こんにちは。

 

今回は、終わりの時代において、ニューエイジ(New Age)という巧みな欺瞞について書きます。

 

ニューエイジの思想は、簡単に言えば、あんたが霊的に成長すれば神のようになる、神に近付けるというもんや。これは、創世記にあるエデンの園での誘惑のようです。「善悪を知る神のようになる」(創世記三章五節拙訳)と唆したのはサタン(蛇)です。サタンは、魅力的な欺瞞を用いて、聖書に書かれとる唯一神たる主なる神に逆らう方向に導くのです。ニューエイジで語られるイエスは、自分の個人的な可能性を実現した偉大な聖人の一人として看做されてます。つまり、イエスが創造主の神ではなく、自身を神であることを悟った人間として考えるように仕向けてるんです。また、聖書を引用して、「考えてみよ、神の王国はあんた方の内にあるからや。」(ルカによる福音書十七章二十一節拙訳)という箇所を曲解、かつ、悪用して、人間誰もが神になれる可能性があり、自己実現を通して人間が神になる、近付けると吹聴しているのです。ニューエイジ思想での罪は、自分の神性に気付いていないことが罪としてます。よって、自分の神性を見出せば、すべての問題が解決されるということです。せやけど、これはまったく反聖書的な教えであり、完全に間違ごうてます。

 

聖書の真理から遠のき、サタンに騙されている人々は、自分の霊的感性が磨かれ、偽りの聖霊(悪霊)を受け、超自然的な経験をしたりするようです。こないな経験で神のようになったとか、神からの声を聞けるようになったとか、体の調子が良くなったとか、頭がスッキリした、癒された等、言い出す始末です。偽預言者も、これらの心霊術や悪魔的儀式、祈り(悪魔崇拝)等をして、偽りの経験をして、そのことを証しとして語り、偽りの神を本物の神として受け入れて、人々にそれを拡散して騙しています。時には、イエスに直接会ったと主張する者もいますが、すべて偽りです。

 

世界にはベニー・ヒン、キャサリン・クールマンといった大々的にニューエイジ的な思想に基づく活動をしている人が多く居てます。それに比べれば、ネットだけ、しかも日本語だけで偽預言者として活動するRAPT等は小物です。RAPTは、聖書の御言葉を都合よく引用して、預言者でもないのに、もっともらしく演出し、聖書に書いてあることそのままを転用し、それを神様からの啓示だと偽って有料記事として販売して金銭を掻き集めています。そして、この世の成功を目指したり、霊魂の成長を促すような発言もしていることから、RAPTもニューエイジの思想があることが垣間見られます。RAPTのような小物であっても、日本はただでさえ聖書を読む人が非常に少ないので騙され易く、そんな少数の人であっても、RAPTのような小物の活動で、兄弟たちの信仰には大きな打撃になり得ます。そういう理由で、拙者は、兄弟たちを聖書と主イエスに立ち返らせるために度々このような記事を書いています。

 

映画や本でいえば、ナルニア国物語がニューエイジの例です。魔法を通して、キリスト教の世界観を見せています。せやけど、以下、聖書で明白なように、魔法は神から禁じられとる。よって、魔法を使ってその価値観を説明することは神の御心に適わへん。

 

旧約聖書 申命記 十八章十節〜十四節(拙訳)

あんた方の間に、自分の息子や娘に火の中を通らせる者、占い師、予言者、魔法使い、呪術師、呪文で魅了する者、口寄せ、霊媒者、降霊術者が見出されてはならない。これらのことを行う者はすべて、主にとって嫌悪やからや。これらの嫌悪の故に、あんたの神、主はその者らをあんた方の前から追い出されるであろう。あんたは、あんたの神、主と共に完全な者でないとあかん。あんたが支配するこれらの異邦人らは予言者や占い師に聞き従うが、あんたの神、主はあんたがそうすることをお許しにならへん。

 

あと、指輪の主(The Lord of the Rings)は、原作者がカトリック信者というから驚きではありません。カトリックは、拙者がこれまで再三、偽キリスト教と言ってきたもので、聖書に反する教えをし、神の律法を勝手に変えたし、主イエスに対する信仰が皆無で、当然神の御心に適うことを成し得ません。現に、その物語で、ガンダルフやサルマンといった魔法使いを登場させ、正義の側にも魔法を使わせていることからも明白です。

 

