現在田中さんはは「身近なものを描く」ことをテーマにしているといいます。実際に目の前で見れるものをキャンパスに興していくのだそうです。




「メロンパンのなる木」




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これは題名を聞き忘れてしまいましたが・・・^^;;ご家族を描いた作品です。

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これからの見通しを伺うと、今ある詩人さんとTV局とコラボレーションをしてアートを身近なところから広げていこう、という活動をし始めているそうです。その時々によって表現方法や描きたいものが変わるので、自分の絵がこれからどのような方向に進むかは未定、ということ。




田中さんはずっと独学でしたが、これからある美術大学に編入も考えているといいます。基礎的なデッサンなどを専門的に学習したいとのことです。ただ、今まで独学だったのには理由があり、基礎的な写実的デッサンを習ってから個性を見つけ出していく、という今の美術界ではベーシックなやり方を破っていきたいから。「皆のやっていることはやりたくない」「突出する存在でありたい」という考えは芸術家ならば誰しも持っているでしょうし、田中さんの場合はその思いが非常に強く感じられました。




尊敬する画家は、会田誠。あのアウトサイダーな感じが共感できると仰ってました。

基礎描写力をきちんと身につけようと思ったのは、会田誠がきちんとしたデッサン力を身に着けていて、何も見なくても描きたいものを自分の中のイメージだけで正確に描くことができるところを見習いたいと思ったからだそうです。

また、自分の作品について論理的に説明ができるように、美術史や同世代の美術を勉強することも目下の目標に掲げています。




スケッチブックはあふれ出るイメージでいっぱいでした。


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これはダビンチの絵を模写したもの。(洗礼者ヨハネの肖像の手の部分)


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今回取材して、特に印象深かったことがあります。私の周りでは、創作をする人は皆デッサンから入ります。正確な比率やパースや質感表現を扱えてこそ次に進めるのです。美大の入試だってまずは正確な素描が求められます。それが当然だと思う世界に生きていたので、田中さんの意見を聞いて全くそれと正反対の考え方もあるんだなと改めて気付かされました。




つまり、絵画で言えばデッサン(基礎とされている)→個性的表現(応用とされている)が王道コースですが、田中さんの場合は個性的表現→デッサンを習おうとしている わけですから。

ある物事に対して反論があるのはこの世ではあたり前のことなのですが、あまりに確立した考えが蔓延しすぎて気付く機会がないのでしょうね。




そしてそうしたことも含めての「既成概念を打ち壊してきたい」という田中さんの考えは、なんでしょう、情熱的というか、一種衝動的ともいえる疾走感も感じました。

常に前へ前へと変化を考える田中さんの作品はこれからさらに発展すると思います。様々なアプローチをしていくということは様々な人の感性に働きかけることと同義だと思うのです。




田中さんは来年の二月に行われるNY EXPOという一般公開型の国際大型展示会に出品する予定だそうです。

是非国外でも一層活躍してほしいと思います。










そして、1に少し書いた詩人の井上優さんも田中さんから紹介していただけることになりました!

また取材したら記事にしたいと思います。














Mid-Blue取材企画第一弾に行ってきました!Mid-Blueとは:こちら  HPはこちら

この企画は作家さんにお話を伺ってSarartで紹介していこうというものです:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

HPにも載っていますが、油絵画家の田中拓馬さんに話を聞きました。とても気さくな方で私も楽しかったですにこ


田中拓馬さんは早稲田大学法学部出身、体調を崩し司法試験を諦めた後に2003年から絵画の道に進みました。つまり専門機関での教育を受けていない独学の画家です。たった五年の間にすでに何回も賞を受賞し、大きな展覧会にも出展しています。


絵を描くようになったのは、小説家志望の友人が絵画を始めたことに影響されたのだそうです。もともと西洋美術が好きで、海外の美術館にもよく足を運んでいた田中さんは、油絵を選びました。美術館等でよく目にしていて、見慣れていたからという理由もありました。また、初めて田中さんの描き始めの絵を見て評価してくれた、当時通っていたカルチャースクールの先生が油絵を手掛けていたことにも影響されました。


田中さんは美術史を一通りなぞっていて、特に最初の方は西洋の絵画様式の色々な模倣を多くしていました。

これは初期のころの絵です。ゴッホの「ひまわり」に構図も描き方もよく似ています。



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これは印象派っぽい。



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最近の作品にはこの下の作品のようにかなり色彩表現が劇的で、あえて補色対比の効果などを利用して強烈な色彩配置をしているものが目立ちます。

