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「        の人によろしく」 (ある個人の手紙から)



「”失われたつながり”(ミッシング・リンク)」 (バーバラ・アン・ブレナン著 『光の手・上』から)



「プロのチャネラーが意味不明なことを言ったり、的外れの全く間違った情報を受け取るときがある。ただ単に間違っている場合もあるが、多くの場合チャネラーの理性が働いている時に起こる」 (同上)




朝まで何も考えていなかったのに、ふと思いついて、手をつけるのが辛くて避けていた問題に、着手。

着手、だけで、まだ踏み込めてはいないが、こうなった以上本格的に向き合うことになるのも時間の問題である。

繰り返すが、これに踏み込むのは、辛いのだが。

ビビっている人格はさて置き、オートマチックにこんなことが起こるのは、良い傾向だろう。



ふと。

これがクワセモノ且ありがたく、その気がないところを、ふと、踏み出してくれる。

ふと。

この“思いつき”に導かれてみようか?



自分のことだけでも“辛い”課題をこれから処理しなければならないのに、大変な“思いつき”が降ってきてしまった。



どうしよう?



これは私ができる、すべき、したいこと? どうやって?

それともただの誇大妄想?



もう少し、流れを見てみよう。




PROJECT MISSING LINK






どれだけ言葉を重ねても。



あんなにも情熱を持っていたことが、ただの色あせた義務になってしまった。

あんなにも慕っていた人が、ただの苦痛しか与えない人になってしまった。



それが、私にとってのこの一年の事実だった。

それはもう、自分がまったく別人になってしまったのではないかと思うくらいの変わり様。

何もかもが色あせてこぼれた。



それが。



何をしても良い、束の間の時間。

再び、本を開いた、小さな情熱をもって、義務でなく。

実に、久方ぶりのことである。



本当に自ら求めた時がわかるよう、昨日までの「やらなきゃやらなきゃ…でもどうしてもできない…」期間があったんじゃないかとすら思う。

(本当にできないのだ、嘘みたいだが)

「やらねばならない」というプレッシャーを感じているときに、それができないというのは、相当焦るし苦しいことだったのだが、このときの為なら仕方ない…でも苦しかった!と、一部始終を眺めていた誰かにちょっと恨みごとこぼしたい。

でもありがとう。



■■■ 夢(寝て見る)について



・ いつも起きたてまではギリギリ覚えてるけど、すぐ忘れてしまう。支離滅裂な内容ではあるんだけど。

・ もったいないからメモを枕元に置いたのに、やっぱりかかずに忘れてしまう。

・ 確か女の人が…まるで覚えてない

・ 「あなたは**とは何だと捉えていますか」という、職業上、非常に非常に核心をつく質問をされて、答えていた。これは答えた内容も覚えている。

・ 明日は覚えていられるだろうか。





ありったけの罵倒を書いて、火をつけた。

四角いカンの中で、小さな紙片はすぐ真黒になって、灰になった。

私は悪口が嫌いで、人を否定するのが嫌いで、不機嫌になるのも嫌いで。



小さな紙片の裏表にすぎないけど、一言書いたら、考える間もなく手が動いた。喉の奥にも力が入っていた。

口に出したら、全部全部、何もかも崩壊するような、酷い、恐ろしい事。

自分が自分でいられなくなるような、醜い事。



本当はそんなこと思っていないんだよ。

誰かに向って呟いた。

それが想いの全てじゃない、でも、嘘みたいな醜い言葉が溢れるのも本当。



驚くべき気安さで、私たちは簡単に傷つき、おなじように簡単に恨みをもつ。

人を恨むまい、妬むまい、人は愛すべきだ。そんな意志の力など、まるで関係ない。

善も悪も、正しさも誤りも、関係ない。

あくびするように、呼吸するように、自然に、恨む、妬む、嫌いになる。

肩が触れ合ったことが、憎むに足ることもある。



ただそれを制するのは、意志の力だというだけ。

そして、それを癒やす力も、私たちにあるというだけ。



これも私の瑕だから、無視せず、抱きとめる。



人には言えないから、カンの中で火をつけた。

刺し返せはしないから、カンの中で火をつけた。

どうか私の念を、炎が清めてくれますよう。




痛みは一瞬で流そう

喜びも感謝も一瞬

(2011年1月のメモから)







朝である。

珍しく寝つきが悪かった割に、あっさりと目覚めた。

片付いた部屋に慣れない。



一日にして、部屋は片付いていた。そのつもりでなかったのに、気づけば家具のうしろの誇りまで、全部掃除することになっていた。私は片づけられない人間だったのだが。



このまま靴を洗い続けて( )、解決不可能に思えていた問題が解決したら、私は靴洗いを極めよう。




■■■ 靴の古い汚れを洗ってから1週間で、変化したこと



・ 夢(実現したいこと)を書いたリストを引っ張り出した

・ ほとんどが今すぐか近いうちに実現可能だと気づいた

・ そう気づくようなきっかけが向こうから舞い込んできた

・ 部屋が片付いた



■■■ 特筆すべき、昨日の出来事



・ 夜におもてで殺すのなんのの騒いでる人がいた。騒いでるだけ。

・ 夕方と寝る前のニ回、何年かぶりの頻脈が起こった。本当に久しぶりな上に、私にしては長い。

・ 寝つきが悪い。

・ 胸をついての自殺、医者、についての考察





自分が傷ついたと思うのは正直ちょっと惨め。それもカエルを踏んじゃった、みたいなつまらない事で。

(2010年12月のメモから)



正直ちょっと、どころではない。

自分が弱弱しく傷ついた、なんて認めるのは、多大な勇気が要った。



一年経って、ようやくこの時の自分に言えることがある。



「土に埋めて、靴を洗いなさい」



最近、ようやく靴を洗い始めた。

もっと早くに洗えば良かった。

靴を裏返して見れば、昨年だけでなく、私が生まれ落ちた瞬間から、いろんなモノを踏んでいた。

むしろ臭っていたのは、ずっとずっと昔のものだった。





人はとるに足らない理由で傷つくことがあるらしい。しかも無視できないほど腐臭がしてくるまで気づかない。





腐った蛙を抱えているのは、まったく脳の無駄遣いである。

脳の9割以上、蛙に費やしているんじゃないかとすら思える。

どれだけ人生難しくしているのか。



放っておけば、腐臭がしてくる。視界に入らないように、いつも気が取られる。人に気づかれないように気をつかう、指摘されれば嫌な気持ちになる。ほかの蛙をみれば、また踏んでしまうかもしれないので、やっぱり嫌な気持ちになる。しかも新しく踏んでもどんどん気づかなくなる。



何とかしなきゃ、努力しなきゃ。

そんなこと考えるより、靴を洗ったら良かったのだが。