こんにちは。

 

今回は、聖書を交えて、私のブログをご覧になる読者たちに向けて申しておきたいことがあります。

 

最近コメントは来なかったのですが、本日、一度に3人から過去記事にコメントが寄せられました。1人はRAPT信者、他の2人は知りませんが、結局何が言いたいのか分からない人たちでした。また、挨拶もしないという礼儀知らずで、困ったものでした。日本人はいつからこんなに無礼になったのでしょうか。

 

前回記事「現在進行で人類は選別されている」にコメントしてきた人は、言及する部分が非常に小さい点に過ぎず、あまり議論にならない箇所です。

取るに足らないような箇所を突くのは、益になりません。したがって、今後、コメントしようとする人は、この点に十分留意ください。私は、無益な論争を好まず、有益性を求めているからです。

 

そして、前々回記事「カルト宗教と偽預言者RAPTの矛盾と迷走」にコメントしてきた人は、RAPT信者と、もう1人は私の発言内容が気に障ったようです。

RAPT信者は取り上げるまでもないので放置しますが、そのもう1人は、私に対して感情的になり、記事内容とは無関係の批判ばかりし、私の問いかけにも一切応じず、私を挑発する行為を繰り返し、傲慢とだけ連呼していました。議論をしたがっているのは分かりましたが、私は議論が成り立たないと判断し、これ以上あの者のコメントは受け付けません。なぜなら、向こうは、ただ感情的になっており、まともな会話ができない状態になっているからです。私と面識がある訳でもなく、いきなりやって来て感情的な文句だけ言われ、私はそれに対しても冷静に対応しましたが、向こうは激昂してくるだけで話になりませんでした。学校の教員に詰め寄るモンスターペアレントのようです。極めて自己中心的な主観的理由で理不尽な言いがかりをつけて、自分の思いや欲求を相手に押し付ける行為に他なりません。それでも私はあの者の行為を赦します。いつか過ちに気付いて立ち返るように祈っています。ただ、同じようなことが起きないように当記事を書きます。

 

はっきり言っておきますが、私は、肉の思いで主観的なことを言っていません。ただ、聖書にのみ依拠し、主イエス・キリストへの信仰を持って書いています。

あの批判する者は、私が承認しなかったコメント内で、傲慢ではないと思うことが傲慢で、イエスのみが絶対だと言いました。承認しなかったのは、私が事前通告した内容を無視したからです。現に今、公に出しており、あの者が言ったように私が公に出してボロを出したくないからという理由ではありません。勘違いしないでください。

確かに、主イエスは絶対的に正しいお方です。私は、偽預言者RAPTのように主イエスを差し置いて、自分が絶対者で、間違わない者と言ったりはしていません。そのように言っているのは、偽預言者RAPTでしょう。主イエスを信仰せず、自らが神と同等で時代の中心者と自称して言うことに従うように強要しているような人に傲慢という言葉を使うのが正しいです。

私は絶対に間違うことがない等と豪語したことはありません。聖書と信仰に基づいて確信しているだけです。これを傲慢とは言いません。仮に、あの者が私を傲慢と言うならば、主イエスの十二使徒たち等全員に向かっても傲慢と言っているに等しいのです。聖書の真理という確信に基づいて語っていることを非難しているのですから。

私は、信仰と良心に従い、聖書の真理を説いているのであって、私が正しいことを自慢したり、アピールしたいのではありません。仮に、あの者が言うように、正しいかもしれないし、間違っているかもしれないというような曖昧な状態で伝道する行為こそです。私はこの点について、過去記事「罪について」で取り上げたとおりで、確信に基づかない(ローマ14:23)からです。これをあの者は知らないようです。

「これから言う事は間違っているかもしれませんが~」と切り出して語り始める者の言う事に誰が耳を傾けるというのでしょうか。あの者が望んでいる態度はこういうものです。

 

私は、兄弟たちに聖書の真理を宣べ伝えたい、騙されている人たちを救いたいという気持ちがあるだけです。そして、何より、欺瞞ばかりが広められ、偽りの教えが固く信じられたこの俗世界で、埋もれた聖書の福音と真理を表に出したいという思いがあります。少なくとも、真理を求める人には与えたいと思っています。「探しなさい。そうすれば、見つかる。」(マタイ7:7)というのが主イエスの教えだからです。それを何故感じ取れないのでしょうか。私は、感じ取ってくれている兄弟たちが少なからずいることは知っています。

しかし、その私の意図を悟れずに、誹謗中傷したり、クリスチャンを装って私に腹を立てて敵対してくる者がいるのもまた事実です。兄弟に腹を立てる者は裁かれる(マタイ5:22)ことをあの者は知らないようです。また、あの者は、真理を聞いた怒りからステファノに石を投げつけた人のようです。自分が何をしているのか、本当によく考えるべきはあの者です。

 

複数の過去記事で述べたとおり、読者の益を考えて書いており、偽りがないことは聖書が裏付けます。

私は、あの人に具体的な問題点を問い正しましたが、何一つ答えることができず、何の客観的根拠も無しに私を傲慢と断罪しました。そのような状況で、私を裁くとは一体何者なのでしょうか。神にでもなったつもりなのでしょうか。

兄弟への対応方法も聖書を読めば分かるはずなのですが、まるで分かっていないことからクリスチャンではないかもしれません。RAPTやRAPT信者に似ています。もっとも、あの人からは私がどのような考えや信仰を持っているかはブログを読めば分かりますが、私はあの人を知りません。貰った短いコメントでも既に悪意しか感じられませんでした。あの者のように面識もない相手にあのような態度を何故取れるのか私には理解し難いです。どちらが傲慢なのか一目瞭然でしょう。

 

私は、聖書の真理を追い求める求道者、そして、本物の信仰を持って主イエス・キリストを唯一の救い主と信じて忠実に従う兄弟たちに対して、このブログを書いています。不信仰の者たちは何も理解できないでしょうし、反キリストに惑わされて盲信して従っているにわかクリスチャンたちも同じく私の言う事、意図する事がまったく分からないでしょう。

まさに、私が複数の過去記事で説明したとおりです。

彼らは、「見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、理解できず、こうして、立ち帰って赦されることがない」(マルコ4:12)人たちです。これは主イエスがお話になりました。神に心を頑なにされた者は、私が何を言っても理解できず、聖書の真理も理解できません。字面を追うだけで、何も理解していないのです。私に反発するエネルギーと時間があるなら、他に使ってはいかがでしょうか。怒りや妬み、恨みといった主観的感情から、私に突っかかることが神の目に良しとされる行為と本気で思っているのですか。これらの感情を抱くことは神の国を受け継げない(ガラテヤ5:20~21)ことを知らないのですか。

偽預言者RAPTやその他カルト宗教団体がするように、私は金銭を受けず、聖書を曲解せず、信者を作ることもせず、人々を拘束するようなこともせず、ただ聖書の真理を求めさせ、主イエス・キリストへと導いているのです。私に対してではありません。

その私を誹謗中傷して伝道の妨害をする者、頑なで聞く耳を持たないで反抗する者まで呼び寄せたつもりはありません。不法を働く者は、離れ去ってください。

 

私は一人でも多くの人が救われることを願っています。


以上