こんにちは。

 



今回は、悔いの無い生き方について書きます。

皆さん、日々どう生きておられますか。毎日が楽しいですか。毎日後悔なく過ごせていますか。明日死んでもいいと思って生きていますか。ほとんどの人は、これらの質問に否定的な回答をするでしょう。史上最悪の腐った安倍政権の日本政府、行政、司法、国会、マスコミ、会社、学校、家庭等で息苦しく、ひいては生きているのが苦しいとまで思っている人が多いと思います。特に、先般の台風15号の被害に遭った千葉県民の方々は、最も重要な時期である被災から七十二時間という期間に何もしなかった安倍政権や森田健作知事に怒りを覚えていることでしょう。しかし、私は言っておきます。彼らは所詮自分の考えを持たない欧米の操り人形でしかないし、取り替えがきく者たちであり、悪いに決まっている権力者や世の中に怒ってばかりいても無駄ですし、災害対応をしない政府や行政、その被害を伝えずに内閣改造や小泉進次郎氏のことばかり報道するマスコミ等に文句を言ったり、不満をネット上や知り合いにぶちまけても何の解決にもなりません。実際そうではありませんか。怒りや不満をネット上で爆発させて、停電や断水が回復するのでしょうか。普通に考えて有り得ないですよね。そう思うなら無駄なことをせずにもっと意味のあることをしましょう。いい加減に政府や行政等が正しいと思うのをやめなさい。考え方を改めなさい。それは災害に遭った時のみならず、平素からです。平素から正しいことや善いことは何もしないで世俗に深く染まって世俗のためとあなた自身や身内のためだけに生きているくせに、いざ何か悪いことが起きたら不平不満だけは一人前に言うようではダメです。にわかクリスチャンは不信仰の者や異教徒と大差ないですが、真のクリスチャンはそうではないからです。

昨今、日本だけではなく世界中であらゆる災害や事件が頻発しています。ほとんどの日本人は日本のことしか見ておらず、自分たちだけが酷い目に遭っていると思い込んでいますがそれは間違いです。アメリカや聖書上のイスラエルではない現イスラエル国家をはじめとする偽ユダヤ人らによって武力攻撃されて家や街を兵器によって粉々に破壊され他国に難民として移住せざるを得ない状況に置かれているシリアやイラク等の中東に比べればまだまだ甘い方です。気象操作により日本に人為的に災害が起こされていますが、神は何故それをサタンやサタン崇拝者の人間たちに許可なさっているのか考えたことはないのではないでしょうか。聖書と私のブログ記事を全部読み、よく理解した人ならば何故かという答えが分かります。過去記事「日本は多民族国家、日本人の一部は古代イスラエル人」でも述べましたが、簡単に言えば、主なる神は古代イスラエル人の末裔が多く残っている日本人が聖書を手に取って読み、主イエス・キリストへの信仰に立ち返って欲しいと思っておられるからです。この悪い世俗社会にしがみつくのをやめさせ、主イエス・キリストこそ真理であり道であり命であることに気付きをもたらすためです。これを理解せず、かえって神に反感を抱き、何で気象操作によって日本に台風をぶつけることを許可するんだよ、停電や断水を許可するんだよと不満をぶちまけるだけで相変わらず不信仰のままでは事態が良くなることはないでしょう。不信仰であり、世のことだけを考えているからです。

