1月1日、ミミネコは日本海側におりました。
秋田と山形の県境を車で走っていて、海を見ながら、今日は波が荒いな、そして、海の色がなんてきれいなんだろう、と印象に残っていました。
海は、手前がグリーンで、遠くがブルーで、2色に分かれていました。天気は概ね曇りでよくなかったけれど、日本海って、こんな、カリブ海みたいな色になることがあるんだなと思ってみていました。
日本海側に住んでいるわけではなく、いつも見ているのではないから、時々こうなるのか、よくあることなのか知りませんけれども。
そして、夕刻、ちょうど地震があったとき、日本海を見ていました。
しばらく前からの、低く垂れこめた曇り空の一角に、少しだけ光がさして、天使の梯子が下りていたので、それがきれいだなと思って、岸辺に立って眺めていました。
光がぼやけて消えていったのを見計らって、帰ろうと思い、踵を返して歩き出したとき、サイレンが鳴って、津波注意報の町内アナウンスが流れたのでした。
屋外の開けた場所にいたから、地震には気づかず、津波注意報と聞いてもピンと来なくて、波が荒いからかな?程度に思っていました。
そして、海岸沿いの建物の中に入ったら、物が落ちたり壊れたりはなかったけど、揺れがあったようです。建物の中はお店になっているのですが、そこの酒瓶が揺れて、ぶつかり合っていたそうです。
そして、テレビでは、津波だから高台に逃げてください、と、アナウンサーが叫んでいました。
この写真を撮っていたとき、ちょうど地震が起こっていたのだと思います。
数時間前にお参りしていた大物忌神社で出会った人たちも(話しかけてくれた地元の人がいました)、避難勧告が出ている町の人だったから、今頃避難しているのだろうか、大丈夫かな、と心配になりました。話はしていないけど、そばで楽しそうに話をするのを聞いていて、顔が思い浮かぶ家族連れも、大丈夫ならいいな、とか。
今回の地震は、個人的に、何か不思議なご縁を感じていて、他人事だと思えないのです。
12月に能登半島を訪れていて(羽咋市の気多大社をお参りしたかったので、行っていました)、壊れて断絶した道路も車で走っていたし、被災した地域も訪れて、土地を肌で感じていたので、つながりができた感じがします。
それなら、このつながりを使って、少しでも被災地が癒されるように、仕事はいつも通り心を込めて行い、日常生活の務めを果たしつつ、自分のエネルギーの一部をささげたいなと思っています。