はなそうよ ~ Let's Talk -4ページ目

はなそうよ ~ Let's Talk

はなそう基金 = Let's Talk Foundation  古森 剛 のブログです。
「Komo's英語音読会」@陸前高田、その他関連する活動などを綴ります。


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「Komo's英語音読会」@陸前高田に参加しておられる、「佐藤たね屋」の佐藤貞一さん。今、陸前高田でもっとも熱い人の一人であり、武士道についてご自身の解釈を生きておられる人。

"3.11"一周年当日のオーストラリアのテレビ取材にも、堂々と対応されました(↓)



佐藤さんは、「Komo's英語音読会」では「英文添削コース」に参加しておられます。

このコースは、ひとことでいえば、ご自身が英語で話したい内容を独自の音読教材にするもの。例えば、日本語で何か書いていただいて、それを当方で英語化して教材に。あるいは、最初から英語で書いていただいて、それを当方で添削して仕上げたりします。

佐藤さんは、最初から英語で書かれました。いえ、本当に最初の最初は、日本語で短い詩のような一節をいただいて、それを当方で英訳して教材にする・・・はずだったのです。ところが、その後佐藤さんは、何かにとりつかれたように英文で震災の記憶を綴り始めました。

夜になると、津波で亡くなった方々が、「書いてくれ」と叫ぶのだと佐藤さんは言っておられました。さもありなん・・・と思います。佐藤さんのお店があった周辺地域では、本当に多くの方々が亡くなられています。

佐藤さんの英文執筆活動は、2ヶ月余りにわたりました。その間、月に一度の「Komo's英語音読会」で直接添削をさせていただきつつ、それ以外の場面でもメールのやりとりを続けさせていただき、かなり長い文章が出来上がりました。



上の写真は、「Komo's英語音読会」での一こまです。ボランティア講師陣としては、柴田さん(写真左)と、奥田さんに多大なる貢献をいただきました。奥田さんには、同時並行的に海外メディアからの問い合わせ対応にもご尽力いただきました。

この文章のタイトル、"The Seed of Hope in the Heart"といいます。

内容は、地震発生から数々の紙一重の偶然が重なって生きのびた、佐藤さんの手に汗握る実録手記です。津波がすぐ背後に迫る中、車で走りぬける佐藤さんご夫妻。信じられないところまで津波が襲ってくる・・・。

そして、津波後に旧「佐藤種苗」の店舗に戻ろうとする佐藤さんが見たものは・・・。想像を絶する被害。筆舌に尽くしがたい被害。佐藤さんが苦労して積み上げてきたものが一瞬にして消え去り、借金だけが残ったと書かれています。そして、高田の町全体が壊滅。

その絶望的な現実の中で、佐藤さんは津波最前線の荒地でご自身の店舗を再興されます。瓦礫も一部利用したバラックのような店舗。水道が来ていないので、なんと手堀りで井戸を掘っての育苗再開です。そこからは、まさに現代の武士ともいうべき果敢な取り組みです。

そうした地震発生から再興への佐藤さんの生き様を縦糸にして、横糸には陸前高田の沿岸部地域における過去の津波史の検証が入ります。そして、17世紀初頭の大津波で被害が出ていたという史実に行き当たる佐藤さん。

その被害を伝える石碑は、実は今も陸前高田に残っていたのです・・・。多くの人は、それが何の石碑かも知らずに。今般の津波被害に関して、徐々に「人災」の要素をも佐藤さんは見出していきます。

・・・という感じで、本当に読む価値のある内容が文字にされています。音読の教材だけではなく、これこそ世界に伝えるべき第一級の震災手記です。そこで、はなそう基金でご支援させていただき、佐藤さの手記を小冊子の形にまとめました。

そして、ついに印刷があがってきました。印刷費用の一部は、スペインはバルセロナのカサ・アジア、そして一流ビジネススクールのESADEやIESEの方々などからの義捐金も使わせていただきました。この場を借りて心より御礼申し上げます。
 
ちなみにこの方々は、"3.11"一周年を記念してバルセロナで大きなイベントを開催し、佐藤さんの「The Seed of Hope in the Heart」の概要を現地の子供たちに伝えました。大きな反響があり、その後、バルセロナの子供たちから佐藤さんにメッセージが届けられました。
   
