ドラマに登場する食事シーンから 韓国の方の考え方を見てみましょう。
韓国では:
*冷蔵庫を開けてペットボトルの水、パックに入った牛乳を 男女問わずラッパ飲みする。
家族、同居人が 皆これを自然なこととしてやるので、初めてこれを見たときはビックリ。
ボトルから グラスに注いで飲むことが当然と思っている 私と同じ世代の日本人には かなりショッキングなシーンです。
もっとも アメリカ人もビールを瓶に口をつけ ラッパ飲みしますので 日本人のマナーの方が 世界標準から かけ離れているのかもしれません。
*器を手に持つことをせず スプーンですくい取ったチゲを口まで運ぶ。 こぼれないか気になってしかたない。
器を持って 食べるほうが こぼすことも少ないし 合理的で 美しい所作だと思うのですが
韓国では 器を持つことは マナーに反するとされているので 実に危なっかしい ドキドキシーンが続いてしまいます。
陶磁器でなく 熱が伝わりやすい金属製の器を使うのが大きな理由でしょう。
そもそも 熱すると微かな匂いを発する真鍮の器を日常食器として 愛用することも
日本人には なかなか組しがたい嗜好(・・・たぶん)。
陶磁器が唇に接触する微妙な感覚も 味覚のひとつのように捕らえるから
器の素材や厚みにもこだわった多彩な食文化が花開いた日本。
今日の 日本のあらゆる生産現場で見られる 「細部へのこだわり」に受け継がれている感じがします。
*サンチェに包んで、ア~ンした相手の口に入れ 食べさせてあげる。
親しい男女、家族の間で繰り広げられるほほえましいシーン。(うらやましい~)
ただ 大抵 口がいっぱいになるほど 包みが大きくて 美男美女の表情が崩れ 目が白黒したり・・。
息が詰まりそう・・と見るこちらも緊張してしまいます。ですが、その後は 女性もかなり豪快にモグモグします。
オチョボ口や、口元を手の平で隠しながらといった光景には出会ったことがありません。
食べる時に 人からどのように見られているかなどは 気にも留めないようです。
*座卓を囲むときは 立てひざか 胡坐(あぐら)が公式マナー。
麗しき女性が立てひざや 横すわりして 片手を床についたまま箸を伸ばす
・・・これを 初めて「ガンバレ、クムスン」(ハン・ヘジン主演)で見たときは仰天。
「チャングムの誓い」では 王女でさえ チマの中では胡坐スタイルでした。
後に、韓国の文化を学ぶ中で 韓国では正座は 罪人、あるいは許しを請うとき、つまり負い目がある人がとる姿勢であるとわかり これまたビックリ。
そろばん、習字、お茶、踊りのお稽古など 正座が当たり前の社会(今はどうだか分かりませんが)で
暮らしてきた私には 正座をそのように捉えるというのは 大きなカルチャーショックでした。
*取り箸、取り皿はご法度。
食卓の真ん中に イソモチや、ニベが焼き魚となって置かれています。
見ていると 各々の箸で身をむしりとっています。
そして その身を自身の他の器にもってくるか、さもないと そのまま口に入れます。
トングや取り箸は用意されず、おてしょ(小皿)も置かれていません。
味が混ざろうと、たとえ実質的に 間接キス状態になろうと・・・。
おおらかで、ほんとうにひとつの物をわけあって食べるとはこういうことかと納得しました。
取り皿は 情を壊すという考えが支配的だそうです。
でもいろんな気持ちでいる男女が 食べ物をシェアするというのは 日本では無理でしょうね。
ある意味うらやましくもあり、親しさを押し付けられているようにも見えて・・・ 微妙なところですね。
*食べ散らかして 「ごちそうさま!」
食べおわったシーン。子供たちの食事跡のよう・・ 器にはご飯粒がくっついたまま・・ ほかの器にも 何かしら残っています。
「箸を取る 前に思えよ このご飯 誰がおかげで食べられるかを」 「ご飯粒が残っていると目がつぶれる」などいわれて育った私には
この お行儀の悪さに顔をしかめてしまいます。
日本以上に貧しかった歴史が 現代の韓国家庭の食卓に残したものは ほとんど何もないようです。
ちなみに「盲目になること、お先真っ暗状態」を韓国ではヌニ モッタ=目が(視界を)食べる というそうですが、
食べることと 視力を関連づけた このイディオムの教訓は 生きていないようです。日本でもそうですがね。
*最年長者が食事の始まりと終わりを決める。
これは食事に限ったことではありません。
年長者が部屋に入ってきたら、何があっても起立というシーンは数多いです。
年長者の着席を待って食事が始まりますし、 彼らが退席するのを確認してから 若い人たちは席を立ちます。
このルールからはみ出す若者には マナー違反を叱責するセリフが聞こえてくるのが普通。
日本では失せてしまった 家長を立てるという不文律が ここはしっかり健在しています。
封建的とみる向きもあるでしょうが、 礼儀を重んじるという意識は まさに頭を垂れて礼をするという行為でもあります。
こういった 人間性にかかわる所作が日常的に見られる国は 友人としてふさわしい国でもあると考えています。
食事にかぎらず、過去から受け継がれた民族の習慣は、互いに固有の文化でしょう。それを固定観念でもって 評価、両断するのは理にかなうことではありません。持っている評価の物差しそのものが異なるのですから。まずは違いを知ることから 理解が始まるはずです。