上述の私の質問にあなたは何と回答するでしょうか。日々どう生きているか。相変わらず、学生は学校に行き、仲良しの友達と遊び、部活動をしたり、娯楽や趣味に興じたり、受験勉強や就職活動等に追われたり等という生き方でしょう。社会人は、会社に行き始業時間だけ厳しく終業時間は極めて甘くてまるで存在しないに等しく長時間労働させられ、上司に意見することも許されず、もし逆らうようなことを言えばすぐに人事評価が下げられるという不当な扱いを受け、ほとんど目立った昇給も無く、低賃金で飼われている社畜になり、家と会社の往復を何年何十年と惰性で続け、仕事以外の時間は娯楽、趣味、快楽、飲酒、喫煙等に興じているのではないでしょうか。派遣社員といった非正規社員は福利厚生が無いに等しく、有期雇用なのでいつまで働けるか分からない不安で一杯でしょう。そんな生き方ではとても毎日が楽しいとは言えず、後悔なく過ごせているとも言えず、明日死んでもいいと思えないでしょう。もしそんな劣悪な環境で死んでしまってもいいと思うのは鬱気味で自暴自棄になった人なら肯定的な意見もあるかもしれません。もうこんな生活なら生きている意味なんて無いと思う人が過労や絶望の果てに自殺してしまうのでしょう。このような事例は他国にもなくはないですが、最も多いのが日本にいる日本人です。それ程、日本での労働環境や人間関係は劣悪だということです。その劣悪な労働環境や人間関係を構築した元凶は、日本人の人間性の問題です。最近の日本人は、世間体や外面を異常に気にする性格が強い傾向にあります。端的に言えば、建前と本心の違いというものでしょうか。しかし、そんな二重人格の人は正しくないので早急に改めるべきです。常に本心で生きるべきであり、建前というのは嘘でしかないからです。建前を大事にするなら、それは嘘をつくことを擁護していることだからです。嘘をつくのは旧約聖書にある神の律法で禁止されており、黙示録でも地獄行きの罪と書かれているからです。もっとも、建前と本心というのは日本の文化だと言われることもありますが、それは間違いです。そういうことは朝鮮人、支那人、その他の外国人も同様にあります。上辺だけは善い言葉をかけるように心掛ける人はいますが、内心が伴っていない人も多いです。多くの人々は外面、世間体、外見を異常に気にしており、内面を疎かにしており、内面の悪さを改めようともせずに隠して、外見を磨くことばかりに全力を注いでいます。特に何らかの利害関係のある初対面の人には自分を印象良く見せようとして嘘をつきまくるでしょう。就職や受験の面接が良い例ですよね。大したことないことを大きくしたり、否定的な面を良い面にすり替えたり、写真加工し過ぎたり厚化粧をしたりして実際の本人と違うようにしたり、履歴書の内容を一部ごまかしたり正直に書かなかったり等と色々やっている人が多いでしょう。政治家や一部の著名人も学歴詐称をし、現政権の内閣の何人かもやっていましたからね。今では無かったかのように消していますが、誰のことを言っているのかは調べれば分かります。政治家や著名人等の金持ちたちは裏口入学、裏口卒業、縁故入社もしているので学歴や職歴なんかは何の意味もありません。簡単な常用漢字もろくに読めなかったり、論点ズレの意味不明な答弁をすることからも日本人の大人としての基本的な知性すら無いのは明白ではないですか。このように、世の中は嘘つきばかりということです。だから、政府発表、マスコミ報道、学校教育、教科書等を真に受けていては権力者の嘘に騙されるのです。学校教育も洗脳でしかなく、教科書や参考書も嘘ばかり書かれ、歴史も嘘が多いし、理数系なんてやっても将来何の役にも立ちません。理数系のほとんどは悪事に加担するだけです。医学や薬学は清貧で醜悪な欲が無い人はいいですがほとんどおらず、実際は医療マフィアや利権、NWO支配層が推進する人口削減のために働き、最悪の場合は人体実験や臓器売買等にも加担しています。工学はAI、ロボット、ドローン、顔認証カメラ等と大衆監視のためや軍事兵器、気象兵器等の悪い技術開発をし、生物学は遺伝子操作、遺伝子組み換え、クローン作成等に悪用し、化学は核や放射線をはじめとする武器開発、原発推進、ケムトレイル、大気汚染、土壌や海洋汚染、水質悪化、人体への悪影響の物質を生み出し、人口削減に協力しています。こんな理系よりも、国語力、語学力の方がよほど平和で役に立ちます。過去の賢人は科学とは無縁で、世俗から極力離れていました。なぜなら、この世は悪い者が支配し、金持ちと権力者は必ず腐敗し、科学は人が生きる上では本来要らない知識だからです。昔の人は今のような科学なんかなくても生活できていたのですから、それが証拠です。神に従順に従う正しい生活をするのに科学なんて必要ないからです。こう言うと必ずといって言い程、「じゃあ、コンピュータもネットも使うな」とか「科学の恩恵を受けるな」等と論点ズレの愚かな意見を言って来る者がいそうなので、先に言っておきますが、私は悪いことに使うこともしていないし、他人に迷惑を掛けたり損害を与えている訳でもないのでそんな批判を受ける筋合いはないです。私がIT機器を使用するのは、真の聖書福音の伝道や信仰生活に役立てたり、世の悪事を暴露して人々を世の欺きから目覚めさせるためです。娯楽や犯罪等の悪事のために使っているのではありません。私が非難しているのは、技術の悪用や悪い技術の使用についてです。科学の全否定ではないのです。今の世のように科学が悪用される位なら、人間は科学を手にしない方が良かったし、人間は科学なんか無くても生きていけるということが言いたいのです。しかし、今やそんなことを言っても仕方がないので、実態を暴露するとともに悪用をするな、悪事に加担するなと言っているだけです。