この小冊子、初版はとりあえず300部ですが、佐藤さんが2種類の種袋とセットにして1,000円(送料別)で販売することになりました!すでに、この週末に申し込みや購入がけっこう出ているようです。セットになっている種子の種類は、佐藤さんが思いをこめて都度選定されます。
 
 
 
この小冊子の売り上げは、津波被災地の荒野で再興しつつある「佐藤たね屋」さんの支援につながります!また、売り上げの一部は、はなそう基金での印刷代にも充当されます。
 
「小冊子+たね2種」にご興味のある方は、はなそう基金・古森までご連絡下さい!
komonet@hotmail.com
 
 

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はなそう基金では、さまざまな形で活動を応援いただける方々のことを、敬愛の意をこめて「会員」と呼ばせていただきます。 

すでに応援いただいた方々もいらっしゃいますし、今後のご意向がある方々の声も頂戴しておりますので、会員について簡単に書かせていただきます。 
  
はなそう基金の「会員」には、3つのカテゴリーがあります。
    
(1) 正会員 (英名:Permanent Contributors)
     
はなそう基金の使命・設立目的に賛同し、その活動の永続的発展・推進に無私の精神で貢献することを誓った個人および団体で構成されます。
  
正会員は、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(一般法人法)上の「社員」となり、当法人の最高意思決定機関である社員総会の構成メンバーとなります。
 
わかりやすく株式会社でイメージしますと、「株主」に相当するカテゴリーとなります。発足時の正会員 = 社員は、私と妻の2名です。
  
(2) 活動会員 (英名:Active Contributors)

はなそう基金の使命・設立目的にご賛同いただき、誠実さを旨として、その活動の実行、実務面で力を貸していただける個人および団体で構成されます。
  
活動会員の方々の中から、各種活動におけるリーダーを選出させていただくことがあります。リーダーの選出にあたっては、代表理事より個別にご相談させていただきます。
  
代表理事と各リーダーの間では、日常的に議論や詳細情報の共有を行い、はなそう基金としての具体的なアクションを企画・実行していきます。

(3) 賛助会員 (英名:Financial Contributors)

はなそう基金の使命・設立目的にご賛同いただき、その活動に関して金銭的ご支援を提供いただける個人および団体で構成されます。

賛助会員の中で、特に多大なる貢献をいただいた個人や法人に対しては、特別賛助会員(英名:Special Contributors)の呼称と感謝状をお贈りする場合があります。

賛助会員の中から、全体運営や各種活動に対する客観的ご意見、知的ご支援を提供いただけるアドバイザーを選出し、アドバイザリー・コミッティを組成することがあります。 
  
なお、賛助会員としてのご支援は、3,000円からとさせていただいております。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

いずれの会員カテゴリーにつきましても、ご本人が辞退されない限り、はなそう基金の公開情報の中でお名前を掲載させていただこうと思います。

ぜひ、はなそう基金の活動にご支援、ご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます!



 



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震災から一周年になるこの週末は、陸前高田に行った。月に一度の「Komo's英語音読会」とは別に、縁のある人たちと一緒に過ごしたくて、かなり無理な日程だったが行ってきた。

色々とイベントのお手伝いなどもする予定ではあったが、要するに『自分が行きたいから行く』『自分が会いたい人に会う』ということ。

実際、「この一周年の瞬間を一緒に過ごしたい」と思っていた人々に会えた。また、これまで知らなかった人々ともたくさんの新しい出会いがあった。

弔いに訪れた方のご焼香の脇に立ち、こちらも涙がわいてきたり。海外からのメディアの取材の案内をしたり。実に色々なことがあった週末だった。

復興には時間がかかる。一周年はメディアもいっせいに報じた。しかし、ここから先はメディアのアテンションも減っていくだろう。

復興どころか震災の後始末も未完の現状。しかし、あらゆる記憶は風化していくのが人の世の常だ。それを嘆いても仕方がない。自分がまず、忘れないことだ。

僕はあまのじゃくなところがあるので、黙祷の瞬間には黙祷しなかった。知らん顔して運転していた。そのかわり、10年スパンで通い続ける。

時間の経過とともに、コミットメントをあげていくつもりだ。



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3月最初の週末は、「Komo's英語音読会」@陸前高田。昨年11月から毎月一回のペースで開催している。はや5回目となった。

今回は4名のボランティア講師の方々にご参加いただいた。いずれの方々も初参加。Yさん、Tさん、Iさん、そしてフードニスタの浜田峰子さん。http://ameblo.jp/hamada-mineko/