この鮮やかな色彩表現にはフォービズムやドイツ表現主義の影響もあるそうです。この力強い輪郭線はフォービズム、マティスの描き方に特に近いように思います。帽子の線の引き方などは若干モンドリアンを想像させますが・・・笑



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田中さんは常に新しい表現を模索しているそうです。一定のところに留まりたくない、というポリシーのもとに制作をしています。中でも面白いと思ったのが、田中さんにとっては少し前の時期のテーマですが、「量子力学論と絵画の関係性」を意識した一連の作品です。

また、伊藤若冲、曽我蕭白、俵谷宗達たち日本画の巨匠からもインスピレーションを受けています。特に伊藤若冲には想いが深く、京都に出かけた時にその作品に触れ、若冲自身のことを知ってからその境遇や人となりにシンパシーを感じるところがいくつかあったのだそうです。独学であることも共通点となりました。

これはそのひとつで、若冲の彩色版画「薔薇に鸚哥(いんこ)図」を取り入れた作品です。


「ベニスに住む若冲のインコ」(未完)




これがもとの伊藤若冲の「薔薇に鸚哥(いんこ)図」。田中さんの作品はこの背景にベニスの風景が描かれています。


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これは、元のモチーフを厚塗りで描いた上から違うモチーフを薄く描くというやり方で、油絵の透明性での表現を探りつつ新しいものを創りだそうという考えからできたものです。異なる厚みで描くことで同じ画面に異なる時空を存在させる多元構造になっています。最初は特に量子力学のことは考えずに、「面白いんじゃないかな」くらの感覚で描いてみたそうです。

作品を見た井上優さんに「絵の構造が量子力学の考え方に似ている」と言われてから関係性を意識して創作するようになったといいます。

井上優さんは詩人の方で、自身の活動の他、田中さんとコラボレーションして絵本製作などを手掛けています。

下の画像がその絵本です。これから本格的に売り込みを開始するとか。




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                  これはスケッチブックに描かれた構想。




さて、先述した田中さんが作品に取り入れた量子力学論について簡単に説明します。ここではミクロの世界(原子とか分子レベルの世界)とマクロの世界(私たちの世界)があります。話はミクロの世界から考えは出発します。

粒子からできている電子は波の性質も併せ持っています。つまり海の波と同じように、互いに影響しあうことができます。波は単体でなく複数の波(と田中さんは表現していますが、波は液体なので分裂したり多方向に広がるのが可能という意味でしょう。)でできています。


たとえば、波が左から右へ進んでAという地点を目指すとき、途中に障害物があると波はそれを柔軟によけて、様々な方向から地点Aへ向かいます。


この複数の波は動きながらお互いに多方面から影響を与えあっています。これを波の歴史といいます。

多世界解釈という考え方によればマクロの世界はミクロの世界の集積であるので、このミクロの世界の考え方は私たちの世界、すなわちマクロの世界でも通用します。


多世界解釈とは (注:ウィキペディアは私が知っている分野ならば一応正誤の確認をしてから載せているつもりですが、化学は専門外なので自信がないです。ここの情報も議論があるようなのであくまで参考程度だと思ってください。)


田中さんはマクロの世界ではこの「波」の性質を「過去」に置き換えて考えました。

つまり、時間の流れの中で、選択した過去は一つであれそうした過去の複数の可能性というものが互いに影響はしないながらも(ここが波とは違うところです。選ばなかった過去が影響しあったらおかしなことになりますからね!)私たちの世界に存在しているのだそうです。


(*この青い記述部分は量子力学の理論をもとにした田中さん自身の作品に応用させる個人の解釈であり、科学的根拠に基づく「学説」ではないことを誤解のなきよう明記しておきます。)


この「ベニスに住む若冲のインコ」では、江戸時代の画家が描いたインコ(江戸の絵画)とベニスというモチーフ(現在の絵画)が同時に同じ画面に描かれています。ところどころインコと植物が背景のベニスの風景に透けているように、両者は調和しているのではなくむしろ違う時空間で存在しているのです。

これは異なる時空にあるものの「融合」ではなく「独立した共存」を表しています。


現在は田中さんの制作の狙いはまた違うところにあります。

2に続きます!