また、人間性について、聖書では終わりの時代は愛が冷えると主イエス・キリストは予告なさいました。実際今そのとおりです。愛が無い人が多いです。自分のことばかり、または自分の身内のことばかり考え、血の繋がらない他人、見ず知らずの他人のことを自分のことのように愛して気にかける人は非常に少ないです。特に都会で顕著ですが、路上で人が倒れているのを見ても知らん顔して素通りしたり、他人が倒れている様子をスマホで撮影してネットに上げるだけで実際には人助けをしないで終わる人が増えました。他人に関心が無いと思いきやそうでもなく、何かにつけ他人と比較し、他人が自分より優れていたり幸せそうに見えると悪評を広めて潰しにかかったり嫌がらせをする人もいます。そういうことをしてストレス発散したり、生きがいにすらしている人が多いです。そういう悪魔的な性格をした人が増えています。そういう人には愛が無く、他人への思いやりや同情心が無く、他人が喜ぶことをせず、かえって嫌がることをしたり言ったりします。口を開けば余計なこと、悪口、愚痴、文句がとめどなく出てはくるものの、人を励ましたり勇気付けたりためになるような善いことは何一つ言わず、他人の心証を害したり甘やかすことばかり言ったりします。また、日本人は同調圧力が他の国民より強い傾向があり、自分の考えや格好を正しい基準として勝手に考え、それに外れる人を見れば非難したり莫迦にしたり、笑い者にしたりいじめたります。その人の基準が間違っていることも知らずに厚顔無恥にもこういうことをしています。いませんか、このような人が身近に。また、あなた自身がこういう言動をしていませんか。
昨今、安倍政権の悪政や悪法の成立によって日本人はますます貧しくなり、言論の自由も無くなりつつあり、心の余裕が無い人が多くなったという印象を受けます。また、福島原発事故の影響が全国的に及び、放射線被曝の症状であるぶらぶら病、白血病、癌を発症する人が事故後八年経った今、急増しています。このことは過去記事「聖書に対する誤解と戦争犯罪」でも述べました。政府、行政、企業等は嘘をつく者たちであることを忘れないようにしてください。日本人は性善説を信じていますが、それは間違いです。聖書には人間は誰一人として正しい者はいないと書かれています。だから、人間は神の律法、掟、戒めを破ることで罪を犯した罪人なのであり、そのままでは陰府を経由して地獄行きなのです。被災地に赴いて復興支援をしたら善人ではないのです。お金を寄付したからといって善人ではないのです。それらの善行をこれ見よがしに発表したりする者も善人ではないのです。善行そのものは良いのですが、見せびらかしてはいけないし、誇ってもいけないし、救いの条件かのように思うのもいけないのです。聖書はそのように戒めています。正しい信仰を持てば、聖書の教えどおりの行いをし、善行も自分を救うためではなく純粋に隣人愛から来るし、見せびらかすこともせず、誇ることもないのです。経済的に苦しくなって余裕が無くなっているのは理解できますが、だからと言って他人に冷たくなるのはおかしいことです。そういう時こそ人間の本性が分かるというものです。お金次第で人間性が変わるなんていうのは拝金主義でありサタン崇拝者だからです。お金なんか無くても高潔であり、愛に溢れ、悪いことをしない人こそ立派だと思いませんか。お金があったら心の余裕も生まれるからそうなれると思い込む愚かな人がいるでしょうが、そういう人がお金を手にしたらますます貪欲に富を集めるようになり、ケチるようになり、貧しい人を見下し、品性が悪化するだけです。