【金曜日】
浜田さんを除く3人を早朝の新宿駅でピックアップ。昼ごろに一ノ関駅で浜田さんと合流し、まず気仙沼へ。



港沿いは、瓦礫が撤去されただけで、復興の足取りは重い。



そろそろ震災一周年だ。ここまで瓦礫を片付けるだけでも大変なことだったと思うが、まだ先は長いのだと感じる。

毎月恒例、気仙沼復興商店街の喫茶マンボへ。皆でランチ。このラーメンは、本当にスープが美味しい。魚系の、あっさり甘い味。



これも恒例、コロッケのコロちゃん。なぜかこの店のお姉さま二人に会うと、心がほわ~んと暖かくなる。コロッケもアツアツで美味しい。



陸前高田へ。

講師4名とも「陸前高田は初めて」ということだったので、一本松 → 旧市役所周辺 → りくカフェ(鳴石) → 竹駒 → 今泉 → 気仙大橋 のルートで車で一周。

「りくカフェ」には1月、2月ともに行きそびれていたので、ついに・・・という感じ。木を基調にした、感じの良い室内。

「りくカフェ」のプロジェクトをサポートしてきた住友林業の方がたまたま来ておられて、開発中の大型食器のことなどを熱心に説明して下さった。



カフェに来ていた小学生の誕生日ということで、お店のスタッフのリードで「♪Happy Birthday to You~」と皆で合唱。なんか、あたたかいなぁ。

「佐藤たね屋」さんにもご挨拶。佐藤さんは英語音読会に参加しておられて、津波の体験を英文で執筆中。僕たちは数名で協働してその添削作業をしている。

ご挨拶ついでに、ちょうど植えつけシーズンに入ったジャガイモの種芋を2種類と、葉もの、人参などの種を5袋ほど購入。



レジ袋に書かれているメッセージの中の英文は、英語音読会で一緒に作った文章の一部をお使いいただいている。

鈴木旅館にチェックインし、皆でOさんの仮設住宅へ。早めに晩ご飯をご一緒させていただいた。

その後、夜は僕と浜田さんで別の仮設住宅に行き、小学生二人に出張レッスン。3人は残り、Oさんから色々な体験談を聞かせていただくことに。貴重なお話。

【土曜日】
ちょうどお雛祭りの日なので、浜田さんが小さな飾り雛のセットを教室の端に設置してくださった。部屋中がぱっと明るくなった。さすが!



朝8時、佐藤たね屋の佐藤さんが来られた。作成中の長編英文のファイナル・ドラフトの添削。もうすぐ文章としては完成だ。

さすがに臨場感があり、手に汗握る実録文。涙なしには読めない。海外のメディアからも既に「欲しい」という声がいくつか来ているらしい。

8時半頃から、数名がポツポツと来られて、徐々に忙しくなってきた。皆さん本当に熱心なので、講師陣も真摯に対応させていただく。



午後一番にNIKKEI WEEKLY音読コース。そして、14時半~の時間帯は、講師陣フル稼働となった。



夕方の新規説明会には、3名の方々が来られた。今後、NIKKEI WEEKLY音読コースと、英文添削コースで受講いただくことになった。

夜は、Oさんの仮設住宅に食材を持ち寄り、鍋を囲んだ。浜田さん(調理師兼ソムリエ!)が準備をしてくださったので、なんかスゴい豪華な鍋に!



LOTSの富山さん、名古屋さんも合流。大人数で楽しい食事になった。

【日曜日】
朝9時から、中学生が1名。いつも真剣に取り組んでいる人なので、毎月会うたびに進歩が感じられる。こういう人は絶対に伸びる。

11時頃に全日程を終え、片づけをして外に出たら、今泉のほうの山際を白鳥の群れが飛んでいた。このあたりは、白鳥が渡ってくる。



野生の白鳥の渡る姿。長い首、大きな羽。本当に美しい。あれが明るい未来の象徴・・・だったら、いいなぁ。

今回もまた、濃密な2日間だった。受講者それぞれに真剣に取り組んでおられて、それぞれに進歩があって、そして初参加の講師陣との新たな縁も芽生えた。

被災地の復興には大変な時間がかかるが、色々嘆くよりもまず行動。1000の問題意識を持ちつつ、まず自分自身の行動を「ゼロ」から「1」の状態へ。

とにかく、ひらめいてやり始めた以上は、今後10年スパンで毎月通う。10年後には、陸前高田から世界を相手に活躍できるグローバル人材をたくさん輩出する。

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私はこれまで、何事につけ、まず人間と人間が「話す」という行為を重視してきました。被災地復興においても、人の輪をつくったり、海外とつながったりしていくうえでは、「話す」ことがとても重要になります。そこから色々なことが始まります。   


