うろ覚え1986年
今日の内容は自分のために書きました。ほとんどの人にとっては何の役にも立たない内容であることを予告しておきますね。
こんな折だから思い出そうと思いました。自分がチャゲ&飛鳥を好きになったのはいつだったのか? なぜ好きになったのか?
リアルタイムでは覚えていない「ひとり咲き」ですら、目をつぶっていてもギターで弾き語りができてしまう私です。チャゲアスの音楽が自分にとっての当たり前になっているからこそ全力で思い出します。
そんなわけで時計の針を今から30年前の1986年に戻します。この年は私がチャゲアスのファンになった、と公言している年なのです。
実際のチャゲアスの歴史と1986年当時の私自身の状況を重ね合わせながらのうろ覚え回想です。
1月にNEW YEAR EVENT『ONE NIGHT MAGIC』が開催されました。日本武道館、福岡サンパレス、大阪城ホールという大きな会場です。そして、2月5日にキャニオンレコード遺跡第1弾シングルの『モーニングムーン』が発売されました。
さて、当時の私は中学2年生でした。サッカー部に入っており、まだ音楽にはそれほど興味を持っていません。放課後や休みはサッカーボールを追いかけまわしていました。家族で小さな古いアパートに暮らしていましたし、テレビも父が見る野球中継が優先。3月から4月にかけて人気音楽番組「ザ・ベストテン」に「モーニングムーン」でチャゲアスが久しぶりに出演していますが、見た記憶はありません。
4月に私は中3に進級しました。でも、4月からのコンサートツアー『Big Explosion Series』も4月21日に発売されたアルバム『TURNING POINT』も当時はまったく興味の外にありました。
5月21日に私がファンになったきっかけの楽曲『黄昏を待たずに』がリリースされますが、最後の夏の大会に向けてサッカー部の活動が佳境に入った頃です。リアルタイムで聞いた記憶はありません。
状況が変わるのが8月です。
夏の大会が終わりサッカー部を引退したのです。放課後の部活動がなくなりました。そしてあるテレビ番組に夢中になります。夕方5時の大人気番組「夕やけニャンニャン」です。
チャゲアスになかなかたどりつきませんね。ごめんなさい。もうしばらくかかります。
私は小学生の頃からあだち充さんの漫画が大好きでした。特に「みゆき」が好きだったんです。その「みゆき」がドラマ化されてフジテレビ系列の月曜ドラマランドという枠で8月4日に放送されたのです。主演していたのがおニャン子出身の河合その子さんでした。そして、その子さんのあまりの可愛さに一目ぼれしてしまったわけです。河合その子さんのことを書きだすと止まらなくなるのでここでは書きませんが、このドラマを見たことで河合その子さんを知り、おニャン子を知り、「夕やけニャンニャン」を見るようになりました。それまでサッカー部の練習で夕方5時のテレビ番組は見ようにも見れなかったのが、サッカー部を引退してぽっかりと時間が空いた時間がおニャン子で埋まったんですね。
その夏を境にその子さんやおニャン子の歌をレコードで聞くようになります。しかし、中学3年生のおこずかいでは欲しいレコードを全部買うことはできません。1986年はレコードからCDにメディアが移っていく時期ですが高価だったCDプレーヤーはまだ持っていません。レンタルレコード屋で聞きたいレコードを借り、カセットに録音して聞くようになりました。おニャン子に限らず当時のヒット曲を聞きたいと思って借りた1本のカセットテープがありました。キャニオンレコード系列のポニーから発売されてヒット曲のオムニバスベストでした。もうタイトルも覚えていません。今、インターネットで調べてもまったくデータは出てきません。しかし、確かに借りました。目当てはアルフィーだったと思います。「Sweat&Tears」だったか…、いや、「風曜日、君を連れて」かもしれません。とにかくヒットを連発して歌番組に出まくっていたアルフィーやアイドルの楽曲を目当てに、その10数曲のヒット曲が収められたカセットテープをレンタルしたのです。
そのカセット限定のテープに「黄昏を待たずに」が入っていたのです。もうかっこよくて、かっこよくて。ただ、小学校の頃に聞いた「万里の河」の人たちだとは気づきませんでした。
すぐに同じシリーズの一つ前のカセットを借りました。それには「モーニングムーン」が収録されていました。もうかっこよくて、かっこよくて。その2曲ばかり聞いていました。
まだ音楽情報にはまだ疎かったので8月に発売された新曲の『Count Down』はちゃんと聞いた記憶はありません。
9月21日にアルバム『MIX BLOOD』が発売されていますが、買ってはいません。たぶん翌年に中古CDで買った記憶があります。それが初めて買ったCDのはず。まだCDプレーヤーは持っていなかったのですが。
振り返ってみるとこの頃はアルバムもシングルも持っていなかったので「黄昏を待たずに」「モーニングムーン」の2曲だけを聞いていたわけですね。まだ音楽に興味を持ち始めたばかりの頃ですからそんなもんでしょう。
