■ 坂本 真由美 (アメリカ カリフォルニア)
■ 佐藤 清子 (東京都) 
■ 澤原 健吾 (東京都)
■ 下野 航平 (インドネシア ジャカルタ)
■ 瀬上 真理 (愛知県)
■ 谷本 憲彦 (大阪府)
[以下、前回アップデート以降に新規参加の方々] 
■ 入江 崇志 (福岡県)
■ 貴島 恭子 (東京都)  
■ 肥塚 祐一 (東京都)
■ 佐藤 徳之 (東京都) 
■ 西田 政之 (東京都)
■ 林田 明 (鹿児島県)
■ 室井 和磨 (東京都)
  
(法人・団体等)
[前回より変化ありません]
■ 株式会社アセットケア (埼玉県) 活動会員である宮田丈裕さんの会社です
■ 関西ひだまりの会 (大阪府) 
■ シンガポール地域人事の会 参加者ご一同 
   
引き続き、色々な方々から賛助のお申し出をいただいております。たいへん心強いです。「Komo's英語音読会」参加者の皆さんへの教材等の支援、及び、はなそう基金全般の運営に有効に使わせていただきます。今夏以降、何らかの形で参加者の方々に「ネイティブ環境での英語」に接していただけるようなプログラムも企画・検討中です。その際にも、賛助金を有効に使わせていただきます。  
  
【コラボレーション・パートナー】
   
それぞれのお立場で被災地支援・貢献をされながら、はなそう基金の活動にご助力をいただいたり、協働させていただいているパートナーの個人・法人・団体の皆さまです。 (リスト上での敬称は略させていただきますので、何卒ご了承ください)
  
[前回より変化ありません]
■ 内閣府認定特定非営利活動法人ロッツ(LOTS) http://lots-ss.jp/
■ フードニスタ 浜田 峰子 http://ameblo.jp/hamada-mineko/
■ スペイン・バルセロナのCasa Asia、IESE、ESADEを中心にした有志の皆さん


以上です。

今後ともご支援・ご助力のほど、よろしくお願い申し上げます。
  
代表理事
古森 剛


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復興対談シリーズ ~ Talk for Recovery の記念すべき第1回は、さいとう製菓株式会社 専務取締役 齊藤 賢治さんにご登場いただきます。 
 


さいとう製菓といえば、三陸銘菓「かもめの玉子」を作っている会社ですね。古森家でも大人気のお菓子です!


    
リンクはこちらです⇒ http://www.saitoseika.co.jp/top.php


   
  
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復興対談シリーズ ~ Talk for Recovery (第1回)
さいとう製菓株式会社(大船渡)
専務取締役 齊藤 賢治さん 


  
(対談実施:2012年4月下旬)  
 


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古森: こんにちは。本日はお忙しいところにお時間をいただきまして、ありがとうございます。はなそう基金では、東日本大震災からの復興の現場で活動しておられる方々にお話を伺い、その対談記事を発信したいと考えています。本日の対談が、その第一弾となります。よろしくお願い申し上げます。


  


齊藤: 東京からわざわざ、どうもありがとうございます。こちらへはよくいらっしゃるのですか。


  


古森: 昨年(2011年)の9月から毎月陸前高田のほうに来ておりまして、その都度気仙沼や大船渡にも寄らせていただいています。11月から「Komo’s英語音読会」という、英語の勉強法を伝える会を陸前高田で開催しておりまして、半年あまりが経ちました。大船渡からの参加者もいらっしゃいますよ。


  


齊藤: そうでしたか。被災地に関心を持っていただける方々がいらっしゃるというのは、心強いことです。ありがとうございます。さて、何からお話ししましょうか。


    


古森: 大きくは三点伺えればと思っております。まず、震災当初の出来事について。齊藤さんご自身の体験として、津波について今思い起こされることはどんなことでしょうか。二つ目は、1年1ヶ月が経過した今、齊藤さんが感じておられる復興の課題は何でしょうか。そして最後に、今後のアクションについてです。


      


         
■ 齊藤家に伝承されてきた津波の記憶


     


齊藤: なるほど、わかりました。まずは震災当時のことですね・・・。


    


古森: はい。齊藤さんが撮影された地震発生の瞬間から津波到達に至る映像は、DVDで何度も拝見しております。まだ揺れが収まらないうちから、「津波、来る。避難して!」と社員の方々に呼びかけてまわる齊藤さんの声が強く印象に残りました。やはり、瞬時にそう判断されたのですか。


     


齊藤: あの時は、「これは、来る」と直感しましたね。実は、震災が起こる数年前から、月に1~2回の頻度で大津波が来る夢を見ていたのです。
   


  


   
古森: ええっ。津波の夢を、ですか。しかもそんな頻度で繰り返し・・・。


  


齊藤: そうなのです。大きな揺れが来て、大津波が来て、逃げ遅れるという恐ろしい夢を、数年前から何度も見ていました。そして、今回の震災が来てから、その夢はぴたっと出てこなくなったのです。


  


古森: 一種の予知夢ですね。


  


齊藤: 震災の数日前にかなり大きな地震が来て、津波警報も発令されました。しかし、そのときは夢が現実になったという感覚はなかったのです。ところが、3月11日の揺れを感じたとき、「あ、これだ!」と直感しました。夢のとおりだったのです。ですから、当時社屋にいた27名の社員全員を避難させるのに躊躇はありませんでした。


  


古森: それで、被災した社屋におられた社員の方々全員が助かったわけですね。


  


齊藤: そうです。明らかに、「これだ!」と思いましたので。


  


古森: なぜ、齊藤さんはそれほどまでに津波に対する感覚が研ぎ澄まされていたのでしょうか。


  


齊藤: 子供の頃から父に何度も言い聞かされましたし、私自身も一度恐怖体験をしていますので・・・。


  


古森: お父様の代から。


  


齊藤: はい。父は昭和8年の大津波を経験していましてね。当時、電信柱によじ登って危うく命拾いをしたという経験を持っていました。その恐怖体験を、子供の頃から何度も聞かされました。


  


古森: なるほど、直接の体験談を何度も。


  


齊藤: その後の、昭和35年のチリ地震津波もありました。これは私も生まれていましたので、鮮明に記憶があります。遠い海の向こうの地震ですので、大船渡に揺れは来ないのです。突然津波だけが来る。でも、当時父が海の様子を見て、「何かおかしい、すぐ逃げろ!」と叫んだのです。


  


古森: 揺れがなくても、海の様子を見てそう判断されたのですか。


  


齊藤: 私たちは、半信半疑でした。それで、バイクだとか、当時高価だったものをせめて持ち出そうとしていたのですが、父に「今すぐ逃げろ」と一喝されました。それで、外に出てみると、もう波がそこまで来ているではありませんか。今回の津波のときと同じように、家が流れ始めていました。一目散に逃げました。


   


