ブログを読み返すと、あーこんなことあったな!えー私こんなこと書いてたんだ!?と思う。
だから、日記代わりに利用しよう!と思ったのに、やっぱTwitterにつぶやいてオシマイにしちゃう。
とはいえ、文字制限のある中じゃ書ききれず、結局どこにメモることもなく、忘却の彼方へ日々が
埋葬されていく・・・のはもったいない。
週末は子どもたちがいて難しいけど、平日くらいはちょっとずつ書いていこう・・・、と書いてみるけど、まず明日がどっちに転ぶか?
書きたいことは色々あるけど、愚痴やら何やらが多くなりそうだ。
思えば、猫や虫のことばかりをちまちま書いてた時は、ハッピーだったなぁ。
相手がどう思うかなんて考えずに文章を書いてた時は、どんどん書きたいことが出てきて、
じゃんじゃん書いてた。
これを私は「大人になってしまった」と自分なりに解釈してるんだけど、
この文章のせいで不快な思いをする人がいるかもしれない・・・
私はこう思ったけど、こうは思わない人もいて、傷つけるかもしれない・・・
とか考え始めたのよねぇ。
そしたら、中々思ったように書けなくなっちゃって、書けない内に子どもが生まれて、
日々忙しくしてる間に、書かないことが普通になった。
リハビリがてら始めたTwitterだけど、たった140文字?でも、大いに人を傷つけたり、
燃え盛ったりするわけだから、言葉って怖いわ。
でも、同じTwitterでいろんな人の価値観に触れてみて、誰かを気遣って言葉を書く必要はないと
分かった。
私が、「私はこう思うけど、こう思わない人がいるかも」はお互いさまだということ。
自分の「他の人は同じように思わないかもしれない・・・」を許せないってことは、相手の「こう思う」も許せないってことなんだ、とか。
相手の不快でもなんでも、抱いた感情は、その人自身のものであって、私のものじゃないんだってこととか、思えるようになったな。
たった140文字、されど140文字。
恐ろしいこともあれば、学びも深い。
こんなこと考えずに、当たり前に文章を書き続けられる人もいるんだろうけどね。
とゆーても、今や書きたいことは愚痴のような日常っていうのがね。