気力3 | 記録と想い

記録と想い

~記憶がないということ~

解離性健忘症(全生活史健忘症)になって

 相談支援事業所の人とのやりとりの中、

飛び出した?言葉は『もうがんばれない・・耐えられない・・もう無理・・・』


 具体的な言葉はもう出なくて、究極の言葉。それ以外の言葉にならなくなった。


 首から上の異常な熱さ。異様な上がり方をしていくHbA1cの数値。検査しても異常が無いと言われ、慣れない事だらけでいきなり引っ越し後の落ち着かない中、結果 最終的に数値は6.9まで上がり続けた(4月までに)。2023年夏に5.7まで下がって3か月ほど安定しかけていたときから、1か月で0.5以上悪くなったときもあった。HbA1cの数値で0.1ポイントの変動がどれ程の意味を持つかキチンと分かる人には それがどういう事か?わかったようなことをいう人の話は聞くべきでは無い。テレビのデタラメな記憶障害をネタ扱いするのと同じだ。酷いものだ。記憶障害を扱いのデタラメなドラマでも番組でも作るな。酷い迷惑以外のなにものでもない。ふざけた嘘八百の作りもの


・・・・・・


 12月の最終の障害に関わるかかりつけの診察日は12/29だった。


診察の流れは具体的には書かないが、診察室に入った瞬間から先生は何か感じてたのだと思う。


 やりとりがいつも通りにならず、

『もうがんばれない・・耐えられない・・もう無理・・・』そのような言葉がいきなり出る中、

即入院が決まった。


 もう当時の細かいことは覚えていられなかったというのもあるが、先生からのだいたいの言葉は

~“わかった 入院して休もう・・アノヘヤヲ離れよう  病棟の事情もあるけどなるべく長く休めるようにするから・・・引っ越ししたほうが良いね・・”~  大雑把にはそんなようなやり取りの項目だったと思う。


いつまで入院したいかというやりともしたと思う。急な入院は病院にも迷惑だというのはあったし、相談支援事業所の人は、「年末年始に対応できるところが休みになるともしもの時の対応ができないよね・」というようなことは言われていたので、『今日から相談支援事業所とか休みの正月3日まで・・』と話したら、『もっと休もうよ なんとかするから・・』   結果的に12日まで個室でひとりきりの中、部屋の『壁』におびえながらゾッとしながら過ごさせてもらうことになる。


入院しても酷い状態は続いた・・・