古森: 本当に、紙一重の差ですね。そこでお父様が海の様子に何かを感じていなかったら、もしかしたら・・・。


   


齊藤: だめだったかもしれません。津波は、たとえ50センチでも人間は立っていられなくて、いったん倒れたらもう飲みこまれてしまいますから。


   


古森: そういう先代からの言い伝えと自分自身の体験とが積み重なって、津波に対する感覚が研ぎ澄まされていたのですね。


   


齊藤: 昔から海のそばに住んでいる人々は、皆さんそうだと思いますよ。今回も、海沿いに住んでいた人々の多くは、迅速に避難行動をとりました。聞くところによれば、今回津波で亡くなった方々の4割くらいは避難行動をとっていなかったということです。沿岸部では、常に津波を意識して生きることが求められます。


   


  
■ 常に自分で判断することが重要


  


古森: 「大地震のあとに津波が来る」というリスクについては、多くの人が知っていることです。沿岸部では教育の中にも取り入れられていますし、避難訓練なども常時行われています。そうした中で、実際の発災時の行動に差が生じるのにはどのような事情があると思われますか。


  


齊藤: 「自分の判断で、すぐに動くことが出来るか」ということ。これに尽きます。


  


古森: 自分の判断。


  


齊藤: 今回は、「大丈夫だろう」と思ってしまう要因がいくつかありました。まず、数日前の大きな地震の後に、結局津波被害はなかったこと。これは決定的でした。そのとき津波が来なかったこと自体は幸運だったわけですが、その数日後に3.11の地震が来たというのはめぐり合わせが悪すぎました。多くの人が油断しやすい状態で、今回の津波が襲ってきたのです。


  


古森: DVDの映像の中では、津波が堤防を超えたことに驚く齊藤さんの声が聞こえました。これも多くの人々にとって想定外の要素ですか。


  


齊藤: そうです。チリ地震津波を受けて昭和40年ごろに作られた大きな堤防で、かなり高い波まで防げる構造になっていました。湾の入り口に大きな堤防があって、そこを通り抜けて入ってくる波をさらに湾内の堤防で二重ブロックするという構造です。その堅固な堤防を持ってしても、今回は駄目だったのです。


   


古森: まさかあの堤防を超えてくるとは、と思った人もいたことでしょうね。


   


齊藤: それから、ラジオではその日「津波は3メートル」という放送が繰り返されていました。どういう事情でそうなったかは分かりませんが、やはりそれも安心してしまう一因にはなっていたと思います。もっとも、ラジオさえ聞けない状態の人が多かったと思いますので、それが油断の主因ではないでしょうけど。


  


古森: いくつかの要因が重なった中で、「やはり今すぐ高台に逃げるべきだ」と自分で瞬時に判断することができたか否か・・・。


  


齊藤: 人間というのは、大きな災害の直後には強い危機感を持つのですが、どんどん忘れていくものです。昭和35年のチリ地震津波のときも、被災後数年間は沿岸部に人が降りてきませんでした。でも、10年ほどすると、やはり戻ってきたのです。そのうちに、普通の住宅なども建つようになっていきました。


   


古森: 津波の記憶が時とともに風化していく様子を、齊藤さんご自身も目の当たりにしてこられたのですね。


   


齊藤: これは、沿岸部に戻ることが良いとか悪いとか、そういう話ではありません。仕事や生活の必要性によっては、沿岸部に拠点を構えなければならない人々もいます。その場所が抱えているリスクを常に意識して、次の津波に備え続けることこそが重要なのです。


   


古森: 私が毎月お参りしている加茂神社の境内に、チリ地震津波のことを綴った句碑が建っています。でも、それを我が事として捉えて日常的に備え続けるというのは、なかなか難しいことですね。「忘れる」というのも人間の能力の一つで、忘れることが出来るからこそ物事をやり直せるという面もありますし・・・。


    


齊藤: 津波の記憶を伝える石碑の類は、東北の沿岸部にはたくさんあるのですよ。それでも、やはり津波が来るたびに大きな被害は起きます。風化させないこと、そして、ほかの情報にまどわされずに「すぐに逃げよう」という判断を、個人個人が下すこと。これ以外にないと思います。


   


   
■ 大船渡沿岸部の復興に向けた課題


   


古森: 大船渡に来るたびに、加茂神社の鳥居のあたりから港のほうを見ています。昨年9月に初めてここに来たときにはかなり瓦礫が残っていましたが、仮設店舗は来るたびに増えているのが分かります。大船渡被災エリアの復興は、齊藤さんの目にはどのように映っていますか。


  


齊藤: そうですね。震災後半年くらいのタイミングで、瓦礫の山の中で店を再興した「大鮨」(だいすし)の例もあります。役所からは思いとどまるように言われ、親族からも反対されながらの挑戦です。個別に見れば、こうした取組みがあります。一方、冷静に考えると、このままでは復興にはほど遠いと思います。   
   


  


    
古森: 現状の延長線上には、大船渡被災エリアの復興はないということですか。


   


齊藤: 震災前の状況に、一回時計の針を戻して考えてみれば分かることです。もともと、沿岸部の町はシャッターが閉まったままの店も多く、商売の町としては既に歯抜け状態になっていたのです。個々の店が仮にその状態に戻ったとしても、被災エリアの復興にはなりません。


   


古森: これを機に、新たな街づくりが必要ということですか。


   


齊藤: これからの復興の取り組みの中では、商売に対してやる気のある人の店を集めて、にぎわいのある街づくりをすべきです。また、そのために行政側である市役所と事業者側である商工会議所がしっかりと連携していく必要があります。区画整理などの実務が始まれば、色々な調整が必要になりますから。


   


古森: 復興のビジョンとともに、実務面でもかなりのリーダーシップが必要になるということですね。


   


齊藤: 昔の形から新しいものに作り変えていく際には、個々人のレベルでは必ず「損得」が出ます。その中で、一つひとつ説得して、全体の合意形成をはかっていく泥臭いリーダーシップが必要です。また、個々の事業者サイドでも、自分の利害だけではなく全体のために何かをするという姿勢が必要です。


    


古森: なるほど。被災地であろうとなかろうと、地方経済の振興を考える際に必ず出てくる議論ですね。それがここにもあると。むしろ、震災を機にそれが鋭角的に出てきているということなのですね。


   


齊藤: こういう場面では、自分の利益を抑えてでも将来の夢を語る、いわば「素晴らしいばか者」が必要です。


   


古森: 現時点では、その夢といいますか、復興の青写真のようなものはあるのですか。


   


齊藤: 復興計画の中で、ゾーン別の考え方はあります。住まいのエリアとか、にぎわいのエリアとか。しかし、その色分けをしたエリアの中味として、例えばどのようにして「にぎわい」を作るかという点は白紙です。


   


古森: 齊藤さんだったら、どんな絵を描かれますか。


   


齊藤: 私は、大船渡の特性を生かした設計にすべきだと常々話しています。まず、ここは豪華客船も入港できるような立派な港があるわけですから、「港」というものがテーマの一つになるはずです。


