気力2 | 記録と想い

記録と想い

~記憶がないということ~

解離性健忘症(全生活史健忘症)になって

これはあとから気がついた話。


 その日夕方から夜にかけて何をどう過ごしていたのか良く覚えていない。


気がついたら外に出たらしい。


 部屋から行くには結構な道のりなのに歩いたのだと思う。


 気がついた?意識を持って「あ」と思ったのは橋の欄干から身を乗り出し、右脚は膝から先は橋の外にぶら下がって両手で欄干を持って、左脚をちょっと勢いつけたら、たぶん落ちてた。


その橋は山間部の。バイパスを渡す橋でそこからの高さは立った状態でウルトラマンや怪獣がスッポリ入るくらいの所。



 2016年に胸の開胸手術をするまでは、幼稚なりに自分の存在は迷惑なだけで生きても生きなくてもよいのではないかというところにおさまっていた。それを手術をキッカケに


『命は全うしてこそのものであって、もうしっかり向きあってこの命を生きる』と決めてはずだった。



執拗な嫌がらせや言われの無い苦情とそれに乗っかってくる大家の対応。


部屋は、だんだんものに溢れてきて、天井は低いし部屋の床も傾いてる。自分なりに工夫はしても息が詰まるような小さな部屋に横や2階の配慮の無い大きな音や声。


何より相談しても一応話は聞いても何もしないしょうがい福祉課。丸投げされた相談支援事業所の人だけが出来ることはないかって考えてくれてはいたけど・・・ 



追い詰められたのだと思う。誰とも話さない独りきりの生活。


訳がわからないなりに糖尿病のHbA1cが順調に下がってくれていたのが、一気に上がってきて、原因のわからない不調が続き始めて



こうして書いてるのが新しい家だから余裕はあるものの、やっぱり当時は


あえて言うならただでさえ抱えた障害の中、不安だらけで目の前の時間を過ごすことすら大変(そう言っていいと思うのではないか?)、今の自分にどうしろというのか?


機能しない存在。張り子の虎の自治体の福祉。


張り子の虎から 丸投げされて大変な思いをしてくれてる相談支援事業所の人達。


その時できそうな事がもう尽きて


あぶなかったでは済まされない状況。


ほんのすこし蹴り出せば落ちて死んだはずの状況から ギリギリでハッとして


今生きている。



あれほど誓ったはずなのに、助けを求めても誰も会話するものすら居らずの様ななか、


踏みとどまれた。


それから数日して相談支援事業所と電話で話すことになる・・


そして事態は動き始めたのだとおもう