これは結構考え出すときりがないです。


今回はその中でも「個人的趣向・趣味」に観点を置いてみたいと思います。


どこで人間の脳は美しさや醜さを判別するのか。人によって好みは多種多様なのに「名作」とされる美術品はなぜ大勢に受け入れられ得るのか。


はっきり言ってまだよくはわからないのですが、少し考察してみました。


少し前のことですが『脳は絵をどのように理解するか』という本が面白そうだったので読みました。

生物学的、科学的、心理学的な分野から「美術鑑賞」という行為を分析してありとてもためになりました。


それによると、我々が絵を目で見るとき、こうしたことが起こるのだそうです。


視覚(光)は眼の網膜に達して神経活動に変換され、脳へと送られる。ここでは個人差はほぼなく、規則的で一定の法則に従う。しかし視覚的印象、世界に関する心的構造を発展させるやり方は個人ごとで大きく異なるので、私たちはそれぞれ極めて異なる方法で対象を見つめる。


人間の目が絵画を捉えると:


1絵から反射された光が眼のレンズを通り、上下左右逆転して網膜に像を結ぶ。

  光エネルギーは電気化学的な作用によって神経記号に変換され、その信号は視神経によって視覚野というところに送られる。

  この最初の光学的処理において、線、エッジ、輪郭、コントラスト、色が処理される。


2視覚野で刺激は垂直と水平、角度、曲線など原素的特徴の点から分析される。

  そしてさらに識別され分類されて、処理の並立分散的なネットワークによって脳のほかの部分に送られる。

  例えば、空と山が別のものとして「見える」のは、エッジが線によって形作られるからである。輪郭は対象同志を分離する。それは絵の情報処理に欠かせないものである。




  *並立分散処理・・・脳には特定の機能に関わる中枢が存在するが、脳の働きが多くの領域の同時的活動によってなされること。


3見たものと自分や世界に関する多くの知識との間に結びつきが作られる。


まあつまり、最初に色彩や輪郭などのはっきりした部分、次に構図の幾何学的構成などの分析が脳でなされて、その分析を持ってして個人のデータベースと照らし合わせるわけですね。

個人差ができあがるのは3の段階においてなわけです。

極端な話、過去の経験から、赤色=恐怖という情報がデータベースにある人の場合は赤色を多分に使った絵画にどこか恐怖や不安を覚えたりするわけか。


これも経験に含まれるでしょうが、好みは「慣れ」と「予備知識の量」でももちろん変わってくると思います。最初は別に何とも思ってなくても聞いているうちに、またはその曲が作られた背景やストーリーを聞いて好きになったりする曲とかあるじゃないですか。あれと似たようなもので。もちろん慣れても嫌い、ってのもありますが。


事実私もパウル・クレーの絵があまり好きじゃなかったんですが、レポートでやむを得なく資料とか読みまくって彼の絵をたくさん見ているうちに気づいたら好きになってました笑


だから最近、昔好きじゃなくて特に注目しなかった作品を今見たらどう思うのかなあと思って、見てみたいと思うのです。


では、先に言った「名作」の場合は?

理由は色々あるのでしょうが、私は二つに絞りました。


一、多くの人が好む性質というものがあり、「名作」はそれに一致した。(共通認識みたいな)


