こんにちは。

 

今回は、聖書に対する誤解と戦争犯罪について書きます。

 

本日で平成が終わり、五月一日から元号が令和に変わります。新しいことが良いことだなんて思わないようにしてください。浮かれたことを考える人が多いですが、いつまでも脳内がお花畑であってはいけません。令和などとNWO支配層の命"令"や法"令"に従って、和をなせ(逆らうな)とも取れる元号だからです。または、和(日本人)を令(れい、零、即ちゼロ)にせよというようにも取れます。万葉集からの引用だなんて政府の説明なんかを鵜呑みにしてはいけません。平成は消費税が生まれて増税が続き、労働環境は非正規社員の激増、低賃金と長時間労働で過去最悪になって不景気が続き、人工地震がいくつか起きてその中で福島原発事故による放射線被曝は取り返しのつかない事態になりました。令和ではさらに悪い時代の幕開けになるでしょう。

 

さて、当たり前のことですが全然分かっていない人が非常に多いので言っておきます。キリスト者とは、主イエスの弟子であり主イエスを師として従う人間を指します。本来、これは当たり前の定義でありますが、最も軽視されていることでもあります。地上の諸教会の自称聖職者や教会員らは特定の人間に従い、人間が作った教義や規則等に従っているのであり、主イエス・キリストに従っているのではありません。彼らは主イエスに従っていると口先ではそういう風に言うでしょうが、実のところはそうではありません。自称キリスト者は聖書に書いてあるとおりの教えに則って生活しておらず、世俗に深くはまって金銭欲、支配欲、名誉欲、物欲、不自然な性欲等を捨てることがないし、品性も行いも改善していないし、改善しようという意志さえ持っていないからです。要するに、彼ら彼女らは自分たちの耳触りの良い部分だけを取り入れてはいるが、この悪い世の中を生きていく中で不都合な部分を無視したり、周囲の目や評判を気にするが故に神の律法に従わないでいます。特に、神の律法、掟、戒めを蔑ろにしている自称キリスト者の何と多いことか。既に複数の過去記事で書いた部分もあるので、繰り返し過去と同じ聖句を再引用を摘示することを差し控えます。私が述べていることの聖書上の根拠が知りたい場合は、各自が持っている聖書を調べるか、過去記事を探して調べていただければ分かるでしょう。過去記事「主イエスを模範として従う生活」でも書いたように、真のキリスト者は主イエスを模範として生きるので、世捨て人にならねばなりません。神の律法に違反して不法を働く者はたとえ主イエスの御名を用いて癒しや悪霊の追い出しやその他の奇跡をしたとしても主イエスから知られておらず、この世を愛してはならない、この世にあるものも愛してはならず、信仰の兄弟同士で互いに愛し合い、地上の富を集めず天に富を積み、持ち物を売り払って貧しい人に施し、家族や自分の命さえも憎まないで主イエスのために捨てることを厭うようであれば主イエスに相応しくないと聖書には書かれており、中途半端な信仰者をばっさり切り落とすと明言されておられます。だから、世俗の生活に深く入り込んで中途半端な生温い信仰は主イエスが忌み嫌われていると過去記事「生温い信仰への警告」でも説明済です。主イエス御自身が、人間が主イエスの弟子となるには狭い門から入って狭い道を行かねばならないと仰っています。奇跡、癒し、異言、悪霊追い出し等をできるようになった、又はそれらをしてもらったからといって救いは約束されていません。ただ主イエスに対する信仰を持って神の律法、掟、戒めを守り続け、いかなる艱難や苦難にも忍耐し、神の御心を行い、死ぬまで主イエスに従順であり続けた結果に永遠の命という命の冠がようやく授けられるのです。これが真理です。神の御国に行く人は、信仰を持って実際にこのような行いをする人です。ところが、今のキリスト教の業界では、カトリックという異教で偶像礼拝をする大バビロンがキリスト教の皮を被って地上で権力と栄華を持ち、そこから抜け出したはずのプロテスタントも別の方法で同じように背教しており、モーセの律法は廃止されたので守らなくていいと吹聴して罪の奴隷となり、福音の三要素(主イエスが私たちの罪のために死なれ、葬られ、復活された)さえ受け入れて信じれば、その時から救われていると盲信し、水の洗礼を受けた時から聖霊の洗礼も受けるので既に救われて救いを失うことはないとまで言い張り、大艱難前に携挙されて死を経験しない等と耳触りの良い反聖書的な偽りの教義に騙されている自称キリスト者が非常に多いですが、当ブログの読者の皆さんは騙されないでください。