   





今般設立する一般社団法人は、この「まず話そうよ!」という意図をシンプルに表現したいと考え、「はなそう基金(英名: “Let‘s Talk” Foundation)」と命名しました。自己資金で基金を入れたうえで、世界中の有志から協力を得たいと思います。







はなそう基金 = Let's Talk Foundation の使命




はなそう基金は、被災地復興に関連する文脈の中で、以下の3点を使命として認識し、人類社会全体への貢献を志として堅持した非営利目的の活動を行います。





1. 「伝道」:東日本大震災に起因する様々な出来事を世界に伝え、語り継ぐことで、多大な犠牲からの学びが一過性のものに終わらないようにします





2. 「触媒」:被災地の人々と日本国内の他地域、および海外各地域の人々との絆を醸成することにより、復興につながる人的基盤づくりを促進します





3. 「応援」:生命の尊重、自然との共生、歴史的学びの行動化に関して、象徴となるような被災地の事業活動、その他関連する各種活動を応援します




まずは、陸前高田における毎月の「Komo's英語音読会」を着実に継続実施しながら、それを軸に自然に広がっていく縁の中で使命に添う活動を進めて参ります。



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震災に接して私が最初に始めたのは、被災地に対する物資の提供でした。発災後の4月から、縁あって知り合った災害支援団体の仲間を通じて、毎週一回物資を送るようにしました。その活動は、震災一周年まで継続してきました。



震災から半年にあたる9月に、縁あって岩手県陸前高田市の被災地に行きました。支援物資の仕分けや仮設住宅へのお届け活動を行う中で、色々な現実が見えてきました。空いた時間に津波被災地域を一人で見て回り、その惨状に泣きました。



10月、再び陸前高田に行き、物資の仕分けやお届け活動を手伝いました。空いた時間に再び津波被災地域の廃墟を見てまわり、「自分に何が出来るだろうか」と問い続けました。そして、「英語」というキーワードがひらめきました。



被災地を単純に「復旧」するだけでは(それ自体、困難を伴うのですが)、地元の経済や人心が「復興」していくとは思えません。被災地の復興には、日本国内の他地域、そして海外との絆を強くすることが不可欠です。



したがって、被災地の地元に英語を使える人材が存在することは、とくに海外との絆を通じた復興には必要条件となります。それを、「自分なら手伝えるのではないか」「役に立てるのではないか」と思ったのです。



その翌月の11月から、陸前高田市で「Komo’s英語音読会」という英語勉強法の教室を開講しました。縁あって知り合った災害支援団体の仲間、地元の人々、そして私の友人たちの多大なる協力を得て、活動がスタートしました。

 

以来、毎月一回のペースでこの教室を開催しています。毎回、私以外にも数名の友人がボランティア講師として参加してくれています。英語学習は一朝一夕にはいきませんが、小学生から70代の方まで、皆さま熱心に取り組んでおられます。

 

参加者の方々には、英語学習の場や時間をきっかけにして、将来への新たな希望が少し芽生えてきたり、英語力が一歩進んだことに喜んだり、講師との会話を通じて心の中が楽になったりする場面もあるようです。希望や絆が、少しずつ生まれ始めました。

 

「Komo’s英語音読会」の活動は、被災地における様々な「良い兆し」のきっかけになっていくように思います。「今後少なくとも10年スパンの視野でこの活動を続けていこう。」と心に決めました。「Komo’s英語音読会」の活動を継続・発展させていく中で、震災が私たちに語りかけているものにしっかりと応えていくつもりです。

 

今後の長年にわたる活動を個人の生活利害と峻別し、客観性・サステナビリティを確保していくために、一般社団法人を設立することにしました。もちろん、非営利を目的とした法人(Not-for-profit organization)です。

 


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2011年3月11日に発生した東日本大震災から、およそ一年が経過しました。震災の爪あとは深く、一年の時を経てもなお、「被災地の復興には多大な時間を要する」ということが、私たちの眼前にある冷徹な事実です。

 

