一台でいいから欲しい
一台でいい。
電気代とか大変そうだし。
http://www.astromech.net/Lists/Galleries/astromechs/Default.htm
2時間駆動させるのに、8時間ほどの充電が必要とかなら要らない。
日本ならフスマの段差とかで躓きそうだ。
- 著者: 斉木 弘吉
- タイトル: 綾瀬はるか写真集 HEROINE
破棄の仕方
実家の整理をしているとやはり本・雑誌関連でもう必要ないものが山とある。
ヤフオクで出してもこりゃ駄目な子、売れても出品までの手間の方が高くついてしまうようなものばかり。
じゃあ、あそこ行け。
BOOK OFFに行け。
買うならともかく、あそこに物を売りに行くのなんて数年ぶりだ。あそこの値の付け方ほど浅いものは無い。
でもいいや、どうせゴミだし。
店の買い取り受付のカウンターに行くと十数冊の印刷物は今晩のオカズも買えそうにない値が付いた。これはイけると思っていた「家族狩り」
も惨敗。しかも数点に至っては「値がつけられないので、こちらで破棄致しましょうか?」と言われる始末。というかこの言い回しはBOOK OFFでよく聞くお決まりフレーズ。これで向こうに任せば本当に破棄するのは一部だろう、残りは値をつけて売るくせにってばよ。
なぜわざわざこの店のため、足を運んで商品をタダで卸してあげなきゃならぬ?
あまり咄嗟に何か言えと言われたら困るけど、BOOKOFF側のこの殺し文句が来ることは既に予想が付いていたので、こう返した。
「暖炉の薪代わりにするんでいいです。」
ここ数日、下手すると外気の温度は30℃近くまで上がっている。もうプチ夏だ。暖炉を使えば外から内からと「熱さガマン大会一人合宿、デザートはスの入った素茶碗蒸し(ドンブリ)」となってしまう。
というか暖炉など家に無い。サンタの入り口などは無い。
引きつった笑顔のBOOK OFFの店員の顔を後にして、家に持って帰った印刷物はナイロン紐で縛り上げた。ゴミはゴミに帰ったわけだ。いえ、資源ゴミとして不死鳥の如く生まれ変わるに違いない。少年ジャンプとか紙の悪い雑誌とかにね。
そういえば前に買取カウンターにCD-Rに焼いた音楽CDを持って来ていた女子中学生と思われる二人組を見掛けた。
大人を舐めるな。
子猫接待2
実家の子猫との距離もまあまあ縮まった。
ハーゲンダッツは私も食べたいのでもうあげない、そんな贅沢覚えさせても将来的に良くない。いくない、いくなくない?
チーズだけはスライスチーズをちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返し与える。
一匹の子猫は両前足を使ってチーズを握っている私の手を包んで食べることを覚えた。というかトロくさい子なので手渡しでなければ、他の子に取られたままで食べれない。前足を上手に添えて食べる。かわいらしい。
もう一匹はチーズをゲットすると、わざわざ少し離れたところに持って行き、すばやく食べてからまた戻って来る。う~ん、距離がある。私が正月にこいつに毛刈りを施したからな、まだ恨みに思っているのかもしれない(毛刈りした所以はまたいつか)。
餌をやっていて思うのだが、やはり言語が通じないと言ってもアイコンタクトでなんとなく通じるな。目で物言うとはこういうことらしい。私はあんまり飲食店なんかでなんとなく恥ずかしいので店員と目を合わさない。向こうがネクタイなんかしていたら、同じ目でもネクタイの結び目あたりを見る。
しかし猫との場合は言語を使って、ガッチリ意思を伝え合うなんてことが出来るわけもないので目だけであらゆる意図を読まなきゃ行けない。あと声ね。にしてもかわいいな、こいつら。
親猫は元々尻尾が短かかったのだが、子猫もたちにも見事に遺伝してみんな尾が短い。
みんな変わった顔した狸だ。
ところで子猫は二匹。
二匹と思っていた。
しかし夜中などにさらに幼いと思われる子猫のミィーミィーという声が聞こえてくる。
子猫の呪い?地中猫?新しい種のネズミ?ゴキブリ?