 

主イエスはキリスト者には「完全な者」になりなさいと命じておられます。平均以上の人というような人間の視点では良しとされても、実際はそんな程度では天の国に入ることはできません。八割、九割位の出来ならいいだろうということではありません。九割は一割足りていないので不完全であり、不完全はいかなる割合であろうとも不完全であって同じことです。過去にも申し上げたように、主なる神の最終目的は完全に罪を消し去ることだからです。それもこの地上に生きる間で実現しなければならないことだからです。死んでからでは人間に救いの機会はありません。主イエスが受肉されて神であるにも拘らず敢えて御自分を僕である人間の形を取って地上に来られたのは、モーセが仲介した古い契約よりも優れた契約の仲介者になられるため、そして死まで従順に神の律法を守り抜いて罪を犯さなかった主イエス御自身が流された血によって御自分を模範として信じて同じような生き方を実践する人間の罪を完全に消し去って清め、永遠に生きる存在に造り変えるためです。主イエスが人間の身となりながらも神の律法、掟、戒めを死まで従順に完全に守られたので、すべての人間は神の律法に違反して罪を犯すいかなる言い訳もできなくなりました。だから、すべてのキリスト者は主イエスのように信仰によって完全な者となるべく日々罪や誘惑と戦い、成長しなければならないのです。もしあなたがあなた自身を変えることなく従来のままでいい、主イエスを信じていれば自由だし、主イエスは優しいお方だから何をしても赦されると思って信仰に入る前と同じような生活をしているようでは必ず滅びます。主イエスは「悔い改めなければ滅びる」と繰り返し仰いました。そこにはクリスチャンであろうと、不信仰の者であろうと、異教徒であろうと関係なく、すべての人が主イエスを人類の救い主として信じて自分自身の罪深さを認識し、悔い改め、神の律法、掟、戒めを守る主イエスの信仰によって神の御心に適う行いをしなければ地獄行きを免れる術はありません。

 

