《尾の振り方》
彼との”普通の日々”が7年になった時に私は”誓い”に従うように地元企業に就職したが、それから1年後に東京の企業への出向修行に抜擢された時にその”誓い”をアッサリと捨てた。かつて抱いた”誓い”は目の前の世界しか知らず、外界を怖れとしか見ていない少年の心が生み出したもので、実際に外界を目にして湧き出た好奇心に勝てるものではなかった。
今、もしも当時と同じ状況になったとしても私は当時と同じ選択をする。少年時代に考えた”誓い”よりも”現実”を優先する。でも”誓い”を捨てることはしない。たとえ水で浸した和紙のような薄く脆い”誓い”だったとしても、それを大事に掌で掬って大事に抱えて前に進む。でも当時の私は”誓い”を簡単に捨て去り、あまつさえそれを持っていたことすらも忘れてしまった。
東京での日々に慣れるまでの期間がどれ程だったのか正確には覚えてない。最初のうちはとにかく多忙で毎日が目まぐるしく過ぎていった。この時、私の”普通の日々”の中から”彼への想い”を一旦外していた。そのうちに東京での新しい生活にすっかり慣れて、それを楽しめる余裕が出てきた。でも、その余裕によって”普通の日々”の中に再び顔を出した”彼への想い”が入っていたはずの枠には”楽しい独り暮らし”が代わりに入ってしまった。なんの引っかかりも無く、音も無く、スッと入ってしまった。
私の”普通の日々”から”彼への想い”が完全に消えてしまった。
何回目かの帰省の時。同居していた頃、毎日の帰宅時には何も考えずに間髪をおかずに尻尾をブンブン振って出迎えてくれていた彼によるその儀式がすっかり様変わりしてしまったのを感じた。彼はまず私の足のスネあたりの匂いを嗅ぎ、何か記憶の何処か隅っこの方にある私の匂いサンプルを引き出してきて照合するかのような、そんな間を少し置いてから尾を振るようになっていた。尾の振り方も遠慮がちな60%程度になっていた。
私の中にある一緒に過ごしていた頃の彼に関する記憶は濃い。でも彼と離れて生活するようになり、彼への想いを失ってしまってからの彼の表情や態度や出来事の記憶をほとんど持っていない。おさんぽをしたのかも、「どっちに入ってる?」ゲームをしたのかも、靴下を咥えた彼を追いかけたのかも、彼がリビングのどこにいたのかも、夜に一緒に寝たのかも、全く覚えていない。
彼は私の態度から私のそんな心の中を敏感に読み取ったのだと思う。
『もう自分の事を想ってくれていないんだ』
そう悟ったのだと思う。
そして彼の”普通の日々”の中から”私への想い”が段々と薄くなっていったのだと思う。それが”尾の振り方”に出ていたのだと思う。
彼との離れ離れの生活は4年間続いた。その間のことはやっぱり本当に記憶に無い。自宅が建て替えられ、2階建てが3階になり、居間が1階から2階になり、居間に入る引き戸がドアになり、彼が私を迎える儀式の時の尾の動きが躍動を失ったこと、本当にそれくらいしか覚えていない。帰省している間に彼がどんな顔をしていたのかも全く覚えていない。
そんな私の薄情さや冷たさが、生涯忘れることのない、悔やんでも悔やみきれない、何度想い出しても涙が出てくる、そんな悲劇をこの後にもたらすことになる。
つづく…
※私が知らないレオ
一緒に暮らさなくなってから1回かなり太ったらしい。
その頃の写真と思われる。
首回りがかなり太いですよねぇ…(^^;;