犬と猫と三姉妹 -115ページ目

あぁ夏休み

ご存知のように アメリカの夏休みは約3ヶ月ほどあり異様に長い、何故、、。

 

故郷に帰省する家族も多いが 動物と暮らす私たちは 中々 容易くいかない。(お金がない本音の現実を 犬猫を建前に 娘たちを欺いてる部分もゼロではない姑息な母)

 

夫はいい人だが 犬猫の世話をきちんとする信用に値しないので ここは諦めるのみ。検査、マスク洗脳が終焉したらいつの日か。

 

そうなると サマーキャンプ(色々な面白い習い事)に 時々 娘たちを放り込むが 三人分となると背筋がひやっとするほどの金額になる。ポチッとする指が魂をもったかのように何度も躊躇する。

 

後は 残留組の友達に 営業ラインをかけ プレーデートに持ち込むのだ。

年齢が違うので 三人1セットで動くことが難しい。

それぞれのプレーデートの計画を立て 母は 運転手とかし、又 しもべのように おもてなしに徹し 

 

また うちの子と遊んでやってください

と へいこらする。

 

三人一緒に居たら 居たらで 

足が当たっただの、言い方が気に入らないだの まるでチンピラみたいな喧嘩を繰り返す毎日。

 

「子供と一緒にいれるうちが」

とよく聞くセリフであるが 

 

早く大きくなーれ、なーれ

と呪文のようにつぶやき 楽になろうとする私。 

 

遠足日を 待ち焦がれ 

後何日ー と数える子供のように

母も 日に何度もカレンダーを見つめ 新学期初日を心待ちにしている。

 

 

 

たとえば 君がいるだけで

愛犬 太郎は今月で14歳になった。

長女の妊娠が発覚し始めた 太郎8ヶ月の頃 アニマルシェルターで出逢った。

目が合った瞬間

「この子を連れて帰りたい」

と猛烈な思いに駆られた。

 

当時 ドラマ24に凝っていたので

「名前は ジャックバウワーにしよう」

と意気揚々と夫に提案したが

「ナニイッテル、オカシイよ」

と大反対にあい 反動で 日本伝統的な

「太郎は?」

と聞いたら

「いい名前だ、そうしよう」

という流れで 太郎と命名された。

(彼のセンスがわかならい)

 

太郎は 本当に心根の優しい特性を持ち 輪廻転生最後かな、と思わせるくらい達観している。

 

長女を出産し、病院から連れ帰った時こそ 

「なんや、この生き物は!?」

と ハウハウしていたが 次女三女となると

「あぁ、また増えたの」

くらいの反応。

 

三女も赤ちゃん感が抜け 落ち着いた生活が戻ってくるかと思いきや 今度は猫娘たち。

 

「人間が打ち止めになったら今度は猫かよ」

と やや戸惑いを隠せない様子であったが 先輩ヅラするわけでもなく 猫に寝床を取られても いたずらで毛をむしられても じっとしていた。

 

14年という月日が流れ 娘達の成長が太郎を追い越した。

 

太郎にとってこの14年はどんなものだったのか、と ふと思ってしまう。

 

三姉妹が 慈しみの心を自然と持てるようになったのは 間違いなく太郎のおかげ。

 

見た目は若いし 私の目を盗み ボケたふりして 猫たちのご飯を漁ろうとする一面もある。

しかし 耳は遠くなってきたし 一日の大半を寝て過ごす、蹴つまずくことも多くなってきた。

老いは止められない。

 

いいのだ、

太郎は ただ居てくれるだけでいい。

 

明日も明後日も 太郎の幸せな姿が見たい。

 

 

時を待つ

「時を待つ」という行為は 強靭的な精神力が必要になり 苦痛をもたらす場合もある。

 

物書きを生業とされている方々は 天からの啓示、インスピレーションを感知する能力が やはり高いと常々思う。

(もしくは何かを知っておられるのか、、)

 

人生の折り返し地点にたっても大好きなのが NANA ,ガラスの仮面。

前者は 思春期、青春ど真ん中のメモリーがわんさか時代。

仮面は 小学生の頃 親戚のお姉さんからのオススメで読み始め どハマりし 今に至る。

 

仮面は、 舞台 紅天女がメインテーマ。

昔は そんなに深く考えなかったが 最近、秀逸なユーチューバーさんの言霊学に触れ 雷を打たれたかのように感銘し、プラス

疑いもしなかった「刷り込まれてきた」常識に対し 違和感が半端ないので 余計かもしれないが 紅天女 一つ一つのセリフが響く。

点と点が 繋がり 線になっていく感覚、天とこの世の本質を紐解く ヒントのような気がしてならない。

 

恐るべし、美内すずえ先生、、、。

 

49巻が発売されてから早十年。

いつ続きが読めるのか 焦る気持ちもあるが その

「時を待つ」

のみだ。

 

 

果報は寝て待て