なんのことない、後日物置の下から新しい命が四匹出てきた。目も既に開いていることだし生後しばらくは経っているらしい、生まれたてではないようだ。にしても彼らの大きさったら、まだまだネズミぐらいしかない。成人モルモットと戦わせたら余裕で負けるだろう。軟式野球ボールの方がまだ強いかもしれない。
ミィーミィーとかわいらしいカラスのような声で鳴き続ける。本当にもうかわいいことこの上無い。
こいつらもこの庭で大きくなっていくことだろう。たくましく大人になるかどこかで死んでしまうか、生きる力がある奴は成人になってどこかに巣立つだろうし、力のないものは朽ちる。生きる奴は生きる、死ぬ奴は死ぬ、そんなものだ。善人ぶった余計な情けはしたくないが出来れば全員強く生き続けてもらいたい。私にはどうすることも出来ないことだし。
せめて軟式野球ボールに勝てるようにはなってね。
子猫接待
正月に帰って以来、久しぶりに実家にて我が家の猫と会う。
「我が家のにゃんこ」といっても微妙で半分飼って、半分野良のような状態だ。まあぶっちゃけ、うちの庭に代々住み続けているのだ。前は家の中にも猫を飼っていたのだが、そいつらも人生を往生されたので、そいつらがいなくなってからは庭に代々住み続けている猫たちだけになってしまった。
我が家の庭で生まれ育ち巣立ちか、また次を生むか。
餌もやるし何かしら友好関係も気付かれている。一時期の世代は私を非常に好いてくれてアピールが凄かった。とにかく散歩しようものなら、猫たちがぞろぞろ付いて来たほどだ。猫たちに家の前まで迎えられるというのが常だったのもそのころだ。それはちょうど母の看病をしていて実家の方に戻っていたころだったな。
で、今回GWに帰って来たら正月に豆みたいだった新しい子猫がそこそこの大きさになっている。でも顔を見れば幼さは丸残りだし、体つきはまだ子猫。
しかしだよ、こいつらの親猫は全然ベタベタしてくるしお腹まで出してくれるのだが、子猫たちは私にモロ警戒の色を見せている。そりゃ警戒しなきゃね。人間誰にでもホイホイ近づいて行くものなら両ほっぺ摘まれて変な顔とかさせられるしね。まあいいけど、私にぐらい近づいて来ていいんだよ。
というわけで、ハーゲンダッツとチーズで子猫接待。
接待見事に成功で子猫はある程度警戒を解いてくれた。触らしてくれるまでになったよ。
所詮、子猫よ。カラスの方がまだ頭いい。
でもたまに子猫パンチされる。
スチュワーデスへの想い
実家に帰る際、飛行機を利用したんだが、出発ロビーで約二年ぶりぐらいの方を偶然見かけた。
母がガンセンターにいた際の看護婦さんだ。どうやら同じ便に乗るらしい。
明らかにその人なんだけど、向こうはこちらに気付いていないし、掛ける言葉も見付からなかったので声を掛けなかった。
搭乗時間になって乗り込みながら自分の座席番号を確認、座席番号が一桁の前方の席を取ったはずだけど、まずは前方の方はスーパーシート一帯となっているので無視して進んでいると、どうもいつの間にか周りの座席番号が二桁になっている。
フライトアテンダント(スチュワーデス)がいたので、
「これ、通り過ぎてますよね。」と笑いながらチケットを見せると、
「通り過ぎてますね。」と笑われる。
笑われながら、あそこの緑のシャツの方の隣ですとか教えてもらう。
どうせ私はこんなもんだ。もっと笑っておけ。
ところで、私は外国語大学を出た(コミュニティがマイコミュニティのどこかにあります)、と言うと我が母校からスチュワーデスになった方は多々いるわけなんだよね。去年の年末に我ら大学時代の友人四銃士の一人の結婚式が大阪であったんだが、会うのは二・三年ぶりぐらいであれこれ話していて大学時代のクラスメイトの話になったときに、聞けばクラスメイトの一人だった娘がスチュワーデスになったらしい。聞いた我ら一同に「あれが!?」と言ってしまった。
いやほんと、失礼な話だが。まあ何というか、やはりスチュワーデスって何か見掛け的にも最高峰な感じがするじゃないですか?それなのに、って意味で。あれ?これもかなり失礼だね、ごめんなさい。
とにかくだ、クラスメイトからスチュワーデスが出るとは思っていなかった。そもそも我が大学はほとんどが女子。クラスメイトが数十人いれば、男子は数人しかいないぐらいの比率、もう女ばっかりだった。右見ても左見てもメス・メス・メス、んでたまにオス、振り返ればメス。そりゃあ男子の結束は強くなるわ。
そんなこと書くと、「良かったじゃん、うらやましい環境じゃん。アマゾネスの村に迷い込んだみたいでいいじゃん。」と思う方もいらっしゃるかもしれないが、蚊帳の外から見るのと中にいるのとでは話が全然違うったらありゃしない。
近年女性車両なんかもありますが、男子の人権も守ってちょーよとその頃思った次第であります。だって女子の方が強いじゃん!