   


古森: やはり「港」ですか。先日も「にっぽん丸」が入港して話題になっていましたね。


   


齊藤: 例えば、「にっぽん丸通り」とか「飛鳥通り」とか、客船の名前にちなんだストリートを作るなどして、外から港に入ってくるお客さんが興味を持つような繁華街づくりをするとか。


   


古森: そういうことを、行政と商工会議所と個々の事業者が、立場を超えて腹を割って議論していく必要がありそうですね。それも、出来るだけ早い段階で。復興計画のスピード感というのは、どうなのでしょうか。


   


齊藤: 役所のほうでは、地盤をかさ上げして区画整理する工程で7~8年かかると見ているようです。これでは時間がかかりすぎです。事業主の立場では、待てるのはせいぜい2年です。2年でも、持ちこたえられない事業者はたくさんいるでしょう。個人経営のところなどは、2ヶ月止まるだけでも死活問題ですから。


   


古森: 地面のほうの準備が整うのが7~8というのは、事業の立場からは気が遠くなりますね。もっとも、行政のほうも想定される手続きや説得に要する時間を読んでそうせざるを得ない面があるのでしょう。やはり、先ほど齊藤さんが言われたように、立場を超えた協働がなければ沿岸部の復興は非常に厳しいですね。


   


齊藤: あるクリーニング屋さんでは、震災の少し前に1,000万円強の設備更新投資をしていて、それが全部流されて借金だけが残りました。もう再挑戦するという気持ちさえ起こらないそうです。そういう事業者がたくさんいます。長い年月が過ぎてしまうと、取り返しのつかないことになります。


   


   
■ ピンチはチャンスでもある


   


古森: どこかで誰かが、復興の歯車を回さなければなりませんね。


   


齊藤: 私は、やはり事業者側からグランドデザインを示していくべきだと言っています。役所も商工会議所も、「どうしましょうか」という状態になっていますので、事業を実際に担う人間がチームになって提案していくしかないでしょう。現状では、賛同して一緒に動いて下さる方々が少ないのが実情です。
    


   


    
古森: 正念場ですね・・・。さいとう製菓さんとしては、その膠着状態の中で、何か次の展開にきっかけになるようなことを考えておられますか。
   
齊藤
: 実は、「津波博物館」の構想を温めています。
   
古森
: 津波博物館、ですか。
   
齊藤
: そうです。津波に飲まれて被災した社屋が、大船渡駅のそばにまだ建っています。あの社屋を補修して博物館にして、津波の映像なども見ることが出来るようにして、津波のことを後世に伝える場にできないかと思っているところです。
         
古森: 齊藤さんが DVDの映像を撮影された、配送センターだったあの社屋ですね。私も何度か前を通りました。かなり被害を受けているようですが、看板は残っていましたね。   
         
齊藤: そうです、あの建物です。
         
古森: なるほど、今度は石碑ではなく、「実物」を残して伝えようということですね。そういうモニュメントが残っていれば、後世の人も津波の恐ろしさを肌で感じることが出来ますね。海外から訪問される方々も立ち寄る場になるのではないでしょうか。それを核に、街全体の構想も議論が進むといいですね。
       
齊藤: そう思います。津波は、来て欲しくなかった。こんな災害は、起きて欲しくなかった。しかし、起きてしまった以上、ここからがスタートなのです。見方を変えれば、ピンチはチャンスでもあります。これをチャンスと捉えて、まず自社だけでも出来ることを始めていければと思っています。
      
古森: 津波博物館の構想は、実現しそうですか。
         
齊藤: まだ分かりません。それなりに資金も必要になりますし、どのような形にすれば本当に意義のある博物館になるかなど、詳細を検討していかなければなりません。幸いにも、銀行や会計事務所の方々から協力の申し出もありますし、前向きに検討を進めていきたいと思っています。 
     
古森: その動きが、街全体の復興の歯車を一つまわすことになるかもしれませんね。そうなることを祈ります。齊藤さん、本日は貴重なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。私にも何か出来ることがありましたら、お手伝いしたいと思います。まずは、この対談記事を英訳して、日本の1億人ではなく世界の数十億人に伝わるようにしていきます。
      
齊藤: よろしくお願いします。
          


 


      
齊藤さん、ありがとうございました!
     
(終)


 


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4月29日(日)
 
濃すぎる初日が終わり、2日目の朝。ゆっくり寝ようかと思ったが、いつもの早起きが体にしみついていて、自動的に早朝に目が覚めた。温泉で目を覚まして、出発準備。 
 
朝一番は、大船渡の加茂神社。ここも、大船渡に来ると必ず毎回寄る場所。大船渡の港周辺の様子が一望できる場所なので、物理的復旧の進展度合いがよくわかる。 
 
大船渡は、よくも悪しくも見切り発車的な面があり、来るたびに仮設の店舗が増えていく。その一軒一軒の前に立つと、事業主の必死の取り組みが感じられて涙がわいてくる。僕の実家も苦労したから、個人事業主や小規模事業主の気持ちはよくわかる。
 
一方、この丘の上から全体を見渡せば、町としてのグランドデザインがないということも、何となく伝わってくる。よそ者が見ても、それは分かる。僕がこの土地のリーダーだったら、どうするかな。石段の上で、ふと考え込んでしまう。
 
それにしても桜がきれいだ・・・。この土日は、おそらく岩手沿岸部の桜の最盛期に違いない。東京の桜が最盛期だった4月初旬の週末は、「Komo's英語音読会」で陸前高田に来ていたから、見逃した。ここでようやく帳尻があった。 
 

 
いつものように、参拝して祈った。
 
陸前高田へ。昼にOさんにお会いすることになっているが、午前中は結局ほかにアポイントメントが入らなかったので、再び高田中心部へ。
 
僕は何かの勘違いで、被災した高田高校が取り壊されたと思っていた。しかし、よく見たらまだあった。奇妙な安心感?がわいてきた。 
 
9月に初めて陸前高田に来たとき、物資の仕分け作業で出会ったMさんがこの高校の卒業生。見る影もなく無残に被災した高校への思いを、その時聞いた。津波でぶち抜かれた建物の青い屋根が、その時から目に焼きついていた。
 
今日は米崎のほうから車をまわしてきたら、冠水した道路を渡ったところで高田高校の青い屋根が見えた。そっか、こっちだったっけか・・・。引き寄せられるようにハンドルを切った。 
 

  
(地元の皆さま、ごめんなさい。また嫌な写真を載せてしまいます)
 

  

 
外をしばらく歩いて、色々な場所で立ち止まったりしていた。ほかにも、ときどき外地のナンバープレートをつけた車がとまって人が降りてきた。
 
1時間くらいたっただろうか。立ち去ろうとしたその時、何かに襟元を引っ張られるような感じがして、振り向いてふと校舎の中に入ってしまった・・・。引き込まれたというほうが正しい。そして、それからしばらく、何かに取り付かれたかのように歩きまわっていた。
 
