こんにちは。

 

この頃、拙者は、聖書にある大きな議題について書いてきました。過去記事「主イエスの受肉」、「罪について」、「反キリストについて」、「携挙の真実」、「安息日の重要性とモーセの律法」等、いずれも聖書の福音でもごっつ重要な部分であり、かつ、多くのキリスト者が誤解しとる部分でもある。当ブログの読者であれば、これらの誤解は解け、聖書の真理に近付けたのであろう。もし、未だ偽預言者RAPT、Amir Tsarfati等の偽善者を信じているようでは、聖書の真理から遠いままや。拙者は、世界で唯一自分だけがほんまもんの伝道者と言うつもりは毛頭あらへん。聖書を深く研究され、聖霊の導きで真理を宣べ伝える人は何処かに少ないながら居るやろう…居ると思いたいがほぼ居らんのが現実。少なくとも、拙者が名指しし、その偽善を証明してきた人物は信用するべきやない(未だ名前を挙げてへんだけで、偽善者は他にも多く居るけど)。

 

今回は、真のキリスト者になる道について書きます。そして、あんた方が巧みな欺瞞や偽善に惑わされへんように、聖書を基に、見分ける手掛かりを差し上げます。聖書の真理を知れば、内なる聖霊の力が働き、聖書が教える善いことと悪いことを判断できるようになります。繰り返すが、その判断基準は聖書の真理であり、聖書の断片的な理解ではあらへん。ネット上を見渡す限り、それが出来てへん人たちが非常に多い。他のブログで聖霊がどうのと自称しているにわかキリスト者たちが見受けられますが、実のところ、拙者が過去に列挙した偽善者や偽預言者を信じていたりするので、彼らが聖霊を感じると言っているのは単なる気のせいか、悪霊(サタン)に惑わされているな、と思って放置しています。敢えて、それは嘘だとか、信じるなとか、その都度注意しないのは、私が余計なお節介と思われ、かえって反発を招き、ますます真のキリスト者になる道から逸れる可能性を感じているからです。人は誰でも自分が正しいと思い込んでいる時に注意されると良い気はしませんから。自ら誤りであったと気付き、実感して欲しいのです。

 

真のキリスト者たる者、主イエスと個人的な関係を深め、自分で真理の道を探し求め、主イエスに従って生きる者です。究極的には自我を放棄し、神に栄光を帰するために、神の御心に適ったことを行うために生きる者です。

おそらく、他人の力をまったく借りずにこの境地まで行き着くのは、困難を極めるでしょう。そこで、他に参考にするものがあって良いのです。その事は否定していません。あなたが私のブログを読まれるのもその助けを必要と考えているからと思います。それでも、常に誰かに指導を仰ぎ、牧師等の言うことに頼りきりで自分一人で何の努力もせず、神の律法、掟、戒めを蔑ろにしているようでは、とても真のクリスチャンにはなれません。そうやって、にわかクリスチャンの域を出ない年月を重ねて、第一の死(肉体的な死)が来た時は、「時間切れ」ということになります。私が再三、残された時間が少ないと言ってきたのは、世の中の動きもありますが、それだけでなく、私たち個人に残された時間もいつ終わるか分からないからでもあります。誰でも平均寿命まで生きるのではありません。明日の命があると思って油断していると急に終わることもあります。事故に遭ったり、病気になったり、突然死が襲ったり、死因は様々でしょうが、いつまで生きるか分からないのです。準備ができていないからといって長生きしようとか、老後に備えようと努めても何の意味もありません。信仰が薄い状態で健康に気を遣って長生きだけしても得るものは何もありません。長寿が救いの証しではありません。お金で命についてどうにもならないのは聖書の教え(ルカ12:13〜21)のとおりです。だから、キリスト再臨がいつ来てもいいように、あなたの第一の死がいつ来てもいいように準備を早く整えるべきなのです。しかし、真のクリスチャンになるのは、そう簡単なことではありません。なぜなら、この世には多くの欺瞞に満ちている上、常にサタンと戦い続けなければならないからです。そこで、今回、聖書を基に、偽善者や偽預言者を見分けるヒントを差し上げます。