そしてその頃の私たちには居場所がなかった。
話は元に戻すけど、そうねそりゃクラスメイトにスチュワーデスになった娘がいてもおかしくないよね。言ってしまえば、大学にいた各婦女子から高倍率勝ち抜いてスチューワーデスがゴロゴロ生まれたわけだ。
世の中ではコンパなんかで「スチュワーデスとコンパ!」で盛り上がれる方々も多々いらっしゃるわけで、でもね、大学時代にたくさんのスチュワーデスの卵と時間を共有した私としては盛り上がるものがない。
大学時代は学校内はアマゾネス状態だったので、改めて女子とお近づきになろうということにピンとこなかったのもあり、生まれてこの方コンパというものを一度しか体験していないんだが、そんなに楽しいのか?一度行ったのも人数合わせで行ったきりでにんともかんとも。これといって楽しい話が出来るわけで無いし、こちらがなぜ盛り上げねばならぬ?人を楽しませるのは好きだけど、あの場での「楽しませる」というのは何か違う気がする。嫌なハイテンションだ。コンパなんか本気で行くような奴は猿に違いない、んだ。というかコンパなんか行くような輩は男子も女子も嫌だ。んだ。おら特定の婦女子作りよりも友達作りの方が断然いい。
スチュワーデスさんのいいところは、家族も飛行機が安く乗れるところだと思う。
あと、揺れに強いというところかしら。
それと「お客様の中にお医者様はいっらしゃいませんか?」と言ってもいい特権がある。
波動砲が出ないヤマト
GW中に実家に帰った際、広島の方にも渡ったのだ。瀬戸内攻めまくりだ。
ところで今年の四月の末に広島の呉市に大和ミュージアムといった博物館が出来たのはご存知であろうか?
パンフレットの言葉を借りれば、
『大和ミュージアムは、暮の歴史と平和の大切さを語り継ぎ、日本の将来を担う子供たちに科学技術の素晴らしさを紹介する「呉にしかできない博物館」を目指しています。』
とのこと。呉市を大アピールだが、戦時中にここは造船や鉄鋼は元より戦艦など軍事産業の要となっていた。戦艦大和もここで造られた。
とにかくまあ、ついこないだ作られたピッチピチの博物館に来たわけだ。
さすがにGW中、混むわ混むわ、隙間が無いわといった感じで混んでいた。三階建ての博物館、吹き抜けの場所には10分の1に再現された戦艦大和が鎮座していた。10分の1って言ったてばよ、全長26メートル、幅4メートル、重さは約30トン、そして制作費に約2億円も費やしている。とてもプラモデル好きのお父さんが休日にいっちょ作ってみるかで出来るものじゃない。
その大和を囲むかのように展示室が広がっており、大和を前面に戦争の歴史、造船の歴史などそれらだけならまだしも、零戦、魚雷、巡洋艦なども鎮座。上の階に上がれば、「お前違うだろう!」というものまである。あれですよ、詳しくは言いませんが、イスカンダルに行ったもう一つのヤマトですよ。波動砲出せる奴。
やはりこうゆうところに来るとおじさん、おじいさんたちの注ぐ目の輝きがかなり違う。
広島だけあって原爆のコーナーもあるんだが、詳細を読めば読むほど悲惨で見てられない。うちは本家が広島の郊外なんだが叔父などはキノコ雲を見たらしい。下手すると森本家はそこで終わってたな。
大和と共に散った船員の遺書もなかなか込み上げるものがある。
まあ大和ミュージアムの話はここまで、詳しくはまたサイトの日記の「歩こうの会」
の方で書く予定。
