
小さい頃から家では
「好きな事をしていいけれど、自分で責任をとりなさい」
と育てられてきました。
「放任主義」というと聞こえは悪いけれど、要は自分の人生は自分で切り拓きなさいということです。
とはいっても、未熟な子供が決める事なんか間違っていることだらけだから、
結局間違ったら父も母も手を貸してくれます。
黙って見守ってくれて、でもいざとなったら手をさしのべてくれる、
私が何をしても、信じてくれるという思いは、
反抗期の年頃でさえ悪事を働けない、とてつもない心の支えでした。
「自己責任で動く」ということは、
「誰かのせいにできない」ということです。
もし、親にここの大学に行きなさい、この会社に行きなさい、と言われて人生を決めていたとしたら
何かに失敗したときに「お母さんの言う通りにしたのに・・・」と人のせいにすることができるのです。
できるというか、する人が多い。
その点、悪い事でも何でも自分で決めてやったことは、
誰のせいでもなく、自分自身の責任ということ。
大人になったら、身近なことで同じ様に感じる事がありました。
例えば、少し体調が芳しくないとき、
知人にパーティーに誘われたとしましょう。
本心は、家で寝たい、でも相手は来てほしいという。
ならば、相手の為に行くとしましょう。
そのパーティーが楽しくなかったとしましょう。
そして、体調が更に悪くなったとしましょう。
なのに、誘った知人は誰かと楽しそうに盛り上がっています。
そんなとき、多くの人は(あなたの為に来たのになんなの?不愉快)と思うのです。
そしてそれが態度に出て、誘ってくれた相手も(良かれと思って誘ったのに不機嫌で感じ悪い)と思うでしょう。
でも、もしはじめから自分の為を思って、自分の意志で決めるなら、
「体調が悪いから、周りにも迷惑になると思うし今日は行かない」
「体調が悪いけど、今日来る人に会ってみたいと思っていたから挨拶だけでもしたい」
と今日の行動に、意味をもたせ、自分の責任で動けるはず。
そうなったら、何か自分が思っている事と違うことになっても
そもそも自分で決めた事なのだから、人のせいにはしないはず。
自分にふりかかる思いがけない「残念」は全部自分の責任なはずです。