震災の日、恐ろしい津波や燃え盛る業火の映像を見ながら、私は思いました。「めぐり合わせによっては、自分はあそこにいたかもしれない。あるいは、震災はここで起きていたかもしれない。たまたま、生き延びたに過ぎないのだ・・・」

 

あの震災は、想像を絶するほどの甚大な被害とその後に続く苦難の連続を通して、人類にとても本質的で重要なことを語りかけているように思います。幸運にも今日、依然として生きている私たちは、そのメッセージに気づいているでしょうか。


  


私には、こんな風に聞こえます。

 

人間は、生きていることに感謝し、自然に対して謙虚でなければならない

 

人間は、歴史に学ぶだけでなく、それを生かして行動しなければならない

 

人間は、一人では生きていけない。支え合い、助け合わなければならない

 

 


思うに、これらは決して人類にとって目新しいメッセージではないのです。人類が地球上で存在し続けていくうえで本質的に重要なことは、大昔からすでに明らかにされ、様々な形で言い伝えられてきました。

 

被災地の復興は、大げさな表現かもしれませんが、人類の今後を占う試金石のようなものです。私たちは、過去からの学びを本当に現在の思考と行動に反映させ、未来に向けて生かしていくことができるのでしょうか。

 

それとも、何かが起きるたびに、「ああ、そうだった」と言い続けるのでしょうか。もしそうだとすれば、今や70億人を超えるに至った人類が、長きにわたって地球上に存在し続ける可能性は低いように思えてなりません。

 

自然環境と共生しうる形で、過去の天災・人災を通じた幾多の学びを生かし、人間同士の絆が息づく社会を本当につくることができるのか。被災地復興の取り組みの中で、実は、人類全体の持続可能性が象徴的に問われているのです。

 

そのように気づいたならば、まず個々人が行動しなければなりません。大きな変化をイメージしながら、まずは自己のアクションを「0」から「1」へ。個々人が実際に行動を起こすこと、そしてそれを続けていくことが、世の中を変えていきます。

 






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この週末は、陸前高田で「Komo's英語音読会」を開催。被災地復興の文脈には、今後必ず「英語」が登場する。

思い立って昨年の11月からスタートし、毎月1回のペースで開催。10年スパンでの時間軸を視野に入れた個人的コミットメントだ。

今回は、大阪からSさん、東京からOさんがボランティア講師として参加して下さった。他に、昨年9月に陸前高田での物資お届け活動で知り合ったKさんも大阪から参加。

3日の午後、まず気仙沼へ。これはいつものルート。気仙沼復興商店街の「喫茶マンボ」に行き、名物のラーメンを頂く。



ちょうど復興商店街にNHKの取材が来ており、クルーが喫茶マンボに入ってきた。インタビューを受けたので、もしかしたらそのうちワンカット放映されるかもしれない。

もう一箇所、必ず寄るのが「コロッケのコロちゃん」。12月のオープン直後から3回目の訪問だが、毎回メニューや店内の備品に進展があって楽しい。



他の場所に「屋台村」もある。夜に気仙沼に来ることがないので、一度も入ったことがない・・・。でも、この作りは好きだ。ふと、イカ釣り漁船のイメージがわく。



そして陸前高田へ。

16時から某小学校の校長先生にお会いすることになっていたので、時間的余裕がなく、今回は大船渡訪問はやむなく断念。

それでも高田の「佐藤たね屋」さんには寄らせて頂き、店主の佐藤さんとしばし立ち話。佐藤さんは英語音読会にも参加されていて、今陸前高田で最も熱い人の一人。



1月の英語音読会で作成したオリジナルの英文を、佐藤さんはさらに数枚にわたる文書に膨らませておられた。

地震・津波の記憶をたどり、起きたことを英語で書き残して世界に伝えたいという佐藤さん。亡くなられた方々が枕元に現れて、佐藤さんに「書いてくれ」と言うのだそうだ・・・。

そのドラフトを訪問前日にお送り頂いたので、講師陣一同で事前に拝見し、修正ポイントなどを準備して来た。

店内で、その内容に関する簡易意見交換。最終化は土曜日の英語音読会の場で。

16時。英語音読会を地元視点で応援頂いているOさんと合流して、某小学校の校長先生を訪ねた。Oさんの橋渡し。

校長先生は、英語音読会の活動に興味を持って頂いているようだ。今後どのような形でのコラボレーションがありうるか意見交換させて頂いた。

その後、Oさんの仮設住宅で手早く夕食。19時から、別の仮設住宅で小学生2名を相手に「出張英語音読会」を開催。2時間みっちり。二人ともよく頑張った!