キリスト者の間でもよく勘違いされているのが、自分流に主イエスを信じて仕えれば良いという考え方です。自分が信じるやり方や方法で信仰生活をしていれば良いと勘違いしています。しかし、実際は違います。主イエスは何とお教えになったか覚えていますか。主イエスは、「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。」、「わたしを愛する人は、わたしの言うことを守る」と仰いました。要するに、主イエスが仰るとおりの方法で行いで示して主イエスに従わなければならないのです。あなた自身の勝手な思い込みや学習したことを盲信したり、頭の中で考えているだけで行いで示さないようでは論外です。聖書に書かれているとおりに従い、それを行いとして外部に示す必要があるのです。地上の諸教会で自称聖職者たちが言うこと、自称キリスト者の仲間が言うことを鵜呑みにする必要はありません。それどころか聖書と比べて一致しているかよく吟味する必要があります。不安になる場合は聖書を都度面倒臭さがらずに調べましょう。しかし、日本語訳の聖書は誤訳が多過ぎるので、よく原語やその他の外国語聖書と比較してみることを強く推奨します。日本語訳の聖書だけを盲信すると翻訳者の思想や感情を反映した誤訳の文言や欠落している文言に固執することになるので極めて危険です。私の勧めを聞き入れないならば、あなたは誤った道に進むことになります。それが聖書協会共同訳であろうと新共同訳であろうと口語訳であろうと新改訳であろうと原語に忠実で完全な訳の日本語訳聖書は一切存在しません。いつも聖書の出版団体は原語に忠実だと宣伝しますが、まったくの偽りです。なぜなら、底本採用からして間違っていますし、偽りの神学思想を反映した誤訳が甚だ多いからです。あからさまな偶像礼拝をするカトリックや正教会なんて論外ですが、プロテスタントを中心に律法廃止論が生まれたのも彼らが偽り者だからです。偽り者だから偽りの底本を見抜けず、偽りの訳も見抜けず、かえって意図的に誤訳をして読者を誤解させているのです。既存の日本語訳が無謬だなんて思い込むと道を逸れますので十分注意してください。このことで私は聖書が間違っているとか、存在価値がないと言っているのではなく、日本語訳聖書を鵜呑みにしてそれを基に作られた偽りの神学や教義を盲信する危険性について述べているだけです。聖書は聖霊の導きで書かれたので内容に間違いないですが、現代において多く出版されて普及している聖書には間違った哲学を反映したり本来あるべき語句が削除された間違った底本が採用されており、翻訳に間違いが多いのです。間違った底本はヘブライ語やギリシア語の原語からして誤っているので、そこから各言語に連鎖的に間違った翻訳がなされていることに注意が必要です。英語訳も多くありますが、一冊で完璧なものはやはり存在せず、正しい底本の原語の分析をしたり、英語が分かるならKJVや現代語訳のESV等を併用したりする必要があります。正しい底本が採用されているのはKJVですが、KJVでもたまに誤訳があり、古い英語ですので、少しでも違和感があったり意味が理解しづらいと思う時は都度他の翻訳を確認する必要があります。英語訳では比較的新しいNIVやNKJV等は改悪されたり、意図的に一部の語句が削除されているので推奨しません。一冊の聖書だけしか読んだことがないというのは、誤訳に騙されたり、国語力の無さから偏った思想や間違った信仰を持つ危険性が高くなりますので、言語の壁を超えて照らし合わせるという作業も必要になります。本当は聖書出版社に私が言うことを踏まえてきちんと調査や翻訳作業をして欲しかったのですが、残念ながらできていません。底本採用を誤ったことと誤訳が多い原因は、サタンの支配下にある地上の諸教会から圧力があったとしか思えません。