なんとなく分かる彼らと来世じゃなくて今やろう
小学生一年生で作文を表彰されてから感想文でも作文でも学校の代表となることが多かった。絵もしかり、選ばれるようなことは無くても貼り出してあったなかから私の絵を気に入り先生が持って帰り、お礼に綺麗なハンカチをもらった。私の作品は中学生にして売れてしまったのだ。友達からは○○ちゃん、ずるい。勉強もできて、絵もうまいなんて。とお褒めの言葉を頂いた。そう私は芸術的なことも大好きだった。でも将来を選ぶとき、ちょっとばかり上手くて、すきだけど曖昧なものは選ばなかった。だって国公立大学三つも受かったら、それを蹴る理由も願望も無いでしょう。まわりも自分も受かったことに大喜びだった。受かった先に何があるのかはあまり考えなかった。大学に入ってから精一杯勉強し、そこで考えようと。今この年齢になり、自分のペースで芸術をしている人がうらやましい。同じく物を作り出し自由な仲間に囲まれて幸せと言いきれる生活を送る姿にあこがれる。私も上手だったんだと言いたくなる。私もやればできるんだよって子育てと仕事だけで精一杯だった。置かれた場所でぶつかりながらも一人一人大切に対応してきた。そして今仕事以外何もない自分と言う気持ちになっている。そして仕事もうまくいかなかった。そしたらもう空っぽじゃん。同じ大学にいった友達が教授になっていたり、ハーバードで研究していたり。それを望んでいるわけではない。羨んでるわけではない。でも今のこの仕事でさえ満足にできてない自分。何がちがかったのかな?就職というスタート地点を大きく間違えたのは否めないけれど、彼らの先を見る目が優れていたのでしょう。なんとなく、切ないような悔しいような。無差別に世間を恐怖に陥れる犯罪者が時々現れる。彼らはこれの倫理観が外れてしまったパターンなんだろうな。そこに至るまでの心理はこの経験のある私にも途中まで理解できる。サラリーマン量産型の学校教育は、ふるいから落ちてしまった規格外の人間にどうやって生きていけばいいのかを教えてくれなかったのでしょう。はい。たまには愚痴を吐き出さなきゃ。来世じゃなくてこれからやれば良いんだよ。絵を書こう。気持ちを書こう。英語をやろう。運動しよう。愛に感謝しよう。空を見よう。2022年、一歩踏み出した。一歩ずつ前へ。