服装について、私は複数の過去記事において、神の律法を基に房付きの和服を推奨してきました。私の勝手な思い込みによるものではないのです。薩長の売国奴を中心とする明治維新の国家転覆の非合法の反乱以来150年程度、戦後70年程度経った現在、すっかり日本人は日本らしさを失い、英米の植民地であることも気付かず、NWO支配層に操られている日本政府が庶民を洗脳し、大衆は洋服が正式である、喪服は黒で盛装するのだと思い込まされています。喪服は本来白であり、粗布といった粗末な衣服を着るのが本来の姿だからです。喪服として高価な服を着るのは喪に服する気持ちが無いのであり、誤っているのです。現代のように喪服を黒にしたのは明治期の欧米人の目線や評価を気にしてのことです。間違った欧米の習慣の猿真似をいい加減やめなさい。人間が勝手に決めた所謂マナーというのも無視すべきであり、聖書を読んで従うべきです。
また、外を歩いて和服姿の日本人が一体どれだけいるか。それも普段着として毎日のように和服を着ている人はほぼいないでしょう。それ位大衆は間違っているということです。だから、周りを見て自分もこのままでいいんだと思ってはいけないのです。多数決は悪魔の原理とも前に申しました。この世ではサタンやサタン崇拝者である権力者や著名人らを信じて従う愚民が圧倒的多数派なので、聖書の教えを無視して多数決で決まってもいいことなんてある訳がないのです。悪魔崇拝者の権力者は、権力、金銭、人脈をふんだんに使い、国会議員、地方議員、中央官庁の官僚、地方公務員、軍人、著名人、芸能人、御用学者、テレビ、新聞、学校、教科書、音楽業界、映画業界等とありとあらゆる所に圧力をかけたり、賄賂を贈ったり、ハニトラのような快楽や悪魔崇拝儀式に参加させて弱みを握って思い通りに他人を意のままに動かし、権力者に都合の悪いことは隠して嘘ばかり広めさせたり悪魔の思想や考えを大衆に吹聴しています。これはつい最近始まったのではなく、ずっと昔からです。政府が言うこと、マスコミが言うこと、学校が言うこと、不信仰や異教徒の親や親戚が言うこと、地上の諸教会の自称聖職者やにわかクリスチャンの言うこと、ネット上に多いデマ等を信じて従っていたら痛い目に遭います。和服を着るにしても、市販のまま、既製品のままでは無意味だということも過去記事「真のクリスチャンに相応しい姿と信仰 前編」でも既に述べたとおりです。日本人をはじめとするアジア人が本当によく似合うのはやはり洋服ではなくそれぞれの民族衣装です。昔からあるものが最も良いのです。日本人なら和服です。アジア人は白人と体型も顔もまったく異なるのに、何故無理して白人の猿真似をしようとするのか。いくら必死に真似ようとしても同じには絶対にならないのに、無駄な努力を一生懸命にしている姿は第三者目線で見れば非常に滑稽です。欧米がアジアに侵略した後の現代のアジア人の女性は、色白やら美白やらで化粧に余念がなく、目は小さいのに化粧や小道具で大きく見せたり、つけまつげをしたり、髪は黒髪なのに金色や茶色に染めたり、洋服や海外ブランド品を頻繁に買い漁り、その資金稼ぎのために売春やその他の水商売や違法な仕事に身を投じる者もいるでしょう。そのような行為がなんて愚かなことか分かりませんか。白人の美意識、価値観、文化に何故日本人や他のアジア人がそれに無理に合わせようとするのか解せません。特に戦後の日本は、アメリカの3S政策によって日本人に無理強いすることなく、日本人の方から欧米に憧れさせて欧米化するように仕向けて見事に成功しています。