日本聖書協会は八年程度の時間をかけて二千十八年十二月に新しい訳である聖書協会共同訳を発売しましたが、彼らの説明を聞いた限りでは、日本語を削除して代わりに英語を片仮名に変換したり、差別用語だの女性蔑視だのと戯言を言って現代の人間的視点や人間中心思想が強くなり、聖霊の導きで記された原語の意味を捻じ曲げる等して神を蔑ろにしているのが分かったので非常に落胆しました。日本語訳聖書全般の完成度の低さに違和感を持たずに手放しで称賛する人は聖書研究をしておらず、ただの読書感覚で聖書を読む不信仰の者、自分たちに都合の良い所だけを受け入れる異教徒、私的解釈したり誤訳を無謬と信じて偽りの教義を作り出してそれを信じるにわかキリスト者だけです。もし聖書編纂や出版に携わった人間が必要十分な仕事をしたというなら、私はこれ程まで言わなかったでしょう。翻訳事業にカトリックやプロテスタント等といった間違った神学を学んだ人たちを入れて欲しくなかったです。正しい底本を基にして、ギリシア語、ヘブライ語、アラム語、英語、日本語等の言語の専門家だけを集めて翻訳する方がはるかに良い出来になったはずです。彼らは「礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語訳」を標榜として聖書協会共同訳を発売しましたが、神にとっては甚だ耳障りに思われる翻訳がまた一つ増えたに過ぎません。神は神の御言葉をそのまま人間に守ることを期待されているからです。それぞれの言語を大事にし、翻訳は難しいこともあるものの、出来る限り原語の本意を損なわない言葉に置き変えるのが本来すべき仕事です。だから、本意を損なう翻訳や意訳は改悪と言うべきものでありますし、日本語訳であるはずなのに、薄荷をミントに変える等日本語を無くして何故か片仮名英語に置き換えるという暴挙に出ています。こういうことの積み重ねで日本語は次第に廃れていきます。日本語の専門家はこういうことを何とも思わないのでしょうか。彼らの至らない方針はこの点に限らず、枚挙に遑がない程あります。そもそも、礼拝の朗読に相応しいという人間中心の視点がどこまでも私に違和感しか与えません。神の御言葉を忠実に伝えるのが翻訳事業の使命として本来あるべきなのに、それを何故か地上の諸教会で朗読されるのに相応しいという悪しき目的にすり替わっています。彼らは神の御言葉を忠実に表現するよりも、どのような日本語がきれいか、自然で美しいか、人間の耳にどう聞こえるかばかりを気にしています。だから、駄目なのです。このように、にわかキリスト者らは主イエスを信じると口先だけで言いつつも、実は主イエスを一番に思っておらず、人間のことを思っているから同じ過ちをいつまでも繰り返し、悔い改めることがないので赦されることがないのです。そんな人たちは、主イエスから「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マタイ十六章二十三節)と言われるでしょう。熱心に神のことを思っているなら、底本採用も正しいものを選択すべきだし、翻訳においても人間的視点や思想を排除し、差別だのとくだらない人間の主観を排除し、回りくどい言い方等をせずに率直で明瞭な言葉で訳すはずです。しかし、この世には主イエスから選ばれた人間は非常に少ないので、私の意見は理想論であって現実には困難と言えばそれまでです。だから、私は個人単位で誤訳訂正をしていく他ないと思っています。もう残された時間も多くありませんし、今から正しい底本を用いてきちんとした翻訳をまた出版し直して普及させるのはもう無理でしょう。聞く耳のある人は、私が述べたことを覚え、熱心に聖書研究に励んでください。