二、様々な人の好みの性質を「名作」が少しずつ兼ね備えていた。


私はどっちもだと思いますが二であってほしいような気はします。

だからこそその作り手が巨匠と呼ばれる所以だとも思います。

無意識にか意識的にかはわからないけれど、様々な要素をもった作品だったから現在に生き残れたんじゃないかと。


まだまだわからないことは多いです・・・。








ジョナサン・グレイザーという映像作家さんがいます。

作品数はそんなに多くないですがミュージシャンのPVやCMなどいろいろな物を手掛けています。

かなり特殊な世界観で作られた映像は高い評価を受けたり時にはスキャンダルの的になったりしてきました。




特に有名なのはジャミロクワイの「Virtual Insanity」のPVじゃないでしょうか。





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映像はこちら↓

http://jp.youtube.com/watch?v=VQb2WXSqyl4

実は床ではなく壁が動く仕組みです。しかも人力。笑。



こちらは

Unkle の「 Rabbit in your Headlights」のPV。衝撃的な映像で不謹慎だと話題になったらしい。

http://jp.youtube.com/watch?v=Z3ClCwcCvdQ







私の持ってる作品集のDVDにはCMや映画の一部分も入っているのですが、面白い発想のものがたくさんあります。

CM作家なんかは特にこういう人材が必要だろうなあ。



面白いので是非皆さん観てみてください~キラキラ






は、私の最も好きな彫刻家です。


というか、好きな作品の作者がこの二人だった。どちらもイタリアの大彫刻家で、ミケランジェロはルネサンスの代表者、ベルニーニはバロック美術の代表者です。


ミケランジェロは、この有名な「ピエタ」が言われているようにまさしく最高傑作だと思います。






去年イタリア行った時に生で見たんですよ、これ。かなり遠い所にガラス張りで置かれていて、人だかりがすごかったですが、遠目で見ても鳥肌が立ちました。

素晴らしい造形性です。ぐったりと横たわるキリストのリアリズムに富んだ四肢。マリアの若々しい穏やかな顔。(悲しみの場面のはずなのになぜこのマリアは悲しみの中に静けさを湛えているのでしょう・・・)衣服の襞の見事な彫り上げ方。大理石の妖しいまでの滑らかさと白さ。何をとっても圧倒されました。


筋肉重視のミケランジェロにしては、聖母は服を着て、キリストは死者の衰えた肉体らしく、珍しくムキムキしていなくて優美です笑


「ピエタ」とはもともと「敬虔・憐憫」という意味のラテン語から派生した「悲哀」という意のイタリア語です。

美術作品においてはキリストが十字架の磔から下ろされ聖母に抱かれる場面を主題化したものによくつけられる題名です。


このマリアは母というにはあまりにも若すぎます。親子というよりは恋人のようです。キリストの顔と身体は、磔の後にしては綺麗すぎます。死んでいるというよりは眠りに落ちているかのようです。衣服にしても人体にしても、この像では何もかもが美しすぎる。これが作られるまでこんなピエタ像はなかったし、明らかにミケランジェロが自身のイメージから創り出した新しいピエタです。

不自然なまでに、理想的。


けれど、それがどうしたというのでしょう?

悲劇の物語の主人公のように造られた聖人たち。

美しい悲哀の形があってもいいと思います。

イメージの変革によって、これほどまでに胸を打つ作品が生まれたのだから。


ミケランジェロはほかにも3つピエタ像を制作していますが、この「ピエタ」は23歳の時の作品。

若いからこそ作れた作品なのだろうかとも思います。


そして、ベルニーニの方。こちらもあまりに有名な作品を二点。是非クリックして拡大を。私は実物を見たことがありません。残念なことに。


「聖テレーザの法悦」


聖女テレーザの胸にクピド(キューピッド)が矢を刺そうとしているシーン。テレーザは恍惚として愛の矢を打たれるのを待っているかのようです。



あまり主題には詳しくないのでちょいと調べてみたら、聖テレーザは実際に16世紀に生きていたスペインの女性協会博士らしい。背景の金の光も素敵な演出です。動きのある衣服の滑らかな線が美しい。


そしてこちらが「アポロとダフネ」。

河の神の娘のダフネに恋をしたアポロがダフネを追いかけ、まだ純潔を守りたい彼女が逃げ惑ううちに一本の木に変わってしまう場面を現したもの。



アポロの手がダフネの腰に回った瞬間、ダフネの体には枝が生え始めます。ほんの一瞬を捉えた傑作。

二人の表情と上へ延びる木の枝が印象的です。


立体作品であることをさしおいても見事な空間表現です。そして、彫刻なのに像がここまで重さを感じさせず宙を浮くように軽やかに見えるのはさすがベルニーニといったところでしょうか。



ここまで書いてみてわかったのが、私は多分大理石が好きなんだろうなあということ。笑。

そしていかにも物語的な、舞台上の役者のごとくわざとらしいダイナミックな表現の仕方が好きなんです






銀色夏生さんという詩人がいます。有名で作品集もたくさん出しているので知ってる人も多いはず。

私はこの人の詩が大好きです。詩人の中で一番好き。


詩集の中でも一番好きなのがこれ。



写真詩集です。私は好きと言っても夏生さんの写真詩集が好きなので写真つきのものしか買っていません。


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写真も本人撮影のものです。綺麗な言葉の紡ぎが綺麗な写真と相俟って心に沁みます。