その頃、生まれてからすっと住んでいた小さなアパートを出て、近所の小さな文化住宅に引っ越しました。小さなダイニングキッチンと6畳2部屋というこれも小さな家でしたが、妹と共同ながら自分の部屋をもらいました。テレビや音楽をそれまでより自由に楽しめるようにもなったのです。部屋には河合その子さんのポスターをたくさん貼っていました。ChageさんやASKAさんが天地真理さんやアグネス・チャンさんのポスターを部屋に貼っていた話を聞くと親近感を覚えるのはこんな理由です。ASKAさんが消しゴムを落とした時のために机の下にアグネスのポスターを貼っていたという話をされていましたが、全く同じことを全く同じ理由でしていましたから。
さて、11月21日になんとこの年4枚目のシングル『指環が泣いた』が発売されました。この頃には「私はチャゲアスのファンだ」という意識がありました。ラジオの電話リクエスト番組で「指環が泣いた」がかかった時に母と会話をしたことを覚えています。「チャゲ&飛鳥のこの歌が好きだ」と話したら母は「『万里の河』の方がいいな」と言いました。それで「万里の河」の人たちだったことに気づきました。
12月5日にクリスマスミニアルバム『Snow Mail』が発売されます。もちろん欲しかったのですが最優先は河合その子さんであり、おニャン子であり、南野陽子さんであり(笑) とにかくアイドル優先でしたので「借りて」聞きました。
年末にはチャゲアスのコンサートツアー『Super Explosion Series X'mas Special』が開催されていましたが、あったことすら知らなかったでしょう。今と違ってインターネットがなかった時代です。私が初めてコンサートに行ったのは翌年のおニャン子クラブの解散コンサートです。まだライブという言い方はされていませんでしたよね。
大晦日にはチャゲアスにとって活動の大きな分岐点となったフジテレビの特別番組「世界紅白歌合戦」がありました。洋楽はまだ全く聞いていませんでしたがチャゲアスが出る! というだけでNHKの紅白歌合戦ではなく世界紅白を見ました。4カ月ほどでチャゲアスにはまっていたわけです。
思いだせないことがあります。その頃の私は一体どのアルバムを聞いていたのかです。
『スーパーベスト』は発売されていません。『TURNING POINT』は高校1年の冬にレンタルで借りて聞いたのが初めてです。別の記憶(部屋でレコードを聞きながら好きな女の子とロッテリアのてりやきバーガーを食べた(笑))とセットなので間違いはありません。『MIX BLOOD』は先にも書いたように高1の時に中古で買ったはず。『Mr.ASIA』は発売前。当時のベスト『Standeing Ovation』もアナログレコードを借りた記憶はない。ワーナー時代のアルバムは高校の先輩に『熱風』のカセットを借りたのが最初だったはず。初めて「新品」を「予約」して買ったのが翌年の「SAILOR MAN」のシングルだったことはよく覚えています。
とうことは、つまり。
「モーニングムーン」と「黄昏を待たずに」と「指環が泣いた」だけを繰り返し繰り返し聞いていたのか‼
恐るべし中学3年生のてるれのん。
情報が少なかった時代とはいえ、半年間ほどはそんな状況だったとしか思えません。
その後のことも少し…
1987年4月。地元の公立高校に入学しました。理不尽な上下関係が嫌だったのでサッカー部には入りませんでした。チャゲアスの歌が歌いたくてフォークソング部に入りました。1学年11クラスという大人数の学校でしたが、バンドブームの頃ですからフォークソング部は人気がなく、新入部員は私だけでした。2年生もさだまさしファンの先輩が1人だけ。3年生は女子2人。その3年生の先輩(確か「宮崎」先輩だっと思う…)が「チャゲアスが好きならこれを見いてみぃ」と『熱風』のカセットテープを貸してくれたのです。5月に発売された『Mr.ASIA』とともに聞きまくりました。
高校の文化祭では毎年チャゲアスを歌いました。1年は「翼」。2年は「涙BOY」と「ひとり咲き」、3年は「終章(エピローグ)」。
アイドルも大好きでしたが、チャゲアスもそれ以上に好きになっていきました。高1の時に大ブームを巻き起こした光GENJIの楽曲をチャゲアスが手掛けていたことも大きいな。早見優さんや酒井法子さん、畠田理恵さんなどの女性アイドルソングも数多く書いていましたし。アイドル好きな自分とチャゲアスの接点があったんです。おこずかいは相変わらず少なかったのでチャゲアスのアルバムはなかなか買えませんでしたね。高3の時に発売された『PRIDE』をおこずかいをためて買ったのが初めての「新品」でした。
今、こうしてチャゲアスを語る私のブログをたくさんの人が読んでくれているという状況。
そのはじまりはいくつもの偶然が重なりあっていました。
サッカー部を引退したこと。おニャン子を好きになったこと。借りたカセットに「黄昏を待たずに」が入っていたこと。高校に軽音楽部はなくて人気薄のフォークソングしかなかったこと。先輩が『熱風』を貸してくれたこと。
うろ覚え1986年。
みなさんがチャゲアスに恋したのはいつですか。
その出会いをはっきり覚えていますか?