 

六千年近いこの地上の歴史において、わずか百五十年前から始まった明治時代から西洋化が進み、日本人は本分を忘れ、西洋文明のとりこになって洋服を身につけて独自の文化や習慣を失い、間違った西洋式の学校教育や教科書等を盲信し、学歴信仰に陥り、会社等で奴隷生活を送りながら、酒宴を求め、煙草をおしゃぶりのようにくわえて離さなかったり、賭け事に興じたり、性的不品行を生きがいとし、偶像を拝み、スポーツや娯楽に時間と体力を消耗し、不自由な罪の奴隷生活に置かれていることにすら気付こうとしない、信じようともしない霊的に死んだ状態になった人が非常に多いです。大衆のほとんどは肉では生きているように見えるのですが、霊においては死んでいます。また、日本が主権国家だの法治国家だのと幻想を抱いている人は本当に死んでいるようなものです。二千十九年四月十九日に発生した池袋事件の轢き逃げ殺人犯である飯塚幸三容疑者は東大卒の元官僚で、彼が運転した車が数人を死傷させても逮捕されずに容疑者扱いの報道もされず、さん付けで呼ばれて上級国民と呼ばれています。彼は人を車で轢いておきながら、被害者の救護をせずに自分の息子に電話して隠蔽工作を相談したようです。参考までにこちら(Prallel Life)。これは、日本が現政権や警察組織と深い繋がりがある人たちは何をしてもお咎めがないという人治国家であることを示しています。その犯人のWikipediaも誰かが今回の事件について加筆しようと編集されては削除されるの繰り返しで、不都合な真実を書かせない強力な圧力がかかっているようです。このような不正を行う上級国民は彼だけではなく日本中にいます。実際、コンビニで百円のコーヒーを買って百五十円のカフェラテを入手したとして五十円分をごまかしただけの一般人は逮捕されました。これこそ注意すれば済む位のことで逮捕する程の事件ではないはずです。そして、池袋事件からわずか二日後の二千十九年四月二十一日に神戸で発生した市バスによる死傷事故で六十歳を超える老人の運転手は逮捕され、他にも多く発生している高齢者による運転事故で元官僚でもない一般人は逮捕されることがほとんどです。日本では法律と司法機関が適切に機能せず、同じ人間なのにまるで印度のカースト制度かのような格差が存在し、扱いが異なる差別国家であることを知らない人が多いです。日本では現憲法ができる前、明治時代からできた華族といった貴族がいる階級社会でしたから、これを未だに引きずっているのが現実です。これは明確に身分階級や扱いの差別を禁止した日本国憲法十四条違反です。こんな状況でも日本がおかしい国だと認識しようとせず、いつもどおりの日常を送る日本人が愚かで、このままでは政府やNWO支配層の思惑どおりに日本に住む日本人の大半が滅びるでしょう。目を覚まさず、金銭欲、快楽、権力、地位等のとりこになって、官僚が米国と協議することですべての方針が決まっていることを知らず、嘘つき放題、隠蔽し放題、改ざんし放題、責任も一切取らず、米国と官僚の操り人形に過ぎない政治家に一喜一憂したり、与野党グルを知らず野党議員に期待したり、偽ユダヤ人国家の現イスラエルと結託している米国が世界中を股に掛けてやりたい放題し、テロという名のヤラセ事件も頻繁に起こされています。それらはすべて世界統一することを目的として悪魔崇拝者のNWO支配層がすべての悪を指示しているからです。日本政府が嘘つきで無能な事実は、海外では多く報道されています。二千十九年四月二十七日(米国現地時間では二十六日)に安倍首相がトランプ大統領から赤い絨毯上に立つことを許されず、南朝鮮の大統領との扱いの差が歴然としました。それにも拘らず、日本は米国の自動車工場に四百億ドル(約四兆四千六百億円)の出資をすると報道がありました。どこまでも日本は米国に金蔓扱いしかされておらず、属国扱いで独立国ではないことが分かります。トランプ大統領の非礼行為が日本の立場を示しており、南朝鮮より格下扱いだと知って落胆するだけで終わっていてはいけません。操り人形で売国行為しかできない偽日本人である安倍首相も国内の震災復興や経済回復をせず、日本国民には増税と長時間労働をお見舞いしてお金と労働力を搾取だけして還元せずに自分と仲間の懐に入れたり、外国に日本国民の血税をばら撒き続けています。日本人よ、自国の行政や司法が敵であることにいい加減気付きなさい。無能な官僚と政治家のせいで、日本人全体、日本という国に対する国際評価は下がる一方です。そうして日本人は海外から嫌われ、滅んでも同情されず、自滅だ、自業自得だと思われるのが関の山です。日本では移民が増え続け、少子化が止まらない日本において日本人の居場所が無くなるのは時間の問題です。安倍政権での自民党は憲法改正としきりに言い続け、それが憲法九十九条違反であることもお構いなしで、国民も憲法や法律に疎いのでそれが違憲であることを知らず、適当に年号が変わったから憲法も変えてみようかと意味不明な動機で賛成しかねない程愚かになっています。上述したように、霊的に死んでいるからです。肉だけで生きており、肉に生きようとしているからです。しかし、そんな人たちは肉においてでさえも生きることが今後難しくなるでしょう。自民党の言うがままに改憲されれば、ナチスの手口と同じ緊急事態条項によって内閣に半永久的な独裁が認められ、グルになっている北朝鮮がミサイル云々と嘘でも緊急事態だと首相が宣言すれば緊急事態という扱いになり、好き放題に政令を出して法律代わりに使え、徴兵制がしかれれば強制的に日本人の男女を問わずに自衛隊に駆り出され、やがて戦地に送られることは容易に想像できます。上述した、令和の令がまさに、政府の命令、法令、政令を意味することが身をもって理解できるようになるでしょう。その時になってはもう手遅れです。戦争や徴兵制が復活するのが有り得ないと思い込み、脳内がお花畑になっている日本人は目を覚ますべきです。参考までにこちら(YouTube)を見てください。既に複数の自民党議員らが若者を自衛隊に強制的にでも入れたいと自白しているのですから、疑いようもありません。大東亜戦争の経験から戦争を繰り返さないと今の日本国憲法を制定したはずが、その憲法を踏みにじって守らない政府や官僚らが行政をしているのは恐ろしいと思いませんか。もし憲法が改正されれば、現憲法の保障する基本的人権、平和主義は完全に消え、戦前のような軍国主義と全体主義の復活、徴兵制の復活、ひいては戦争に巻き込まれるでしょう。