写真と詩のレイアウトが絶妙。

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悲しい時や淋しい時に読みたい詩集です。人が悲しい時に必要とするのは、明るい言葉でも前向きな言葉でもなくて、切ない言葉や慈しみ(愛しみ)のある言葉だと思います。その方が余程慰めになります。


詩集はきっと、たまにしか読まないからいいんだろな。

昔から、小学校や中学校の国語の詩の授業で同じものを毎日読まされて、日が経つごとにその詩がつまらなくなっていったのはきっとそのせいだと思うのです。




                                                 












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Mid-Blueの人からこんな本を借りました。今まで経営やマネジメントに興味がなく全く知らず、最近やっと少しずつこの手の本を読むようになった私にとっては易しく書かれていて読みやすく面白かったです。



著者の小山登美央さんはギャラリストで村上隆や奈良美智をプロデュースした人だそうです。しかもうちの学科の出だった・・・うちの学科の先輩でこんな人いたんだ・・・ギャラリストや評論家疎くて知りませんでしたガクリ


ただ村上隆も奈良美智も個人的には興味がありませんが。作品の良し悪しと好みはまた違いますからね。

ただ、両者のポリシーや姿勢は共感できるしなるほどと思います。二人は全く逆ですが、どっちもいいと思います。



最後の方の章に

「日本人ほど美術館に足を運ぶ人種はいない。海外でも必ずと言っていいほど美術館には日本人が溢れている。外国人が日本にきても日本の美術館には行かない。」

というようなことが書いてありました。


これ見て、ああ確かに・・・と、よく考えりゃ気づくことなんですがぼんやり衝撃を受けました。




ただ、これは日本美術が他国より価値が低いとかそういうことではない。

そもそも日本人と他国(特に西洋)とでは美術というものの考え方が根本的に違う。



確かに外国人は日本に来ると美術館よりも寺院や神社や遺跡に行く。そこで日本の建造物を見る。襖絵や屏風絵といった絵画を見る。仏像という彫刻を見る。日常品として使われていた工芸品を見る。



日本人は日常生活の中に装飾要素として芸術を取り入れてきた。観賞用としてではない。ここが西洋との大きな違いだ。寺や城といった建築は西洋の教会建築にも通じるし、工芸も西洋では日用品だったろう。でも少なくとも彫刻と絵画は違う。



日本の彫刻は(基本的に)寺を祀り、または守るためのものであって、襖絵や屏風絵はあくまで道具としての役割が先に立ち、鑑賞するためのものではない。掛け軸だって室内の一部として作られるのであり、コレクションしてまじまじと見つめていたわけではない。最初から飾られることを目的に作られていない。

一方、西洋の美術品は上流階級の贅沢な趣味や富の象徴のためのもので(もちろん実用的なものだってあるけど。)、美術館の起源も日本より遥かに早い。



だから、本来日本美術とは美術館に陳列されて鑑賞されるものではなく、それを内包する建造物や、気候、周りの草花、自然、四季の変化など生活に即した全体的な雰囲気とともに観られるべきなのである。




そう考えると、外国人が美術館ではなく観光地で日本の美を感じ取るのは理にかなっていると思う。




語り口調で長々と思うところを言ってみた・・・。今は「アート」と呼ばれることが多くなってきてるように、日本の現代美術はかなりウエスタンナイズドされてて、最初から展示を目的に作ってるから逆に日用品に馴染ませたらおかしいものが多いんだろうけど。


日本美術があからさまに商業的な色を帯びたのって浮世絵の時からっていう印象があるんだけど、どうなんだろう。日本美術に詳しい人教えてください;;




あと、キュレーターて言葉が本当に日本には浸透してないなあと思います。学芸員って訳語も悪いが。美術館専門職員とでもいえばいいのに・・・。

もうなんか愚痴になりそうなんでやめますが笑









今日新しいデジカメ買ってきましたーにこアオキラ


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今まで古いの使ってたからピカピカでうれしいスマイル



来週は画家さんに取材しにいったりもするし、色々使い道あるから今買っといて正解かなキラキラ

ズームに強い機種だそうです。









私はとても素敵な年のとり方をしている女性を知っています。


彼女は大正と昭和の境に生まれ、小学校教諭の職に就きました。その間に戦争がおこり疎開も体験しました。結婚をし、二人の子を設け、教職を辞してからは茶道の先生として自宅で教室を開きました。