 

①誰かの言うことが、聖書からズレていないか確認する。

これは基本中の基本であり、これを怠るようでは死ぬまで騙されたままです。確認すると言っても、彼らの言っている箇所だけでなく、その箇所の前後の文脈も必ず読んでください。場合によっては、離れた箇所も読まないと分からないこともあります。携挙の真実」という記事で申し上げたとおり、艱難期前携挙説(秘密携挙説)という誤った解釈やAmirが誤った携挙例(フィリポ)を出したところ等、文脈を無視することが誤読、誤解の原因であることが往々にしてあるからです。聖書の一部分だけを切り取って、「ほら、ここに書いてある」というのは簡単なのですが、これはサタンのやり方です。サタンが荒野でイエスを誘惑した時を思い出してください。サタンもイエスを誘惑した時、聖書に書いてあると言って一見正しそうに見せかけました。しかし、イエスはそれが欺瞞と見抜いて聖書の他の箇所を根拠にサタンを退けました。サタンは、聖書の字面だけ見せて、その本意に気付かせないようにして騙すのです。偽預言者RAPTも、彼を盲信するRAPT信者も、他の偽善者たちも同様です。「主よ、主よ」と言うだけで、何年も祈り続けるだけでは無駄です。教会に行って、牧師の説教箇所だけ聖書を開いて、牧師の説教を真に受けているようでもダメです。彼らはもっともらくしく、聖書を自説の根拠付けにしようと曲解することがあります。そもそも、聖書のほんの一部分の解説の話をするのに、1時間、2時間も時間を取る価値も無い話ばかりしているのがほとんどです。個人的には、時間の無駄と思います。ですから、過去に書いた記事で、教会に行くことさえ害と言っているとおりです。これは、牧師に限らず、偽預言者RAPTをはじめ、私が過去に述べた偽善者たちも同じことをします。教会に行くのは、真のクリスチャンが集まらないと意味が無いと私は思っています。にわかクリスチャン同士が集まって、世間のどうでもいいこと、聖書の真理から外れた内容について話すのも無駄です。特に、説教する者が真のクリスチャンでない場合、本当に無駄どころか、有害ですらあります。現代では、集まる程、世に多くの真のクリスチャンがいないことが残念です。

 

②聖書を複数回通読する。

これは絶対にするべきです。しかも、短期間のうちにです。人の記憶力は大して良くないことはよくお分かりのはずです。「前にどこまで読んだっけ」ということにならないようにしましょう。そして、全体像を把握するためにも、時間を空けるべきではありません。旧約聖書の誰々の治世何代とか、子孫の説明箇所等は、2回目以降の通読の時、軽く読み飛ばす等、メリハリはつけましょう。一字一句、字面を丁寧に追うと、若干時間が掛かりすぎます。そして、覚えようとするよりは、きちんと理解することです。字面を読んだだけで、何も学ばないのは勉強と一緒で、無意味です。聖書の通読は、偽預言者RAPTですら同じことを言っています。私が過去に証明したとおり、彼は聖書をきちんと読んでもいないし、真理も理解していません。もし、RAPT信者が聖書を通読して真理を理解したら、私のようにRAPTが偽預言者とはっきり分かるので、RAPTにとってカモが減るのではと思っています。そこまでRAPTは思考が及んでいないでしょう。それとも、RAPT信者ならば、洗脳することでRAPTの記事ばかり読ませることに注意を向けさせ、聖書を通読する努力もしないことを見越しているのかもしれません。いずれにせよ、RAPTのような偽善者、偽預言者にカモられないように、聖書を通読するべきです。ローマ教皇も聖書を携帯電話のように持ち歩いて読むように言っています。反キリストの頭である彼がそういう言うのも、おそらく、世のクリスチャンを甘く見ているのでしょう。聖書という分厚い書物をどうせ読まないだろうと。実際、多くのクリスチャンは自主的に、熱心に聖書を読んでいないでしょう。だから、彼らはカトリックの信者をやっているのです。カトリックでなくても、過去記事に書いたようにカトリック教義の影響を受けたプロテスタントも同じです。ローマ教皇は表向きの立場上、聖書を読むな、とは言う訳にはいきませんね。聖書を読むことを否定するならば中世の時代のようになり、完全に化けの皮が剥がれることになるからです。聖書の通読、読むことを面倒くさがるようでは、真のクリスチャンには絶対になれません。

