※レオとの別れを書いています。
とてもとても重いお話です。
ご無理なさいませんようお願い致します。
《罪》
彼が12歳を迎えて1ヶ月後の12月23日の午後。私は松本発ー新宿行の特急あずさに乗るために身支度をしていたはずだ。でもその時には特別なことも大きな荷物も急ぐ必要もなかったはずなので、直ぐに準備を終えて2階のリビングでTVを笑いながら観ていたと思う。ここでも夕方の電車に乗る必要があったこと以外の記憶が殆ど無い。その時にレオが居た場所も顔も覚えていない。
リビングのドアが開き、外出していた母が戻ってきたが、リビングに一旦入ったものの、何かをするためにまた階下へと降りて行った。母が降りてからおおよそ5分とかそんな程度の時間が経過した後に突然、母の言葉ではない声が聞こえた。金切り声というのはああいう声を指すのだろうと思う。その後に続いて呼んだ彼の名前には彼が只ならぬ事態にいることや母のとても切なく悲しい気持ちなどが含まれている感じがした。
『レオが!! レオが!!!』
ノンビリとTVを観ていた私が急いで1階に降りて駐車場へのドアを開けると、そのドアの直ぐ前に横たわる彼と駐車場のコンクリートに両膝を突きながら、すすり泣きながら彼を優しく撫でている母がいた。
彼の息はもうゆっくりとしていた。それはもう生きる力の宿っていないものだった。それから少しずつ少しずつ息の間隔が長くなり、胸の上下も少しずつ弱くなり、やがて静かに全てが止まってしまった。
私は母の対面で母と同じ姿勢で彼の頭や脇を撫でながら泣きながら何も言えずに彼の突然の死を見ていた。ひとつだけ鮮明に覚えている。死後硬直の始まった彼の身体がピクッとほんの少しだけ動いた時。「まだレオは動いてる!生きている!」と言ったことを覚えている。それに関する知識はあった。だが、それを忘れてしまうくらい私の頭の中は動転していたのだと思う。
何も考えられなかった状態から真っ先に頭に浮かんだのは「電車の発車時刻に間に合わない」だった。それから徒歩1分の場所にある自営店舗にいる父に彼の事故死の報告に行った。父は彼の事故死ついて特に涙を流すことなく「処分して貰わんとな。保健所でいいのかな?」と言ったことを覚えている。それにカチンとした私が「キチンと葬儀をしてやってくれ。お袋のために。このままだとお袋が壊れるよ?」と。私自身もそれを望んでいたのだがそれを直接口にすることが出来ず、彼を溺愛していた母を引き合いに出した。そして私はその言葉だけを残して駅に向かった。もう一度彼に会おうとすることもなく駅に向かった。
そこからの記憶もまた私の中には全く無い。特急あずさには乗り、深夜に東京の独身寮に戻り、そして翌日から会社に出勤した筈だ。だが記憶が無い。旅立った彼の今後を想ったことがあったのかも、涙を流したのかも。まるで分からない。
次の帰省、GWの時に父が彼の葬儀をキチンとしてくれたこと、彼が松本市内の動物霊園の共同墓地にいることを初めて知った。それから彼がどうして死んでしまったのかを知った。そして自分が彼を殺してしまったんだと知った。
私は何にも知らなかった。離れた4年の間に糖尿病で太って睾丸が3倍に膨れ上がり、慌ててダイエットしたこと。最近になって腹腔内に腫瘍が見つかったこと。それはもう既に手遅れで余命僅かであること。もうあまり歩けなくなってきたこと。よくふらつくようになったこと。寝起きのふらつきが酷いこと。全部知らなかった。
幼少時に父に1回ぶたれただけで覚えたルール。
『室内では絶対にトイレをしない』
思うように身体が動かなくなっても粗相することはなかったらしい。私が不在になっておさんぽの機会は減った。建て替えられた家ではリビングが2階になったことでお供の者共が「昇り降りが面倒だ」という理由から冬は余計にその機会が減った。トイレをどうしてもしたい。でも屋内はダメ。一所懸命考えた彼は1階駐車場に降りてトイレをした。それを家族にとても褒められた。これでいいんだと理解した。病魔に侵され弱った身体でもそれを続けていた。
彼は昔覚えたルールを守るためだけに、また家族に褒めて貰いたいために、ただそのためだけに、痛くて辛く重く感じる身体を起こして、キチンと閉められていなかったドアを鼻面で開け、ふらつきながら階段を降り始めて、そこで転落した。しかも彼は転落した後も1.5m歩き、高さ40cmもある土間を降り、小さな段差を二つ降り、その先にコンクリートの駐車場まで歩いたのだ。そしてそこで力尽きたのだ。もうリビングでトイレをしても父ですら怒らなかったのに…彼は頑張って…
もし私が”普通の日々”に”彼への想い”を持ち続けていたなら、彼の全部を知ることが出来た筈だ。リビングに居る彼の位置を把握する。撫で撫でする。母が僅かに開けたままにしておいたドアに注意を払う。そのドアを鼻面で開けて階下に向かうとする彼を止める。彼を抱えて階下に降りておさんぽしてトイレをさせる。リビングに彼を戻して「行ってくるね」と東京へ向かう。全部を知っていればそれが出来た筈だ。私が”彼への想い”を忘れなければ彼は久しぶりに会った私にも「おさんぽ行ってトイレしたいな」って甘えてきたかもしれない。彼が階段から落ちたのは私のせいだ。
彼はシャッターの閉まった暗い1階駐車場の12月の冷たいコンクリートの上で息を引き取った。彼が”その時”を迎えていることは悟ってはいた。それなら彼を抱きかかえて暖かいリビングで彼を抱きしめるべきだった。暖かい部屋から旅立たせるべきだった。父に報告に行った後、駅に向かう前に彼の顔を最後にもう1回見れた筈だ。そのくらいの時間的余裕はあった。私は彼を救えなかったばかりか彼の旅立ちを汚してしまった。
”誓い”を忘れ…
”彼への想い”を忘れ…
その後ろめたさから彼を見ようとせず知ろうとせず…
そして彼を救えず…
冷たく寒い場所で彼を見送り…
彼に最後の挨拶をせず…
死が怖くて…避けて…逃げて…
私には罪がある…大きな大きな罪がある…
彼に対して大きな負い目がある…
彼には会わす顔がない…
その前に彼がもう私には会いたくないだろう…
レオ…ごめんね…本当にごめんね…
つづく…
※首をかしげるレオ
家族の発した言葉をよく聞こうとする子でした
覚えたことを忘れない子でした
本当におりこうさんな子でした