外はかなり寒かった。車も凍りつきそう。。。



さて、土曜日の朝。7時から仲間3名とともにOさんの仮設住宅で朝食&打ち合わせの予定。仲間3名は鈴木旅館ではなくホテル三陽に宿泊だったので、6時半過ぎに迎えに行った。

迎えに行く途中、広田湾から朝日が昇る瞬間に遭遇。震災前は7万本の松があったという高田の松原。今は、生きている木は一本もない。それでも日は昇る・・・。



8時半から英語音読会開講。「佐藤たね屋」の佐藤さんは、いつも朝一番に来られて、仕事前にしっかり英語に取り組んで行かれる。熱い!講師Sさんも同じくらい熱い!



講師Oさんも朝一番から始動。



高校生2人とSさん。来週試験があるのだそうで、その範囲の教科書をしっかり。色々やる前に、まずは教科書を完全にやることがお奨め。



僕も午前中ずっと大きな声で音読にお付き合いしていたため、10時半~のNIKKEI WEEKLY音読コースで登板する頃には声がかれていた。

ちなみにNIKKEI WEEKLY音読コース参加者のYさんは、次回からお得意の和歌(Yさん作)を毎回ひとつ選んで、その趣旨を英文で書いてオリジナル教材を作成して行くことに。

こういうスタイルは「英文添削コース」と呼んでいる。「佐藤たね屋」の佐藤さんも、このコースを受講頂いている形。非常にプラクティカルなコース。

午後も忙しかった・・・。



ひとつの教材で大人数を同時に対応すればラクなのだが、この英語音読会は出来るだけ「自分の関心事」を各自で教材にすることを重視している。

したがって、いわゆるレバレッジは効きにくい運営だ。しかし、そもそもの学習法のコンセプトを妥協してしまっては意味がない。

多少運営に苦労があっても、「個々人の関心事を教材にした英語の徹底音読」というアプローチは大事にしたい。

17時~のイントロダクション(初回参加者向け)には、お母さん2名+そのうち一人の息子さん(小6)が参加。何人が相手でも、真剣にやるだけだ。

夕食は、再びOさんの仮設住宅で。20時半頃にNさん(親しくさせて頂いているLOTS災害支援団体のメンバーで、とうごう薬局の薬剤師)が合流。

食後、Nさん向けに食卓で英語音読会を開催。超多忙な中、Nさんは真面目に取り組んでおられる。こちらも真摯に対応させて頂く。ほかの人がいても、気にせず一緒に音読。

もろもろ終わったら、もう23時半。Nさんを大船渡へ、仲間3人をホテル三陽へ送り届け、1時半頃に就寝。長い長い、一日だった・・・。

でも、11月の開講時に比べると、確実に英語レベルが進歩している人が何人もおられる。参加者のお母さん方から喜びの声が寄せられている。

「英語」をきっかけにして、「震災後ずっと落ち込みがちだった生活に張りが出た」という声も頂いている。

事前準備、往復の移動、事後の各種連絡などそれなりの負荷があるが、この活動にはとても大きな意味があると思う。

今後色々と難しい場面もあるかもしれないが、これも自分の「道」と捉えてやり続けよう。講師仲間も徐々に増えるといいなぁ。
 


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土曜日の朝。鈴木旅館の風呂は5時から開いているので、早めに起きて風呂を浴びる。ここのお湯は熱いので、目覚ましには好適だ。

6時50分に玄関に集合してOさんの仮設で朝食を一緒に・・・という予定だったが、Mさんは寝坊して来れず(笑) 7時40分には鈴木旅館に戻ってきて、出発準備。

同行して会場の鍵を開けて下さるSさんは、大学4年生。卒業旅行に行かずに、こちらに年末から住み込みでボランティアをしている素晴らしい人。

一日のタイムテーブルは、
(1)08:30-10:30 教科書等音読コース
(2)10:30-12:00 NIKKEI WEEKLY音読コース
(3)13:00-16:30 教科書等音読コース
(4)17:00-18:30 イントロダクション(初回説明会)