 

③世のことを語る者は偽善者、偽預言者等の反キリストである。

これは過去記事でも述べましたが、以下の聖書箇所です。

 

新約聖書 ヨハネの手紙一 4章5〜6節(私訳)

偽預言者たちは世に属しており、それ故、彼らは世のことを話し、世は彼らに耳を傾けます。わたしたちは神に属する者です。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を罪の霊とを見分けることができます。

 

ここでヨハネが言う「わたしたち」というのは、真のクリスチャンです。真のクリスチャンは、聖書を通読し、真理を十分に理解しているので、偽善者や偽預言者等に騙されることはありません。しかし、信仰の薄い者は簡単に騙されます。なぜなら、世に属しているからです。それ故、同じく世に属する偽預言者や偽善者に耳を傾けて騙されるのです。彼らに騙されるような人たちは、私の言うことはおそらく聞いていないでしょう。「こいつ何言ってんだ」とでも思っていることでしょう。それは属している所(神か世)が違うのですから、仕方がないのです。偽預言者RAPTは常に世のことを話しています。病気がよくなる、ガンは存在しない、人間関係の天国、人生が上手く行く、子育てに悩まない、悩みからの解放、イルミナティの終焉が近い等です。これらは、すべて世のことばかりです。そして、これらは、すべて世に属する人間を釣るために他なりません。どこかのRAPT信者が有料記事内容の一部を自慢気に引用して書いていたのを少し読んで笑いそうになった文言がありました。それが「RAPTが時代の中心者」というものです。そして、偽預言者RAPTが妄想話、作り話を長々と書いて、神がRAPTを選んだとか、RAPTを通して神に祈れ、RAPTはわたし(神)が乗る新しい車のようだとか、結局RAPTを高めて信じさせるような内容でした。立派なRAPT教ですね。聖書に一切そんな記述ありませんからね。あれを無料で一般に公に出すにはあまりにも恥ずかしすぎて有料記事にしたのだと思いました。隠すことで価値あるように見せかけ、金も稼ぐことができ、一石二鳥とRAPTは思ったかもしれません。しかし、実体は、ただの恥隠しです。本当に酷いものでした。内容的にも稚拙過ぎて瞬時に作り話だと気付く程度でした。文才ある小学生の方がもっとマシな文章を書くでしょう。面白半分で気になる方は検索してみてください。私がここまで言うのは、彼をけなしたいからではありません。過去にも書いたとおり、彼が偽預言者として偽りの伝道をしており、反キリストでもあり、兄弟たちを騙しているから弾劾しているのです。決して、私恨や妬みがあるということではありません。私はRAPTと何の接点もありません。その他の偽善者たちとも何ら接点はありません。私は、ただ、兄弟たちの信仰を正すために書いているだけです。以上、偽預言者RAPTを例に出しました。この世で起こること、この世での成功、いかに健康でいるか等ばかり語る者は、神に属していません。上述の聖書引用のとおり、真のクリスチャンは、神に属する者であり、そして、世に属する者は真のクリスチャンの言うことを聞き入れようとしません。そのため、ほとんどのにわかクリスチャンたちは、真のクリスチャンが聖書の真理を語っても聞こうとせず、世に属する偽預言者や偽善者に傾きます。しかし、真のクリスチャンの言うことを聞き入れる人は兄弟です。私はほんの一握りの兄弟たちのために一生懸命、聖書の真理を宣べ伝えています。私は、聞き入れる者が少数だと初めから分かっているので、過去に有名になる訳でもないと述べたとおりです。そして、過去に言ったとおり、聖書の真理を教えるのに、金銭対価も要求しません。イエスやイエスの弟子たち、パウロが福音を宣べ伝えた時に金銭を要求したとは到底思えません。「神の言葉を説教してやるからお金をよこせ」、「癒してやるからお金をよこせ」等と、仮にイエスたちが言ったとしたら、あなたはどう思いますか。とても善行とは思えないでしょう。お金を払ってでも癒して欲しいという者もいるかもしれません。その人は、神に属する者ではありません。お金で何とかなると思っているからです。金銭欲は聖書で悪とされているのは、神に属する者ならば当たり前のことだという認識があるからです。以下の聖書に根拠があります。