夫が亡くなり、数年前にその茶道もやめ、今は80を超えた体で社交ダンスに通っています。友達と旅行にもよく行っています。未だに家事もこなし、出かけるときはメイクもバッチリし、ネイルも塗り、派手な首飾りをつけていきます。

電話越しに自分より若い友達に向かって「外に出た方がいいわよ。ひきこもっちゃおしまいよ~」と言っています。買い物にせよ何にせよ毎日どこかしらへ出かけます。


そんなアクティブで好奇心の強い女の人が私の祖母です。


そしてどうしてそんなでいられるのだろうと思うほど精神が若いです。家族の中で一番に「彼氏とどうなの?」と聞いてくるし、珍しいと思うと何でも買ってくるし、こないだなんかデコ電作ってたし(黒電話が地味だからと言ってラメのシールを張ってた)笑。


年をとって、戦争のことを語り合える人が周りから消えて行って、夫が亡くなっても、ああいう風にアクティブで若くありたいです。理想のおばあちゃんです。私がいうのもなんですが80過ぎには見えません。


活力を湛えながら年をとっている人は美しい、と思います。


そして、美しい都市の撮り方をしている人もいます。




中野正貴さんという人の写真集「TOKYO NOBODY」

写真集コーナーに行く人なら見たことあると思います。



東京の街並みを全て無人のところを狙って撮ってあります。突然生物が消えてしまった感覚を覚える、斬新な一冊です。東京の見えない造形が見えます。私たちは人間というファインダーを通していつも風景を見ているのだと気づかされる。


きっと自然の風景に人が感動するのはそのせいでもあるのかな。無人効果というか。同じ海でも海水浴の人がいるより無人の方が価値が高い気がしますよね。


完全に無人の東京を取るのは10回に1回しか成功しなかったそうです。

私は実はこの写真集持ってないのですがいつか欲しいなと思ってます。


今日のタイトルがそうですが、ことば遊びが好きです。かけ言葉とか、並び替えとか。詩にもよく使われますが。

私はあまり作れないのでそういう類の本を見て面白いなあとも思う程度ですが・・・。

このブログのURLの「lemon」と「melon」も一方のアルファベットを並べ変えると他方になります。


ことば遊びの代表格といえば近い世代では「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルが有名です。私はもともとアリスが好きで、ルイス・キャロルの頭脳パズルが好きで、もっといえばアリスの中に出てくることば遊びやパラドックスが好きなんです。アリスには面白い謎々のような数学的要素が至る所に散りばめられています。数学は苦手ですが逆説とか矛盾理論とかは不思議で好きです。


ただ、原書は勿論英語なのでアリスを日本語で読んでもそういう言葉のからくりは見えてこないんですよね・・・。アルファベット使うからこそできる遊びが出てくるので。アリスの訳者さんは本当苦労したと思いますよ。どうスムーズに日本語にしようか・・・みたいな。

「かばん語」という遊び生み出したのはキャロルです。

かばん語とは:ごめんなさい長くなるので・・


また笑った口だけが見えるチェシャ猫はa cat without a grin (笑わないネコ)→a grin without a cat(ネコのない笑い)といった言葉遊びからきているそうです。





私は図書館でやたらアリスについての本を借りるので司書さんに「メルヘンな人だな・・・」と思われてそうです笑


アリスについては挿絵についてなど他にも興味深いところがたくさんあるのでまたいつか別途詳しく書くと思います。







という写真家を知っていますか?国内外で活躍している、幻想的で美しい写真を撮る人です。








本屋で彼の写真に一目惚れし、気づいたらレジに出していた出会いの時から四年が経ちました。実は野波さんについてあまり詳しく調べてはないのですが・・・。 汗去年のGWにローマで個展をやっていて、ちょうどイタリア旅行に行く予定だったので見るつもりだったのですが微妙に時期がずれて逃しました涙


モデルさん自体も綺麗だけれど、彼の独自の世界観と撮影技術の賜物だと思います。
一見絵やCGのように見えるのですが(FFみたいな感じにも見えるかも)CG技術は一切使ってないそうです。