広島に来ればそりゃそうだろうけど、ぎゅうぎゅう詰めのミュージアム内で飛び交う言葉がみんな広島弁。懐かしいようで違和感があるような。私は一応生まれは広島ということになっているが、生まれて2年くらいで中国地方から出ていってしまったため、もみじまんじゅうの記憶を始め広島DNAがほとんどない。たまーに本家に行ったとき、大学生のときは広島から上京してきた子との会話で、「ああ広島弁ってこうゆうのだったな。」と思い出すぐらいだったけど、こうも多数の広島弁に囲まれたのは久しぶりだった。
生まれて来て接した中で関西弁が一番キツイと思っていたけど、広島弁もそこそこね。キツイ言葉と勘違いされ兼ねないぐらいのインパクトあるね。あるあるね。
いざ自分でしゃべってみようとしたところでどうも、うまいこと話せない。とりあえず「ブチ」と使ってみたり。ある程度の言葉使いを真似したところで、今度はイントネーションの問題もある。ああ、幾ら巧みに日本語を話せる外人さんがいてもどこか違和感を感じてしまうのと同じようにナチュラルボーンには適わないのかな。
大阪に初めて出たときに「どうして関西弁しゃべらないの?」「わざと関西弁避けてる?」とか散々言われたので関西弁は好かない。いや、己の言葉を強要する輩どもが好かない、それと己の住んでいる場所にやけに自意識過剰な輩どもも。
捲くし立てて話すときは関西弁はとても便利だけどね。
酔ってるときや早く話したいときは使うけど、多分これまたイントネーション違うんだろうな。
広島弁も改めてマスターしたいところ。
名古屋弁は今年の初めにDVDで繰り返し勉強した。
小さいときから媛っ子たちと余り接せずテレビっ子だったもんで、愛媛弁も上手く話せない。実家に帰ったときに地元テレビなどでレポーターの話すセリフがいつも新鮮だ。
あと思うのが、他の地方の人が標準語と思って話している会話を聞いていると、どうしてもイントネーションがおかしい。本人はそこそこの標準語を話しているつもりだろうけど、傍から聞いていると眉毛のあるキティちゃんのように何処かおかしい。
多分、私の話すセリフも変なんだろうな。変というか変な言葉をたまに放ったりするけどね。「やーね、私キンドーさんよ。」とか言っても、誰も分かってくれない。私が好きなものの世代が一世代違うのも問題なんだろうけど。
東京に来て思ったんだが、「どこから来たの?」と言われた際に「京都」というと、とても印象がいい。「あら!」「まあ!」なんて。
現に前の住所は京都だし嘘は言って無い。
でも「どす。」とか言ってる京都人なんていないぞ。それでも京都人の使う関西弁と大阪人の違う関西弁を聞いていても微妙に差がある。
まあ小さいことなんか気にせずに、はんなりしたらいいじゃん。
みんな大和の国の人なんだから。
最後に、一時期高知から来た人とハウスシェアしていたんだが、語尾に「きー、きー」付けて話しててとても驚いた。そういえば語尾に「けー、けー」付ける人もいるな。「けん、けん」とかもいるな。にしても、そこまで付けるかといったぐらい「きー」には驚いた。
お好み焼きやきー。
広島焼きおいしゅうございました。
http://www.leolio.com/index/
iPodに新たなサイン(オーケン)
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ラーメンズな夜
先週末、下北沢にラーメンズの舞台を観に行った。
元々、どうせチケットも取れないだろうと鼻っから行く気は無かったのだが、前日にたまたま入った新宿の金券ショップにて、公演期限も迫っているということもあり定価と大して変わらない値でチケットが売られているのを見付け、こりゃ行くしかないとチケットを買ったのだった。