参加者各自で自由に教科書(音読材料)を設定して個別に対応するのが(1)と(3)。この時間帯のどこかで最低1時間来て頂き、講師と向き合って過ごす形式。

あらかじめ参加時間帯をヒアリングしてはいるが、厳密にコントロールはできない。助っ人がいてくれると本当に助かる。

僕が毎月選ぶ「NIKKEI WEEKLY」の記事を教材として使うのが(2)のコース。ここは、会場のキャパ内であれば何人来ても僕のほうで対応できる。(記事使用に関しては、NIKKEI WEEKLYさんからご好意で正式許諾を頂いている)

朝一番には、昨日もご挨拶に寄らせて頂いた「佐藤たね屋」の佐藤さんが来られた。海外からの来訪者に震災の現実やご自身の復興魂を伝えるべく、この会に参加されている。



伝えたい内容を日本語で書いて事前に送って頂き、それを12月の会に助っ人で来てくれた大阪のSさんと僕で英訳して、独自の教材を作成した。

今回は、その教材とともに、佐藤さんが独自に書き足した英文案もお持ち頂いた。言いたいことの細かい趣旨なども確認しながら、その場で英文を添削・修正。

素晴らしいオリジナル教材が出来ている。今後も佐藤さんのほうで書き足しては当方で添削して、教材の蓄積を広げていく。

9時頃から複数の参加者が重なり、教室はにぎやかに・・・。講師陣全員が稼動し、僕は2名同時にお相手をするなどして、ベストを尽くした。



NIKKEI WEEKLY音読コースには、今回は3名が参加。登録上はもう少し多いのだが、諸般の事情で今回は3名。



もとより、相手が一人でも百人でも真剣にやるだけだ。被災地のことを海外の人に説明する際に有用となる語彙が多めに出ている記事を僕のほうで選んでいる。

途中、YさんとMさんが僕の音読実演をその場で録画して、「佐藤たね屋」さんのほうまでお届けした。佐藤さんと一緒に朝一番に完成させた文章の音読見本。機動力あり!

午後の教科書等音読コースの時間帯もにぎやかだった。講師陣はほぼ全稼動状態。さらに足りず、大学4年のSさんに補助して頂く場面もあった。Sさんはこういうことが出来る人。

中学生のT君は、12月は所用で来れなかったので、イントロダクション以後の本番セッションは今回が初参加。この人は絶対に伸びる。将来が楽しみ。



その他、小学生の参加者から高校生、大人まで、皆さん一生懸命取り組んでおられた。中には、なんと3時間半もの間集中して取り組んだ人も!やれば出来る!

講師陣も真剣にお相手をさせて頂いた。参加者の皆さんそれぞれに、少しづつであっても前進している。それが大事だ。

音読会と音読会の間の一ヶ月にどれくらい克己心を持って自学自習を継続しているかは、現時点では大きな個人差があるが(笑)・・・まあ、徐々にね。

ところで、自分が話したい内容を独自の教科書としているのは、「佐藤たね屋」の佐藤さんだけではない。

他にも、日本語文を用意して頂いた方については、出来るだけ事前に講師陣で分担して英訳を行い、教室内ではその音読の訓練をして頂くようにしている。

このスタイルでオリジナル教材を作成して、まずは自分の英語ニーズに絞り込んだ英文を音読で暗記してしまうという方法は、良いアプローチだと思う。

17時から1時間ほど、この日最後のセッション。初回参加者のためのイントロダクション(説明会)だ。これは毎回同じ内容。

参加者には、この音読会の原点になっている「英語は音読だけでいい!」(かんき出版)を1冊づつ贈呈。その後会に参加されない場合でも、最低限のことはお伝えしたい。

帰路は、雪道。一関への峠道は凍結が激しいことが分かっているので、気仙沼経由で。しかし、それでも気仙沼から先はずっと普通に凍っていた。



安全運転で一関インターに到着。東北道も福島を過ぎるところまで雪道&吹雪で危ない部分が多かったが、皆で交代しながら運転して無事深夜2時頃に東京に到着。

(けっこうしっかりと夕食を食べたにもかかわらず、24時過ぎにYさんとMさんがサービスエリアでラーメンを食べていたのには、若さを感じた・・・)

参加者の輪、現地協力者の輪、ボランティア講師陣の輪、色々な縁に恵まれて、それが徐々に広がって、3回目の音読会は無事終わった。すべての人に感謝!