原爆や大空襲という米国による日本人大量虐殺事件を受けてもなお、日本国民を経済的に苦しくし、憲法を改悪して基本的人権を奪い、平和主義を無くして戦争を繰り返そうとする安倍政権こそ極左で売国奴の集団であり、裏で政治家を操る官僚と米国の上層部や軍も同じ悪人と言えます。外国と通じていた最大の戦犯であった昭和天皇は、東京大空襲で十万人以上の庶民が犠牲になる中でも皇居や財閥の建物は攻撃を免れており、これは予め米国と通じていたこと、八百長であること、日本人の庶民虐殺が目的であったことが分かります。東京大空襲について元米国空軍の証言がこちら(YouTube)にあります。彼らは「任務だから仕方なかった」、「当時は正しいと思っていた」等と意味不明な言い訳を言い続け、中には「日本人を同じ人間として見ていなかった」と明らかに差別発言もしています。結局、自分のしたことの重大性から逃げ、自分を正当化し、悔い改めてもいない人が多くいます。本土空襲についてはこちら(YouTube)。それによれば、約四十六万人の日本人が米国軍の空襲で殺されたのです。このような日本人が大量に無差別に虐殺された事件こそがホロコーストです。しかし、これが世界で問題視されることがありませんし、規制条約が制定されることもありません。日本人の世界的地位の低さを示し、人種差別でもあるのです。要するに、偽ユダヤ人のNWO支配層の白人からすれば黄色人種、特に古代イスラエル人の末裔の日本人がいくら死のうが保護に値しない、保護したくないということです。米国の空襲のやり方は昔も今も一緒です。米国軍はイラクでも民間人を無差別に虐殺しました。参考までにこちら(YouTube)。米国軍は、人間の命を非常に軽視している人の集まりです。殺人はいかなる言い訳を並べようとも正当化されることはありません。たとえこの世の中で裁かれなくても神によって裁かれます。主イエス・キリストを固く信じる者ならば、いかなる理由でも殺人はしません。戦争犯罪者は米国人だけでなく、他の民族も同じです。日本では、昭和天皇は大日本帝国憲法下では軍の統帥権を持っており、日本軍の総大将でした。普通、戦いにおいて敵の総大将の首を狙うのが常です。総大将を倒してこその勝利だからです。しかし、先の大戦では総大将であった昭和天皇が無傷で皇居も破壊されないで庶民が攻撃の標的にされたことの異常さに気付かないで、天皇は日本の象徴だとして喜んでいる日本国民は愚かです。天皇は自分が神だと自称したこともあるので、天皇を無条件に畏敬する人は天皇教の信者です。実際、天皇や皇族を崇拝したり畏敬してもあなた方には何の得もありません。むしろ、偶像礼拝の罪に当たります。彼らこそが日本国民の税金で養われているのだから、日本国民を尊敬して頭を下げて感謝すべきでありますが、実際は彼らは日本国民に感謝などせず、臣民扱いしているのが昔も今も変わりません。こちら(YouTube)から分かるとおり、昭和天皇は原爆はやむを得なかったなどと日本人虐殺を支持し、米国の肩を持っています。なぜなら、天皇や一部の日本軍の上層部は米国と通じていたのですから米国に敵対するようなことを言えないからです。日本国民に養われておきながら、米国を支持して日本国民が殺されることを仕方ないとする人が天皇です。江戸時代最後の天皇で攘夷思想であった孝明天皇が暗殺され、その子が天皇になることはなく別人が明治天皇になって以来和服を捨てて洋服を身にまとって英国のガーター勲章を身につけイギリスの家来に下ったので、明治維新をもって従来の日本は滅びました。広島の内部被曝についても知らない人が多いと思いますので、参考までにこちら(YouTube)。広島と長崎の原爆は表向きは戦争を早く終結させるためだという嘘が公に信じられていますが、米国を支配する偽ユダヤ人による日本人を使った人体実験でした。こちら(YouTube)から、放射線被曝の恐ろしさについて知るべきです。故肥田医師は、免疫力の個人差が当然あるので癌になる人とならない人がおり、浴びる放射線量によりますが少なくても呼吸や汚染された食物や飲み物を摂取することによる内部被曝の影響は時間をかけて後から出てくると述べています。実際そのとおりです。彼は七年目で白血病が増加し、八年目に癌が増加したと述べ、今日本では二千十一年三月十一日に人工地震によって起こった福島原発事故から八年が経ち、多くの日本人が癌になったり、白血病になったり、急な鼻血が出てきた等という声がネット上に挙がってきています。日本は放射線物質の汚染も甚だしく、福島だけに留まらず、汚染土が日本全国に政府によってばら撒かれ、特に汚染が酷い福島産の米や野菜等を日本全国の外食産業や病院で大量に使い、日本人に内部被曝させています。体調が悪い人や病気の人は、被曝症状であるかを自分で調べて確認した方が良いでしょう。また、体調改善や被曝症状軽減等に重曹水を飲むことを推奨します。重曹小さじ半分を水200ml程度に溶かして一日一杯飲んでみてください。重曹の過剰摂取は悪影響がありますが、少量ならば体の酸化防止に有効です。福島の嘘から見える日本での隠蔽体質は嫌悪感しかありません。参考までにこちら(YouTube)。いいですか、日本人の皆さん、もう今までのような生活をしていてはいけないのです。永遠の将来を左右する分岐点に立とうとしています。日本に住む日本人も海外に住む日本人も、同じ世界に住む構成員であり、他人事ではありません。世の中が良くならないかな、良い政治家が現れないかな等と願ったり、期待しても無駄なことです。それは聖書を読めば有り得ないことが分かります。この世には終わりが定まっており、その終末前には地獄行きが決定する獣の刻印を受けないと売り買いができなくされ、主イエスに従順な人は不信仰の者、異教徒、悪魔を崇拝する偽キリスト信者に憎まれ、殺され、民族間や国家間の争いが増え、戦争、地震、飢饉、伝染病等と起きると主イエスによって予告されているので、悪いことしか起きません。この世はサタンや悪い者の支配下にある仮の世であると聖書には示されており、死後の世界こそ本物であり、永続する世界なのです。それをどのように過ごすかは、主イエスの信仰の有無、そして今の地上での生活や行いによって決まるのであり、いわばこの世は試用期間のようなものです。だから、この世にしがみつく生き方、金銭、物、名誉、社会的地位、快楽、娯楽、酒宴、同性愛や近親相姦をはじめとする性的倒錯に固執する生き方をやめ、神の律法で罪とされるようなこと、主イエス・キリストが忌み嫌うことをしていては死後どうなるか明白でしょう。だから、主イエスは悔い改めを全人類に命じ、主イエスが地上で神の律法、掟、戒めを守って生きられたように人間も同じように生きるように教えておられるのです。悔い改めとは、過去にしてきた悪い行いを改め、今後は繰り返さないということです。そういう改めをいくつもしていけば、必ず今までの生活とは違う世界観を持ち、違う生き方をするはずです。私が言うことや聖書を真に理解できるようになるでしょう。

