ども、レパード沼です。
アメフト事件と同じような展開になりつつあるアマチュアボクシング界の醜聞ですが、ネットでは、山根会長の脅しに屈してきた審判に対する批判も散見されます。
いわゆる奈良判定問題です。
審判が判定で不正を働いたために、一体どれだけの選手を傷つけてきたのか。恫喝に屈せず、判定不正を行わなければここまで腐った組織にならなかったのではないか。
という意見です。
全くその通りです。
戦った選手が自信を持って勝ったと思っていたのに相手の手が上がる。
どれだけ腹立たしく、悲しい思いをしたことでしょう。怒りのやり場に困り、やる気を失って競技から離れていった選手もいたことでしょう。
しかし、です。
末端とはいえ審判経験がある私は、もし自分がその立場だったら、ということを考えてしまいます。
断っておきますが、私は幸いにも末端の人間だったため、日連のお偉いさんたちから判定操作を依頼されり、直接見聞きしたことはありません。
判定操作を言われても、自分の正義に従って正しい判定をした結果、会長が勝たせたかった選手を負けにした。
その審判が本部席や審判会議の席で激しく罵られ、次の日から審判を外され、さらには自分が所属する都道府県の選手まで不利な判定で負けにされる。
そんな場面を見ても自分の正義を貫いて判定操作を行わないことができるだろうか、ということです。
自分一人が不利益を被るだけなら我慢もできましょう。
しかし、
自分のせいで何の関係もない選手が負けにされてしまうかもしれないのです。
誰だって他県の選手よりは自分のところの選手に勝ってもらいたいと考えますよね。
自分の正義を貫いた結果、周りからも、おまえが会長に逆らったから○○が負けにされたんだ、と言われるでしょう。
それでも判定操作を拒めますか?
私には自信がありません。
成松選手は、自分がもらうべき助成金を、おかしいとは思いつつも、言われたとおり他の二人に分配したそうです。
その際、言われた通りにしないと自衛隊体育学校はもう勝たせないぞ、と言われたとか。
これと同じことです。
判定操作をなんとも思わず続けてきた審判もいるかもしれませんが、多くは苦しんで苦しんで泣く泣く操作をせざるを得なかったのではないでしょうか。
だからといって許される行為ではありません。
ですから、人の弱みにつけ込んで不正を指示してきた山根会長とその取り巻きたちのこれまでの悪行を許してはならないと思います。
純粋に勝利を目指して厳しい練習に耐えている選手たちのために。
今回の判定不正問題は自分の未熟さ、情けなさ、人間としての器の小ささをもあぶり出してしまいました。
追記(8/2)
村田諒太選手のFBへの投稿が何を意味するのか?
以下、記事を一部抜粋(デイリースポーツより)
村田は「カポー(同じ収容者でありながら、見張り役など、特別な権利、立場を与えられた収容者)が時にナチス親衛隊より酷い仕打ちをしてきたという話」と、ヴィクトール・E・フランクルの著書「夜と霧」の中の話を例に挙げ「そのカポーを裁くことが出来るのかどうか。フランクルの言う、石を投げるなら、同じ状況に置かれて自分が同じようなことを本当にしなかっただろうかと自問してみること 人を糾弾する前に必要な事だと考えています」と、まずは自分の身を振り返る必要があるとした。
そして「世の中にはこのカポーが溢れていることを忘れてはいけないなと、改めて思う今日この頃です」と締めくくった。
(赤字:レパード沼)
これは上でレパード沼が言っていることと同じ事ではないだろうか?
さすが村田チャンピオン。
レパード沼の域に達してきたようだ゚・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o