彼らのコントの舞台はビデオなりDVDなりで随分繰り返して観たけど、本物を見るのはこれが初めてだ。一時期、うちのテレビはラーメンズしか流さなかったくらい彼らは気に入っている。
お笑い全般好きだけど一線引いて一種の文化と呼ばれそうな位置にいる二人。今日のお笑いブームに乗ることもなく、そういった番組には一切出演せず、最近ではお笑いどころか個々でテレビCM、映画でもよく見かける。小林氏はトヨタホーム、ケンタッキー、片桐氏はマスターカード、なんか日清だか丸ちゃんだかの春雨ヌードルのCMと一流所の企業のCM起用されているのもただのお笑いコンビとは呼べないところだろう。お笑いがCMに起用される際は何かしら面白みを必要とされるはずだが、それらCMに至っては観る限りお笑いとして個人の笑いは必要とされていない。どこかの俳優かのような扱い。それゆえに映画にも出演している。
それでも「文化」と呼ばれるのを避けるかのように、舞台の前に配られたチラシにも作・演出を兼ねる小林氏の「コント」を追及して行きたい旨が書かれていた。いろいろやってはみるけど一番はやはりコント。そして最後に携帯の電源のオフの願いが一緒に書かれているのも舞台への愛情だろう。
目の前で実際に観てみると、DVDなどでは観られない生での緊迫感と臨場感、そして改めて充分に練って構成された笑いの完成度の高さに驚く。もう十年もやっていれば、お笑いの舞台など固定客などが付き、何をしても客が笑ってしまうといったお客の質の低下、お笑いグループのアイドル化も起きておかしくないのだが、そうは行かないのがラーメンズのラーメンズたる所以だろう。お客をいい意味で裏切り、裏切りの再構築を巧みに作り上げている。下手なお笑いグループだと、こちらが流れの先がすぐに読めたり小手先にのお笑いに逃げるのだが、ラーメンズは裏切り続けてくれる。本当に小林氏の作る脚本、それに乗る片桐氏のキャラは全くそこらのお笑いと次元が違う。これで夏からには今ある小林氏のプロデュースしている劇団の他に、もうひとつ多人数のラーメンズを旗揚げするというのだからその新たなコントへ注ぐ意欲に驚く。
時間はあっという間に過ぎ、大笑いし過ぎて頬の筋肉が痛くなった。アンコールに四回も出てくれる人たちも初めて見た。丁寧で誠実なその態度、アーティストの人間味の方に目を向けるのはあまりよく無いのだが、やはりそこらも惚れてしまう。だから客も彼らを愛し拍手という形でアンコールを四回も求めてしまうのだ(笑)
遠まわしの作られた言葉より、笑いの方が元気付けられるよね。久しぶりに人によって元気付けられた夜でした。
あと京都に住んでいたおかげで、「ようじや」のコントがすぐ理解出来て良かった。東京でそれやるのもどうかと。
小雨降る帰りの下北沢駅前はラジオの公開放送が行われていたみたいで、駅前にテーブルが置かれて三人のmcが何やらトークをしていたが、駅内で事故でもあったのか彼らのテーブルほんの数メートル先には救急車が止まっていた。赤いランプが小雨の中、印象的に光って回っていた。またその横では自筆のイラストを路上販売している兄ちゃん。mcの女の子が有名人なのか知らないが一生懸命写真を撮っている数人の男の子達。そして救急車を前に笑っているmcの女の子。なんだか不思議な夢を見ているかのような光景だった。もっと雨が強く流し去ってもいい気がした。
大阪の遊園地のUSJがユナイテッド・ステイツ・ジャパンというのも初めて知った夜だった。
すわ!アゲイン
また銀歯がとれた。
こないだ自然にテイクアウトしてから、まだ半月しか経ってない。
同じ歯の同じ銀歯がまたもやとれた。
どうした、TPOに合わせて取り外し可能なのか?
