素晴らしい歌だ。
素晴らしい歌だ。
エイジア(ASIA)のベストアルバムを、最近、車の中でかけています。
ASIAは、80年代に流行った、プログレッシブ系のグループ。商業バンドとも言われたけど、ジョン・ウェットンの男らしく透明感のあるボーカルとか、スティーブ・ハウの巧妙なテクニックのギターとか、ジェフ・ダウンズの重厚で美しいキーボードとか、たまに聞きたくなる。
で、ASIAを聞いていて、いつも思うこと。「壮大な曲にのせて、ちゃっちい歌詞を歌うグループだったな。」
曲は、プログレバンドらしく、技術も高く、美しいメロディーだし、スケールが大きくて幻想的。なのに、歌詞は、「お前の浮気現場を見てしまった。裏切ったな。」とか、「俺は恋をしているのか」とか、卑近で、薄っぺらいのが多く、すごいミスマッチ。(たまに、曲にあった幻想的な歌詞のもあるけど、ごくまれ。)
中学だか高校の頃、ASIAをリアルタイムで聞いていたときからそう思っていたので、当時いつもつるんでいた友達に
「歌詞がしょうもないと思わん?」
と指摘すると、
「この歌詞書いた人、よっぽど女に裏切られてえらい目にあったんやろ。」
と言っていたのを思い出します。
確かにそうかもしれん。その人の書くものって、その人から出たものであり、その人のスケール以上にはならないもんだと思う。
ところで、もう一つ気がかりなことは、やっぱり、トランプがイスラエルと共にイランを攻撃し、中東情勢が悪化しているここと。政治とか国際情勢に詳しくないから、直観的に思うだけだけど、中東諸国って「目には目を、歯には歯を」の文化圏だから、当然、絶対許さない、報復する、となる。とても危ないことになりそうな気がする。トランプが仕掛けて、ハネメイ師が暗殺された件も、トランプの個人的な意図が起点になっているのだと思うけど、エプスタイン文書の騒ぎから目をそらせたいとか、中間選挙への起爆剤にしたいとか、ある気がします。
とにかく、戦争ほど愚かなことはなく、戦争をする人間ほど、愚かなものはいない。がれきの建物を見ると、いつも思う。あれだけ作り上げるのは長い時間がかかるのに、破壊は一瞬。それを再生するのは、とてつもない努力と時間がかかる。物質的な再建だけでなく、傷負った心を癒してもとに戻すことも。時には、何世代にもわたって、傷ついたDNAが受け継がれて、否定的な影響が広がっていく。アメリカのノースダコタでは、核ミサイルの訓練基地で、今日も万が一の時のために、訓練が行われている。(ノースダコタには以前住んでいたことがあるので、どこにあるか調べてしまいました)。核兵器を使おうとしている人たちは、わかっているのかな。それを使って誰かに対して、どこかに対して破壊行為をすることは、自分自身を破壊することに他ならないって。他者と自分は、つながっていることを。
こんな世の中で、自分ができること、自分が両手を広げて届く空間でできるすべてを、心を込めて、勇気をもって、やっていきたいなと思う、今日この頃です。
最近、白鳥の群れが、シベリアに帰る準備を始めたのを見て、春がもうすぐだなと思います。
よく、隊列をなして空を飛んでいたり、郊外の田んぼにみんなで集って、餌を食べたりしているのを見かけます。
渡り鳥は、いつ、どこに帰るか、誰に教わらなくても、正確にわかっている。賢いですね。集合意識が宇宙とつながっているから、できる技で、人間もたぶん、縄文時代とか、レムリア時代とか、最盛期のアトランティスではそうだったんでしょう。
それから、最近、改めて気づいたこと。
自分って、常識がないなあということ。そういや、昔から結構そうだった。(ただし、自分を責めるニュアンスではなく、ただ、そうだという意味で、です。)
親戚の結婚式に呼ばれたので、数年前に別の親戚の結婚式にお呼ばれした時に来たドレスを、改めて出してみた。そしたら、なんか、丈が短い。こんなにスカートの丈が短くて、いいのか。(さすがにミニスカートではないけど、膝下あたりだけど、年齢的にどうか、と思った。)どっちにしても、これは袖なしだし、今の季節だと、これだとまだ寒いかな、上に羽織るものを買ったらいいかなと思い、フォーマルドレスの専門店に行って、店員さんに、聞いてみた。その時に知りました。やっぱり、ドレスは丈が長いのが常識だと。