彼らの手のひらで転がされて弄ばれていることに気付きなさい。相手の真似をして相手の土俵に立って勝てる訳がないでしょうし、もとよりそんなことをする必要性が無く、まったく無駄な努力なのです。そのようにしないと他人の目や評価が怖いと思うのでしょうか。そういう社会は不健全であり間違っています。アラブ諸国にいるアラブ人を見てみなさい。アラブ諸国の一般人の多くは洋服を着ていますが、王族や政治家らは洋服なんて着ていません。彼らは外国の要人に会うからといって背広に着替えたりなんかしません。このように彼らはアラブ人の伝統衣装を貫き通しています。彼らの服装や文化に対する姿勢は、信念を通しており欧米になびいていない点のみは評価に値しますが、彼らの服装も文化も聖書やキリストの教えにはそぐわないので私はアラブ文化やイスラム文化には賛同しません。日本、支那、朝鮮等は皆、欧米に隷属して洋服を当たり前のように着ていますが、本当は恥じ入るべきことなのです。非英語圏の欧州各国も英米に取り込まれています。政治家、官僚、企業の経営者や労働者のほとんどは英国発祥の背広を着ており、最近では日本と同じく小学校高学年から英語教育がなされているからです。非英語圏の欧州各国も昔は今のように英米の服装なんかしていませんでした。今では英米由来の同じような洋服を世界中のほとんどの人々がそれに身を包み、独自の文化を保っている人はほぼいなくなりました。日本も同じです。英国に世界の覇権を奪われています。世俗社会や文化は英米に支配され、宗教はローマ教皇を筆頭とするローマ・カトリックにすべて支配されています。聖書と主イエス・キリストを無視して、これらに従っていると後の世では絶望しかありません。だから、この世という仮の世、せいぜい七十年から八十年程度の短い人生のことだけを考えていてはいけないのです。民族が違えば服装や文化が異なっていて当たり前です。何故、誰もが英米をはじめとする西洋文化に合わせて従わねばならないのでしょうか。あなたがたはこの信念という点について極めて軽んじ、考えたこともないから漫然と世俗社会に合わせ、毎日適当にやり過ごしているのでしょう。もう欧米の奴隷になるのはやめて、本来の姿を取り戻すべきです。他人の目線や評価なんてどうでもいいのです。聖書に依拠して正しいことをしていれば、他人から何と思われようとも言われようともどうでもいいのです。主イエス・キリストへの信仰を保ち、神の律法、掟、戒めを守る生活を大事にすることこそ人間の本分だからです。この世の憲法、条約、法律、条例等も不完全なものですし、権力者らによって簡単に変えられてしまうので、そんなものに従って生きていても滅びるだけです。人間は神ではないので、正しい裁きもできません。しかし、キリストの教え、神の律法、掟、戒めが書かれている聖書だけは宗教ではありません。聖書と無関係または勝手に派生的に増やしたり一部を削ったり人間が勝手に作った教え、権力者らを信じて世俗社会に従順で生活する信念こそ宗教と言えるものであり、間違っているのです。神に逆らう反キリストたちに負けてはいけないのです。もう時がないです。考え方と生き方を変えるべきです。この地上での時間は短く、やり直しもありません。失った時間、過ぎた時間も戻りません。悔いの無い生き方をしてください。

手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。一人でも多くの人が救われることを願っています。

 



以上