・今夜は決めたいぜってときには銀歯を取り外し、見えないところまで白い歯で。
・今夜は食べ放題、元を取るとかじゃなくて三日先分まで食べるぞって夜には、口内に入る輩全て噛み砕くべく銀歯を装着っていうことか。
・ただ単にマゾっ気出したいときには、銀歯をおもむろに取り外し、冷たい氷水で刺すような知覚過敏を堪能。
・急に道路に文字を書きたくなったときなどにも銀歯を使用。
・別の歯に合わせて、その不合ぶりを堪能。
・不合刑事とか言わない。
・冷蔵庫にぶつけて硬さを比べない。
・小銭が足りないときにも銀歯を使用。
・無駄にグラムを量る。
・ケーキ作りの際に混入させて、八つ切りにして、さあルーレット。
・ハトにわざと噛ませて、吐く様子を観察。
・飲み込まれておののく。
・「蒲田行進曲」ゴッコがしたいときなどにも取り出して「銀ちゃん!」「ヤス!」と一人遊び。
・自殺の際、置手紙の変わりに銀歯。
・取り出してワックス掛け。
・ステンレスに変換。
・豆をひたすら潰してみる。
・カロリーメイトもひたすら潰してみる。
・大豆系全部ひたすら潰してみる。
・玄関先に吊るしておく。
・「歯に衣を着せない」ってこうゆうことなんだぁと納得。
・間違った知識を子供たちに自慢げに言う。
・カジノなんかにあるルーレットのマシンが欲しい。
・「見て!こんなにDVDの読み取り面に傷がつくんだよ!」と、やけに自慢げな顔で言う。
・銀歯がとれたのも愛知万博のせいにする。
・銀歯で一句作る。
・「銀歯はね 金歯じゃないよ カエルだよ」
・輪にする、輪にする。指の輪にする。
・ペイント イット!
・「チッチキチーやな~」とか言わない。
・今日から独り言を「口内放送」と呼ぶことにする。
・いい加減、写真に撮らない。
TPOに合わせるくらいなら、松竹芸能のTKOの方が好きだ。
にしても取れるの早過ぎでしょ。
またガム噛んでただけなのに。
老人狩り2005
確か私の記憶が正しければ、去年に電車の中で席を譲った老人の数は20人ちょっとだ。
善意と言えば善意だろうけど、別の言い方をすれば「老人狩り」。
矢で射るとか、落とし穴に追い込んでやろうとか、喰うとこ無いからだし汁にしてやろうとか何かしら良からぬ魂胆などは一切無いんだが、立ってる老人を見るとやはり心が痛む。「ああ、重力に打ち勝つのにも苦労してるんだろうな。」と。
席を譲るべく誘えば100発100中老人は感謝の意を表しつつ座る。誘ってこれほど断わられないことが人生で他にあろうか?街角でテッィシュをタダで配っても、それさえを拒む人がいるこのご時世で。
さすがに老人に対して「僕の荷物を持ってみませんか?」と問いかければ、シワだらけの顔をさらに圧縮シワ固めの顔にして断るだろうけど、「座るってみるかい?」のような親切の誘い水を断る老人はいない。
よく、話にある「老人と思ってバカにしてるのか!?」という、こちらの親切見事に仇状態にも未だ合ったことがない。
そう言われたときのために「なんだと、この渇水率200%の生物が!悔しかったら新たに細胞分裂してみろ!なんなら僕に代わって着メロをダウンロードしてみろ!着うたでも可!」と言ってやろうとまで考えているんだが言った試しがない。
みんなシートとその小さなお尻が磁石のS極N極の如く引き寄せられるように座ってくれる。
老人が座ると、立った私はそこらの位置からちょこっと離れた場所に定位置を定める。まあ目の前とか居づらいからね。いい感じの老人は自分が降りるときは、こちらにお辞儀してくれてから下車をする。まあ猫の如く数歩すれば忘れているだろうけどね。
まあ去年はそういった老人狩りプレイを電車の中でしていた。
しかし今年はうんなことしないことに決めた。現にもう4月だというのに一度も老人に席を譲っていない。単にあまり混んでいない時間帯の電車に乗ることが多いってだけかもしれないけど、混んでいても譲らん。なんなら席に油性マジックで名前書いてもいい、リザーブ済みと書いてやってもいい。ご予約席とな。