一人きりで被災した建物に近づくと、騒音やざわめきのようなものがわきあがってくる。人を案内しているときは、そんな感じはない。独りで来ると、そうなる。
 
悲鳴が聞こえるという人もいるが、僕には人の声は聞こえない。騒音とざわめき。そして、自分がその被災の瞬間にそこにいるイメージ。MAIYA跡、市役所跡、市民体育館跡、消防署跡・・・そして、ここでもやっぱりそうなる。 
 
厳密に言うと、「恐怖」というのじゃなくて、うまく言葉にできない重苦しい感情。なにものかに、「お前はちゃんと見ておけ!」と言われているような気がする。自分に何が起きているのだろう。何なのだろう・・・。
  
(たぶん、入ってはいけない場所だと思います。施設関係者の方々、本当に申し訳ありません。その分、今後の人生の中で、高田の将来のために貢献します) 
 
その後、被災した高田病院のほうへ。今の仮設の高田病院に勤務するドクターの方々数名と縁が出来てから、なんとなく、こっちも気になるようになってきた。
 

  
ここは、明示的に立ち入り禁止のテープが張られている。中には入らず、外をぐるっとまわって様子を見た。ここで亡くなった方々もおられる。玄関で、しばらく合掌。
 

 
お昼前に、Oさんに電話。仮設住宅でピックアップして、竹駒の「とうごう薬局」周辺の花壇に行った。津波で流される前は、この土地にはOさんのご自宅があった。そして、多くのご遺体が流れ着いたと場所でもある。震災以来、Oさんはこの敷地にたくさん花を植えている。
 
昨年の夏場には、何百本というヒマワリが咲いた。ヒマワリの季節が過ぎたら、全国からスイセンやチューリップの球根が寄せられた。その数、おそらく1000を超えるだろう。冬を越えて、その球根たちが花を咲かせている。
 


 
僕が送った球根も、いくつかの花壇で花を咲かせていた。ボランティア仲間が植えたものも、見事に咲いていた。今日の陽光はことさらに白く輝き、なにか別世界のようだった。
 
津波到達地点に桜を植樹して後世に伝えようという、「3.11 さくらライン」の活動で植樹された桜の木。「とうごう薬局」後背地の斜面に、3.11一周年の日に何本か植えられた。それが、若葉を伸ばし始めている。花を少しだけつけたものもあった。
 

  
Oさんが、「あ~れ、咲いてるわぁ。写真とってけろぉよ」と言うので、革靴だったが急斜面を登って色々と撮影。この写真(↑)は、そのうちの一本。立派に芽をふいている。
 
細根沢の仮設住宅の上のほうにある、某社の敷地。その庭の桜が満開。
 

 
ソメイヨシノじゃない。もうちょっとふんわりした感じで、花と若葉が一緒に出てくる山桜タイプだ。圧倒されるほどに美しかった。
 
「桜もアンタもきれいねだとか、言わねえのかぁ」と、くだらんことを言うOさん(笑)。「いわね」と短く答える僕。Oさん、初めてお会いした頃に比べると、ほんと元気になったなぁ。ちなみにOさん、実家の母とほぼ同じ年齢。
 
Oさんの仮設住宅に戻り、漬物などでご飯を食べながら、色々と話しこんだ。息子さんの遺影が見下ろすちゃぶ台で、久々にしっかり深く話した。やっぱり、今回来て良かったなぁ。お互いのために、良かった。 
 
昼下がり、仮設の高田病院へ。「Komo's英語音読会」に参加しておられる医師のTさんとお会いして、医学論文の英訳を最終化する作業。
 
作業を終えて色々とお話ししていたら、外地から陸前高田にたどりついたそれぞれの人生のことなどに話が至った。価値観とか行動のスイッチの入り方が、けっこうお互いに似ているなぁ・・・と感じた。 
 
9月にこの地に赴任して来られたTさん。年齢も、ちょっとだけTさんのほうが僕より若いけれども、ほぼ同世代だ。これもまた、出会いだなぁ。 
 
成り行きで、被災したほうの高田病院を案内してくださることになった。得がたい機会。午前中に一人で行った際には分からなかったことも、詳しく説明していただけた。 
 
しばらく、時間が止まったかのような感覚になった。ここも6月から解体が始まるようだ。被災各地で壊れた建物の解体が進んでいく。復興のことを考えたら当然のこと。地元の方々の心情を考えたら、当然のこと。
 
しかし、やはり個人的には僕は、何か残すべきだと思っている。海岸線にある「道の駅」などは残ると聞いたが、あそこは海の前だから津波が来るのは驚きではない。本当にこわいのは、もう少し中に入った場所でも20~30メートル級が来るということだ。
 
みんな、今ここの土地にいる人々のことを思いやって動く。でも、3世代くらい先のことを考えてみよう。たとえば、今あなたは被災地から遠い、ほかの県に住んでいる。でも、何十年も先のある日、あなたの子孫がここに住むためにやってくるかも知れない。
 
今後10年くらいで、ほとんどの爪跡はなくなるだろう。だって、ひどすぎることは忘れたいのが人情だもの。忘れることができるから、人はやり直せる。それも天の与えた才能だ。
 
20年もすれば、ここにはまた色々な建物が建っていることだろう。5メートルの盛り土をしたって、20~30メートルの津波には意味がない。堤防を作ったって、その高さの津波を防ぐ手段はないだろう。
  
それでもきっと、時間とともに人はまたここに店を開き、やがてまた住み着くようになるんじゃないか。50年後には、そうなっているような気がする。その中に、今地元にいる人々の子孫だけでなく、あなたのひ孫もいるとしたら、今何をすべきなの?
 
今回は、過去の津波とは違って、豊富に映像が残されている。写真もたくさんある。でも、それらを見て感じるのは恐怖や驚きであって、一人称の仮想体験ではない。実際に被災した建物に来ないと分からないものがある。
  
それくらい強い疑似体験をしないと、やっぱり、後世の人は津波の本当の意味を理解できないんじゃないかと思う。僕だって、ここに来なかったら今頃はもう「遠いところの出来事」として忘却し始めていたに違いない。
  
僕に何十億というお金があったら、市街の被災建築物を一つ買い取って残し、後世に伝える公園にするな・・・。海外からも人に来てもらう。建物を大きなドームの中に入れて、そのドームの上部にを避難所設備を作る。
 
巨大津波は防ごうとしてもむなしく、かつ、最近の歴史を見れば100年以内のサイクルでけっこう大きなものが沿岸部に来ている。起きてしまったときに、いかに迅速に安全な場所に逃げるか。その仕組みを、都市復興の中に組み込む必要があると思う。
  
てなことを言うと、「わけのわかっていないよそ者が何を言うか~」ということに、なるだろうな。でも、僕はもはや完全なよそ者ではない。それに、数世代先の自分の子孫のことまで考えたら、まったく関係がないわけでもない。 
 