日曜日の今日は、朝から仕事・・・。

でも、仕事があるから人様のお世話をする余裕がある。仕事で勝負しているから、グローバル化の文脈で英語に関する強いメッセージを出すことが出来る。

生きている間は、とにかく巡り合わせに対して前向きに生きよう。未練はあっても後悔のない人生を。人生日々決算。


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昨年11月に始めた毎月一回の「Komo's英語音読会@陸前高田」。2012年初回となる1月の会を1/14(土)に開催。

今回は、助っ人で3名の友人が参加。いつもは往復1,100キロをひとりで運転するので疲れるが、仲間で交代しながら運転すれば疲労も少ない。有難い!

13日(金)の朝、6時に新宿駅で3人をピックアップ。一路東北道へ。福島あたりはかなり雪が降っていたが、沿岸部に近づくにつれ空は晴れに戻った。

9月から毎回、こちらに来る時はまず気仙沼に寄ることにしている。毎月変化があるし、逆に何ヶ月たっても変化しないものもある。



変化の象徴のひとつは、「気仙沼復興商店街」。昨年のクリスマスイヴにオープンし、各種メディアなどにもとりあげられた。50店舗あまりが仮設の建屋で営業を再開!

ここに入っている喫茶「マンボ」は、ラーメンが美味しいということで震災前の気仙沼では有名なお店だったらしい。



チャーシューメンを注文。口にしたらすぐに分かる「魚系」のスープ。甘味があってオイリーで、しかし、しつこくない。お世辞抜きに美味しい。



マンボの後は、コロッケ屋さんで「コロちゃんコロッケ」を食べた。お店の人たちの笑顔がとても印象的だった。

まだまだ経営的には厳しいに違いないが、やっぱり、建物があって、売り物があって、お客さんが来て、とにかく前を向いて・・・ということが大事なんだ。

その後、陸前高田方面へ。これもいつものコースなのだが、鹿折地区の第18共徳丸の脇を通って行った。



この船を残して津波の恐ろしさを伝えるモニュメントにするか、忌まわしい記憶を呼び覚ますものとして撤去するか。地元では議論が分かれているようだ。

陸前高田ではとりあえず一本松のあたりを案内して、先に大船渡へ。毎回大船渡にも行くことにしている。チリ地震の際の津波句碑がある加茂神社に必ず寄る。

加茂神社の鳥居前から見渡した大船渡沿岸部。大船渡は変化の速度が速い。毎月来るごとに仮設店舗などが増えていく。12月からはセメント工場の煙突に白い煙が戻った。



賀茂神社で参拝して諸事祈願し、夕暮れになる前に陸前高田へ。「津波最前線の店」「I came back!」の看板で有名な「佐藤たね屋」に寄って佐藤さんにご挨拶。

独力で資材を工夫して組み上げた育苗ハウスが、ほぼ完成していた。佐藤さんの復興にかける決意とエネルギーはすごいものがある。この人は燃えている。



ハウスの中は、厳冬期の育苗のため断熱・保温・加温の仕組みが手作りで装備されていた。うちの菜園の苗は、今後できる限り佐藤さんから買わせて頂くことにする。春が楽しみだ。



鈴木旅館にチェックインして早風呂を浴び、音読会会場スペースの現況確認をして、Oさんの仮設住宅に向かった。途中、仮設のスーパーMAIYAで食材を購入。

陸前高田に来た時は、ほぼ毎回Oさんのところで一緒に食事をさせて頂く。音読会の会場になっている「とうごう薬局」の敷地はOさんの自宅跡。

Oさんは、音読会に関して色々な面で協働して下さる。参加者の英語力向上はもちろんのこと、人々が集まる機会、将来を考える機会になれば・・・というのもOさんの願いの一つ。

意を決してここに通い始めた以上、僕はその願い(= 期待)を裏切るようなことは絶対にしてはいけない。月に一度の訪問中、限られた時間と空間の中でベストを尽くす。

一緒に来た友人3名とOさんとの5名で鍋を囲んだ。最近の陸前高田事情、復興関係の動き、各種課題やニーズ、支援仲間の動きなどを情報交換・意見交換。

旬のワカメ・シャブシャブや地元のお漬物なども楽しんで、寒い夜の会話は弾んだ。一緒に来た友達にとっても、現地の事情を直接知って頂く良い機会になったに違いない。



凍える夜道を鈴木旅館に戻り、4名で明日の音読会へ向けた準備討議。複数の生徒さんが平行して来た場合の担当と使用教材の確認などを綿密に行った。

3名とも英語バリバリで、仕事が出来て、被災地のことを考えていて、人間としてもリスペクトできる人たち。この音読会のボランティア講師陣としてはまさに最適だ。