聖書は宗教の本ではなく、神の民となって永遠の命を得るための指導書であり、主イエス・キリストについて書かれた素晴らしい本です。聖書やキリスト教が普及したとされる欧米諸国が悪の枢軸国だから、キリスト教が悪い、聖書が悪い等と思い込む人が一定数いますが、それは事実誤認です。欧米のNWO支配層はキリスト教徒ではなく悪魔崇拝者なのです。キリスト教徒のふりをしているだけです。悪人は善人を装うものです。このことも聖書に記載があり、「だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。」(コリント二11:15)のとおりです。本物のクリスチャンか否かは、言葉と行いで見分ける必要があり、それらが聖書の真理に合致しているかどうかで決まるのです。聖書は主イエスを信じる者には福音、即ち、喜ばしい知らせです。しかし、反対に、反キリストである不信仰の者、異教徒、にわかキリスト者にとっては滅びの宣告書なので悪い知らせです。信じようが信じまいがご自由にしてくださって結構ですが、聖書は疑いようもなく真実であり、多くの預言もすべて実現しており、たとえあなたが聖書を信じないからと言って、あなたに関係無いということになりませんし、あなたの身が安全ということにはなりません。それはただの現実逃避でしかありません。信じたくない、知りたくないなんて言っても神である主イエスが起こると仰っていることは必ず起こるのです。できるだけ早く世俗的な生活に固執する現実逃避をやめ、聖書から学んで、正しいキリスト道を知ってください。

 

手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。私は一人でも多くの人が救われることを願っています。

 

以上