夕方、佐藤たね屋さんへ。
 
おそらく現時点では稀有と言ってよいであろう、被災者本人による英文の震災手記、「The Seed of Hope in the Heart」。近くその増刷をするので、もろもろ相談。既に3ページほど新たな部分を書き足しておられるとのこと。随時ドラフトをお送りいただき、添削を進めることに。 
  

  
スペイン・バルセロナの有志が、この手記をスペイン語に翻訳する作業に取り組み中。それが完成すると、英語圏だけでなくスペイン語圏にもこの手記の潜在読者が広がることになる。いずれ南米にも広がる予定。
 
希望的観測ではなく、大真面目に、世界中の人々にこの手記を読んでいただくつもり。
 
ついでに、夏野菜の苗も購入させていただいた。東京では、ちょうどゴールデンウィーク頃が夏野菜の植えつけ適期。ナスを2種、トマトを3種、その他にカボチャ、サトイモ、ミズナ、スティックセニョールの苗を買った。


 
ことさら冷え込んだ今冬を乗り越え、佐藤さんが丁寧に育てて春につないだ苗。僕の中では、ここが日本一のたね屋さんだ。 
 
夜は、再びOさんの仮設住宅へ。医師のTさんと一緒にスーパーで食材を買って、3人で鍋にした。また色々と深い話ができた。三者三様の経緯があって、今ここに同じ鍋を囲む。
 
Oさんも僕も、「震災なんて起きて欲しくないけど、起きてしまった以上、こうして人と人との縁が生まれるというのは、いいことだねぇ」と、何度か同じことを言ったような気がする。
 
ことが起きてしまった以上、すべてはそこからだ。出会ってしまった以上、その一つひとつの縁を大事にしよう。
 
Tさんが帰路についた後、結局僕は旅館には泊まらず、Oさんの仮設住宅でごろんと横になって3時間ばかり寝ることにした。
 
「朝は、もう勝手に出てって。はい、じゃ、おやすみなさい。」とOさん。
  
3時に起きて、こっそり支度して出ようとしたら、Oさんが起きてきた。
「あ~、ごめん、起こしちゃったかぁ」。
 
「行ってらっしゃい。」と、Oさんがボソッと言った。
 
ドアをそろそろと開けて外に出たとき、またOさんが言った。
「行ってらっしゃい。」
 
「・・・ あ、行ってきます!」
 
ということは、今度来るときは、「ただいま」と言って入るってことだな。 

路面凍結の季節は過ぎたので、矢作から一関へ抜ける峠道を通って帰路についた。
 
思い切り早く出たせいか、道路は万事順調。午前中に自宅に到着して、昼ごろにはさっそく買ってきた苗を畑に植え付けた。
 
今日の東京は曇天。ふと、昨日彼の地で見た抜けるような青空、咲き誇る花々、そして縁のある人々のことを思った。今回は、往復で1500キロくらい走ったかな。
 
通い続けますよ。 



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ゴールデンウィーク前半の3連休は、ひとり東北に向かった。南三陸、大船渡、陸前高田をまわり、毎月の「Komo's英語音読会」の際には会えていない人にお会いしたり、縁を深めたい人と話し込んだりするのが目的。

4月28日(土)

早朝3時半に起床。連休初日、渋滞がこわいので自宅から東北道那須高原SAまでノンストップで一気に走った。その後も車は順調に流れ、10時過ぎには三陸道を降りて「道の駅 津山」で一休み。こっちのほうは、今が桜の盛りだ。

 
ここまで来れば、最初の目的地である南三陸はもうすぐ。
午後一番に伺う予定だったが、午前中のうちに到着してしまった。 
 
「自然の家」の敷地内に設置された仮設住宅にお住まいのHさんは、僕が支援物資を送っていた際のとりまとめ役だった方。「一回行くからね~」といつも電話で話していたのだが、結局一度も行けていなかった。それで、今回真っ先に訪問。

ちょうど編み物サークルの時間帯だったので、そのお部屋におじゃまして2時間くらい色々とお話しした。このサークル、「自然の家母ちゃんクラブ」という名前がついており、通称「SKC」という。格好いい!

 
震災にまつわる厳しい現実の話などを時々織り込みながら、おもに編み物の話で盛り上がった。すでに、SKCの編み物はボランティア団体などを通じて東京のフリーマーケットなどで売れているらしい!すごいなぁ。

先生役のMさんは、もとは和装の手仕事をしていた方。要は、着物を縫っていたんですね。その技を生かした編み物、さすがにレベルが高い。実際に手にとって見ると、単に技術的なものだけではく、全体の質量感のようなものが感じられる。
 

  
Hさんも、ここで色々と作っておられる。ちょうど、毛糸ではなく布紐を使った大きな玄関マットのようなものを作成中だった。なんと、これをお土産に頂いた!僕の場合は、これは玄関マットではなく車に積んで背当てにしたり、くるくると丸めてSCで仮眠する際の枕にしたいと思う。形状を変えれば多目的に使える便利な一品。

 
このSKCの作品は、きちんとストーリーをつけてプロデュースすれば、フリーマーケットじゃなくて高付加価値の手工芸品として売れると思う。実際、手にとってみるとスゴく良いものだと分かる。「やっぱり日本人はモノづくりの天性があるんだ!」と、あらためて思った。

フリーマーケットだと、最後は100円で「もってけ」状態になる場合もあるらしい。う~ん、もったいない。もっと価値の高いものだと思いますよ、これは。

現金でその場で買い付けたらどうだろうか・・・。在庫負担はこちらで持つ形。そのほうが、多少なりともHさんたちの生活のお役にも立てる。陸前高田でも毛糸の作品を作っている人はたくさんいるし、東北は手工芸品の天才の宝庫だ。作品を発掘して付加価値を可視化し、それを世につなぐお手伝いというのをやってみようかなぁ。

ということで、「また来るから!」ということになってしまった。その場仕入れのアイディアをちょっとお話ししたら、Hさんも乗り気。それが張りあいになるんじゃないかとも思う。水の質が悪くて苦労されているということだったので、持参したミネラルウォーターの箱をお渡しして、"See you!"
 