そういう余計な親切心は人生的には損する気もするし、どうやら自分の中で向けようのない「いたわり」という気持ちを電車内の老人で晴らしていたような気がする。
小さい頃から本家から海を隔てて住んでいたため、自分の両祖父母と触れ合うといった機会があまりなかった。しかも末っ子の親のさらに遅子ということで両祖父母は既に年季の入った老人になっていたため、ババかジジと手を繋いでお買い物といった経験は皆無だ。従兄弟たちとも私は一回り近く年齢差がある。しかも片方のババは昔にジジと離婚していたので、そのジジとは会ったことも無かった。しかもそのババはラブホテルで住み込みでアルバイトをしており、たまに会っても私は小さいながらラブホテル内を駆け巡るぐらいのことしかしてない。片やもう一方の家は私が成年になるまでには全滅してしまった。そのラブホでバイトしていたババも二年前に他界した、こっちもこっちで人が亡くなっていたのでそっちの母屋でのババの葬式にすら行ってない。
とにかくジジ・ババと触れ合う機会が少ないまま大人になったので、そんな思う存分使う場もなく溜まった「いたわりポイント」を電車の中で使っているんだなと今更気付いた。
別に老人=いい人とは全然思ってない。性根の腐った人間がさらに煮詰まって歳取っただけという老人もいるだろう。老人=いい人説を訴えるぐらいなら、女の子=天使説を信じきって死んだ方がまだいい。
実際に、二・三年前の話になるが、駅までの道に迷っている老人がいたので道を教えた。そしてちょっとするとまた、その老人が駅から離れた場所でうろうろしていた。ボケているわけでは無いようだったので出来るだけ分かるようにさらに説明した。そしてまたしばらくすると「なんでここにおるん?」ってとこでまた出くわした。もう、しょがないので駅まで一緒に行ってあげることにしたのだが、何気ない世間話をしているうちにどうも老人の話がおかしな方向に行ってしまった。
あれ?宗教の勧誘してないかい、お前さん。
そうなのだ、老人の話はその宗教のおかげで体の悪いところが良くなった話から始まり、当方への勧誘まで進んでいった。私は一切の宗教には興味ないし、結局自分以外信じていない。新興宗教オレ様教こと、leolioおもしろ科学アカデミーしか信じていない。かといって否定する気もないけど、勧誘はアカンでよ。駅までの道のり、聞いていれば割かし大きめの宗教だったのと、めんどくさくなってきたので「僕も入ってます、入ってます!バリバリです。」とかなんとか言っておいた。そう言った後の老人のその「やっぱり!」みたいな笑顔がなんともにんとも。
へたに人に親切にするのもどうかなと思った日でしたわ。
電車内で無ければ、親切が仇になった話はまだある。誰にだってあるはずだ。
そんな経験も忘れ、出来るだけ余計なコミュニケーションを省いた親切(老人狩り)を電車で晴らしていたけど、今年はもうしないよ。最初っからシートに座らなければ「譲る、譲らない」の選択に挟まれることも無くなるんだろう。
こっちも立っていて、向こうも立っていれば親切のしようも無い。
「日光が当たり過ぎてませんか?乾きますよ!」
とまで言えれば本当の「老人ハンター」なんだろうけど、今年はなんだかハンター振りは振るわないと決めた。
なんなら座ってる老人に「なんで座ってんの?」と冷たく問う。
なんやかんや言っても譲りそうだけど、今年は出来るだけ譲ってやんない。
でもついこないだ、松屋のオバちゃん助けたばかりだ。松屋に客として入ったわけでも無く、通りすがっただけ。松屋の制服を着た小柄なオバちゃんが、店の外から自分の背丈ぐらいあるカートを押しながら片方の手で入り口のドアを開けようと苦戦していたのが可哀想になりドアを開けてやった。突然の救いの手にビックリしながらも礼を言っていたオバちゃん、もう無茶すんな。もう無茶すんな。もう無茶すんな。
根本的なとこは変わりようが無いみたい。
ああ、猫撫でたい。
爪を出されるほどに撫で回したい。
どうやらある種の愛情が余っているのかな。