ハリーポッター(Harry Potter)も同様です。個人的にまったく興味が無いので見たことも読んだこともないねんけど、調べた限り、魔法学校というものに入って魔法使いになろうとした少年、少女たちの物語のようや。前述のように、魔法を使い、それを肯定する時点で悪魔的と言わざるを得ません。そして、その原作者の母国である英国で本が売れるようになって、更に米国にも売り込み、米国の力によって更なる広告や宣伝を全世界に向けて増やし、映画化もなされ、その結果、彼女は有数の富豪になりました。彼女が英語圏出身の白人であったから成し得たのです。これがどこか別の国で有色人種の人なら、同じように売れへんかったでしょう。この世の支配者が悪魔崇拝者で白人至上主義なのは明らかやからです。例えば、日本の映画はいくら日本で人気になって売れても、海外では同じように売れませんし、店頭に並びすらしません。せいぜいジブリ、ドラゴンボール、名探偵コナン等といった著名なアニメが海外の言語に翻訳された物だけがネット上で注文出来る位です。せやから、日本に興味無い人が海外で日本映画を見ることは殆ど無いんや。自発的にネットで検索して注文でもせえへん限り。そういう訳で、英語圏では英米の映画は当然の如くあるであろうし、非英語圏の国々では米国のハリウッド制作の映画は腐る程に店頭に陳列されてますが、日本の映画やら他国の映画はほぼありません。これが現実なのです。せやから、米国のハリウッドが世界の映画界を牛耳り、売れるも売れへんも連中次第ということです。この不条理さにええ加減気付くべきです。

 

世界で最も強力な反キリストは、バチカンのローマ教皇です。過去記事において何度も彼について書いてきました。上記で示した人物たちは、ローマ教皇に比べれば、ほんまに小物たちです。ローマ教皇は、カトリックの頂点に立ち、将来、世界の頂点に立つため、プロテスタントをはじめ、イスラム、仏教等といった他の宗教勢力も取り込み、全宗教の統合を実現しようと必死に活動しています。ローマ教皇の反キリストぶりについては、過去記事「聖書は今後の世界の動向を教えてくれます 後編」に書いてますので、ご参考ください。最終的に、ローマ教皇は、自分が神であると言い放つ時が来ます。現在では、既に、神の子(イエス)の代理人と自称しています。

 

ニューエイジの思想は、自己の肯定にも問題があります。ジョエル・オスティーンです。肯定の力という本を出してます(読んだことはありませんが。)。彼は、米国の牧師であり、聖書の真理から遠く離れ、ニューエイジ思想に浸かっています。自分を肯定して人の潜在的な力を得て、何事も成功するようになると教えてます。まさに、このような思考は反聖書的です。単なる楽観主義です。この教えで巧みと言えるのは、これをニューエイジ思想と言わず、神の教えであるとして教えていることです。これでは、聖書を知らん人は簡単に騙されます。前述のとおり、RAPTもこの思想があることを彼自身が示しています。いくら否定しても無意味です。病気が治るとか、世の中上手くいくようになると言っていますね。こんな人たちに騙されんといてください。

 

以上より、ニューエイジが悪魔崇拝であることがお分かりいただけたと思います。聖書は、人間の力を目覚めさせることではなく、人間は弱い存在であることを認め、神が居れへんかったら絶望しかなく、自分自身の心を砕いて自我を放棄し、常に低くあって神を求め、神の御言葉に覚えて従うことによって生きることを教えています。今の時代、過去にない位、非常に巧みで狡猾な詐欺師や偽預言者、偽善者たちで溢れかえった時代を生きとることを覚えておいてください。聖書の真理から離れんといてください。聖書しか主イエスを知る方法はありません。迷ったら、聖書を読んで、主イエスに祈ってください。他の人間に頼るのではありません。あんたが、たとえ神を愛しているとか、信じていると言っても、信仰が真理からずれていたり、御言葉に従わへん生き方をして、他の人間を尊敬して崇拝しとるようでは、あんたの霊的状態は危険な状態になってます。悪霊ですら主イエスが神の子であると言い表しており、悪霊の動きがあたかも神の霊であるかのように装い、信仰の薄い者たちを惑わし、にわかキリスト者は聖霊に満たされとると思い上がって勘違いしとるんです。RAPTや、その他の自称キリスト者たちはまさにこの状態にあると私は思っています。RAPT信者が騙されるのは、ニューエイジ思想に基づいてサタン崇拝するRAPTが聖書を使い、表面的に信仰を表すからです。カトリック、正教会、プロテスタント等の人たちも例外ではなく、口先だけ主イエスを信じると言ってるだけで、行いがちっとも伴いません。そんな信仰は死んだものやと聖書のヤコブの手紙にもあるとおりや。神に選ばれてへん人たちは、目に見えることや現象にだけに囚われるから騙されるのです。その奥にある思想について考えへん、そして、聖書の真理を知らんとその欺瞞に死ぬまで気付かへんのです。死んで陰府に行った時に気付くでしょうが、その時にはもう遅いです。

 