ああ~、困ったことだ。また行く場所が増えてしまった。
 
そうなりそうな予感がなかったわけではないが、やっぱりそうなったか。まあ、これも神の采配なんだろうな・・・。神様はほんとに、僕をどこに連れて行こうとしておられるのだろう。
     
45号線にもどり、南三陸の旧中心部を抜けて気仙沼方面へ向かう。
 
ここも景色はまだこんな感じだ・・・。基礎の破砕が終わっていない場所がけっこう多いので、瓦礫撤去の作業プロセスとしては、大船渡や陸前高田よりも進みが遅いというイメージ。先は長そうだ。
 

 
今日は大船渡で大事なインタビューがあるので、ランチはあまりゆっくり出来ない。とはいえ、やはり45号線を通って北上するのに、「気仙沼復興商店街」に寄らなかったらバチがあたるというものだろう。そんなことは神様がお許しにならない。
 
手軽さを重視して、今日は喫茶マンボには寄らず、コロッケ屋さんのみでランチ。

メンチカツコロッケ、カマンベールコロッケ、それに海老カツバーガーも。ついでに、レジ脇で売られていた南三陸~気仙沼の震災前をしのぶ写真集も購入した。
 
同じ趣向の写真集の陸前高田版や大船渡版は持っているが、こういうのはよそ者には有難い。何しろ震災前に来ていないので、往時をしのぶにはこういう写真集が頼りだ。
 

  
食後、鹿折のほうを抜け、再び45号線へ向かう。
  
さすがに連休だけあって、第18共徳丸の脇にはたくさんの訪問者の姿があった。地元の人々には複雑な思いだろうが、震災のモニュメントがあることで外地から人が来ていることも事実だ。復興は、やはり全体感を持って考える必要があると思う。
 

 
途中、陸前高田にちょっと寄って旧市役所~体育館周辺を見た。もう何度来たことだろうか。6月にはこの一帯も取り壊しが始まるということだ。今日は、外地からのナンバープレートが多い。ところどころで、立ち尽くす姿・・・。
  
市民体育館周辺を歩いていたら、あちこちに咲いたタンポポがきれいだった。命というのは、とにかく前を向いて、脈々と、コツコツと、しかし、しっかりと進んでいくものだなぁ。花も空もきれいだ。生きているっていうのは、それだけでもう、すごいことだなぁ。 
   

  
大船渡へ。今回の宿は、県立大船渡病院のそばにある「とりい荘」。陸前高田の鈴木旅館にちょっと似た雰囲気もある、年季の入った温泉宿。先にチェックインして、夕刻のインタビューの準備など。

お会いするのは、あの三陸銘菓「かもめの玉子」を作っている「さいとう製菓」の齊藤専務だ。これまで直接お会いしたことはないのだが、被災地復興関連でfacebook上では「友達」に入れていただいている。
 
はなそう基金の活動の一環として、被災地復興に現場で取り組む人々との対談シリーズを開始する。それを英訳して世界にも発信する。「この人素晴らしいなぁ~」「この人の活動を知って欲しいなぁ~」と思う人にご登場いただく。齊藤専務は、その第一弾。

大船渡駅の近くにあった、さいとう製菓さんの配送拠点は津波に完全に飲まれた。その映像は、齊藤専務ご自身が撮影したものがDVDになっており、僕も何度も見た。しかし、さいとう製菓の本社機能と工場は、かなり山の中に入った場所にあり健在だ。


 
齊藤専務は、ほんとうに温厚な印象の紳士。
 
 
 
でも、復興の課題や今後のアクションの話になると、とても強い思いがあって、それが言葉にも滲み出してくる。
 


 
今後の活動に関しては、僕自身も何かサポートできるかもしれない・・・と思う部分もあった。対談の内容は、別途対談記事として編集し、齊藤専務や先方広報のレビューを経て公開予定。乞うご期待!!
 
夕食は、「とうごう薬局」の大船渡店の管理薬剤師をしているNさんと大船渡の「千秋庵」にて。なかなかいい感じの店。蕎麦屋さんだが、刺身、てんぷら、釜飯など色々ある。車なので、飲めないのが残念・・・。
  


Nさんは「Komo's英語音読会」にも参加しておられるが、そもそもの縁の始まりは物資支援活動。2011年4月から一年間続けた毎週の物資支援活動、その最大の受け入れ窓口になって下さったのがLOTS災害支援団体(この春に内閣府認定のNPOになった)。
 
Nさんは、LOTSのリーダーである富山さんが2011年7月に陸前高田に開設した「とうごう薬局」の管理薬剤師として東京から現地に来ていて、物資の受け入れ作業や仮設住宅への配布もやっていた。今は、おもに2号店である大船渡店の仕事。
 
少し前に大船渡に引っ越されて、完全コミットメント体制。20代女性薬剤師、ご本人もまったく予定していなかったキャリア展開。この人のストーリーも、いずれ対談シリーズでとりあげさせて頂くことになっている。 

いろいろと情報交換させていただき、はなそう基金の今後の活動にも現実的なヒントをいくつか得て、宿に戻った。長~い一日、ようやく終わりつつある。このあたりの名物ともいえる「雪っこ」というコップ酒を買ってきて、静かに一日を振り返った。
 
動けば動くほど、さらに会うべき人、行くべき所が増え、やるべきことも増える。そりゃ当然だ。でも、今は直感が導くままに動こう。
 
この先の人生と、今自分がやっていることがどう絡むのか、まったく分からない。ただ、今は直感に従うことが自分の人生にとって正解だということは、100%間違いない。これまでもそうやって進んできたし、この先もそうするつもり。
 
寝ます。おやすみなさい~。 
  



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この週末は、「Komo's英語音読会@陸前高田」を開催。毎月1回の訪問を10年スパンで続けていく。今回は、古森のほかに5名のボランティア講師の仲間が参加。
 
【4月6日(金)】 
 
朝の6時に新宿駅に集合、古森のNOAHでピックアップして移動開始。特に渋滞や凍結もなく、午後早い時間に一関インターを降りた。
  
いつものように、まず気仙沼を訪問。



  
瓦礫撤去や各種修復については、毎月少しづつ進展が感じられる。一方、震災から1年1ヶ月が経過してこの状態ということを思えば、まだ途方もない道のりが残っているのも確かだ。
  
旧合同庁舎前の海沿いは、被災した車両の墓地のようになっている。車に乗ったまま亡くなった方も多い。手を合わせ、祈る。
   






  
旧合同庁舎の1F天井には、ミイラ化したマグロが引っかかったままになっている。
   





  
鹿折地区のこの船は、モニュメントとして残すべきか否か地元で意見が割れていると聞いていたが、こんな看板が立っていた。残すことに決まったのかな。
    
 




     
いつものように、気仙沼復興商店街でランチ。マンボでラーメンや毛蟹チャーハン、そしてコロッケ屋さんに寄ってアツアツのコロッケを食べた。本当においしい。 
  
45号線を通り、陸前高田へ。先ほどまでの晴天はどこへやら、折からの吹雪になった。先に鈴木旅館にチェックインして吹雪が去るのを待って、津波被災地域へ。
    
ボランティア講師の方々の中には初めてここに来る方もおられるので、出来るだけ文脈を共有するようにしたい。1年1ヶ月を経ても、「見れば分かる」ものがそこにはある。
    
僕が「ここで何かをしなければ」と強く強く思うきっかけになった場所を、仲間のみんなにも出来る限り見て感じて欲しいのだ。
    
高田中心部のMAIYAや農協、市役所、消防署のあたりの生々しい様子を見た後、体育館へ。避難していた多くの人々が丸ごと飲み込まれた場所。 
    



    