 

新約聖書 テモテへの手紙一 6章6〜10節

もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足するべきです。金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまな欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。

 

聖書がいう金銭欲がいかに悪いか分かりましたか。伝道に関することでは、金銭ではなくても対価を要求してはなりません。それこそ、犯罪者のようです。就活で面接者やリクルーターが採用を約束する代わりに女子大生にみだらな行為をしたとか、悪魔祓いと称して性行為をしたりしたというニュースになったのも聞いたことがあるでしょう。もっとも、それに乗っかる方も同罪です。このような女性は被害者ではありません。最近の女子高生等の未成年者もみだらな行為をする代わりに金銭対価を受け取っている事件も多いです。明るみにならないだけで陰で行われている例も少なくないはずです。これも男性ばかりではなく、女性も同罪です。しかし、人間の法律では、未成年ということだけで保護し、成年の男性だけを処罰の対象としているので、一向にこのような事件は減りません。女性も同様に罰するべきと私は思っています。もっとも、これは人間の法律であって、神の掟の前では、言うまでもなく、みだらな行為をした場合、男性と女性の両方が罪を犯したことになります。人間の法律で罰せられないからといい気にならないことです。神はすべてを知っておられます。偽預言者や偽善者は、伝道するのも労働だからその対価を受け取って何が悪いと開き直ります。伝道を労働と主張する時点で、「自分は非クリスチャンです」と言っているに等しいです。こう書くと、サタンの指導で狡猾な彼らは、無料にすれば、真のクリスチャンになれるのだと思うことでしょう。そうなった場合、内容で判断するしかありません。少しでもおかしいと感じたら、すぐに彼らから離れるべきです。おかしいと判断する基準は聖書の真理です。それ以外はありません。過去、あるRAPT信者が、私がRAPTを偽預言者と立証した時に、本人のブログ内で私への反論として、RAPTブログのリンクを貼ってRAPTの正しさの根拠として羅列していました。何故、偽りと言っている対象者の書いた記事を持ち出して反論するのかと思いました。意味が分かりません。私は、偽預言者RAPTは偽りの記事を書いていると糾弾したのに、その偽りの記事が唯一の物証ではまったく反証になっていないし、説得力が皆無なのに、本人はそれで反証できたと思い込んでおり、その過ちに気付いていません。このように、RAPTもRAPT信者も、世に属する人間ということが明らかです。

 

以上、簡単に三つの点を示しました。

まずは、聖書を複数回通読しましょう。読む度に新たな気付きがあることでしょう。一回目の通読では気付かないことでも二回目には目に留まることもあります。そして、字面だけ追うのではなく、理解してください。そして、神の掟、モーセの律法、イエスが教えられたこと、パウロが伝えた内容等、すべて大事なことばかりです。以上、私が述べたことが苦行、とても出来ないと思うなら、あなたは世に属する人です。死ぬまでこの世で金銭や快楽を求めて生きることでしょう。人間は二種類しかいないのです。神に属する者と世に属する者です。どちらにつくかは選択です。前に、「罪について」の記事でも書いたとおり、罪は選択で犯すのです。すべては自分自身の責任です。原罪はカトリックが作った架空の概念で存在せず、遺伝でもないのです。どちらに進むかはあなた次第です。それでも、あなたに神に属する者となっていただきたく、この記事を書いた次第です。この記事に限らず、過去の記事にも真のクリスチャンになるための重要な要素を多く書きました。是非、ご覧ください。

 

一人でも多くの人が救われることを願っています。

 

以上