なんで、あんなに短いのを買ってしまったんだろう。てか、あのドレスで参列してしまったのは、やっぱり非常識だったかも。(そこそこ、ものがいいので、何万円かしたが、一回しか着れなかった。)
でも、ま、いっか。過ぎたことだし。非常識な親戚がきてると思われただろうが、しかたない。だって、非常識な親戚が来ていたんだから。その節は、えらい、すんまへんな。と思いました。
と思いました。
何はともあれ、丈の長いドレスを買いなおすことに。(着物は持ってないし、面倒くさいから着たくない。若い頃に来た時、拷問のように二人がかりで帯を左右から締め付けられて、しばらく腰痛になった苦い思い出あり。)
ドレスを物色しているとき、頭をよぎったのは、昔読んだ、一休さんの逸話。アニメの一休さんではなくて、実在のした、リアル一休さんのエピソード。
あるとき、大規模な法事に参加するよう頼まれた一休さん(その時は、もう、大変偉いお坊さんになっていた)。ボロボロの袈裟を着て現れました。すると、周りの人たちは、どこかの乞食坊主(確か、そういう類の表現でした)が紛れ込んできたと思いこみ、「ここはあんたの来るところじゃない、帰った、帰った」と追い出そうとしました。すると一休さんは怒っていいました。「あなた方は、中身の私に来てほしかったのではなく、外側の立派な袈裟に来てほしいかったらしい。そんなに外側の見た目が大事なら、私はいらないでしょうから、立派な袈裟だけ置いて、私は帰ります。」周囲の人たちは驚き慌てて、一生懸命、一休さんに謝りましたとさ。(リアル一休さんは、アニメのイメージと違って、偏屈な人だったと聞いたことがあります。)
この一休さんの話みたいに、外側の服より、中身の私が参列するのが肝心、ドレスとかどうでもいい、って言ってくれないかな。(ミミネコは一休さんみたいにとんちは働かないし、中身が偉いわけでもないけど、非常識なところだけは似ている。)
ならないだろうな、ドレスコード守るのも、相手を尊重する気持ちのうちだからな。
というわけで、前に買ったのと同じ色で、丈だけが長い、新しいドレスを買ったミミネコでした。
この世の中は、気の合う人ばかりではありませんね。人生の旅路で、苦手な人に時々巡り合うのは、ごく、自然のことです(だって、そのほうが学びになって、人は成長しますから)。
けれども、誰かを嫌いになってしまい、そこにエネルギーを取られてしまうのは、とてももったいないことですね。
嫌いだとか、腹が立つとか、怖いとか思うほどに、その人のことを考えてしまって、ますます苦手になり、気づいたら、自分の生活まで支配されてしまう。いつも頭の中にその人が住み着いていて、自分を苦しめる。
こうなると、消耗してしまい、気づいたら、とても疲れている、ということが起ります。もっと生産的なことに使えたはずのエネルギーを、大量に無駄に消費されている証拠ですね。
こういうことが起ったとき、まず気づいてほしいのは、本当は、相手の存在自体が悪いのではなく、自分が相手にくっつけてしまっているイメージが、自分自身を苦しめているということです。もし、それに気づけず、受け身のままでいると、被害者意識にはまってしまい、自分の意識における相手の存在が強大になっていき、心に悪影響を受け続けることになります。
今回は、そうならないよう、自分の脳内にある苦手な相手のイメージを変えることで、嫌いな人の影響力を小さくする方法をご紹介します。
①サイズを縮小する
苦手な相手が、自分の横に立っているところをイメージしてください。恐らく、不快な感じがすると思います。
次に、コピー機の倍率変換ボタンを押したときのように、その人の姿を70%に縮小してみてください。どんな感じがしますか。