よそ者の私たちは、ここで亡くなった子供たちのことをまったく知らない。でも、子供たちがいたんだなということは、見れば分かる。
   



   
見れば分かる。分かってしまう。  
  



  
 
ここで起きたことを、絶対に忘れてはいけないと思う。
  
今泉~矢作の方もまわった後、高田中心部のほうに戻ってきて、佐藤たね屋さんに寄った。佐藤さんはいつも、土曜日の朝一番に音読会に参加される。 
  
一緒に作成させていただいた「The Seed of Hope in the Heart」は、既に100名を超える方々が手にされている。できれば世界中の人に読んでいただきたい震災手記だ。


  


  
夜は、ボランティア講師の多くが「陸前高田の母」と慕うOさんの仮設住宅に集まって一緒に食事。途中、僕と奥田さんは別の仮設住宅へ。小学生2人のために特別セッションを開催。 
   
Oさんの仮設住宅に残ったメンバーは、その間、色々と貴重な話を聞かせていただいたようだ。実際に津波の痕跡を自分の目で見ることと、震災の生き証人であるOさんの話を伺うことは、当会のボランティア講師の方々には必須の体験だ。 
    
【4月7日(土)】
    
朝5時前に起床。外は一面雪が積もっていた。本来、陸前高田は「三陸の地中海」と言われ、冬でも比較的温暖な場所。
   
地元の人によれば、4月のこの時期になってこんなに寒いのは、終戦の翌年以来なのだそうだ。冷たい空気を吸い込みながら、朝日を見た。
    


     
8時半、音読会を開講。朝一番に、まず二人来られた。 
      





     
佐藤たね屋の、佐藤さん。「英文添削コース」でご自身で作成された震災手記を使って、熱心に音読。    

  


   
絵本を使った音読をされる人も。Komo's英語音読会では、教材は自分の興味・関心のあるものを個別に独自に選んで使うのが大前提。
    


    
受講生が作成した俳句や短歌をこちらで英訳して、その人だけの独自教材として提供しているケースもある。 
   



    
地元の新聞の一部に掲載されていた英語記事を持参して、今回の教材にした方もおられた。自分で興味・関心を持っていただくことを、当会では非常に重要視している。  




    

 
   
13時からは、NIKKEI WEEKLY音読コース。このコースの場合は、私が毎月選定する記事を皆で事前学習して集まり、当日は音読と語彙の確認、発音の矯正を徹底して行う。
   
発音の矯正では、ちょっと普通にはやらない濃さで3種類の発音に深くこだわる。その3種類にこだわれば、かなり本物らしさが出てくるからだ。
    
終了後は、顔が筋肉痛になる方々が出ることも・・・。 


    



   
午後もたくさんの参加者があり、ボランティア講師陣はフル稼働の状態。役に立つために来ているチームだから、忙しいのは良いこと。
    
 
   
17時から18時過ぎまで、初回参加者向けの説明会をして、土曜日のセッションは終了。今回のボランティア講師一同で記念撮影。
   



   
白木さん、Mommaさん、奥田さん、山崎さん、李さん。それに、某出版企画の構想のために同行された杉崎さんもご一緒に。
   
金曜に休暇をとり、往復1100キロを車で一緒に移動し、忙しい週末をここで過ごす仲間たち。交通費も割り勘で各自分担して下さっている。 毎回、言葉もないほど感謝している。  
  
夜は、再びOさんの仮設住宅に集まって皆で食事。初参加の人も随分なじんできた感じだ。
  
【4月8日(日)】
  
午前8時に教室を開けて準備。8時半から2名の受講生が参加。
  
中学生のT君は、つい先日欧州に10日間ほど行ってきた。何かの被災地支援プログラムで、海外渡航の対象者に選ばれたのだ。
   
「単語だけでもけっこう通じるんだ」と、目を輝かせていた。本当に良い経験をしたなぁ。話を聞いていて、こちらも嬉しくなったよ。
   
お孫さんに英語に関心を持ってもらおうと、まずご自身で勉強されているMさん。切り絵の飛び出す絵本を教材にして、毎月熱心に取り組んでおられる。その姿勢に、敬服だ。
   
昼過ぎに帰路についた。陸前高田を出る前に、今泉のほうに行って、「虹のライブラリー」に寄らせていただいた。
  
神奈川大学の方々や三井物産をはじめ、数多くの人々の支援で出来上がった明るい感じのライブラリー。被災した今泉天満宮の境内にあたる場所にある。
  
facebookの友達、荒木さんがここのマネジャーをしておられる。今までずっとfacebookだけでの友達だったのが、今日晴れて直接お会いすることに。 
  


   
荒木さんは、今泉天満宮のご関係の方だ。神道の歴史にも大変お詳しく、今度ぜひ時間を確保してゆっくりお話を伺ってみたい。(コーヒー有難うございました!) 
  
毎回、音読会の受講生の方々に加え、色々な人との縁が生まれる。ある時ふと宿ったミッションを信じて素直に熱心に動いていくと、なぜか良い出会いが巡ってくる。 
  
受講生の方々の中には、ここ数ヶ月で明らかな進歩、変化を遂げた人も少なからずおられる。また、それを核にして、気持ちも前向きになっておられるようだ。 
  
音読会のセッションの中で、ことあるごとに「努力を始めることと続けること、それだけですよ」なんて言っているわけだから、僕もこの活動を長く続けないと嘘になる。 
  
思い続け、通い続けよう。 
   







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東日本大震災から一周年の節目、2012年3月に発足した一般社団法人はなそう基金。早速多くの方々から応援をいただいています。はなそう基金発足前からずっと応援や協働をしてくださっている方々もおられます。
  
現時点での活動会員、賛助会員、その他コラボレーション・パートナーについてアップデートさせていただきます。
 
2012年4月3日現在で、活動会員は11名です。賛助会員は、個人9名に加え、3つの法人・団体等に登録いただいております。この場を借りまして、篤く御礼を申し上げます。本当にありがとうございます。
 
  
【活動会員】 (英名:Active Contributors)
 
はなそう基金の使命・設立目的にご賛同いただき、誠実さを旨として、その活動の実行、実務面で力を貸していただける個人および団体で構成されます。活動会員の方々の中から、各種活動におけるリーダーを選出させていただくことがあります。リーダーの選出にあたっては、代表理事より個別にご相談させていただきます。代表理事と各リーダーの間では、日常的に議論や詳細情報の共有を行い、はなそう基金としての具体的なアクションを企画・実行していきます。
 
2012年4月3日時点で活動会員として登録いただいているのは、以下の方々です。リスト上での敬称は略させていただきますので、何卒ご了承ください。
  
1. 「Komo's英語音読会」のボランティア講師としてご活躍いただいている活動会員の皆さま:
■ 伊勢 修 (東京都)
■ 奥田 裕子 (東京都) 兼、賛助会員
■ 柴田 明恭 (大阪府)
■ 田中 大策 (東京都)
■ 茂木 崇史 (東京都)
■ 山崎 朗 (東京都)
■ 吉沢 康弘 (神奈川県)
  