ニューエイジでは、チャネリングというものがあります。霊界と通信することです。これは心霊術です。このような霊媒行為も聖書で禁じられているとおりです。何度も言いますが、ニューエイジは悪魔崇拝です。サタンの力で起こされるあらゆる不思議な経験を通し、その思想や信仰が真実かのように思わせ、人を神から遠ざけとる。このような思想を信じて行ったらあかん。これから経済危機、犯罪や暴動の増加、戦争、地震、その他の自然災害等が起き、そのように人々が混乱している中で、いずれサタンはその代理人を救世主かのように振舞わせて人々の前に現れます。サタン自身が光の天使に変貌するから(コリント二 十一章十四節拙訳)で、奇跡や不思議な業を起こして世界中の人々を惑わし、黙示録の獣と形容される反キリストの人物に従うように強要します。これが新世界秩序(New World Order、以下NWOという)の動きの中にあります。

 

RAPTは、NWOについては、日本中心と書いていますが、これは明らかに誤りです。米国に隷属する日本が中心になるはずがありません。これもRAPTが聖書を読んでへん、預言者の書を読み解けてへん証拠です。真実は、拙者が当記事、過去記事に書いたことです。RAPTはあたかも自分が発見したかのように語っとるが、ネット上で既に明らかになってることを彼が真似して書いてるだけで、真新しいことは何も無く、更にうっとおしいのは間違うた考察や推測を偉そうに吹聴してることと嘘をついとることや。かなり多くの嘘も散りばめられているので、全面的に信用せん方、彼のブログなんか読まへん方があんたのためです。彼が言う秦氏とか出雲族、色分け勢力図といったものは間違うた妄想に過ぎません。彼が歴史や事実を無視して勝手に当てはめて作り上げた妄想であり、何より信仰とは無関係やさかい、そのようなことを論ずる意義も皆無です。そんな無駄な議論や妄想に耽る暇があれば、きちんと聖書を読むべきです。

 

サタンは、最後は滅びの運命にあることを知っています。サタンは、一緒に永遠に消えることのない火と硫黄の池に投げ込まれて苦しむ人間の仲間を集めているのです。サタンは嘘つきの父(ヨハネ八章四十四節拙訳)であり、神の真理に似せた教え(聖書の曲解)を流布し、可能なあらゆる手段を用いて人々を騙して仲間に引き入れようとしてます。あんたが、それに巻き込まれへんようにするために、拙者は記事を書いてます。おそらく、拙者は、人々にとって耳の痛い話をしていることでしょう。騙されてとると執拗に言われ、せやけど、あんた自身は絶対に騙されてへんと心を頑なにしとるんやないか。そのような頑なさこそが、高慢なのです。旧約聖書に出てくる預言者たち、主イエス、主イエスの直弟子たち、そしてパウロも人々から疎まれていました。石を投げられたり、罵られたり、鞭打たれたり、処刑によって殺されました。なぜなら、聖書がいう真理が、世の人々が信じとることに反しており、世の人々が自分たちの信念こそが正しいと思い込んで、主イエスが教えはる真理を真理と受け入れへん程に高慢やからです。かつての預言者は、神を正しく礼拝するようにと言う前に、いかに神を間違って礼拝しているかを非難しました。そのため、人々は預言者を嫌い、偶像礼拝していた当時の権力者たちは彼らを殺しました。理由は、既に言ったとおり、彼らにとって耳触りのええ話やないからです。それ故、預言者の品性は、人々に誤解され、疎まれ、頭がおかしいとさえ思われたことでしょう。しかし、イザヤやエレミヤといった預言者は、真理に背かず、世間に迎合せず、率直に神の御言葉を伝える人たちやった。すべての預言者が処刑された訳ではありませんが(正確には処刑記録がないので最期が不明)、このように正しい人たちは、あらゆる侮辱や迫害に耐え、悪に屈せず、死まで神に従順であり続けました本物の預言者はこういう態度であり、人々に受け入れられ易いこと、耳触りのええことを言う人では決してない。

 

真理は聖書にあり、主イエスや。他にはありません。信仰は、聖書の御言葉、聖書が伝える真理を正しく理解せんかったら、本物にはなりません。あんたの信仰や行いが聖書の主イエスの教えや律法に照らして、合致せえへんなら、サタンに騙されて真理から逸れた状態ということです。今は、終わりの時代にあって、時間がほんまにありません。今すぐ、聖書の御言葉を深く研究して、本物の信仰を獲得せんかったら、あんたに救いはありません。拙者の記事を読まれて、兄弟のキリスト者たちは、目を覚まし、聖書を学び、主イエスに立ち返ってください。意地でも世の諸教会に通い続ける人、自称聖職者の地位に安住する人、RAPT教等といったカルト宗教信者を続ける方々、ご勝手にどうぞ。拙者はあんた方に何と言われようが気にせえへん。どうぞ偽預言者や偽教師等を信じた結果を楽しみにしていてください。もし、主イエス・キリストをまだ知らん人も、拙者の記事を読まれ、真実性をご理解されましたら、是非、聖書を手にとってお読みになり、神の民となるために世のことは一切捨てて、一生懸命に励むよう、心から願ってます。拙者は一人でも多くの人が救われることを願っています。

 

以上