写真は撮るのは苦手ですが(授業で写真実習があり、一眼レフでの撮影から現像までやったのですが・・・あれは私に向いてないのです、きっと。先生に苦い顔をされました・・・)見るのは大好きでよく買います。








080806_2054~01.JPG ぐるっとパスと、


松井冬子。

前者は都内の多数の美術展が無料or割引になるフリーパス的なもので、後者は今人気の若手美人女性日本画家。

関連は全くないけどあまりに響きがミスマッチだったのでつなげてみた笑。


今日買ったこのぐるっとパス、2000円でなんと都内61施設の展示がタダor割引になるという最低週1回は美術展に行く私としてはお得な券ハート

しかし・・・その使用期間、初回使用日から二か月。∑(゚Д゚)ナンダッテ


いや・・・なんかさあ。私はそれでも元取れるからいいけど、そこまで美術興味ない人行けるわけないじゃん。

これ作ったの誰よ?ほんとに美術展に人集めようって思ってんのか。初めから全部の施設に使わせる気さらさらないじゃん。61施設だから二か月でその特典を最大限に活用しようと思ったら一日一施設行かなきゃいけないわけですよ。

それくらいの特典を謳うなら全ての施設を廻りきるのが物理的に可能な期間を設けろっつの。せめて一年はつけなさいよ。一部の人しか買わないじゃんこんなん・・・。だから日本のアートは閉鎖的と言われてしまうのよ。まあ実際期間を長くして売ってしまうと経済的に美術館経営が成り立たないからこんなことになってるんでしょうが、まず成り立たないところに原因があるよ・・・。

ま、でも、大いに使わせていただきますこのパス。


で、松井冬子さんのほうですけども。

いま彼女の画集が欲しいのです。単純にこの人の絵が好きです。二冊出てるけど、二冊合わせても1万ちょっと。安い!ほわん(もうね、美術書と画集と写真集のせいで私の財布はいつも寒いさ・・・後悔はしないけど。)

私も最近知ったばっかで最近よく雑誌やテレビで取り上げられてるかな。今時珍しく絹本に岩絵の具で、所謂''日本画''らしい''絵を描く人です。



ただその主題に関しては特殊で、非常にグロテスクなモチーフとおどろおどろしい雰囲気が特徴。

本人は女優かと見紛うほどの美人さんなのですが、自分の創作理論に対して徹底した持論を持ち、それを貫いている人です。彼女は男性像を描きません。気になる人は調べてみてくださいね。


私にはこの人はとても世界を厳しい目で見る人なのだと思えます。自己存在と世界との関わりを考えて、痛いくらいに突き詰めすぎて、その痛みと苦しみが作品に滲みだしているのだと。

ただ彼女はそれを意図的にやっています。「痛覚とは生物の最低限の本能的な感覚だが、だからこそそれを痛烈に表したい」みたいなことを言っていました。(うろ覚えですが・・・)

面白い絵を描くのでお金が貯まったら買おうと思います。


ただ、ひとつ松井さんの作品で個人的に気に食わないとこ(言い方悪いですが)は、作品のタイトルです。やたら長くて説明的。(例えば上の犬の絵の題名は、「切断された長期の実験」。)そしてこの説明的な題名の解説をさらに必要とする。


タイトルが作品の一部、つまりタイトルに意味を持たせ始めた抽象美術主義以降、もはやタイトルで何かを説明しようとする現代アーティストがほとんどです。

が、その風潮に乗って、タイトルにコンセプトを全て丸投げして、作品そのものは何を作ってもいいのだと思っているような人もたまにいるように思います。

それは私は違うと思うのです。作品ありきのタイトルであって、まず作品を見て理解や伝達がなされなければ意味がないだろうと。きっと写実画や具象画が好きなのもこの考えに一部由来しているのです。たぶん。

松井さんの場合は作品そのものが完成されていてわかりやすいので別にいいのですが・・・(むしろ題名を見るより絵を見た方がわかりやすい。でも本来は芸術とはそうあるべきだと思う。私は。)

個展ももっとでっかいとこでやんないかなー。







今日バイト先(小中学生対象塾)で生徒の小学生に「先生いくつ?」と言われたから「いくつに見える?」と言ったら「38!」と言われました泣笑 うん、ふざけっこだから本気じゃないのはわかるんだが、倍かい・・・笑