「Komo's英語音読会」では、参加者の方々個々人に応じた対応をさせてただくことが基本スタイルです。ボランティア講師の方々のサポートがなければ、会が成り立ちません。また、講師の方々と現地の方々とで会話を持つ接点が、回を重ねるごとに人間としての「絆」にもなっていきます。まさに、「はなそう!」というコンセプトの基点になる方々です。毎回1~2泊しますので、ささやかながら現地での消費にも貢献。今後ボランティア講師として参加いただける方々も数名決まっておりますので、参加いただいた段階で順次お名前を掲載させていただきます。
  
奥田さんには、ボランティア講師としてご活躍いただくだけでなく、各回の講師陣メンバー組成やスケジューリングなど多岐にわたってサポートをいただいています。また、同時に賛助会員としてのお申し出もいただきました。この場を借りまして心より感謝・御礼を申し上げます。
 
2. 「Komo's英語音読会」の教材作成、及び、はなそう基金の運営面でご活躍いただいている活動会員の皆さま: 
■ 川原 亜希 (東京都) 
■ 下野 友実 (インドネシア ジャカルタ) 
■ 永田 亜美 (フランス リヨン) 
■ 宮田 丈裕 (埼玉県) 
  
宮田さんは、「Komo's英語音読会」の「英文添削コース」で使用する個人別の音読教材を作成するサポートをいただいています。また、ご自身が経営される会社のほうで、賛助会員にもなっていただきました。リヨン在住の永田さんは、「Komo's英語音読会」の「NIKKEI WEEKLY音読コース」の解説版作成で第一回分から毎月お世話になっています。川原さんとジャカルタ在住の下野さんは、はなそう基金のブログ「はなそうよ~Let's Talk」の記事を英訳する作業に取り組んでおられます。直接現地には行かなくても、こうした様々な形で応援いただくことで、はなそう基金の活動は前に進んでおります。ありがとうございます。
  
 
【賛助会員】 (英名:Financial Contributors)
  
はなそう基金の使命・設立目的にご賛同いただき、その活動に関して金銭的ご支援を提供いただける個人および法人・団体等で構成されます。賛助会員の中で、特に多大なる貢献をいただいた個人や法人・団体等に対しては、特別賛助会員(英名:Special Contributors)の呼称と感謝状をお贈りする場合があります。賛助会員の中から、全体運営や各種活動に対する客観的ご意見、知的ご支援を提供いただけるアドバイザーを選出し、アドバイザリー・コミッティを組成することがあります。
(なお、賛助会員としてのご支援は、3,000円からとさせていただいております)
  
2012年4月3日時点で賛助会員として登録が完了しているのは、以下の方々です。お申し出いただいて送金処理中の方々は、次のアップデートで掲載させていただきます。リスト上での敬称は略させていただきますので、何卒ご了承ください。
 
(個人)
■ 市川 薫 (東京都) 
■ 小笠原 尚史 (シンガポール)
■ 奥田 裕子 (東京都) 兼、活動会員
■ 坂本 真由美 (アメリカ カリフォルニア)
■ 佐藤 清子 (東京都) 
■ 澤原 健吾 (東京都)
■ 下野 航平 (インドネシア ジャカルタ)
■ 瀬上 真理 (愛知県)
■ 谷本 憲彦 (大阪府)
 
(法人・団体等)
■ 株式会社アセットケア (埼玉県) 活動会員である宮田丈裕さんの会社です
■ 関西ひだまりの会 (大阪府) 
■ シンガポール地域人事の会 参加者ご一同 
  
はなそう基金発足のお知らせをした直後から、たくさんの個人の方々より賛助会員申し込みのご連絡をいただきました。「毎年定期的に支援を続けるからね」というお声もいくつかいただいています。たいへん心強いです。「Komo's英語音読会」参加者の皆さんへの教材や辞書等の支援、及び、はなそう基金全般の運営に有効に使わせていただきます。本当にありがたいことです。将来的には、被災地から海外への短期ホームステイの航空運賃支援なども考えていますので、さらにご協力いただける方々を世界から募ってまいります。当方の事務体制、ウェブサイトなど整いましたら、財務面のディスクロージャーも適切に行ってまいります。
 
 
【コラボレーション・パートナー】
  
それぞれのお立場で被災地支援・貢献をされながら、はなそう基金の活動にご助力をいただいたり、協働させていただいているパートナーの個人・法人・団体の皆さまです。リスト上での敬称は略させていただきますので、何卒ご了承ください。
 
■ 内閣府認定特定非営利活動法人ロッツ(LOTS) http://lots-ss.jp/
■ フードニスタ 浜田 峰子 http://ameblo.jp/hamada-mineko/
■ スペイン・バルセロナのCasa Asia、IESE、ESADEを中心にした有志の皆さん
 
LOTS関係者の皆さまとは、2011年4月より古森が毎週の物資送付を始めたときから縁が生まれました。現在、「Komo's英語音読会」は陸前高田市竹駒町の「とうごう薬局」の会議室をお借りして開催していますが、この薬局は発災後の医薬品欠乏状態の中で、LOTSの代表である富山 泰庸(とみやま よしのぶ)さんが私費を投じて設立したものです。富山さん他関係者のご好意で、教室スペースを無償で使わせていただいております。本当にありがとうございます。
  
フードニスタとしてメディアでも活躍しておられる浜田さんには、2012年2月の「Komo's英語音読会」でボランティア講師をしていただきました。英語が堪能なばかりでなく調理師・ソムリエの資格を持つ浜田さんは、発災後の早い段階から被災各地をまわられ、様々な形で「食」を通した復興支援をしておられます。2012年は、被災地での料理教室を開講するご予定です。
  
スペイン・バルセロナの有志の皆さまには、この活動がはなそう基金の体裁をとる以前から応援をいただいています。バルセロナからの被災地支援支援活動は、発災直後から立ち上がっていました。2011年11月、古森がバルセロナで被災地復興に関係する講演をさせていただいたご縁で、現地で集めた募金などを「Komo's英語音読会」の教材費等としてお贈りいただいています。先日、主要メンバーの数名が帰国・来日された際に新たに支援金をいただきました。震災一周年を機にバルセロナで開催したイベントで集めた募金だそうです。ちなみにそのイベントでは、「Komo's英語音読会」参加者である佐藤貞一さんが書いた"The Seed of Hope in the Heart"をもとにしたストーリーがバルセロナの子供たちに伝えられ、大きな反響があったそうです。先日、佐藤さんにその子供たちからメッセージが届きました。各種ご支援に感謝申し上げるとともに、海外で生まれた「絆」に敬意を表したいと思います。