20230606テレビドラマ“漂流者”のセリフについて | 記録と想い

記録と想い

~記憶がないということ~

解離性健忘症(全生活史健忘症)になって

・・・・ブログ本編の前に・・・・


~乖離性健忘症の自分がなにもかもわからなくて、それでも10年以上 誰からも教えて貰うことの無い中で、なんとか書いてる文です。書き方使い方が違っていても、今の自分にはどうすることもできない中、健常者の常識?かなにかで一方的な先入観を持って文句だかを言ってくるくらいならこのブログは見ないでください。僕は置かれた今のなかで精一杯記録を残そうとしているだけであり、ひょっとしてもしかしたら誠意のある専門家かなにかの方に見て貰って、何か新しい方向に向かえる可能性をわずかでも想うから、このAmebaブログの場で書き残しているだけです。悪く言いたいなら24時間付きっきりでトコトン訳のわらかなさを体感しに来ればいい。自分の身を明かしもしないで遠くからいいたいように言ったりしたりするのはソチラノ人生の時間の無駄ではないか?と思います。本編の前に終了~


記事本編➡


今の自分が縁あって見たり聞いたりする『記憶障害など』を扱った番組等(映画?ドラマ?バラエティ?なんでもいわゆる?・ナ・ン・デ・モ・)は、ありのままキチンと深く調べたり取材でもなんでも当事者の苦しみなんてどうでもよく適当で、自分達の金儲けのネタの為だけにやっている。

都合の良い何かのために?・・と自分の場合は感じる。

 書き方がどうなのか?わからない。なるべく思い 感じたままを書きたいけど、前から書いてるとおり、キチンとこれらの?言葉をわかって?理解して?書けているのかどうか?


『漂流者』というドラマをたまたま見かけた。記憶喪失がなんとか・・って展開だったので、なるべく観ようと思った。


第二話?車椅子に座った主人公?が付き添いの人に話しかけるシーン・・


~※※※※※※『全ての記憶を失ってるのにナゼニホンゴヲハナセルノカ?なぜセイカツシュウカンを覚えているのか?・・病院の先生が言ってたんだけど、そういう記憶は本能として、本来の記憶中枢とは違う回路を伝わって蓄えられているからだって・・・』※※※※※※~聴いてすぐに思ったのはそれが断定された決まったことのような言い方ということ。そして違和感を感じて再放送を録画して何度も繰り返し観てみた。


    じゃあ僕はどうなのか?


まずは自分ひとりである程度このセリフの意味を理解するのに何ヶ月かかかって、それから現実にいらっしゃる専門病院の自分の主治医にこのことを伝えたけど、


『・・・・ひとりひとり違います。脳や気持ちの世界はスイッチを入れたり切ったりしたら必ず決まった答えになるということは無くて、複雑で無限にあります・・・』そこから幾つかの症例について話していただいたりして。


危険・嘘っぱち。都合の良い無責任な作り手側の決めつけ。これまでも色んな記憶喪失もの?記憶障害もの・・というテレビでもなんでも。


※常に用心しなければ例えNHKの番組すらいきなり信用してはいけない世界。たぶん別にこころの世界以外でも※


一時期は“どれも”とにかく最後まで観て、自分なりにわかりたいと録画したものを何度も観ようとしていたけど、ある時期から モノによっては?途中からは「記憶障害」は最初の内のただのネタでしかなくて、最後の方は『記憶のきの字?も出てこないような・・』ものもあるみたいと自分なりに感じるようになっている。


続きがあればこの記事を更新予定。記録。