さらに、50%、30%、10%と、縮めていってください。10分の一の大きさになって、足元に見下ろすくらいになったら、嫌だとか、怖いとかいう感じは、ずいぶん減ったのではないでしょうか。
大きいものより小さいものの方が、威圧感がなく、影響力がないので、苦手な人の姿を、イメージの中で小さくすると、影響されにくくなります。
②声を変える
これは、怒鳴られたとか、不快なことを言われたなど、その人の声が印象に残っているとき、効果的な方法です。
嫌いな人の声を、脳内変換させて、実際よりも甲高い声にしてみてください。目玉のおやじとか、ミッキーマウスなどの声がお勧めです。
声に限らず、音というのは、重低音の方が脅威を与え、高音や小さい音は、あまり怖いという感じを与えません。これは、人間だけでなく、動物もそうで、自然界で脅威を与えるものは、低い音(動物の唸り声など)が多いので、そのように脳に組み込まれているからだそうです。
でも、嫌いな人の声が、もともと甲高い声という場合もあるでしょう。そういう場合は、ヘリウムを吸わせた時の変な声や、面白おかしいしゃべり方のアニメのキャラクターの声にして、アフレコしてみるといいでしょう。
または、脳内で音量ボタンをイメージし、音量を下げて、小さくするという方法もあります。
③嫌いな人のイメージに、面白いテーマソングをつける。
その人が脳内に登場してきたら、吉本新喜劇のテーマソングをつけるとか。イメージがかけ離れていて無理そうだったら、もう少し寄せて、プロレスの炎のファイターをBGMに流すとか?
ちょっと笑えて、嫌だという思いが薄れたらしめたものです。嫌な人の、嫌だという、暗い、固い、冷たい波動が、明るく、柔らかい波動にふわっと変化すると、動きが出て、意識の中から出て行ってくれやすくなるからです。
以上は、NLP(神経言語プログラミング)という療法の、サブモダリティチェンジというスキルを応用したものです。
人は、何かを経験した時、資格、聴覚、身体感覚、嗅覚、味覚の五感を通して記憶にインプットします。この五感の感覚を、サブモダリティといいます。サブモダリティチェンジとは、記憶を呼び起こしたときの感覚を意識的に変えることで、自分の中に刻まれた体験にまつわるネガティブな印象を変えるというスキルです。
頭の中にこびりついて、繰り返し起こる情景(フラッシュバック)の軽減にも使えるので、トラウマの治療にも使われる方法です。
よかったら試してみてくださいね。
子供の頃、テレビか本か忘れたけど、
「地球は奇跡の星。広い宇宙の中の、数えきれない星の中で、生命がいるのは、地球だけ。水があって酸素があるから、生命が生まれた」
とか、聞いたことがあります。
子供心に、なんて不自然な話だ、と思っていました。そんなわけあるかい。なんちゅう、視野の狭い石頭の考え方。中国が、「世界の中心」だから、中国って名前になってのと似てる。
数えきれない星があるから、地球以外にも、たくさん生命があるのがあたりまえ。地球では、水や酸素がなければ生きられないかもしれないけど、水や酸素がなくても生きられる存在が、地球以外に住んでいるんだろうと思っていました。
今日、たまたま、テレビをつけたら、昔の番組のリバイバルかなんかで、専門家が、
「宇宙の遠くの星を見ているのは、過去を見ているのと同じ。遠ければ遠いほど、時間をさかのぼった昔の姿を見ている」
といっていました。
これは、今でも通説だけど、果たして本当にそうだろうか、と思いながら聞いていました。
本当は、まだ知られていないことがあるんじゃないか。宇宙にも色々あって、一つだけじゃない、今、我々がいる、物理空間の宇宙とは違う宇宙もあるだろう。違う次元の宇宙では、時間や空間の概念がなかったり、あっても我々とは全然違う概念だったりするだろう。この物理的な宇宙でも、時間や空間は、飛び越えられたり、曲げられたりできるだろうから、遠くに行けばいくほど昔、という単純なものではない気がする。
アインシュタインでもわからなかったことが、きっとあるんだろうな、と思います。